第44話 満ちし来ぬらし
銀が東アジア――とりわけ明にとってどういう意味を持つのか。それを私はこれまでに考えたことは無かった。
石見銀山の存在が、毛利家にとって瀬戸内交易収入に勝るとも劣らない貴重な財政基盤であったことは最早言うまでもない。ただ、その毛利家から流れた銀が博多を経て、どこへ流れていて、どのように使っているのか、それを私は知らない。
最も危惧すべき、ポルトガルがヨーロッパ市場へ大量に流していた……という可能性は低いだろう。これであればスペイン本国が気が付かないわけがなく、気が付けば即座に私に対して指示が飛んできていたはずだ。太平洋・新大陸・大西洋を経由する情報のやり取りには片道なら最低半年以上、船の出航には季節による風の影響もあるのでそれを待つことを踏まえたら1年かかる。だが、これは逆に言えば1年のタイムラグでヨーロッパ情勢の情報は届くことを意味している。
となると、ここ1年でほぼありえないがポルトガルが爆買いしていたと仮定しても、ではそれより前は誰が銀を買って、どこに流していたのかという同様の問題に帰結してしまう。
そう。石見銀山で採れた銀を意味する『ソーマ銀』という名だけはヨーロッパでも聞き及んでいたのにも関わらず、その『ソーマ銀』自体はヨーロッパまでほとんど辿り着いていない。どこかで確実に消費されているか、貯蔵されているはずなのだが、では一体何処へ消えているのだろう。
ここからは神屋の番頭や周囲の人間には、分からぬように言葉を変えて話す。
「……ルッジェーリ殿。フィリピン伯領内からではなくても構いません。早急に『カスティリーヤ宮廷』の息がかかったものか、貴殿の腹心などを博多に置くことは可能でしょうか? 代官、外交官、大使……名分は何でも良いです。
博多の銀相場を確実に抑える人員が絶対に必要です」
「銀の相場ですか……。分かりました、宋銭なる通貨がこの地域を席捲しかねないのは憂慮すべき事態ですし、フィリピン伯様の危惧と併せてこの地に人を差配するのは私も賛成です。人員に関してはお任せください。此度の同行者の中に手の者も混ぜております故。
しかし、問題は常駐するための施設ですね。名分は公貿易のための機関とでもすれば良いでしょうが、彼等にとって異国である我々の出先機関を作るというのは、この我等に向けられる町衆の視線を考慮すると、先住民族の反発に遭いかねないかと……」
「……そこは、聞いてみましょうか。何か突破口が得られるかもしれません」
さり気なくルッジェーリの手の者が艦隊人員に紛れていたことを明かされ、ちょっと背筋が凍ったが、今はそれが良い方向に働いたのだから良しとしよう。宮廷からの監視人員なだけあって手抜かりがない。
そして、私は神屋の番頭に、スペインとしての意図は隠しつつもこう告げる。
「昨日、通商交渉のために貴国を訪れたことは話したかと思います。
貴国の貴人の判断がどうなるのかは分かりませんが、もし許されるのであれば、商いのための建物をこの博多に我々も欲しいと思います。神屋殿の屋敷は大変素晴らしいですが、定期交易となった折に、毎度毎度お借りするのもご迷惑でしょう?
京へ上る前に博多にそういった施設を作る名分のようなものがあれば良いのですが……何か、ご存知ないでしょうか?」
神屋の番頭は、この私の質問に対して拍子抜けするほどにあっさりと答えた。
「ええと……それはつまり、いにしえの時代の鴻臚館のような施設ですか?」
*
鴻臚館。
それはかつて存在した官営の貿易管理機関であるらしい。かつて、というのがどれくらい昔かと言えば、衰退したタイミングですら11世紀末、成立は前身組織まで数えれば白村江の戦いまで遡ることができる組織とのこと。
大和朝廷による官製の迎賓館、あるいは唐や諸蕃に対する貿易商館として発展。その初期は鴻臚館ではなく筑紫館と呼称されていたようで。一度に数百人という単位でやってくる唐の商人に対して、国が一元的に管理するというのは容易ではなく手続き的にも極めて煩雑なことから、この筑紫館では外国商人と朝廷の役人が貿易交渉を行う間、滞留する施設として機能した。
と、同時に遣唐使。彼等の宿泊施設としても機能している。遣唐使の時代なのだから、私達よりも尚更航海においては風向きというのが重要になる。その風を待つために数百人という遣唐使の人員が宿泊できる場所を朝廷は提供せねばならなかった。また、あるいは唐に赴いて帰路に就く遣唐使が再び日本の地を踏むときにも宿泊施設して機能したらしい。対外公館である。
そして、そうした多国間通商の場として重要な役割を担った使節であるからこそ、同時に国際的な情報収集機関としての側面も有していた。
そうした筑紫館が鴻臚館へと名を変えた時期は、概ね遣唐使が廃止されたタイミングと符合する。唐の公的な使者も時を同じくして渡来してこなくなるので、鴻臚館としての機能はより一層、宿場そして貿易商人に対しての接待の場としての側面が強まった。そうした貿易商人が集まる場ということもあり、市場としての価値も生まれてくる。そして時代が経るごとに貿易そのものが徐々に民政移管され当初はそれに朝廷側も反発した布告を出していたものの、鴻臚館の管理を大宰府という地方行政機構へ払い下げして中央の統制の枠から外れていき、最終的には寺社や貴族による私貿易が台頭してきたことでその役割を終える。
ふむ。朝廷に先例があるというのは大きい。ただし国営というのは今の朝廷に管理が出来るものなのか。大宰府に移管できた以上は地方権力に管理を委託することになるとは思うが、そうしたときに出てくるのは大宰少弐職を代々世襲した少弐家なのだろうが、流石に没落した彼等をそこまでの大役に引き立ててもノウハウが散逸しているだろう。次点でその少弐家を滅ぼした大内家。またまた現在では没落している菊池家の世襲であった大宰大弐を大内義隆を任官したこともあったが、大内家も大内家で風前の灯火となっている。
あるいは、一応朝廷の任官として見るならば、大宰権帥の位を現在有しているのは私の知る歴史ならば公家の山科言継であるが、彼を流石に九州での実務担当に引っ張ってくるのは無理があるわけで。
現在、博多及び大宰府を抑えているのが大友家であり、大宰大弐をかつて世襲していた菊池家とそこまで遠くなく、幕府役職では九州探題職。そして何より大友宗麟は洗礼こそまだしていないはずだがイエズス会に比較的好意的であるから、色よい返事も期待できそうである。普通に考えれば適任っぽい感じもするのだが、しかし大友家か。下手すると毛利や龍造寺、島津との戦に巻き込まれかねない立ち位置は考え物だ。
そう考えると、この鴻臚館の先例をそのまま使うというのは、ちょっと再考の余地がある。名義上朝廷直轄ないしは幕府直轄としても大した意味はないだろう。そういう土地を横領して成立したのが武家な訳だし。
だが、展望はある程度掴めた。
*
「どうも私共の番頭が、勉強させて頂いたみたいで」
神屋紹策の動きは実に早かった。その日の夜には、ほぼ有無を言わせない形で接待という名の戦闘フェイズに移行した。『博多の土地の交渉に寄進が絡むと寺社からの反発が出かねないから、大変申し訳ないが宣教師の同席は避けてほしい』という一見尤もな理由でルッジェーリを交渉の場から排除した。
それは既に、私がイエズス会の布教政策とは全く異なるロジックで動いていることを神屋紹策が把握しており、しかもルッジェーリがただの宣教師ではないことまで看破し、交渉の一元化を企図して外してきたのだ。
そして建前として掲げてきた寺社の反発も、既にイエズス会側には1558年に松浦隆信が平戸からの退去を命じたときに、その命に便乗した寺社勢力によって教会が焼き討ちにされている経験がある。それ故に神屋紹策の危惧を正当だと感じ、その流れを見たルッジェーリが、自分が引き下がることで交渉の成否が変わるのであればと、折れる。
グレイスと彼女の臣下の護衛こそ残されたが、ほぼサシでの対面となったのである。
「その様子ですと、全部分かっているようですね?」
「ええ、まあ。件の番頭を絞り上げて、何を口走ったのかは聞き出しましたよ。
鴻臚館のことですね。確かに、通商を求め外交使節としてやってきた貴殿にとって、そういった施設を望まれることは理解いたします。我々神屋も細々ではありますが、国外と商いをしております。現地でそのような施設があればと感じる商人の気持ちは痛い程分かりますからな」
謙遜にしても神屋がやっている対外交易の規模は、決して細々という次元ではないのだが、まあそこは置いておこう。
おそらく彼が気になる点は、私の懸念点とほぼ同一であろう。
「この際、単刀直入に聞きましょう。
まだこの国の中央で、どのような外交判断が下るかは分かりませんが、群雄割拠なされている貴国の現状を鑑みるに、朝廷にしろ幕府にしろ、鴻臚館のごとき施設を直轄統治するのは不可能で、代理人を立てる必要がある。
……此処までの認識は相違ないでしょうか?」
「ええ。ご明察の通り、まさしく私が慮っていた箇所はそこで御座います」
「……そして、神屋紹策殿がこのような場を設けた理由は。
その代理人を『毛利とするのか大友とするのか』、そのただ一点ですよね?」
それに対する返答は沈黙であった。しかし、神屋紹策の眼力は最早客人に対するそれではなくなっていて、看破されたことに対しての諦観や驚きなどは一切見られなかった。そして、彼はゆっくりと首を縦に動かす。
神屋は石見銀山の銀で財を成し、現在はその地を治める毛利家の影響力が強い商人であるから、ここで向こうが企図している答えが毛利、というわけでは必ずしもない。いや、勿論、神屋としては毛利をパートナーとして選んでくれるのであれば、手間なく万々歳なのであろうが、九州北部における単純な影響力という意味でも、カトリック勢力に対する容認姿勢からも大友のが圧倒的優位に見えるわけで、普通に考えたら大友を選択することを考慮するだろう。
だからこそ神屋紹策の一手は、既に薄々と私にも理解できる。
ここで大友を頼ると言えば、彼は必ずや高橋鑑種を実務責任者として推挙するはず。
高橋鑑種。宝満城の城督にして、同時にその支城たる岩屋城の城主。その両城はまさに大宰府を囲うように位置しており、更には博多を眼下に見下ろせる場所なのである。ほぼ筑前の守護代といっても差し支えない地位に付いていた高橋鑑種は、どう考えても適任な人材である。
……ただ1つ。私の知る歴史では既に随分と前から毛利と繋がっていて、もう間もなく大友家に対して謀反を起こす、ということを除けば。
だからこそ、先の毛利か大友かという問いに対する答えはどちらもこの場を凌ぐ上では正解であり、同時に今後の影響力を考えるとどちらも不正解なのである。
で、あれば。
――盤面ごと、前提をぶち壊すしかない。
「畿内での交渉が成し得たら、鴻臚館のごとき施設の運上には――神屋紹策殿や島井茂久殿らを始めとする博多商人衆の方々を中核とし、赤間関の町衆や、府内の仲屋乾通殿。更には堺の会合衆の方々も織り交ぜるのもいいでしょう。
そうした彼等を博多で束ね、合議でもって博多の街とともに我等をお守り頂ければ、と」
赤間関とは山口の下関にあたる場所で毛利側が関門海峡の通過を見張る瀬戸内における戦略拠点、そして府内の仲屋乾通とは大友家で国際貿易を一手に担う御用商人だ。
つまりは毛利と大友の影響力があるのであれば、それらを全てごった煮にした上で余所者すらも混ぜて、それらを博多商人衆の名の下に一元化する、という構想だ。全ての諸問題を棚上げにした上で、実務は神屋や島井に委任するためスペイン勢で遠隔統治の負担を背負うこともない。
何より、そもそもそこまでこの鴻臚館構想が上手く進むとは思っていない。我等スペインを敵に回すことを恐れるような相手であれば、そもそも博多を燃やそうなどとは考えないからである。
だからこそ、この構想が破綻し博多もろとも焼かれる時が来れば、その責を武家に攻め立てるのではなく、博多商人へと問う、その為の毒仕込みの提案である。
しかし、それが毒であると理解しても尚、以後のフィリピンとの公的な貿易を一元的に差配できる立場、という旨味は非常に強い。
彼等の視点から見れば、博多が焼かれぬように尽力するのは、これまで通り。しかし以後は博多を焼かれた場合には全力で私達の代官を救わねばならない、というオーダーが増え、そして事後にはフィリピン伯領からの詰問を受ける立場となる。ただし、国外からの強い要請という大義名分の下、博多を焼いた勢力に対しての荷止めや売り渋りを我々のせいにして行えるというリターン付きだ。
リスクも大きいが、それによって得られる利益も莫大。
「……つまり安全保障を我等博多の地下人へと、そういうことですか。この日ノ本はフィリピン伯様も御存知の如く、武威が要となる国でございます。
元々明との交易について我等が差配しておりましたし、今もそれは変わりませぬ。我等を信任して頂けるのは光栄なれど、無用な危険を抱え込むほどの利では御座いませぬな」
神屋紹策の答えは、承諾でも拒絶でもなく、更なる条件の吊り上げであった。
――そして、この時点で。私はこの条件闘争の勝利を確信したのである。
「……神屋殿。
私は呂宋の同盟者であり、彼等の港湾の利用許可を得ております。
明の法である海禁を破って貴国に訪れる不正規の商人や、琉球の朝貢とは異なり、呂宋が海禁の除外指定を受けた、言わば明と正式に交易が行える港であることはご存知でしょう?
その呂宋を、私の名義で博多商人らが利用できるように融通を行える……それは神屋殿や他の商人の方々にとっては代えがたい利、なのではないでしょうか?」