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第43話 素波銀濤


 神屋の屋敷で1泊過ごした後、神屋紹策に対して「一日中屋敷に閉塞するのは気が滅入るので外を見て回りたい」と伝える。

 まさしく貴人の我儘でありがちな言葉であるが、グレイスを始めとする兵を選抜して護衛とする、という話も加えたところ神屋紹策も会得がいったようで、


「では、昨日此処まで案内した番頭と、我等からも兵を出しましょう。そうですね……貴殿が付ける兵と同数だけ此方からも出せば、多少は周囲の目も誤魔化せようかと」


 その言葉は暗に私達の兵を信用していないということを意味していたが、彼ら目線で見れば、5年前の平戸での宮ノ前事件――貿易交渉の決裂からポルトガル人商人と在地商人の喧嘩に発展し、松浦家の武士が仲裁に入ろうとしたところポルトガル人側は武装して武士らとも交戦に入った……ということがあった。

 それを博多で起こされたらたまったものではない、という意識はあるのであろう。だからこそ、私のことを貴人であると判断し屋敷には入れているが、それは同時に一か所にまとめて行動を管理しようという意志の表れでもあるのだ。


 そして彼等の危惧が正当である、と言わざるを得ない程には、私達の練度は高くない。私の軍勢に占める兵員の出身には大別すると2パターンに分けられるが、1つはグレイスの臣下、そしてもう1つはスペイン人入植者からの選抜なのである。

 前者はグレイスに忠実で精強であり兵の統率をも取れているが、根本的にグレイスがアイルランドにおける海賊のような領主の出ということもあり、精鋭ではあるが同時に海賊としての側面も持っているのだ。特に風貌や立ち振る舞いなどにそれは露骨に出てくる。

 では入植者からの選抜兵はどうか、と言えば、そんなヨーロッパにおける先進国でもない地域の海賊が『精鋭』と呼称されている現状から察して欲しい。そもそも、ヨーロッパから新大陸に行くスペイン人が本国のテルシオに代表されるような職業軍人に比肩する程の練度が有している訳が無い。しかも、私のところまで来ているのは、その新大陸においても何らかの理由で閉塞感を感じて新天地を求めるような者たちだ。


 ついでに言えば、フィリピン伯領内の兵制。これも一因としてあるだろう。域内での穀物流通と太平洋交易が基盤であるために武家のように土地収入にそこまで依存しているわけではないが、財政的に兵農分離を行った専業兵を育成することなんて不可能だ。

 ……というか、兵農分離どころか、兵員は同時に水夫であり、水夫は同時に商人の1航海契約制の短期アルバイトであり、短期アルバイトであるということは職業を転々とするということと同義だ。農民もまた期間限定のアルバイトのうち、手が空いているときにこれらに参加するため、兵・農・商の区分が極めて曖昧なのである。

 なので私に同行してきている面々も精々数年契約が目途の中長期アルバイターの兵士でしかなく、だからこそ、一応家臣団という形の体裁が整っていているグレイスの軍団が精鋭なのだ。


 そんなことで練度を望めるもわけもなく、あらゆる職業が兼任といった有様なので抜本的な対策に乗り出すと労働者不足とともに、他職業を主として働いていた人の副業収入の低下に繋がるというジレンマ。だからこそ今、フィリピンを代理で任せているフアン・デ・イディアケス補佐官にも、周辺海域の海図の作成や海流調査名目で積極的に短期の探索依頼を募集させたり、フィリピン国内における交易の活性化を推奨し、交易船の水夫募集などを出すことで、住民の収入確保とともに全体としての練度の拡大を目論んでいるわけだ。やっていることが、ファンタジー世界の冒険者ギルドレベルだけれども、せめてそうした冒険者くらいまでには練度と規律を高めたいという意味合いも含まれている。……そんな練度でも今まで戦が何とかなってきたのだから、砲と鉄砲は偉大である。

 ちなみに、日本との公貿易許認可交渉が上手く行けば、そういった依頼も増えるので、実は外交交渉でありながらにして、今回の日本渡航は内政の範疇にも恩恵があったりするのである。


 ということで私達の兵の練度は、本国と比較するまでもなく、そしてそれが突然向上するなどということも無いのである。だからこそ、不信を向ける神屋紹策に対して苦笑いをしながら、彼の提案を承諾した。




 *


 博多の街は歴史上、何度も蹂躙される。

 私が知っているのは4回。そのうち3回は、今の時点では未来の話になる。1つは1559年の筑紫惟門の2度目の挙兵時の放火。2つ目は1578年の耳川の戦いで大友方が敗戦した後の筑紫・秋月連合軍による略奪。そしてその翌年の龍造寺軍の進軍によっても焼失し、最後に1586年に島津によって占領された博多が豊臣の九州征伐を前にして焦土作戦の一環として焼かれる。

 これ以外にも1570年にはほとんどの機能が肥前に移転されていたという話もあるが、これはおそらく先年までの大友と毛利の大乱を避けるためであったのだろうと考えられる。事実1570年時点では既に両者は和睦しているために、その2ヶ月後には街は復興していたという話もあるくらいだ。


 大坂夏の陣で焼かれた堺が、以後二度と元の活況を取り戻すことが無かったことに比べると、さながら不死鳥のごとく蘇りを繰り返す街なのである。……まあ、住んでいる者からすればそう何度も壊すな、という話でしかないのだけれども。


 翻って今の状況は、最後に燃やされたのが7年前。そして毛利軍は遠く出雲で尼子攻めの総仕上げの段階で、大友側もまだ高橋鑑種が寝返っていない。それが示すことは。


「すごい活気ね……」


「呂宋や、遠き異国の都市を知るフィリピン伯様にそうおっしゃって頂けると博多の地下人として鼻が高いです。様々な産品が一度この博多に集積され、九州全土は無論のこと、瀬戸内を使えば堺やその先の東国へ、山陰を渡れば越前の敦賀から越後の柏崎まで至ります」


 神屋の番頭の話だが、即ち神屋としては越後くらいまでなら影響力を与えられる自負があるということか。まあ堺の天王寺屋が越後の青苧の優先権限を16世紀の初頭くらいまで持っていて、上杉家とその御用商人である蔵田氏や荒浜屋の台頭に伴い天王寺屋の影響力は失われていくが、逆に言えばそれまでは堺の商人の影響力が普通に越後まで及んでいたことを示している。博多はそのように主力産品の独占買付が出来る程では無かろうが、それでも交易で行くエリアなのは間違いない。


 そして、そんな博多の街を歩けば、町の民からは一瞬怪訝な視線を向けられるが、私達を先導する番頭が神屋の者だと分かると視線が和らぐ。すなわち、異物から客人へと変わるものだ。


 向けられる視線は無視しつつ、先の番頭の話をスペイン語に訳して護衛兼補佐として付いてきたグレイスとルッジェーリに伝えると、地名と国土領域にピンと来ていないながらもグレイスが次のように話したので私が訳して番頭に伝える。


「……此処に来ている国外からの商船が運ぶ産品はどういったものが主で、博多からは何を対価として出しているのでしょうか?」


 このグレイスの疑問は彼女の故郷たるアイルランド西岸のクルー湾沿岸におけるスペインとの通商を想起させるものであったからなのだろうと、私は感じた。

 スペインからもたらされたものがワインと鉄製武器で、一方アイルランドから対価として出していたのは動物の皮と魚であった。


 神屋の番頭はそんな裏背景を知る由もないので、こう答える。


「明の商人からは彼の国の通貨である明銭や生糸、織物が主ですね。高額商品ですと書物や茶器などもあります。我々と商いをしていることは本国ではあまり公に出来ないらしいですけれどもね。その他の商人ですと、木綿を持ってきていただけることが多いでしょうか。

 ああ、そうです。近頃は明の商人の船に同乗してポルトガルの方々もいらしていますが、彼等も基本は生糸や織物ですね。たまに珍しい食べ物や種子島であったり、薬などを融通してくれたりしますけれども。


 そして、我々から提供するものは主に銀と銅になりますね。どちらも飛ぶように持っていってくれます」


 明銭とは即ちその多くは永楽通宝のことであろう。永楽通宝が流通しているのは基本的には、東国であり、畿内以西ではびた銭程ではないにしろ、度々撰銭の対象になるくらいには価値が一段低いものとみなされていた。

 例えば1521年に室町幕府で出された撰銭令においては、100文のうち悪銭は最大20文までとして、その20文の内訳として「古銭10文、洪武通宝2文、宣徳通宝2文、永楽通宝6文」と定められていた。つまり畿内においては永楽通宝は無制限に使える貨幣ではない。では何が『いわゆる精銭』として扱われていたかと言えば――宋銭であるところの小平銭という1文銭貨だ。

 宋となるとモンゴル帝国と戦闘状態になった南宋、しかもその滅亡ですら3世紀も昔の話であるが、何と日本に流通しているの宋銭は北宋――500年以上昔に鋳造された銭貨なのである。

 ここから分かることは、畿内以西においては貨幣の価値は新しさが担保するものではない、ということ。


 確かに、戦国日本では貨幣の鋳造能力は無く、輸入に頼るしかなかった。

 それは事実である。ただ――。


「明銭を輸入している割には……宋銭の方が重んじられているようですが。それは何故、なのでしょうか?」


「明銭は東国に売りさばけば利になりますからな。宋銭を重んじる理由は単純です。これを明の商人が重用しているからですよ」


 そして更に、明国商人からの又聞きという形で語ってくれた内容は、ルッジェーリに伝えた際に、彼が思わず真顔になる程の内容であった。


 宋銭は、東アジアのみならずペルシアなどのオリエント地域や、アフリカのザンジバルなどでも取引可能な貨幣なのである。だからこそ明の交易商人はこぞって宋銭を使うし、偽造した私鋳銭も混ざっていた。明銭の偽造は、明自体が生産しているものである故に取り締まりやすいが、宋銭の偽造はそもそも明が現在生産しているものでもないために取り締まりが難しく、しかし流通地域は明銭を遥かに凌ぐためである。


 ――つまり宋銭とは、スペインの銀貨を上回る地域で使用されている国際基軸通貨。しかも銀貨は、銭貨ではないために宋銭流通地域に限っては信用力に現状劣っているのである。




 *


 そして、銭貨の一件以外にも気になる話がもう1つ。銀と銅を博多から輸出しているということ。

 この時期の粗銅の中には不純物が含まれていて、そうした不純物の中には銀が含まれている、というのはそれなりに有名な話である。ただし既に石見銀山には他ならぬこの神屋の手によって銀鉱石から効率的に銀を集める灰吹法自体は伝わっているのだ。


 だからこそ、私はどうしても気になった。


「……明国は銅銭を作っているのに、銅を買うのですか。国内の鉱山では賄えない程の沢山の銅を貨幣に変えている、ということでしょうか」


 神屋の番頭は答える。


「はてさて某は明国の役人ではなく、一介の商人に過ぎませんからその辺りは分かりません。ただ、銅については驚くほどの高値で売れていきますな。如何に国が違えば値付けが異なるとはいえ、銅だけは尋常ではあり得ぬ値が付きます故。

 ええ……旦那様は、まるで――銅の中に何かが含まれているようだ、とおっしゃっていましたな。……まあ、戯言の類ですが」



 これは気が付いているな。そして勘付いていながらもそのままに売っているということは、それ相応に銅価格は高騰しているのだ。豪商の神屋の番頭をもってして『尋常ではない』という表現を使うほどの高値である。

 粗銅に含まれる銀含有量分に比肩するような値付けで売られている可能性はある。そうでないにしろ、粗銅を買って銀の分だけ丸儲け、といった価格設定ではない印象は受ける。


 しかし、私の中では別の疑問が生じていた。百歩譲って、明の商人が銅を買う理由が吹き戻せば含有している銀の分の差額だけ儲かる、これは別に良いとしても。


 だが、しかし。銅に含まれる銀でぼろ儲けをしているはずならば、何故。



 ――同じ博多で、銀も買う必要があるのか。

 銅を買うことで銀が手に入るし、そもそも銅で丸儲けをすることが目的であるならば、銀を買う必要は無いはずだ。


 ……鉱物資源の確保? いや、それであれば『銅銭』という形で銅はこの上なく明から国外へ流出しているから、そうではないだろう。



 私がずっと、戦国日本へと赴く理由にしていた東アジアでの銀交易。

 

 どうも、まだこの話には裏があり――そしてそれを私は把握していないのである。


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― 新着の感想 ―
[一言] 更新お疲れ様です。 当時の国際通貨?『宋銭』のあれこれがなかなか興味深かったです!! 粗銅を巡る活発な取引の裏が どう語られるのかも気になりますね。 次回も楽しみにしています。
[一言] そろそろ明では銅銭から銀に基本通貨が切り替わるころだっけ? 一条鞭法とか。あと北元が悪さするから金かかるとか。
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