第42話 博多と豪商
正直、口之津にコスメ・デ・トーレスが居ないだけであれば、大したことでもない。確かに歴史が変わってはいるのだけれども、影響は極めて軽微なのだから無視できる差異だ。
問題は、このことが氷山の一角であった場合。つまり様々な事象が積み重なって、既に全然違う世界が戦国日本に築かれているとなったとき、私の中にある知識が効力を失う。その場合取り得る対応策が大きく変わるので、なるべく正確に史実との差異を把握しなければならない。
となると、まずはガスパル・ヴィレラより話を聞く必要がある。だが、彼には日本での布教に関する注意事項などの引継ぎをオルガンティノを始めとする、新たに日本で布教活動を行うイエズス会士に教示するため、私ばかりが彼を独占することはできない。
……だったら。
「……ヴィレラ殿は、ずっとこの地で布教しているのですか?」
「ああ、いえ違いますよ。最初は府内、という地で宣教活動を行っておりました。次に平戸、そしてこの国の都にも赴きました。都では『ショーグン』と呼ばれる貴き方との謁見が叶い、ショーグンの臣下である『イセ』様の尽力もあり、都での布教が認められ『シジョーボーモン』という地に教会を築くことになったのです!
……ですが、その『ショーグン』が死したときに、お恥ずかしながら我等イエズス会士は都より追放となってしまいまして……」
将軍・足利義輝との謁見と布教許可。政所執事・伊勢貞孝の助力。更には四条坊門の南蛮寺。いずれも私が知る知識にあるヴィレラの動きと同一である。
そして足利義輝が弑逆された『永禄の変』も発生済み。
これらの話からだと、基本は史実通りの感がどうも強い。
それから、しばらくの間ヴィレラからイエズス会士の面々は話を聞いた。その中にはトーレスの調子があまり良くないので医療知識のあるアルメイダが付き添っているらしいということも出てきた。
この時期のアルメイダは確か天草に居たはずで地味にここも差異があるが、付き添いであるならトーレスが違う行動を取っている影響っぽい。
こちらからも質問を重ね協議した結果、イエズス会側の方針が大まかに策定され、それをオルガンティノがまとめる。
「……ともかく。一度、早めにトーレス殿にお会いしなければいけませんね。ですので私は堺へと赴くことになります。ヴァリニャーノ君はこちらに残って頂けると助かります、よろしいでしょうか?」
「オルガンティノ様、承知いたしました。……ということは、フィリピンとの連絡や通商は私が取り仕切って構いませんか、マルガレータさん?」
「あ、はい。ヴァリニャーノ殿が抑えてくれるのであれば助かります。……とりあえず1隻は一旦戻しましょうか。ルソン王国に一筆書き入れて、彼等の国に住む中国系商人の船を借り入れるなり、手間賃を払うなりしてフィリピンとの情報のやり取りに使いましょう」
とりあえず、これで連絡線はヴァリニャーノに委任できる。ポルトガル人商人が倭寇船に同乗できるのだから、似たような手を連絡線の構築手段に用いる。
「アンシエタ殿は私に同行してください。クラヴィウス君とルッジェーリ君はマルガレータ殿に付き従って欲しいのですが……。そもそもマルガレータ殿は、この後どうなされます?」
一応正式な国交樹立が目的なので、畿内には行く。どこまで私の知る歴史通りなのかはまだ判断に悩む部分もあるが、『永禄の変』は起きている。だから、今行っても征夷大将軍は空位。もしくは何か歴史が齟齬をきたしているのであれば下手すると足利義栄が将軍のタイミングで畿内入りするかもしれない。
将軍レースの2択ならば、足利義昭サイドに一点賭けしたいところだが、しかし今の段階では何とも言えないか。もう少し情報を集めないと。
となると、次に必要なのは畿内入りする手段。堺近海は浅瀬でガレオン船が入れないはずなので、ガレオン船で行く場合には上陸箇所の選定が必要となる。確か、宣教師は普通にガレオン船から降りて日本国内は移動していたはずなので、それに準拠しようと思う。
仮に大阪湾に入らずしてガレオン船で畿内入りするには、紀伊ないしは伊勢・志摩辺りになりそうだけれど、どちらも宗教勢力が強い土地だし、無用な軋轢を生みかねないから私はやりたくない。
となると日本の既存の船で行くことになり、瀬戸内・山陰・土佐ルートの3つのいずれかとなるが、とりあえず九州脱出に向けてネックになるのは毛利と大友の動静になるのは間違いない。
それならば。
「――博多へ行こうかと思います。無論私も畿内へと行く算段ですが、一旦其方を経由してから情報を集めた上でルートを勘案しようかと。
なので、最初に取る行動は博多に至るまでの安全確保のために周辺海域に跋扈する松浦一党に顔が利く『上乗』を確保することでしょうか」
『上乗』とは水先案内人のようなもので、所属を示す船印を示すことでその上乗の仲間内からの略奪を阻止し、他の海賊衆と競合した際には交渉役をも担ってくれる海上交通における生命線のような存在である。
そして私が畿内に将来的には行くと聞き、ひとまず当面はここに残るヴァリニャーノ以外とは行動を共にすることとなる。
ちなみに、この『上乗』の手配の一件。万が一があってはいけないと、この地を治める有馬家家臣まで話が回った後に、直接松浦家から人員を呼び寄せることになった。
……多分、これで貴人であることはバレたなあ。
*
博多に到着し、弁才船から降りたのも束の間、揺れぬ大地を踏みしめる感覚を噛みしめる間もなく、地場の番頭と思しきほぼ同世代であろう商人の案内で巨大な屋敷へと案内された。
中に入ると調度品は簡素である。質実剛健というべきか。広い屋敷には私達の同行者の全員が入っても余裕がある程で、グレイスの臣下らも途中別室へ案内されていた。ここまで来たら、概ねどういう場所か察した私達一同の判断は素早く、私に付いてくるのはグレイスとスペイン宮廷に直接のコネクションのあるミケーレ・ルッジェーリだけとして、他のイエズス会士は更に別室で待機することになった。
そして、畳の敷かれた和室に案内されると、そこには全く想定外のものが鎮座していた。
――椅子とテーブルである。
戦国時代を知る私だからこそ、これには驚きを隠せないでいる一方、ルッジェーリとグレイスは畳の方に珍妙なものを見るような意識を向けていた。
そして先に部屋に入っていて、椅子に座っていた2人の男性が立ち上がって、私達にこう告げてきたのである。
「博多へようこそいらっしゃいました。私共はこの街で商いをさせていただいております神屋紹策と――」
「……島井茂久と申します。お噂はかねがね伺っておりますよ、フィリピン伯であらせられる――マルガレータ・フォン・ヴァルデック様」
……そう、来るか。
*
私の名と爵位を知っていることも驚きではあるが、それよりも大変なことになった、と感じたのはこの両名が同席して姿を現したことである。
どちらも博多の豪商である――その1点だけは差異は無いものの、内実が全くことなる性質を有するのだ。
神屋は、30年以上昔に石見銀山に灰吹法をもたらした商家であり、それから当代の神屋紹策に至るまで博多に居ながらにして、大内家そして毛利家の銀取引の中核を占め続け、対外交易の猛者として君臨し続けた豪商。
それに比して島井は神屋と縁戚関係にあたるものの、元々は高利貸しから出発して日明貿易に関与する形で大内家の躍進とともに豪商へとのし上がった商家だ。その後、島井茂久は神屋に対する形で大友家への関係を伸ばしていくこととなる。
実際に大友家より御用商人として特権的地位が与えられるのは彼の息子である宗室の代で、およそ6年後であったはずだが、その頃には大友宗麟と直接謁見すらしているので、既に大友家内部と関わりがある可能性が高い。
毛利家寄りの神屋と大友家寄りの島井。その両名が一堂に会するというのは、果たしてどれほどの価値を私に見出した、ということであろうか。
そして私が恐らく通訳――案内してきた番頭がそうであったのだろう――が訳す前に驚きの表情を顕わにしたために、言葉が通じているという驚愕を相手に与えることとなるが、お互いにそこには触れない。敢えて私はスペイン語を使わずに予想されていたであろう返答を告げた。
「……ご両名は私の名を知っているのですね、何処から聞き及びましたか?」
「私も島井殿も、明の商人より伺いました。曰く『呂宋の先で一夜で城を作った女将軍』が居るとか何とか。今韓氏だとか、南蛮の平陽公主だとか、そんな異名も付けられているみたいですよ」
倭寇を介して日本まで私のことは伝わっていた。伝播ルートはルソン王国に滞在している中国系商人であろう。言われてしまえば確かに繋がるとは思うが、でもこの時点でセブの戦のことが博多で把握されているとは思いもよらなかった。
元々はフィリピン国内統治用の宣伝戦術だったのにな、あれ。
島井茂久が口を開く。
「……そして異国の貴人である、とも伺っております。
失礼を承知でお伺いいたしましょう。……博多に何用でございますでしょうか?」
何となく話の主導権を握られている、と感じた。
だからこそ、私は彼等のリズムを阻害するために、敢えて一呼吸入れる。
「それを答える前に、1つ質問してよろしいでしょうか?」
「……? はい、我等の知り得る限りのことであれば」
「ありがとうございます。では、神屋紹策殿。
……毛利と尼子の戦の趨勢を教えていただけますでしょうか」
このときほど、私の映える金髪の髪色が、明らかに端からどう見ても異人に見えるその風貌に感謝したことはなかった。
そうした視覚効果も相まってか、2人の豪商の表情が、ごくごく僅かだがぶれたように見えた。そして海千山千の商人の筆頭格である彼等に表情に出るまでの動揺を与えたことは、この先この国で交渉を行っていく上での確実な自信となるのである。
しかし、立ち直りも早く。すぐに神屋紹策の言葉は返ってくる。
「……毛利元就様は陣城として築城した荒隈城に居り、尼子家の居城である月山富田城へ水運を使って兵糧が運び込まれないように見張っております。近々再度攻囲するやもしれませぬな」
つまり、月山富田城の戦いの最中で尼子滅亡へのカウントダウンが始まっている状態か。……となると、毛利家も史実通りだ。
大友側の動きも気になるが、この時期に確定して起こり得るものは、筑前守護代に任命されているはずの高橋鑑種の謀反。これを尋ねる胆力は流石に無い。
「……私の用件についてでしたね。外交使節として貴国へ参りましたので、まずは上洛し通商の交渉をしようかと。つきましては博多には、その道中の安全を確保するために寄らせていただいた次第です」
「神屋にてすぐに弁才船と過所船旗を手配いたしましょう。……して、通商と言いますと勘合のようなものをお求めですかな?」
「基本的にはそうですね。ですが、細川や大内のように特定の臣下……大名によって権益を抑えられることは避けたいのです」
「……随分と此方の内情にお詳しいようですね。ですが、やはり交易拠点のある領主が利ざやを得るのは摂理ではないでしょうか」
「当面は、寧波の地で起きた細川と大内の騒乱のような事態が防げれば構いません。あれ、我が国で同じこと起きたら普通に戦になりますからね?」
ここまで一気に伝えると、両名は押し黙った。
寧波での騒乱とは、軍事的圧力を背景に日明貿易の主導的立場を獲得した大内と、それまで権益を握っていた細川とが明の寧波で起こした騒乱だ。
細川側が既に期限の切れている古い勘合を持ち出して、大内に対抗する形で明まで船を送り、入港管理の役人に賄賂を渡す形で大内船よりも先に細川船の検査を優先させた上に細川方を上位として扱った。本来正当な権限を有していた大内方はこれに激怒し細川の船を焼き払う。しかし、その後細川側に同情的な対応を明の官吏が示したために役人もろとも殺害したという事件だ。
面子という意味合いでは、両者の対応は納得というか、それをやったらそうするかもしれないな……というある種の諦観が積み重なるものだが、流石に同じことをフィリピンでやられたら一発アウトだ。
島井茂久が語る。
「懸念点は大いに理解いたしますが、お恥ずかしながら先代の義輝公が弑逆されてから――」
「将軍が決まっていないのですよね? それは理解しています。
……先代の弟君である義秋公と、平島公方たる義親公の近況について分かっていることはございますか」
「――義秋様は、矢島御所にて六角を頼り、畠山や越後の上杉などと緊密に連絡を取り合っている模様です。上洛の兵を集めた、という報こそありますが真偽不確かです。
一方で、義親様は既に阿波を発ち、淡路国には数ヶ月前より入っております。今は摂津国への出立に向けて準備を為されているようです」
九州にまだ近い瀬戸内の話だから義親こと足利義栄の話の方が、どうも確定報っぽさが強い。しかし、義秋こと足利義昭側が上洛兵を挙げたというのが気になるが、これは別に歴史が変わったとかではなく……河野島の戦いであろう。
実態は詳しくは分からないが、義昭の上洛に呼応しようとして兵を挙げた信長が、美濃の木曽川流域で鉄砲水に遭い立ち往生している間に、斎藤家の軍勢と合戦になってしまい、最終的には木曽川が氾濫を起こしたためにその周辺に布陣を行っていた織田家に多大な損害が出てしまい撤退した、という戦である。
であれば、畿内の情勢もまだ私が知る歴史通りに進んでいるとみて良さそうだ。今のところ私の知らない動きを見せているのはトーレスだけ。まあ私のことを知っていたこの豪商2人も史実外ではあるけれども、倭寇経由だからむしろ納得感が強い。
だが、私の内なる疑問に答えが出ることはなく。
「……ひとまず堺までの船便は我々神屋で確保いたしますので、それまでは我が屋敷でごゆるりと滞留くださいませ。
……それでよろしいですかな、フィリピン伯様、島井殿?」
その神屋紹策の言葉によって、この場はお開きとなったのであった。