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第40話 金銀の鍵


 結局、セブへの侵攻からひと段落着くまでに3年はかかった。


 それは裏を返せば、新大陸へ逃げ帰らなくて済んだということではあるが、統治基盤を築き上げるだけでそれくらいはかかってしまう。そしてその3年間、色々あったわけで。


 まず統治の最初期にやったことは、新大陸との連絡路の確立であった。マゼラン艦隊に代表される過去の探検によって新大陸からフィリピンへのルートは分かってはいたが、逆は未だ踏破されていなかった。来るときにはウルダネータが秘策ありといった感じであったが、私は彼を総指揮代理にしてしまったことで、ここで彼を手放すと軍事的な空白が出来ることは艦隊同行者の誰しもが承知していることであった。

 だからこそ、名目上はヌエバ・エスパーニャからの援兵、ということになっているレガスピを帰投させることとした。彼自身、私との戦略方針の違いはひしひしと感じている様子であったし、私としても不和を生まない内に帰せるのであれば帰してやりたいと思っていたからだ。この地は、ヌエバ・エスパーニャ副王領になるわけではなく、王家の直轄地になる土地だ。私の死後王家へと返上させる予定の『フィリピン伯』が持っている土地。私はその称号を預かっているに過ぎない。


 とはいえ、現在の爵位保有者が私であることは間違いないので、出来得る範囲のことでならば全力でこの爵位を利用するつもりだ。

 そしてレガスピは簡単に修理の行われた当初援兵とされていた5隻の艦隊を引き連れて、見事新大陸、ヌエバ・エスパーニャに戻ったらしい。



 ……2隻だけ。


 太平洋上のどこかに居るなんて、この時代ではまともに捜索活動を出来るはずも無いので帰還を祈ることとなるが、送り出してから3年経過した今でも見つかっていないので落伍した艦艇同乗者の生存は見込めないだろう。

 そこで行方不明になったという報告が入ったのが、兵を取り纏めていたマルティン・デ・ゴイティと、レガスピの孫の1人であるフェリペ・デ・サルセードの両名であった。レガスピ自身は辛くも新大陸まで辿り着けたが、後事を生き残ったもう1人の同行していた孫のフアン・デ・サルセードに託して隠居したようである。

 翌年の1564年の年明けごろにそのサルセードが大艦隊を引き連れて入植希望者やこちらの要望した技術者とともにやってきたことで大盛り上がりとなったが、その席でそれらの話を私は伺った。で、サルセードは私達も途中で発見した謎の島を再度確認したようで、彼はそこで艦隊を分離して、その島を中継拠点として利用するために入植したようだ。……となると、あの謎の島はヌエバ・エスパーニャ領になるね。


 その間私はフィリピンにて何をしていたかと言えば、まずヌエバ・エスパーニャとの連絡に関しては残った手元の艦隊で近海の探索を行わせた。これの結果、春から夏にかけては太平洋側はフィリピンから新大陸へ行きやすく、逆に秋と冬はこちらに向かって吹く風が強まるみたい。勿論傾向的なものだし、洋上まで完全に出るとその限りでも無かったりするのだが、シーズンごとの情報のやり取りとなるために、新大陸から速報が入ってくるとしても最速で冬、ほぼ年末から年明け前後になることがほとんど確定した。メキシコを秋に出ても2、3ヶ月航海にかかるのだからそういう計算になる。まあ、メキシコ側の風が良ければ夏に出てきてくれるかもしれないが。

 そして、内政……というよりも諸勢力との折衷についてであるが、まずセブ島攻略作戦時に、同行していたブール王国のダトゥ・シカツナ。彼は我々に預けられることとなった。概ね、客将と捉えればいいだろう。ブール王国は、私達と更なる関係の緊密化を企図したわけである。


 そしてフィリピン諸島内部の周辺諸侯の動静が大体出揃った。まず本拠はフィリピンの外だがミンダナオ島西部に影響力のありボホール海すぐ西のスールー海を治める、スールー・スルタン国。ここはほとんどやり取りが出来なかった。だからこそブール王国の対峙する軍事的な相手は当面ここになる。まあ基本こちらに攻め入ることは無いと思うが、彼等の縄張りである海域に踏み込めば戦闘になりかねない。


 同様に全く使節を送っても無反応であったのが、ミンダナオ島の南部、すなわちフィリピンの南端にあるマギンダナオ王国というイスラーム王朝だ。マカ=アン・サリパーダというカリフが治めるこの国もまた、ほとんど敵対している。とはいえ、我々ほど海軍力に優れるわけでもない上に、拡張志向ではないのが救いだ。ただし、ダトゥ・シカツナは絶対相手したくない、と言っていた。何というか位置的な部分と言い、拡張してこない島津家みたいなものと考えればいいのかな、これ。


 逆に快い反応を見せてくれたのが北部の大国であるルソン王国であった。ルソン……という名は戦国日本側からでも『呂宋』として度々登場する。呂宋助左衛門こと納屋助左衛門はその好例であろう。堺の貿易商である彼が伝承に基づけば何度も日本とこのルソンの間を往来していたことを思えば、時代はやや下るとはいえ、フィリピンにおける国際貿易都市の地位は間違いなくルソンにあると言えるだろう。

 そして、この地は3人の有力者が集まって統治している。何というかフィリピンの大国統治スタイルって複数人の権力者パターンが多いな。このルソン王国は我等に従属や臣従を願うことは無かったが、敵対することも無かった。つまり対話によっての糸口が掴める下地があったということで、交渉の結果首都・トンドの港湾施設の利用権限を取得した上で、フィリピン伯領としての同盟国となった。スペインの同盟国ではなくフィリピン伯領の同盟国、というのが地味にポイントである。

 これで、中国系商人も行き来するルソンにて窓口が出来たと同時に、東アジアへの進出に際しての拠点としても運用できるようになった。


 ……まあ、それと同時に私の流したセブ島での戦の話が尾ひれがつきまくって、現在の砦の名を踏まえた上で『サン・ペドロ一夜城』伝説として、拡散されてしまうわけだが、流石にそこまでは想定していなかった。



 そしてフィリピン諸島外部に目を向ければ、まずはテルナテ王国。一度戦闘を交えたが、こちらとしては対立する意図はなく、そして向こうは一応の懲罰は出来た上にこれ以上ブール王国に手を出すと、スペインが出張ることは明らかなので双方矛を収めて以後、中立関係となっている。

 となれば、海上交易は正常化するわけで、香辛料がブール王国経由でこちらにも入ってくるようになった。この香辛料はレガスピが新大陸帰還航路を発見したという報をサルセードから聞いた次の航海、1564年の春先出航艦隊の主要な積み荷となった。


 そして、その2度目の交易艦隊の艦艇は、フィリピンで建造した新造艦も含まれている。これは最初にレガスピを新大陸へと送った際に、色々と便宜を頼んだ内容の1つであった。

 最重要視したのが、船大工と食糧増産の手法、それと印刷機であったのだが、サルセードが帰ってきたときにどちらも解決策を提示してくれたために、2年目の統治は大幅に円滑化する。

 船は2度目の新大陸派遣艦隊編成に向けて急ピッチで建造した。そして気象条件が重なる1シーズンに1度だけではなく、2度送ることができた。

 食糧については、本国からはトウモロコシの種と技術指導員が送られてきた。既にヌエバ・エスパーニャやペルー副王領で熱帯・亜熱帯地域での農業の知見は築いているから、こういうところは専門家に丸投げしておけばいいだろう。

 印刷機も技術者とセットで派遣された。何を隠そう新大陸において印刷機を導入したのはメキシコシティのアウディエンシア長官であるフランシスコ・セイノスだ。完全に伝手が生きた形である。


 そして1564年艦隊に向けた要望では、代官でも何でもいいから私の代理人となる人物を王家より派遣して欲しいと一筆入れた。これはおそらく王家まで話が行くから大西洋を渡って最速でも1年超の提案となるだろう。

 だからこそ、1565年の年明けに新大陸から戻ってきた第2回艦隊の報告では、そのことについては宮廷への相談中という報告しか返ってこなかった。


 この船に積載されていたものは様々であったが、新大陸産のインゴット銀や鋳造された銀貨が多かった。流石にスペイン側の人員相手に食糧の物納ばかりというわけにはいかなくなってきていたためである。加えて言えば、領内に然したる鉱山も無かったために輸入することとした。まあ、これで一部であってもヨーロッパに流れる銀の量が目減りして、スペイン凋落の要因の1つであろう銀の暴落が起きなければ良いな、という打算込みでもある。微々たる量だから意味は無いだろうが。


 そしてそんな交易品に紛れて、20cmかそこらという木彫りの像が私宛に届いていた。



 ――それは地獄の門の木像であった。


 そのようなものを私に贈ってくる相手の心当たりなど、私には1人しか居ない。誰に話す訳でもなく私は呟いた。


「彫刻の大家であるミケランジェロは死去しましたか……」


 地獄の門が開かれて、ミケランジェロは死後の世界へと誘われたことを示し。

 そして、私はミケランジェロが「ダンテの神曲のようだ」と称した物語に囚われた人生――『神曲』の物語から脱したことを示すものであったのである。


 ……あるいは、物語を脱したからこそ、この世という地獄へと誘われたことを示している、のかもしれないが。




 *


 1565年の第3回新大陸派遣艦隊の折には、ポルトガルとの折衷を行い、細々とであるが、ポルトガル・アジア植民地とフィリピンとの間に交易路が開設された。その航路はルソン王国から間借りしているかの国の首都トンドと、マカオを結んでいる。


 そして、その次の年である1566年の帰投してきた第3回艦隊に1人の男が同乗していたのである。


「フィリピン伯様の補佐官を拝命しました、フアン・デ・イディアケスと申します。以後お見知りおきを」


 この私より若い青年のイディアケスは、話を聞けば元々は宮廷に仕える秘書官であり、同様に秘書官であったマテオ・バスケスの下で働いていたらしい国家中枢のエリートであった。意味合いとしては奉行衆が検地奉行として遠隔地に派遣されている、みたいな名目なのであろう。だから確実に監視役人員ではあるが、それは私の方から要望したものである。


「イディアケス殿、お待ちしておりました。軍事事項に関してはウルダネータ司祭と相談の上、推し進めてください。彼には既に話を通しておりますので、細かい部分は、そちらで詰めていただければ」


「はい、承知いたしました」


「それで、セブ島における施政なのですが、最初は私から細かくお伝えするので何か不備や瑕疵がありましたら、そのときお伝え頂ければと思います。問題無いようでしたら逐次、イディアケス殿へお任せいたします」


「は、はあ……。それは私といたしても大変助かりますが、ですがよろしいので?」


「ええ、勿論です。それで外交事項なのですけれども、これは現地のブール王国の者らと共同で進めてください。最初は勿論サポートいたしますが、既に基本方針を策定した後ですので、突発的な事態が発生しなければそれに従っていただけると助かります。有事の際はウルダネータ司祭との協議になりますね」


 流石にここまで話すと、イディアケスの顔は徐々に怪訝なものとなる。


「あの……フィリピン伯様? それでは領主権限のほぼ全てを私に委譲するように聞こえるのですが……」


「今後、当地を不在にする予定ですので代官としていおらっしゃった方に腕を振るっていただけるように、準備をしていたのですが何か不備でもありましたか」


「……いえ、そもそも補佐官に統治を丸投げするなど、そのようなことは余程のことが無い限りは――」


「――本領は完全な自給体制が整っていないので、食糧の一部や俸禄としての銀を新大陸より輸入しております。しかし銀はこのフィリピンでは手に入りにくいですが、近隣に手に入りやすい場所があるので、そちらの囲い込みも兼ねて一度通商のために訪ねる必要があると判断しているのです。

 ほら、イディアケス殿も来るときの船に銀が積まれていたのは知っていたでしょう?」


 銀の囲い込み。それは新大陸産の銀をフィリピンで消費することでヨーロッパにおける銀輸出に歯止めをかけて間接的に値崩れを抑制する、という迂遠なものよりも、もっと重要でかつカスティリーヤ宮廷としても危機感を覚えている場所だ。

 日本産の銀が仮にポルトガルへ大量に流出して、それがヨーロッパ市場でバラまかれたら、銀の独占体制が崩れる脅威は、私がヨーロッパから脱出する前に伝えてきたことではある。


 だからこそ、フィリピンでその日本の銀を受け持つという意味を、この中枢に居た元秘書官の補佐官であれば理解するだろう。



「それは、つまり――」


「はい。イディアケス殿に業務を引き継ぎ次第、速やかに。

 ――日本へ、赴こうと考えております」

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― 新着の感想 ―
[良い点] ついに日本上陸だああああああ!!!!
[良い点] ヒャッハー!遂に日本侵略スタートですな!とりあえず、家康暗殺すれば江戸幕府消せれますし、帝と公家を処分すれば幕府制度崩壊で日本は中華みたいな歴史消失系起こすと思うんで混乱に付け込んで終末論…
[一言] 更新お疲れ様です。 現代ならば最短数日で実施出来る引き継ぎ人員の要請&来訪が数年がかりの一大事業に(><<) とはいえ、漸く安定しだした現地施政と派遣代官の目処で『銀の買い付け』名目でジパ…
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