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第37話 セブ島侵攻計画


 マゼラン艦隊の世界一周。

 人類史に刻まれる偉業を為した僅かな生還者の中にマゼランその張本人は居ない。

 マゼランはフィリピンで死亡した。とはいえ、彼はまだ戦いの中で『征服者コンキスタドール』として死ねたのはある意味では幸福だったのかもしれない。大多数のコンキスタドールは、飢えか病か水兵反乱などで命を落としているのだから。


 かつてマゼランが、私と同様にセブが要衝であると考えていたのかは分からない。分からないが、戦ではなく裏切りによって残ったスペイン勢力を一網打尽にしようとしたラジャ・フマボンは、明確にスペインという国家にとっての、仇なのである。


 そして、その仇の息子であるところのラジャ・トゥパスが私達の外交使節を拒絶し、送り返してきた。交渉決裂ではなく、そもそも交渉にすら入れていないのである。


 これに対しての対応策は真っ向から割れた。


 まず最も穏当な策を提示したのはレガスピであった。


「……使者を変えてもう一度ラジャ・トゥパスの下へ送ってみてはいかがでしょうか? ブール王国側に心当たりがなくとも、何らかの不備があったのかもしれません」


 ただし、これには反対が続出。それどころかブール王国側からも釈明が出てくる始末で、曰く『交渉に送ったダトゥ・シカツナはブール王国の事実上の後継者候補と言っても差し支えない人物。これ以上の人選をするのであれば最早統治者であるパグブアヤとダイリサン両兄弟しか居らず、そこまで下手に出るのは軽んじられかねない』とのこと。つまり初手からブール王国としては最大限の使者を提示していたことが発覚。だからこそ、ラジャ・トゥパスは彼等ブール王国の顔にも泥を塗ったのである。


 次に出てきたのはグレイスの意見。


「……ここまで強硬的な対応をみせるということは、何らかの策があるのではないでしょうか?」


 この疑問に対しては誰しも頷いたが、同時に誰しもが疑問符を呈した。

 我々にとって最も脅威となるのは、当然であるがポルトガルである。だからこそ、彼等が真に価値を見せるのであれば、ポルトガル・テルナテ連合軍が攻めてきたときに何らかの行動を起こして然るべきであったはずなのだ。にも、関わらず特にそういった動きがセブであったとは聞いていない。

 我等と敵対するのに最大の好機に何もしておらず、逆に我等に味方するのに最大の好機である今は敵対姿勢を見せている。この乖離からどのような策を仕込んでいるのかが見えてこないのだ。


 敵の動きが読めない。それどころか一見すれば愚かに動いているように見える上に、我々の先達にあたるマゼラン艦隊に裏切りで打撃を与えた領主の子。


 なれば、必然――敵を根絶やしにせよ。

 そういった意見が出てくるのである。それも、結構主流派として。


 戦国時代的に考えれば、舐められれば終わりだから敵対者には苛烈当たるべき……そうした文脈を踏まえれば根絶やしという意見は実はそこまで荒唐無稽なものでもなく、事実選択肢の1つとして浮上するものである。

 そもそも大前提として、交渉そのものもセブ島をフィリピン伯領とするための作戦に基づいたものなので、根絶やしという選択肢は、そこをスペイン人の楽園にする、という一点においてであれば、合理的である意味では後々の統治を見据えた一手ですらあるのだ。

 加えてマゼラン艦隊の仇討という立派な大義名分もある。……まあ、私も含めて艦隊同行者のほとんどが生まれる前の出来事なのだけれどな、マゼラン艦隊の話って。軽く40年は既に経っている。


 だが、こうして意見が割れる以上、どのような裁定を施したところで軋轢が生まれる。だからこそ、私は自信満々でこう告げなければならない。


「……待ってください。先の海戦の後の軍議にて、開戦判断は私に一任するという話でしょう。ここは私にお任せください」


「――フィリピン伯様には、何か秘策がおありで?」


「策と呼べるようなものであるかは、分かりませんがね……」




 *


 必要なことは示威行動になる軍事行動を取ることと、スペインの威厳を見せること。それが為されれば無理に根絶やしなどという手段を取る必要はない。

 つまり誰の目から見ても明らかな軍事的勝利を収めること。これが今回の作戦における『政治的要件』なのである。勝利ではなく決定的勝利が必要な場面なのだ。勿論、これには前回のボホール海における海戦で3倍の兵力差相手に1隻拿捕という不甲斐ない結果を出したことに対する名誉挽回の意図も含まれている。


 ……正直典型的な、言うは易く行うは難し案件である。確かに我々はフィリピンの部族相手には圧倒的な戦力を有している。だけど、順当に勝利する(・・・・・・・)ということが、そこまで簡単ではないことも知ってしまっている。というか、そもそも『順当』であるならば、相手がこの戦力差で外交交渉すらも拒絶するなんて事態があり得ないのだ。

 だが、我々はその立場から、『順当』に敵を圧倒して勝利する必要性が生まれている。


「……修理中の5隻を除いた6隻のガレオン船は全て出動させようと思います。こちらの艦隊の準備をレガスピ殿と……グレイスに」


「動ける艦隊を全て動員することについては、私も賛成ですが……」


 レガスピ殿は釈然としないながらも頷く。グレイスは無言で私のことを見つめていたが、傍目からは黙って私に首を垂れるように見える。私からは彼女が溜め息を吐きながら頷く姿が幻視された。


「で、私とウルダネータ司祭で、ブール王国側との調整を致します。

 具体的には周辺地理の把握と地形調査が主ですね。アーノルド君にも同行してもらい、地図の作製も行いたいと思います」


「……ふむ、フィリピン伯様。悪くないかと存じますが、セブは今では敵地同然。

 我等が調査のため、彼の島に潜り込めば易々と露見し窮地に陥るのでは?」


「司祭の懸念はごもっともです。

 ですが、セブとは言っても、私が今欲しているのは――マクタン島の地勢です」


 マクタン島。

 それはラジャ・トゥパスが治めるスグボの対岸にある島で、セブ島から程近い。セブと言うとこの島も包括して語られる程であり、何よりマゼランが死したのは、正確にはセブ島ではなく、このマクタン島だ。


 大事なことはマクタン島はラジャ・トゥパスの勢力圏ではあるものの、領土ではないということ。そして影響という意味合いであれば、フィリピン中部全域に経済的な浸透を行えるブール王国も引けを取らない。

 言わば島の位置関係を利用した付城戦術。とはいえただ有利な場所を押さえるってだけなのだけれども。




 *


 数日後、6隻のガレオン船艦隊はマクタン島南西沖に布陣した。

 一応向こうの遠距離投射武器を警戒してセブ島沿岸からは少し離して待機している。


 初日こそ、セブ島側では軍勢や小船が集結して対抗する素振りを見せていたが、彼等から見えるボホール島の北東部やマクタン島にブール王国の船を移動させていたことで、彼等は海戦に挑むことは無かった。


 ……これ、多分ガレオン船の特性見抜かれているな。沖合の航海を得手として積載量こそ他の追随を許さない一方で、大型帆船であることから、どうしても速力と運動性能では小型船に及ばず、決して近海戦闘向きではない艦種であることに。

 だが、小型船同士の戦いで規定するのであれば、それこそブール王国がフィリピン国内では一日の長があるのだろう。だから、我等の艦隊そのものを海上脅威と思っていなくても、ブール王国の艦艇群は別となる。


 ただしガレオン船が完全に無駄、というわけではない。その積載量の多さは同時に多数の陸上兵力を輸送することが出来るのと同義であり、海軍艦艇ではなく継戦能力のある輸送艦として見たときには、一気にその価値は化ける。まあこの時代の船に輸送艦と戦闘艦という区別は無いとは思うし、水兵も普通に陸上で戦うわけだけど。戦国日本でも水軍衆は割とそんな感じだし、スペイン本国でルイ・ゴメス侍従長の妻であるところの隻眼のアナからスペイン軍制を聞いた時にも海上機動を基幹とした軍事戦略を組み立てているという話があったくらいだしね。


 としたときに、相手がガレオン船の価値を正しく理解していると、沿岸に居るだけで上陸警戒を強いることが出来るのである。

 これが、私の仕込みの1つ目。……ガレオン船を囮として兵力の誘引を行う。その囮艦隊の全体指揮をレガスピに、そしてグレイスには分かりやすく見える位置に居てもらう。

 こちらの艦隊総指揮官が女だというくらいの情報漏洩は既にしているだろうから、グレイスがその場に居ることで総司令官が乗っていると思わせる。


 ちなみに、向こうの情報収集能力が卓越していて私とグレイスの区別がついている場合には、先の海戦におけるガレオン船鹵獲の功労者であるという情報がグレイスには付帯するわけで、それならそれで彼等にとっては総司令官である私よりも警戒すべき対象であるから、尚更上陸警戒は欠かせなくなる。実際に艦隊には500の兵は置いているのでやろうと思えば囮ではなく本気で作戦行動可能な規模ではあるし。



 では、艦隊を任せた私は今、何処に居るか?


 うん、マクタン島なんだな、これが。

 使い古された手ではある。


 ――伏兵。あるいは別動隊とでも言うべきか。鮮やかなもので言えば、やはり信秀時代の織田家と今川家の戦である第二次小豆坂の戦いだろう。序盤は今川優勢であったところを織田勢は巧みに軍を合流させて松平隊を攻め上げ、敗走に追い込み、戦の趨勢が変わるか、といった瞬間に伏兵で今川方が強襲し再度戦の流れを掴み勝利するという戦である。

 他に著名なものでは、竹中半兵衛の十面埋伏の陣や、島津家の釣り野伏などがあるにはあるが、実際そのような戦法があったかどうかは知らない。事実か知るために戦闘をしたい相手では断じてないので真相は永遠に闇の中にしたいものである。


「このような搦め手を取るということは、フィリピン伯様としてはもう交戦する意志なのですね?」


「……はい、ウルダネータ司祭」


「ちなみに、その理由を伺ってもよろしいでしょうか?」


「何故、ラジャ・トゥパスは我等の外交使節を受け入れることすらしなかったのか。そこがどうしても気になったのです」


 実際、断る前提であっても条件くらいは聞いても良かっただろう。少なくとも現状ブール王国の艦艇群を恐れているのは確かなのだから、この際我々のことは度外視してもブール王国との戦力比は理解していたはずなのだ。

 にも関わらず、彼等は初手で敵対ととられかねない行動を取ってきた。


 もしかしたら、ラジャ・トゥパス……というかスグボ全体の話かもしれないが、我等と似たり寄ったりの立場に置かれているのではなかろうか、と。


 セブへの作戦計画。元を辿ればこれは『政治的都合』で決まったものであり、兵員が激昂したポイントであるマゼランの死とのリンクも、同様に『政治的』なものに他ならない。


 マゼランがかつて、ラジャ・トゥパスの父に敗北したことで我等が現地住民に舐められないように完封せねばならないのと同様、彼等は一度騙し討ちという形ではあるとはいえスペインに勝利している。だからこそ、再度のスペインの軍勢である私達に対して、『政治的な都合』でもって退けなくなっているのではないか……と。

 原因が相手方の内的要因になるのであれば、戦を止めることは叶わない。無論私の憶測でしか無いが、それを外交交渉でのせめぎ合いで調べる時間的猶予が私達には決定的に不足していた。使者拒絶のレベルからすり合わせるのにはどう考えても時間が足りない。


 であれば、こちらから攻勢を仕掛けて盤面を変えねばならない。


「……ですが。ブール王国の使者殿をここまで連れてくる必要はなかったのでは?」


「……それは、私からも断ったのです。領主でありブール王国の次期当主候補である人物に前線に出てもらうのは……」


 本来、使者でしかなかったダトゥ・シカツナは交渉が失敗して役割が無くなっていたことを良いことに、水先案内人として我々に同行していた。水先案内人としては明らかに格が高すぎるが、我等と相対して今までのわずかな期間で、スペイン語を少しずつモノにしてきていたために、実際身分以外は彼以上の適任者は居なかったし、肝心のブール王国側は放任するしで、私から駄目だと言っているのに来てしまったのである。

 そんなダトゥ・シカツナが答える。


「それ、言ったら、フィリピン伯様が最前線なのもおかしくないですか?」


 ……。

 完全論破されたので、話を変える。


「それよりもシカツナ殿……首尾通りになっておりますか?」


「はい! このような、面白い……催し事に参加できて嬉しいです!

 我等ブールの民にお任せください、明朝航海……今日は星も良い。海峡とも呼べぬすぐ近く。あっという間にセブに付きますよ!」


 伏兵に加えて、朝駆け。

 徹底的に戦国の基本中の基本戦法に立ち返って戦おう。

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― 新着の感想 ―
[一言] 更新お疲れ様です。 過去の情勢と現在の政情を鑑みた戦略立案。 実際の戦闘指揮は??もお膳立てまでの戦術立案(伏兵朝駆け)もなかなか。 戦闘指揮は二線級も歴戦の士官&下士官に任せて。 果たし…
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