第36話 カンピランの魂
1回限りだと思っていた血を酒で割って杯で飲む風習が、まさかのフィリピン全国規模の慣習疑惑が出てきたが、かといって一度受け入れてしまっている現状、拒めば明確な待遇格差として析出してしまう。なので、今回も受け入れざるを得なかったし、今後もこの儀式を行う必要はあるだろう。
とはいえ、それでとりあえず捕虜の収容施設と我々艦隊人員のキャンプ地を提供してもらえ、しかも正式に私の臣下となったということで彼等の宮殿の利用権利も得た。
……まあ、フィリピン中部における海洋覇権国家がブール王国なのだから、ここが一番情報が集約される場所ではあるので、拠点となるのは必然、というわけである。
取り急ぎ必要となったのは海戦で怪我をした重傷者への救護施設。まあ、この辺りイエズス会は上手いと言うか、ポルトガル語の通訳がブール王国側に居ると知るや否や、ポルトガル語を使って王国の怪我人も見ると言い出して、臨時の救護施設を融通してもらっていた。その設置場所は、バングラオ島。まあ確かに敵軍に上陸されていたから需要があるには違いないけれど、おそらく提供された救護施設の場所はある程度の治療が終われば修道院へと変貌するであろう。
あ、ちなみに、清貧を尊ぶカトリックがこうして土地を寄進されることについての是非だが、イエズス会は別に托鉢修道会ではないので大丈夫なのである。托鉢修道会とは修道会会則によって私有財産が認められていない修道会のことで、ラス・カサスさんの所属しているドミニコ会や、ウルダネータの在籍する聖アウグスチノ修道会などがそれにあたる。イエズス会ではそこにカテゴライズされないので、私有財産を持つし、何なら土地も所有するわけだ。何だか寺領みたいな感じではある。
とはいえ、イエズス会は高等教育拡充のために自前で大学すらも持っている。その大学もまた私有財産に区分されるわけだし、運営費も所有する土地収入などから出ている。
ちなみにこうした修道院領は、文字通りの私有地であるため、不当に他者が入れば何らかの法的罰則を受けることとなる。それを逆手に利用してイエズス会が反対する先住民族の強制労働に際して、彼等の緊急避難先に教会や修道院というのがしばしば選択され、改宗し教会における奉仕活動を行っているという建前で彼等を保護し、植民地運営監督者を追い返した、なんて話もあるみたい。
……守護使不入権じゃない、それ? やっぱり寺領なのである。
フィリピン伯領内にそうした寺領が出来て問題ではないか、と思うかもしれないが、そこには色々と複雑なロジックが内包されている。
まずブール王国そのものについては私の臣下という形で所領安堵しようと思っている。これは豊臣秀吉が毛利家や徳川家の従属を認めたのと似たようなもので、これだけ大領ある大名家でも安堵されるということを実際に示すことで更なる臣従を狙うという考えが第一にある。秀吉が死んだら豊臣体制が崩れたではないかという反論については、そもそも私はフィリピンに天下布武を掲げ全国統一を成し遂げ恒久的な政権を築き上げることには、そこまで興味はない。
私が死んだ後のことなんて、ぶっちゃけどうでも良い。というか私自身一応、コングレガティオ・マリアナという信徒団体に属する聖職者という戦国大名の出家レベルの建前と、ダイレクトにカスティリーヤ宮廷に繋がる身代である以上、安易に結婚できないし、ここまで来てする意志も無い。そして宮廷を含めた周囲も私も、下手にフィリピン伯家に世継ぎが出来る方が余程面倒なことになることは理解している。
というのも、私が死ねば通例としては私の親族にあたるヴァルデック伯爵家に継承権は与えられるものの、実際のところ彼等は神聖ローマ帝国の貴族であり、そしてそもそもプロテスタントであるからスペインとしては断じて容認できない。故に私の死後は領地召し上げとなるのが既定路線だ。となれば、召し上げ先は必然王家になるわけで、このフィリピン伯領というシステムは私が死した後にこそ中央統制の基盤として完成に至るものなのだ。そして王家でフィリピン伯の称号を引き継いだ後には、守護代のごとく知事を任命する形で領地の差配を行えばいいのである。
懸念点は、私の死後にヴァルデック縁者がカトリックへ転向しスペインへと至り相続を要求するパターンだが、そこは正直王家の差配次第だ。まあ飼い殺し辺りが無難な処置になるだろうが、それであっても家を割り家名を存続させる役には立つわけで、お父様的には万々歳かもね。そしてそっちのルートの方が私が子供を産むよりも遥かに穏当だろうという有様。
だからこそ逆説的に、私もとりあえずは私が死ぬまでは破綻しないレベルの統治インフラの構築程度しか考えていないのである。そこから先は、王家のお仕事なので。だから、簡単にブール王国のような大領であっても臣従をそっくり認めるわけだし、その臣従に際して注文付けることもそんなに多くない。
とはいえ本音はともかくとしても、建前としてはフィリピン伯領内のカトリック教化政策は推し進めないと、私が元プロテスタントであることも踏まえた上でまずいことになりかねない。だからこそ、イエズス会の修道会領が広がることは、スペイン向けの宗教政策面という意味合いでも都合が良い。加えてブール王国をそっくりそのまま臣従を認めているからこそ、イエズス会が相互監視の役割を担うと期待している。
私の目標としては、明らかに行き過ぎた宣教活動を取り締まり、逆にカトリック教会を弾圧するような施政を行う諸侯が出たときの処分を行う、という仲裁機関の樹立だ。だからこそ、ブール王国に対して布教の許可こそ認めさせたが、正直向こうも改宗の強要レベルの話が来るとは覚悟していただろうから、驚きは無いだろう。
まあ改宗者の優遇措置くらいは付けて、利益による転向は狙うが。如何に統治で手を抜くつもりだと言っても、スペイン的に見たときに完全な失政の烙印を押されることは避けたいのである。
そんな統治の青写真ではあるが、まだ全貌を明かしてはいない。というか現状、ブール王国の宮殿を間借りしている状態なのだから、臣従したとはいえそもそも彼等に強く言い出せないのは当たり前なのである。
だからこそイエズス会側も、救護施設の提供と戦傷者の手当という搦め手でこの問題に切り込んだのであろうと考えている。
とはいえ、まずは捕虜交換にかこつけた和平交渉が私達に求められる最初のステップだ。曲がりなりにも3隻のガレオン船を送り出したのだからテルナテ王国にポルトガル側の実務責任者くらいは居るだろう。駄目ならマレー半島のマラッカまで行く必要があるけれど。
丁度良いことに拿捕したガレオン船があるので、それに乗せてこちらの使者を送る。最悪失っても良い船だしこれ。
なお、少し先の話にはなるが何度か書簡のやり取りをした後に、和平は為されることとなる。まあ本国にバレたらヤバいのは明らかに彼等の方だし。
条件はイスラーム勢力に武器貸与を行っていた事実を公には黙殺する見返りとして、ブール王国における私の地位承認とついでにテルナテ王国とも和平。まあ実質タダで現状追認してもらえたようなものである。
とは言っても、問題視しないとはいえ内々で宮廷に報告は送る必要があるからカスティリーヤ宮廷に向けた手紙の配送を追加で依頼。当初ポルトガル商人側はそれを軽い感じで返事を出していたが、私達が後々ヌエバ・エスパーニャ経由で同様の内容を記した手紙を送ると伝えたら、態度が一変して「紛失の恐れがあるから万が一のためにも3通同様の内容の手紙を頂きたい」ときた。絶対別口で送ると言わなきゃ捨てていたな、これ。
ともかく、宮廷にダイレクトで直結できるミケーレ・ルッジェーリの手紙を送ったところで対テルナテ・ポルトガル連合軍との戦の戦後処理はひとまず完了したこととなった。
*
ブール王国という暫定拠点、そして本格的な医療インフラを整えだしたことで、サマール島のギド・デ・ラベサレス率いる2隻の艦隊と傷病者も一度、バングラオ島へと集めることにした。
ウラオ族長側も、ブール王国に送り出した段階でそれは理解していたようなので、以後は穀物交易を優先的に回してくれれば、みたいなことだけ言って快く送り出してくれたみたい。抜け目ないが、臣従が早かった勢力には配慮した方が我々にとっても色々お得だと思わせられるから悪くない話なのである。
借りぐらしだが拠点らしい拠点を手に入れたことで、格段に我々の人員は安定してきた。まあ、家ばかりはすぐに建てられるものでもないし暫定的な拠点なので大多数の兵員はテント暮らしではあるけれども、海洋覇権国家ということもあり物々交換やあるいは新大陸から持ってきた銀貨での決済もやってくれるということもあって、それらを対価として地場の酒や食材を個人的に買って楽しむ者も居る。そりゃ地金としての価値はあるだろうが使えるのね、スペインの銀貨って。
同様のやり方で宿を取る者も居るが、艦隊を動かすときに招集に遅れる可能性があるため、なるべく野営地で過ごしてほしいのが本音ではある。
ただ。如何に便利になったといえども、仮拠点は仮なのである。
だからこそ、フィリピン伯領の行政拠点となり得て私の領地となる場所を奪う必要がある。それは統治の円滑化において重要な要衝でなくてはならない。
では、その要衝とは一体どういった条件を満たす場所か。
毛利家が軍事的な要衝であった吉田郡山城から広島城に拠点を移したのは、瀬戸内の水運が活かせ城下町を形成しやすい平地であったからである。
反面、三好長慶が畿内における居城とした飯盛山城は、城下町も山麓居館も存在しなかった。飯盛山城より北へ伸びる街道は京まで続き、東へは奈良へと至る街道の結節点、そして西に広がる大きな深野池からは川を下って大坂まで至ることが出来る流通の要衝であった。
朝倉家の拠点である一乗谷城下は、三方を山で囲まれ、北には足羽川が流れるという天然の要害でありながらも、北陸道をすぐに抑えることのできる要地であった。
織田信長によって築かれた安土城は、琵琶湖水運を活用する位置に築かれているのは確かである。……まあ、色々と施政を行う前段階で本能寺の変が起きちゃっているから実際に運用面でどの程度寄与したのかは分からないが。
翻って、このフィリピンにおいては拠点形成において何が重要となるのか。
その問いに対する自分なりの答えを私の中に既に持っていた。
それは――食糧だ。
サマール島のウラオ族長が装飾品や武器などよりもまず食糧を欲したように。あるいは食糧分配を起点とした海上交易路の構築で隆盛を誇ったブール王国のように。このフィリピンにおいて最も重要となる戦略資源は……食糧、なのである。
だからこそ、私が狙う場所は決まっていた。
物資状況と安全マージンから、当初の計画ではフィリピン入植の成否を決める判断は2ヶ月ですると決めていた。時間は有限なのである。だからこそ今すぐに動く。
だからこそ私は派遣艦隊の諸将を呼び、そして、目的を共有するために、こう語るのであった。
「――我々の本拠とするために。
この土地の穀倉地帯である……セブ島を落とし、我がフィリピン伯領とします」
この時から、セブ島攻略作戦は始動したのであった。
*
それから1週間程度は周辺海域の調査と、セブ島に関する情報収集、そしてセブ島へ向かわせる使者の選定をブール王国側とともに行った。
まず最初の使者はブール王国の人員単独で行ってもらうことにした。最初は交易商人などに話を流してもらってから、本交渉をへと入る予定。その人員としてブール王国側より名前が挙がったのがダトゥ・シカツナという人物である。当たり前のようにダトゥと名乗るのでこの人も本来は領主身分だよね、きっと。
使者を送る相手は、セブ島東岸のスグボの領主ラジャ・トゥパスである。ラジャも領主系の称号らしい、正直違いが良く分からん。交渉相手にトゥパスが選定された理由は現状ブール王国が通商する中では最も勢いのある部族だから、そこの彼が降ってくれれば自動的に他のセブの領主らも降伏してくるだろうという目算からであった。ボホール島やパングラオ島から見てセブはすぐ裏手の目と鼻の先の島だから、情報確度は高いと豪語していた。
近いこともあってさくさくと物事が進んでいるなあ、と喜んでいたのも束の間。
こういうときにやっぱり問題は起こるのである。それはギド・デ・ラベサレスから出てきた報告であった。
「――フィリピン伯様。現在交渉を行っているラジャ・トゥパスなのですが……その。
かつてマゼラン殿が殺された後に、我等スペイン勢を裏切り多くの将兵を毒殺した……ラジャ・フマボンの息子だと分かりました」
――その後、程なくしてラジャ・トゥパスが外交使節を拒絶したという報告がブール王国より入ることとなる。