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第33話 サンドゥゴ


 フィリピン諸島において最初に私達が見つけた島であるサマール島の住民との交渉によれば、彼等はどうやら食糧を求めているということであった。


 言うまでもなく、食糧は貴重なものだ。私達の航海の時間的な制約を産み出している存在の1つが、この食糧なのだから。

 ただし、ここまでの行程が1週間程度早い。艦隊派遣人員は750名だから単純計算でも1万5千食は浮いていることとなるし、既に出ている死者・行方不明者の分や元気な人ほど食事が摂れない重傷病患者の分を差し引けば余剰はもう少しだけ多い。

 もっとも盗み食いや保存状態などによる廃棄の分も考えなければならないが。でもそうだとしても。


「……向こうの集落の規模などは伺っておりますか?」


「分かりませんが、こちらの人員を超えることはないかと思われます」


「ならば穀物を中心に2000食分出してみましょうか。海岸線に積み上げればこちらの財力を見せつける格好の示威にもなりますし、我々にとっては1日分の食事量程度です。

 それで安全な上陸地点を得られる……というのであれば、決して出し過ぎではないかと思います」



 この提案をしたら出し過ぎなのでは、という反論も出るには出たが、上陸という言葉を誘惑に使い無理やり押し通した。

 ……流石に3ヶ月近い航海で、陸が恋しくない者は居なかったのである。




 *


 通訳と交渉に付けていた宣教師を再び彼等先住民族の下に送り、物資の積み下ろし作業を行うことに同意を取った後に、2000食の食糧を下ろしていけば向こうは予想外の食糧の量に驚いたらしく、慌てて最高責任者と思しき人物が出てきた。


 テルナテ語通訳を挟みつつも、食糧援助の対価として上陸し野営地を作ることを要求したが、その程度は2つ返事で了承され、是非歓待させてほしいという提案が向こうから来たので、友好的に行けると確信した私達はその提案に乗った。


 というわけで。私は向こうの族長とともに双方の通訳を挟んで食事の席を取ることとなった。レガスピ、ウルダネータ、そしてグレイスが同席し、グレイスの臣下を始めとした護衛も側に控えている格好だ。


 向こうの族長は、私がこの艦隊の長であることを告げると少なからず驚いていた。まあ、同席したとしても妻か何かだと思うか。そして双方名乗った結果、族長の名がダトゥ・ウラオということが判明した。ただ『ダトゥ』というのは姓でも名でもなく領主を表す称号のことらしく、多くのフィリピンの領主はその地位を自称するみたい。まあイスラーム王朝系では名乗らなかったりという例外もあるみたいだが、それに照らし合わせれば、ダトゥ・ウラオというのはウラオ族長みたいな感覚かも。


 そのウラオ族長が、何やら言葉を選ぶようにして切り出すと、向こうのテルナテ語通訳が驚いた表情をウラオへと向けるも、彼は頷くのみ。

 通訳の口からテルナテ語になって紡がれた言葉は、我等の通訳からスペイン語に直される。このタイムラグは後々どうにかしないと駄目だなあ、二重通訳は手間が大きい。


「……ダトゥ・ウラオはフィリピン伯様に臣従したいと。そう申しているようです」


 その翻訳された言葉を聞いた私を含めたスペイン側の人員は例外なく驚きに包まれる。その様子を見たウラオ族長は更に新たな言葉を通訳に投げかけていた。


「『不思議そうな顔をされているが、これだけの大艦隊が何の目的も無く我等の集落を訪れるとは思えません。数十年に一度大海原より、船がやってくることはございましたが、皆様は身なりも良く、そして何より裕福ですからね』……そうおっしゃっています」


 正直、驚いた。驚異的な現状把握能力であった。

 でもウラオの言葉の節々には、その判断をするに至ったヒントが隠されていた。我々の艦隊に同行しているウルダネータ以外の太平洋横断経験者であったギド・デ・ラベサレスがフィリピン諸島を訪れたのが1540年代。ウルダネータは香料諸島に行ったので除外だが、マゼランがフィリピンに足を踏み入れたのが1520年代と考えれば、確かに20年かそこらのスパンでスペイン船が太平洋からやってきてはいるのである。

 だからこそ、向こうはスペイン艦隊と会うのは初めてではないと見た。そうしたときに、示威目的で物資を出した私の判断がモロに刺さったことで、我々の方から何も言い出さない内からの臣従願いという流れに至ったのだろうと、私は推測した。


 うん、完全に国人衆だね、これ。こうしてみると一見私達に全賭けしているように感じるが、多分裏で私達がボロボロに負けて撤退する場合のリスクマネージメントは確実にやっている、ないしはこれから手を打つであろう。


 とはいえ私達にとっても味方勢力が太平洋との玄関口に出来る、というのはメリットが大きい話だ。受け入れない手はない。

 了承の意を伝えたら、ウラオ族長が集落の別の人間を呼び出して慌ただしく動き始めた。


「……何をしているのでしょうかね?」


「大方、臣従に際する作法か何かだとは思いますが……」


 その様子を私とグレイスは話しつつ困惑気味に眺めていたら、飲み物と杯……そして刃物が出てきた。


「『この杯に互いの血を入れ、酒と混ぜて飲むことで盟約は果たされます』……と言っております」



 ……そう来たか。

 その通訳の言葉を聞いて、あからさまに安堵の表情を浮かべたのがレガスピ。そりゃ、本来あなたが遠征艦隊のトップだったから絶対今飲まなくて済んだと考えただろ。


 この儀式の重みが私達にとっては判断不可能である以上、やった方が良いのは明らかである。ここまで来て反故にしたら、彼等の面子を大きく損なった、ということで即座に戦闘……というパターンも考えられる以上、受けない方のがリスクが高い。


 正直に言えば、他人の血なんて飲みたくない。衛生的な面もそうだし生理的な嫌悪感もある。いや、言葉を取り繕ってしまっているな。そう、正確に言うのであれば。


 ――私はこの風習を野蛮だと感じてしまっている。


 だからこそ、科学的に医学的に明確な反論を出すことが出来たとしても、結局のところ深層では野蛮なことだからやりたくなかった、という気持ちがどうしても乗ってしまう。


 今、私が最も気にしているのは、ここで拒絶をすることが彼等の文化を否定することに直結するのではないかという自己の中に内包されている思想的な問題――ではない。

 現地の文化や風俗、言語等を尊重した上で布教活動を行っている、少なくともそういう信条の下で布教を行うイエズス会の面々の信任を失うのではないか、という疑念。そして、そうした彼等を含めたスペインやヨーロッパの知識人の支持があったからこそ私が今、こうしてこの場に立っているのにも関わらず、文化的な否定と捉えられる行動を行い、それがどこからか本国にまで露見してしまえば、格好の攻撃材料となってしまうのではないか、という部分。

 この2つの考えが私の中で支配的になっているからこそ、拒めないという理性が働いているのだ。


 それは考えすぎなのではないか? と思われるかもしれないが、私は新大陸において反乱の首謀ではなく賛同ということで本国に送還となった貴族を知っているわけで。

 彼――オアハカ侯爵と私は立場もあり方も全然違えど、やろうと思えばカスティリーヤの中枢はそれが可能なのであり、そしてそれを可能にする術であった中央集権に賛同していたのは、他ならぬ私なのである。


 そして最後に皮算用を語るのであれば、このフィリピンの領主となる身でありながらも、日本へ逃げることを考えている以上、この土地については放任気味になるのは確定している。だからこそ、現行踏襲できる部分はなるべくそうしたいという考えがあり、その辺りの『文明人としての規範』みたいなものを領主権限で啓蒙していくなどというコストのかかることはしたくないという打算もあったりはする。



 としたときに、どうしても事前に聞かねばならないことが1つ。


「ウルダネータ司祭。……この儀式を執り行った罪で私は異端審問を受けるなんて事態にはなりませんよね?」


「……フィリピン伯様。……あなたが恐れるのは、其処なんですね」


 何か呆れられるようにウルダネータからは返事を返されたが、私としては儀式をやるのであれば絶対の確約を得なければならないポイントは、むしろそこなのでオルガンティノを呼びつけて彼に宗教的な部分での問題が無いか確認は確実にとって貰った上で、ウラオ族長に許可を貰った上で、1つだけやり方を変えてもらった。


 それは、私の血を採るのに向こうが用意した刃物ではなくこちらで用意したナイフを使うこと。

 杯に入れる血は数滴で良いみたいなので、指を使う。そして血を出した後は、直ちにジョゼ・デ・アンシエタに手当してもらう。


 ……その後彼等の手順の下で儀式を執り行ったわけだが、杯に入った飲み物は、ほんの数滴であった血の味などは全くせずに、濃厚な甘みのある飲料であったことだけは言っておこう。




 *


 結局ウラオ族長の集落には15日滞在して、少数の艦隊で周辺探索をさせたり、より細やかな周辺地理や状況を族長以下先住民から通訳を通して聞く、後は食糧は乏しいものの水などの物資を補給することはできた。


 でウラオ族長より聞いた話によれば、この地域で最も影響力があるのはブール王国だという情報を聞き、こちらでまとめた地図を見せればボホール島南西部のタグビララン並びにその対岸にあるパングラオ島に都をおく国家であるらしい。

 しかもこのブール王国の領土はボホール島全域に加えて、レイテ島南部沿岸、更にはミンダナオ島の南部を除いた沿岸部全域、そしてそれに付帯する島々と、ボホール海全域を傘下に置き、フィリピンの西のスールー海、南のセレベス海にも影響力を有するフィリピンの中部を支配する海洋覇権国家であることが明らかとなった。

 成程、これはブール王国と、国家を名乗っても何ら遜色ない規模である。そして1つの海をぐるりと囲むようにして形成されている国家だから、当然のことながら海上交易が発達している国であるだろう。


 即ち、我等の船を示威行動のアドバンテージとして最大限に生かせる相手である。まあリスクとしては相手方も海軍に自信を有していることから、倒せると判断されるパターンもあるかもしれない、ということだが。

 とはいえ私達には時間的な制約があるのは、事実。1つ1つ部族集落を抑えていくなどというやり方をとてもやっていけない以上、大きな国家を傘下に収めた方が色々と効率は良い。


 ……まあ、決定打となったのはテルナテ語がブール王国でも通じる、という情報と彼等の公用語であるボボラノ語話者を同行させるという話がウラオ族長より出たことなんだけど。

 というか向こうの公用語で会話を試みるなら、ボボラノ語からテルナテ語の変換の際にウラオ族長のところの言語が入るから三重翻訳になるのか。それはしんどいな。



 そして向こうの出方次第では戦闘にもなるかもしれない、ということでウラオ族長の下には陸で治療中の重傷病患者、そして彼等と医療スタッフの護衛のために2隻のガレオン船と200名の人員、そして現地指揮官としてギド・デ・ラベサレスを残し、500名余の人員、9隻でもってボホール海へと踏み入れることとなる。




 *


 スリガオ海峡を越えた先のボホール海。


 海峡に入った直後に、ウルダネータからの伝令がやってくる。曰く「各々の集落や港に船が停泊し過ぎています。ここまで船が出ていないのは妙です」と。

 その報を聞いた私は全艦隊で戦闘準備を命じた。よくよく考えていれば私達の出航スケジュールを現地民が把握する方法など無数にあり、ブール王国側が我々の行動を把握している可能性を危惧したためである。


 ――しかし、その予想は半分が的中し、半分は杞憂で終わることとなる。



「……ねえ、あれ……?」


「――敵艦隊を敵都市前方で確認! あ、あれは……ガレオン船の船団です! 敵はガレオン船を我々と同じく所持しておりますっ!」


「その艦隊のすぐ傍にある街……何か燃えてない?」



 ウラオ族長に教えてもらったブール王国の首都があるパングラオ島からは、おそらく砲撃でもされたのであろうか煙が複数たちのぼっており、ガレオン船を基幹とする艦隊は我等の姿を視認して慌てて転回している最中、そのように風に見える光景が眼前に広がっていた。



 そして、その艦隊にはスペインの旗もポルトガルの旗も……それどころかヨーロッパのいずれの国の旗も該当しない――黄色に白丸の旗が掲げられていたのである。

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[良い点] 初めての感想になります。 築山に上るはスピード感がありこんな歴史小説の書き方もあるのかと感心しながら一気読みしましたが、この作品は豆知識の宝庫でまた違った楽しさがあります。 毎回ネット検索…
[気になる点] 黄色に白丸な旗とは一体…… 国旗解説動画投稿者が作った過去の国旗も調べられるサイトで検索かけたりしても出てこない てか黄色と白のみの旗が(+模様あるけど)バチカン市国しか無かった もし…
[一言] 更新お疲れ様です。 順調に思えた比上陸も、トラブル体質?のお嬢の戦に気に戦禍の影・・・・ 次回も楽しみにしています。
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