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第32話 マナの壺


 アジアと北アメリカの間にある太平洋の島と言われても、ハワイ、グアム、サイパンくらいしか私は知らない。あ、小笠原諸島とかの可能性もあるのか。

 ただし、フィリピンと緯度的には一致している。と言われてもこれらの島々の緯度なんて知らないし、そもそもフィリピンとの相対関係なんて分かるわけがない。精々北から日本―台湾―フィリピン―インドネシアの順番で並んでいるレベルの地理的な知識しかないのだ私は。


 フィリピンであれば取り立てて大きな問題はない。このまま入植を開始すれば良い話だ。通訳がまずこの島の言語を理解できるかから接触を始め、駄目なら向こうがポルトガル語などを含めたこちらに話者が居る言語を解する者が居ないか調査する。

 それでも駄目なら異言語理解のエキスパートである宣教師らを島へと送り出して、ジェスチャーでも何でもいいからとりあえずコミュニケーションできるようにする。

 まあ基本的に海洋交易を少なからず行っている島国であれば、言語が全く通じない船が訪ねることが皆無、ということは少ないだろうから、希望的観測にはなるけれども向こうも全くこちらのことを理解しようとしない、ということはレアケースだろう。仮に相手側が異民族初手敵対の場合であっても、それはそれで明らかに雰囲気で分かるので深入りする前に逃げるという選択肢も出来る。


 ただ、一方でここがフィリピンではないときは問題だ。もしハワイのようにまだ新大陸からおおよそ半分程度の道中にある島だった場合、片道3ヶ月で行ける予定だったのにも関わらず、2ヶ月で半分しか進めていないことになり、この時点で遠征計画の破綻となり、フィリピンへの渡航は諦める必要がある。

 逆に、あともう少しでフィリピン、というエリアであったのならば、ここで時間を浪費するよりも、先を急いだほうが理に適う。


「レガスピ殿とウルダネータ司祭、並びに航海士の代表者を呼んでもらえますか。改めて彼等の意見を聞いたうえで判断いたします」


 結局、当人らに話を聞くまでに、現在位置の特定は当代の知識の結晶が集まっても極めて困難、という事実しか得られるものはなく、私の判断に全てが委ねられていることを自覚せざるを得なかった。




 *


 然るべき人員が集められた後に私の下で協議を行うこととなる。

 まず、航海士側の言い分を聞く。


「大前提として、緯度はフィリピンと一致しております。そして経度を知る余地が無いとしても、我々は航海の開始時より艦隊の速度と進路を記録しております。

 無論、誤差が出るということは我々も承知の上です。ですが、その上で我々も素人の集まりではなくエキスパート集団なのだ、と。栄えあるフィリピン伯様の派遣艦隊に同行するために選ばれた人員だということをどうかご理解いただきたいのです」


「無論、私と致しましても皆様の優れた見識や、並み外れた献身には大いに助けられております。このような大きな艦隊を私だけの力で運用することなどとても不可能です。

 ……それで、速度計測ですか?」


 とりあえず、彼等航海士の自尊心を満たすための激励は欠かさぬようにした上で、気になった部分を尋ねる。

 それは、即ち速度ってそもそもどう測っているのか、ということ。前世だと乗り物には速度メーターが付いていたが、明らかにこの時代にそんな代物は無いよね。


 これに関しては、結論は明瞭でどういう原理かは私も理解することができた。

 曰く、長いロープと板のようなものを用意してまず板をロープで縛る。そして、ロープに一定区間毎で結び目をあらかじめ作っておき、それを航海中に海の中へ放り投げるのだ。すると船が前に進むのに対して、板は海上を漂うため相対的に板はどんどん船から離れていく。

 そのときに、砂時計なりで時間を計測しておき、ある時間の間でどれだけのロープの結び目が手にぶつかったかを測ることで、一定時間における板の移動距離――すなわち船の速度を導出するのである。



 その説明を聞き、アナログな方法ではあるが、確かにこの手法であれば速度を知ることができると純粋に感心した。


「成程、その手法であれば確かに速度を計測することが適いますね」


 しかし、これに反論する者がいた。ウルダネータである。


「……フィリピン伯様。この手法で確かにお考えの通り速度は、測れます。

 ですが、その精度。我等の航海日程と照らし合わせた場合、尋常ではない精度で速度を計算しなければ正しい移動距離を算出することはできません。無論、方位も同様です」



 ……これは話し合いの後にこっそり紙で計算したものになるが、仮に1秒当たり1ミリメートル以下の精度で正しい板の移動距離が導出できたとする。

 1秒で1ミリメートルの誤差。これが仮に2ヶ月でどこまで膨らむか計算すると、その誤差は何と500キロメートルを超える。秒速1ミリメートルの誤差とは、時速に換算すれば3.6メートル。km/hではなくm/h。km/hの単位で言えば小数第3位まで正確に読み取れたところでその誤差は500キロメートルなのだ。

 果たして、それだけの精度を先程のロープに板を括りつける手法で導出することが本当に出来るのであろうか。


 まあ、この計算を後からやった私は愕然としたが、その事実を誰か他の者に話していない。だって、この世界でメートルという長さの単位を一度も聞いたことないし。多分そもそもメートルという度量衡そのものが無いでしょ、これ。


「では、ウルダネータ司祭。あなたは何故、ここがフィリピンではないと主張するのでしょうか」


「……港に係留されている小舟の『帆』の形です。あれが、どうにも見覚えがあります。それはフィリピンへ至る前に立ち寄った離れ小島のものであった、と。

 この島を離れて香料諸島までは更に1ヶ月かかると覚えております。ですので、状況証拠的には一致しておりそれ故フィリピンではない、と。私にはそう思えてならないのです」


 その声に対して航海士からは、「ウルダネータ司祭が訪れたのは40年近くも昔のことだから、帆の形など他の地域に広まっていてもおかしくないし、偶然の一致もあり得るから証拠になり得ない」と反論の声が挙がる。

 ……うーん。どちらの話にも一理ある。ウルダネータの意見に賛同したいところではあるが、確かにそれは約40年経過しているとなれば鵜呑みにするのも躊躇われる、という航海士側の反論も分かる。


「……ちなみに。レガスピ殿の意見をお伺いしても?」


「私としては、ここがフィリピンであるにしろ、そうでないにしろ、新大陸を出て辿り着いた陸地であるが故に、補給拠点を形成した方が良いと思います。

 フィリピンであれば万々歳。もし仮にそうでなかったとしても中継拠点として必ず必要になる土地でしょう。入植するのが多少早いか遅いかの違いなのですから」


 ヌエバ・エスパーニャの援兵の長であるレガスピの意見は両者の折衷案でもあり、同時に補給路を意識した一手であった。ここがどこであるにせよ、新大陸を出て風に乗っていたら到達する島であるのならば、押さえておくのに越したことはない。

 二度目、三度目に送られる艦隊の拠点にも出来るし、あるいは私達が途中で断念して帰ったとしても、次の航海チャレンジのときの中間地点として活用できる。


 悪くはない。……されど、それはこの遠征をスペイン、あるいはヌエバ・エスパーニャという国家の括りで見た場合の話だ。

 自覚して言っているのかどうかは分からないが、この艦隊には多かれ少なかれ私の私費が投じられている。それを私の爵位管轄地域になるかどうか不明瞭な補給拠点に使え、とこれはそういう類の話なのだ。


 こんなところで個人的な都合云々で補給線を整えないのは愚か者のすること、という批判はあるとは思う。されど交渉で水や食糧を補給する、と一口に言ったとしても対価なしにはあり得ない。武力制圧するとすれば武器弾薬の消費が発生するし、それらは次発の艦隊が来るまで補給できない。



 そして、ふと私は気付いた。


「……あの、フィリピンって群島ですよね? 離れ小島が1つポツンとあるこの島がもしフィリピンなのであれば、そう遠くない場所に他の島を見つけられるはずです。

 ならば、この島は無視して先に進みましょう、だって緯度は合っていて今までそれらしき陸地を見かけなかったということであれば、近くにしろ遠くにしろ、先に進まねば群島は無い、ということです。

 ただし。1ヶ月進んで何も見つからなければ、その時は引き返しましょう。この島に戻るのか、はたまた新大陸まで帰投するのかは、その時の風の状況で再度皆様の判断を仰ぎます。

 ……それでよろしいですね?」


 フィリピンが1個の島ではないことは何となく朧気な地図の雰囲気でかすかに覚えていた。具体的な形までは覚えていなかったが、確かそうだったはず。だから離れ小島1個だけということは多分無い。そして今まで緯度帯が合っていて見つからないのならばもっと進むしかない。

 航海士らとウルダネータの意見は汲んでいたものの、レガスピの提案を無視する結果にはなってしまったが、『何も無ければ戻ってくるかも』と言ったことで彼は不満気ではありながらも、了承の意を返してくれた。

 ……何というか、微妙に艦隊の空気というか雰囲気が良くないというか。是正したいけれども、そりゃあ閉鎖空間で既に2ヶ月成果なしなのだからフラストレーションも溜まる。



 ちなみに、この後10日間ずっと西に進んだら、明らかに複数の島から形成される陸地を発見し、満場一致で此処がフィリピンであると意見が出揃うこととなった。


 ……じゃあ、あの寄らなかった島は何だったんだ。微妙な距離感過ぎて分からないぞ。




 *


「……おそらく、この島はマゼラン艦隊が最初に発見した『サマール島』であるかと推察いたします」


 とりあえず、海岸線には現地住民と思しき人影が見えていたので、接触を行おうと通訳と数名の兵士、そして宣教師を選抜して小舟で乗り込ませると、どうやら通訳の言葉が通じたらしい。

 まあ通訳とは副王より付けられた人員であり、ポルトガル商人から人身売買で手に入れたというテルナテ語話者である。テルナテ語とは香料諸島を治めるイスラーム王朝のテルナテ王国の公用語なので……彼は奴隷であったのだろう。

 しかし、香料諸島で通じる言語話者という価値を見出されて我々の艦隊に同行することとなっている。それが良いことではないのは明らかなのだけれども、とは言っても、こうして彼の言語が通じた以上、通訳としての価値が急激に上がった。


 とはいえ、通じたとは言ってもどうやら向こうの言語が全て分かった、ということではないみたいで、どうやら原住民側にもテルナテ語話者が居ただけみたい。

 ……確か、種子島に鉄砲が伝来したときも、そのときのやり取りは種子島時堯が呼び寄せた法華宗の僧侶と、中国商人、というか倭寇と言って差し支えないだろう王直との漢文による筆談であったはずだ。その艦隊には王直以外に言語の通じる者が居なかったというのだから、多分ポルトガル商人ではあったのだと思う。

 日本人とポルトガル商人の接触の際に両者のやり取りに使われたのが漢文であったのならば、今船を降りた先で行われているやり取りもまたそれと同様のものなのだろう。テルナテ語は言わばその時の漢文の役割を果たしているのだ。


 としたときに、テルナテ王国というか香料諸島のフィリピンにおける影響力は日本における漢文のそれと同等レベルということになるが、まあ、それは後々考えよう。今、気にしても情報が少なすぎて何とも言えない。



 ……おっと、そんなことを考えていたら、交渉に出向いていた宣教師がこちらに戻ろうとしている。何があったかすぐに聞かなければ。


 彼の乗る小舟が我等のガレオン船に近付くまでの時間が嫌に長く感じたが、無事交渉に遣わせた宣教師は戻ってきて私に向かってこう語った。


「……概ね、友好的な部族であるかと思います。こちら人員の上陸及び滞在を認めては頂けました。

 ただ……彼等に感謝の意として贈る対価が何が良いか尋ねていたところ、銀貨や装飾品に芸術品、嗜好品や衣類に染料など様々な物品をお見せしたのですが……一番強く反応していたのは――食糧でした。

 フィリピン伯様、彼等が求める物品は……食糧みたいです」



 何よりも最優先で食糧を求める部族。

 恐らく我々に好意的でかつ、最初にフィリピンにて接触した先住民族が欲していたのは――食べ物だったのである。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 陸地に付いたのに向こうの方が食料求めてくるとはびっくりですな。米を年何度も取れる良地域の筈なのにこれは、耕してない部族っぽいですな。 [気になる点] フィリピンってかなりデカかった記憶があ…
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