第31話 ヒッパルコスの掌
1562年の11月。ヌエバ・エスパーニャ領内にある太平洋岸の集落であるバーラ・デ・ナビダードは、活気づいていた。
理由は至極単純。この地で編成されていたフィリピン派遣艦隊の出航準備が整ったためである。後事のことはメキシコシティのアウディエンシア長官であるフランシスコ・セイノスに多くを丸投げ……いや、託してきた。
加えて私の差配した物資集積を適えるために大量の商人がこの地を訪れていたのだから、おそらくアカプルコとこの町は現在の太平洋岸においては最も人の往来が盛んな地域になったと思う。
いや、南米のペルー副王領には、鉱山から採れた膨大な量の銀をヨーロッパ向けに輸出する外港があったっけ。多分、そっちには勝てないわ。
ということで、派遣人員について改めて簡単に見直していく。
まず、本艦隊の指揮官ということになったフィリピン伯ことマルガレータ・フォン・ヴァルデック、まあ私のことだ。11隻のうち6隻を完全に指揮下に置いており、残りの5隻はヌエバ・エスパーニャからの援兵扱いではあるものの指揮権限は有している。
そして、私側の同行者としてイエズス会の面々が居る。
まずイエズス会同行者側のトップであり、本部からフィリピン・日本準管区長に任命されているグネッキ・ソルディ・オルガンティノ。この肩書きのおかげで既に日本にて布教活動を行っているであろうトーレス、ヴィレラ、アルメイダらよりも上位の存在となり、上長命令遵守の規範が極めて強いイエズス会においては極東域における絶対的な権限を有していると言っても過言ではない。
というか、ルイス・フロイスの来日も、私の知る歴史だと丁度今年だったっけ。でも既にイエズス会上層の決定で、日本の布教とポルトガル航路を切り離しつつあるのだから、新たな人員を送り込むことはあるのだろうか。下手したらフロイス不在かもしれないな、これ。
で、オルガンティノ準管区長の補佐役の筆頭となるのはアレッサンドロ・ヴァリニャーノ。彼は、何といっても先代と当代のローマ教皇と関わりがあるということに尽きる。そして法学の専門家でもあり、私の知る歴史からは乖離しているが、その分小回りの利く存在としてオルガンティノは重宝するだろう。
次に、同じく補佐のクリストファー・クラヴィウス。元々私が知らぬ人物であったことからおそらく日本に宣教しに来た人物では無かったが、パドヴァ大学で私と親交を深めたために半ば巻き込まれる形で同行メンバーとなった。数学と天文学の知見ならば派遣メンバー随一である。
ミケーレ・ルッジェーリ。準管区長補佐として任じられている人員の中では最年少でありイエズス会に入会してからの年月も浅い。だが、王立兼教皇庁立メキシコ大学にて神学の講義を受け、先に名を挙げた3人からイエズス会士にとっての必修科目である修辞学を学んでいるために問題はないであろう。しかし、彼の価値は宣教師としてではなく、カスティリーヤの宮廷に直結する橋渡し兼監視役というところにある。まあぶっちゃければフェリペ2世から付けられた目付だ。
更に、土壇場で同行が決定したジョゼ・デ・アンシエタ。本来の同行メンバーでは無かったものの、ポルトガル領ブラジルにおける植民地監督者との不和により追放された結果、こちらにやってきた者だ。既にブラジルの地において先住民族に対しての布教実績がある上に、ポルトガル国王から直接医師としての免状を賜っていた医学のエキスパート。
以前フランシスコ・セイノスの推薦状とともにカスティリーヤ宮廷宛に送った文書の返信が出立の直前に届いて、フェリペ2世からも同様の免状を頂いているため、晴れてイベリア両国から正式に認められし医師となった。
この他にもフィリピンの現地布教を掌るためにオルガンティノの指揮下にイエズス会士は居るが、私が直接関わる人員は概ね上に挙げた面々であろう。
私の臣下という扱いになっているのは2名。グレイス・オマリーとアーノルド・メルカトルだ。とはいえ、軍事的な直轄兵力としてはグレイスの配下の面々が居るわけで、私の差配する6隻の艦隊のうち2隻はグレイスに分け与えていて独自裁量権も与えている。まあ政治的な都合と軍事的な兼ね合いの計上にも長けるグレイスのことだから、上手いことやってくれるはずだ。基本グレイスって何でもできるし。
一方、アーノルド・メルカトルは貴族ではないために軍事指揮官としても内政官としても仕事を任せることはできないが、彼には卓越した地図作製の知見と測量技術がある。フィリピンへ赴くまでは航海士の判断を補強する存在として、フィリピンや日本、香料諸島に渡った後は地域の地図を作製し統治を円滑化させるための極めて重要な人材だ。加えて言えば、美術品としての価値も付加されるために作製した地図をヨーロッパに流せば金銭収入になるだろうし、地元有力者向けの賄賂とすることも出来るかもしれない。
と、ここまでが一応私の直接差配できる部分での艦隊主要メンバーだ。
ここからは、ヌエバ・エスパーニャの援兵として扱われる5隻の艦隊に同乗する面々となる。
まず、ミゲル・ロペス・デ・レガスピ。件の元メキシコシティ市長であり、本来の派遣艦隊のトップだった人だ。財政畑の行政キャリアを歩んできた人物なので、軍人ではなくがっつり文官であるわけだが、だからこそフィリピンへの入植を始めた後に、軌道へと乗せる時には必要不可欠な人材になるかもしれない。まあ外見の見た目は、そこまで文官然とした感じではない。
とはいえ、現時点ではあくまでも私の同盟者という建前があるため、実質的な艦隊の総指揮権限は私に帰属するものの、危機的状況でない限りは彼に政治的配慮が必要となる。
そしてそのレガスピを補佐する人員として最も重要なのが、聖アウグスチノ修道会士、アンドレス・デ・ウルダネータである。今の外見だけ見れば歳を重ねた敬虔な修道士にしか見えない人物だが、世界一周達成者にして香料諸島に赴いたことのある、本艦隊における数少ない太平洋横断経験者である。
副官格ではあるけれども航海知識も豊富であり、ヌエバ・エスパーニャの太平洋地域における軍事作戦の指揮経験もある彼が事実上、本派遣艦隊の主柱であることは間違いがなく、私としても彼の判断は全面的に頼りにしたいと思っている所存だ。
またウルダネータのことを数少ない太平洋横断経験者と言ったが、これは実はもう1人太平洋を知る人間が居る。ギド・デ・ラベサレス――彼はスペインが、あの地域をフィリピンと命名した時の航海の同乗者であった人物だ。ウルダネータが1520年代の経験であれば、ラベサレスは1540年代に行われた航海の経験者だ。とはいえ、この艦隊における地位はそれほど高くない。……というかウルダネータが副王直々の指名だから地位を高くせざるを得ないという話なのだろうし、そのウルダネータと役割が重複しているという部分もあるのだろう。ちなみに彼は実に海の男、といった出で立ちである。
あとは足軽大将のようなクラスに、兵の取り纏め役であるマルティン・デ・ゴイティとか、同様の役割を果たす若手の者としてレガスピの孫であるフェリペ・デ・サルセード、フアン・デ・サルセードのサルセード兄弟がいる。この兄弟、兄であるフェリペ・デ・サルセードが16歳、弟のフアンが14歳だ。どう見ても完全に縁故人事なんだけど、まあレガスピとしては動かしやすいだろう。
それ以外に末端の兵士と水夫と未来のフィリピン入植者とフィリピン伯領民を兼ねるイメージの人員が400名程度。後は聖アウグスチノ修道会の修道士とか、正規の航海士だとか、現地語が話せる通訳などが居る感じ。全体で750名といったところだ。
そして11隻の艦隊の物資の積載状況だが、食糧を中心として必需品については9ヶ月分を最低ラインとして積んである。勿論、レモネードもあるしメニューも前回同様特別仕様だ。
マゼラン艦隊は南米の南端からフィリピンを目指しているためあまり参考にはならないが、彼等のその道中が5ヶ月。
ウルダネータがかつて香料諸島へ赴いた際の航路もそのマゼラン艦隊と同様ではあるが、道筋が分かっていたので香料諸島まで辿り着けた船は南米南端出立から3ヶ月程度で到達はしている。壊滅もしているが。
ギド・デ・ラベサレスがフィリピンへ赴いた際の1540年代の航海は、何とこの艦隊の出立地は私達と同じバーラ・デ・ナビダードである。しかしこの艦隊は途中で暴風雨に遭って艦隊が分離されていてフィリピンへと到達した船は概ね2~4ヶ月程度かかっていた。
これらの結果から、一応片道の航路自体は分かっているため、片道3ヶ月かかるという見込みで編成をしている。だから安全マージンとして1ヶ月を取ると考えてフィリピンにおける入植の成否を決めるデッドラインは2ヶ月だ。意外と短い。
なおフィリピンから新大陸までの帰路の航路が現状未開拓であるという問題点もあるが、これについてはウルダネータの推測として北方に航路を取れば帰路に使用できる東向きの風が吹いているはず、とのこと。
何だっけ、貿易風だか偏西風だか、そういうやつだよね、この話。まあ最悪日本列島がある緯度まで上がれば、台風の進路みたいに西から東に流れていくはずだ、多分ね。この辺りは下手に私の知識で何かやらかすよりかは、大人しく航海のエキスパートに完全に委任する方が良いだろう。
*
出航してから2ヶ月が経過した1563年の1月13日。
風が上手く捕まらないことはあったが、天候が大きく荒れることはなかった。そして、食糧の残余状況もまだ潤沢。実に順調である。
レモネードも砂糖の量を増やしたことと、事前に発酵確認と攪拌作業の割り当てを行ったことで盗み飲みされることも、発泡したために早急に消費しなければならなくなるものも、大幅に減った。
また派遣艦隊全体で現時点の死者・行方不明者は4名。いずれも病気ではなく作業時の不注意とのこと。まあ注意していてもそれは仕方ないように思えるが、今後の課題か。航海中にいきなり規範を変えるのはちょっとリスキーなのでやめておく。
そして壊血病を含めた重傷病者は合わせて23名。2ヶ月でこの人数は抑えていると言って良いのだろうか。ただ、今回はジョゼ・デ・アンシエタに委任して医療チームも編成させている。ちなみにアンシエタは外科治療も出来るとのこと、まあ船内では揺れがあるために上陸する必要はあるけれど。
まあ問題としては、大西洋航海時と違い、フィリピンに上陸しても病院があるわけではないので、今ある設備が我々が新大陸に出戻りするまでに利用できる最先端の医療設備、ということになる。
そしてこのタイミングで地平線に島が発見された。久方ぶりの陸地である。南国らしい雰囲気の集落と、小型の帆船が確認されたとのこと。しかし、この島への上陸に際して1つ問題が発生した。
ミゲル・ロペス・デ・レガスピお付きの航海士は、ここがフィリピンであると主張したのに対して、アンドレス・デ・ウルダネータは現時点でフィリピンに到達しているとは到底思えず、別の島であると主張した。そして彼等の意見は平行線であり、上陸に際する最終判断は私に投げられたのである。
私としてはウルダネータのことを全面的に信任しているので彼の意見を信じてはいるものの、一方で専門的な知見は全く無いので、その辺りを詰めるために、アーノルドとクラヴィウスを呼んだ。地図作製者と天文学者のコンビである。
「――ってことなんだけど、どう思う? クラヴィウス君? アーノルド君?」
つまり現在位置を知れば良い。であれば、この2人が適任だろう。
と思ったが、予想以上に彼等は難しい顔をして考え込んでしまった。
……あれ? そんなに難しいことなのか、これ。そう思い2人の答えを待つと、先にクラヴィウスが返答を返した。
「……何と言えば、伝わりますでしょうか。
そうですね、緯度はともかくとして、経度を知る……というのは、おそらくマルガレータさんが考えている以上に難しいことなのですよ」
経度って地図の縦線のことだよね? 東西方向の座標になるやつ。
でも東西ってことなら、利用できるものが私の中には浮かんでいるけれど……聞いてみるか。
「……時差を見れば良いのではないかしら?」
1日が24時間で、東経と西経がそれぞれ180度で合わせて360度。ということは単純な割り算で15度毎に時差は1時間現れる。……まあ、私の知っているこの経度の取り方って確かロンドン中心だったはずだから、多分現行で使われているものでは無さそうだけれど、時差という一点だけ見れば発想は同じであろう。
「ええ、合っています。それは実に正しい考え方です。
――ですが、仮に新大陸との時差を見るとして、今、メキシコシティでは何時かマルガレータさんには分かりますか?」
……あ。
そうか、時差を見るには今この瞬間の別の場所の時間を知る必要がある。
そして、それを知る手段は――無い。
「じゃ、じゃあ……あ! 緯度は分かるのですよね!?
だったらそれがフィリピンの緯度とずれているか見れば――」
「――マルガレータ様。現在の緯度はフィリピンがあるとされる緯度の範囲内です。太陽高度や北極星高度を測れば分かる事ですので、それくらいは航海士の面々も測定した上で此処がフィリピンであると主張しています」
つまりアーノルドの言に従えば、この島がフィリピンのいずれかか、あるいは偶然緯度的に一致した場所にある全然別の島か、そこまでは絞れている上で、どこか分からないのか!
「な、何か経度を知る方法は……無いのですか……」
「1つだけ、あると言えばあります」
「クラヴィウス君。あるなら驚かさないでください――」
「その方法は、あらかじめいつ起きるか予測できる月食の開始日時との差異を取るというやり方です。
勿論私達もこういうことを想定して事前に以後10年間にわたって発生する月食の予測は出しておりますので、それらのデータとの差異を検証することはできます」
月食……。そんな使い方があったのか。
でも成程。流石に対策案はきちんと持ってきているのね、安心した。
だけれども、クラヴィウスの言葉は無情に続いた。
「――ただし、星空で月食が『開始』することを正確に目測するのは至難の業である上に、そもそも晴れていなければ観測すら適いません。実は4日前に予測していた期日が来ていたのですが、天候の関係上観測することはできませんでした。
そして。次の月食が見ることのできる直近のチャンスは7月6日。フィリピンであれば午前3時前後に見えるはずですが……」
そもそも月食が見えるかどうかすら分からない上、観測技量が試される作業なのにも関わらず、それが起こるのは6ヶ月後。明確に帰航判断のデッドラインを超えている。
つまり、天体観測でもって現在位置を観測する前に我々の物資的なリミットの方が先に来るのである。