第30話 黄金の林檎
新大陸からの追放処分を受けたオアハカ侯爵マルティン・コルテスだが、アウディエンシアにて軟禁こそされているが、牢に入れられるとか自白のために拷問を受けているとかそういうことはなされていないと又聞きで聞いている。まあ、爵位そのものは剥奪されていないし、反乱の実行者でもない。
ただし、客観的に見ても私に恨みを持っていてもおかしくない彼との対面は、私やアウディエンシアの責任者であるフランシスコ・セイノス長官よりもむしろその場をセッティングする実務層の苦悩が垣間見えるものであった。
オアハカ侯爵が私に手を出せない構図にはしたいが、かといって両者ともに貴族であることから、どちらかを拘束したり牢に入れての対面など出来るはずもなく。
かといって、普通の応接室のような場所での対面では、万が一のときに私の身が守れない。最早以前にセイノス長官が口頭でオアハカ侯爵との面会を提案したときと状況が異なるのだ。
あのときもし、私がオアハカ侯爵の下を尋ねれば、ノコノコ危険な場所に出向いた阿呆でありアウディエンシアそのものの責任は全く無いわけではないが、オアハカ侯爵の逮捕までつなげることで功で上塗りできた状況であった。
しかし、一方で今の状況は、アウディエンシアの責任で軟禁している最中。だからこそ、万が一そこで私が害されるということが発生すれば、警備責任は必ずやアウディエンシアに問われることとなる。
というわけでアウディエンシアの警備兵が対談中に常駐するのは勿論のこと、急遽グレイスが数人の家臣を連れて物資集積所の護衛から呼び寄せることに。やっぱり小回りの効く人物がグレイスしか居ないのは不便だ。
そこまでした上で対談場所も大きな会議室のようなところをわざわざとって、しかも両者ともに距離を取る。万が一、脇差のような携行武器を隠し持っていたときに護衛が反応できるように距離を開けておくという考えらしい。勿論、持ち物チェックはするけどね。
遠隔武器を持っていたらダメなんじゃないかなあ、と思ったので、グレイスの配下の盾携行を認めさせて、こっそりアウディエンシア警備兵の人員チェックをセイノス長官の目に通させるなどの小細工をしていたら、あっさりと指定の期日となった。
会議室の扉をグレイスの配下が開ければ、そこには帯剣した兵に囲まれた1人の男性の姿があった。見た目の印象はほぼ私と同世代である。そして、身なりは整っていて、とても司法権力に拘束されているようには見えない。
相手は侯爵、こちらは伯爵位。加えて私はまだ領土すらも無い身代なので、作法的には私の方が身分は下のはず。だから挨拶は先にしようかと思っていたら、先にオアハカ侯爵の方から声をかけてきた。
「かなり無理を言ったと考えておりましたが、まさか本当にお会いして頂けるとは思いもよりませんでした、マルガレータ殿……いえ。敢えて立場は鮮明に致しましょうか、『プロテスタントのクレオパトラ』殿?」
久しく聞いていなかった私への蔑称であったが、この異名が生まれるきっかけとなった事件のときにネーデルラントでの対仏戦に参陣していたのだから、知っていてもおかしくないか。
「……では、私もオアハカ侯爵様ではなく。『エンコメンデーロの庇護者』様とでもお呼びすればよろしいでしょうか。
単刀直入にお伺いいたしましょう、私達は仲睦まじく語らいをする間柄ではありませぬ。如何なるご用件でしょうか」
「今更、取り繕うこともありませぬか、まあおっしゃる通りではありますね。
此度の一件を指揮したアロンソ・ゴンサレス君、彼が志半ばにして倒れたことで最早新大陸のエンコメンデーロの行く末は決定づけられたと言えましょう。
……おめでとうございます、貴殿が時代の勝者となったのですよ」
「その言葉を伝えるためだけにわざわざ面会を要求したということではないでしょう」
「そうですね。
では、こう言えば良いでしょうか? 我等が何を求めてエンコメンデーロの世襲制度を要求したのか、貴殿はそこを突き詰めて考えたことがありましたか?」
新大陸に来た時にセイノス長官より聞かれた内容と同じ質問だ。
奴隷的な強制労働、人身売買、砂糖のことにポルトガルや国際的な商業取引の関係。
フィリピンへの遠征計画とは別に、様々なことに巻き込まれていた私は、当初答えられなかったこの質問に対する答えを未だ見つけてはいなかった。
「……ひとえに、自らの富のため……というわけではないのですね」
私のこの当て推量とも言える返しに対して、オアハカ侯爵は次のように返答をした。
「……いや、その認識で正しいですよ。私利私欲のため……ええ、全くその通りでございます。
とはいえ、それは致し方のないことではあります。この地でエンコメンデーロとして立身した人物はそれこそ千差万別なのですから。
……としたときに、どうでしょう? 貴殿が行ったエンコミエンダの世襲制の阻止……これが何を意味するのか、お分かりでしょうか」
私は、そのオアハカ侯爵の言葉に絶句した。
*
「――つまり。エンコミエンダの世襲を認めなかったことで、新大陸のエンコメンデーロは、自身やその子息が将来的に同じように、この地を差配することが適わないからこそ、今の身分で富を可能な限り搾り取ろうと考え、強制労働へと繋がっている……というわけですか」
それは、スペインという国家やヌエバ・エスパーニャ副王領という領地という枠組みでは見えてこなかったもう1つの視点であった。
スペインの新大陸の領地運営は、その当初より内外からの批判を浴びながらのスタートであったことは、ラス・カサスさんより伺っていた。それは名目上とはいえスペイン領新大陸に住まう人々はカスティリーヤ王家の臣民として認められていたから。
だからこそ、不当な強制労働が問題視されたし、それを為しているエンコメンデーロに対しても批判の声はスペイン知識人より挙がっていた。ここまでは私もよく知るところである。
このとき。これら一連の動きをエンコメンデーロ側から見たら、どうであろうか?
自身の立場というものが宮殿で論争になる程の危うい職であり、しかも他ならぬ王家より否、を突き付けられている状態。そして法的な規制で少しずつ、しかし確実に自分たちを締め上げているとなれば、どうするだろうか。
ゆくゆく奪われることが確実視されつつあるエンコミエンダにて、先住民族に感謝される統治を行うことよりも、立場と権限がある今のうちに利益を限界まで搾り取らねば、という発想にならないだろうか。
というか豊臣家の命により上杉家が会津に加増移封されるときに、直江兼続が元の越後領の租税徴収を直前に行って、次の越後国主である堀秀治を困らせていたな。その兼続の心境に新大陸のエンコメンデーロらが至っていても全く不思議ではない。
「私は運良く今、このようにオアハカ侯爵という爵位を賜ることが出来ております。それは、ひとえに父――エルナン・コルテスがこの地に礎を築いたという功績が抜きん出たものであり叙爵したことで私の功ではありません。
しかし多くのコンキスタドールは貴族に列されることなどなく、与えられたエンコミエンダが収入の拠り所となっている者も多いのです。その状況でいつその権限を失うのか分からない、という状態では後先など考えておられず金貨1枚でも多く今この瞬間に積み上げねばならないという心境になってしまいます。
だからこそ、彼等が自身のエンコミエンダを改めて見つめ直す機会として、私は『エンコメンデーロの世襲制』をフェリペ陛下へと陳情いたしました。
そう、貴族のように子や孫へと引き継がれるものであれば、腰を据えて統治を行うようになったことでしょう。
各所で批判を受けている強制労働問題についても、先住民族こそが『自らの財産』であるということを自覚を持てれば、エンコミエンダ制度の本義に則った『臣下』としての取扱いになっていくだろう……と、私は考えていたのです」
オアハカ侯爵により明かされた事実。
それは、世襲制を認可しエンコメンデーロの権限を正式に認めることで、領地差配への意識を自覚させて、後先考えない果断な統治を是正する……そのような考えの下にフェリペ2世に陳情が行われたものであった。
勿論、世襲制が仮になされたとして、彼の考えるように先住民族への強制労働が止む……ということは完全になされることはないだろうとは思う。とはいえ、フェリペ2世、ひいてはカスティリーヤ王家が問題視していたことは強制労働の人道的な是非ではなく、ひとえにエンコメンデーロが中央の統制から外れた存在であったことだ。国内の知識人批判を受けてという側面は、あくまでも後付けの理由であり動機ではない。
だからこそあのとき、ラス・カサスさんが私に助力を求めてパドヴァ大学までやってくるくらいには、当時のフェリペ2世はこの申し出を悩んだのだ。どういう形にせよ、世襲制を『認可』するということはそこに王権の介在する余地が生まれ、今まで成し遂げられたなかったエンコメンデーロの統制へ踏み込むことも可能性としてはあったのだから。
しかしそれは為されず、挙句オアハカ侯爵は反乱軍の首魁として新大陸から追放処分。結果論からすれば、コントロール可能なレベルの反乱が発生しこれを確実に鎮圧しかつ、ヌエバ・エスパーニャ領内におけるエンコメンデーロの庇護者とも言える彼を新大陸から追い出すことによって、エンコメンデーロが団結する余地をなくし中央による統制は回復することになるだろう。この意味合いでは、オアハカ侯爵の敗北であり、同時にフェリペ2世の勝利である……私の勝利ではない。
「――今後、新大陸はどうなるでしょうか? ……オアハカ侯爵様の私見を伺わせてください」
私の質問に対してオアハカ侯爵は意外そうな表情を瞬刻浮かべたものの、すぐに取り繕い次のように語った。
「新大陸とはすなわち――黄金の林檎であると私は考えております。誰しもがその価値を認め、追い求め……争いを引き起こす果実。
私のようなコンキスタドールの跡継ぎや多くのエンコメンデーロにとっては、それしか縋ることのできないさながら『毒リンゴ』と呼ぶべきものでしたがね。フェリペ陛下は……そしてマルガレータ・フォン・ヴァルデック殿。貴殿らはいかにして、この毒リンゴを平らげるのでしょうかな」
黄金の林檎とは、ギリシア神話に登場する果実であり、その登場シーンによって神から与えられしものであったり、不死の妙薬であったりと性質を異とするが、価値あるものとして描かれ、それを追い求める者同士で時として神々の間ですら争いが引き起こされる代物だ。神話におけるトロイア戦争の契機にもなった食べ物だ……と、まあこの辺りはパドヴァ大学の講義にて伺っている。
しかし、ここで出てきたか……。
『毒リンゴ』というキーワード。比喩表現でしかないことは理解しているし、オアハカ侯爵も意識して使ったということもないであろう。ただ、私自身がミケランジェロとの一件で『白雪姫』という物語に終止符を打ち、それ以後長らくその物語の呪縛から逃れられていた、と思ったが、まさかこういう形で私を縛ってくることになるとは。
これからも、この物語に未だ私は悩まされ続けることになるだろうか。
――と。
ちなみにこの話のオチというか顛末は、ヴァリニャーノにこの話をしたときに出てきた何気ないギリシア神話豆知識。
「そういえばマルガレータさんは知っています? 『黄金の林檎』というのは、リンゴのことではなく柑橘系の果物のことらしいですよ。原語ですと『林檎』とは『果実全般』を指す言葉ですから、どこかで入り乱れたみたいですね」
あー……。柑橘系の果物が『林檎』と呼ばれるのであれば、私にとっての『毒リンゴ』とは『レモン』のことだったのね。それは成程、確かに納得だわ。まあ、正確にはレモンそのものというよりかは砂糖がさながら毒であったわけだけども。
オアハカ侯爵の『毒リンゴ』である新大陸と、私にとっての『毒リンゴ』である『レモン』。
その2つの『毒リンゴ』によって翻弄された新大陸での生活も――まもなく、終わる。