第29話 蟷螂の斧
マルティン・コルテス兄弟を旗印としたエンコメンデーロの武装蜂起。
私にとって発生して欲しくないことが起きてしまった。
私のスペイン中枢における影響力発揮の発端は、ラス・カサスさんに頼まれたエンコメンデーロの世襲阻止。それをよりにもよって、対仏戦において前線で戦っていたマルティン・コルテス兄弟の眼前で成し遂げてしまった。
つまり私の行動は、彼等の顔に泥を塗る所業であり、そして私の今までのスペインにおける権力確立の基盤としてこのエンコメンデーロに対しての対立行動が基軸として存在するが故に、妥協の余地が存在しない相手でもある。
しかし、時期が時期だ。メキシコシティのアウディエンシア長官であるフランシスコ・セイノスと私で進めようとしているポルトガルへの浸透謀略が露見して、ポルトガルがスペインの潜在的な反乱勢力に対して手を貸したという筋書きはあり得るだろうか。
基本私よりもセイノス長官のが情報収集能力に優れるから、彼ならこれがポルトガルの工作か否か知っているだろうと思い、目線で訴えかけてみれば、小さく長官は首を振った。一応、ポルトガルは無関係で暴発のタイミングは偶然か。
私から離れた席に座った行政官のような姿をした男性が声を挙げる。
「……ちょっと待ってください。オアハカ侯爵の旗印を掲げた軍勢がグアダルハラを襲ったのはおかしくありませんか?」
「その通りです。彼の領地からならば此処――メキシコシティのが近い」
さて、一旦地理関係を整理する。
まずメキシコシティを中心に考えると、グアダラハラという場所は西へ馬車で2週間かかるか、といった場所。で、オアハカ侯爵領はメキシコシティの南東に10日ほど。真逆なのである。ちなみにどちらも、メキシコシティから見れば若干太平洋寄りとはいえ内陸の土地だ。
メキシコシティがヌエバ・エスパーニャ副王領の都なので、それを避けるという発想はまだ分からなくも無いが、逆に反乱軍がそのような長距離を行軍したとすればまず間違いなく露見するはずなのだ。
加えて言えばメキシコシティを避けて襲ったグアダラハラという場所も妙だ。この地は、北方に強力な先住民族が居る。だから下手すれば都であるメキシコシティよりも強固な守りが敷かれている軍事的要衝なのである。
そう、不可解なことが多すぎる。だからこそ、この場に居る誰しもが、その反乱軍の軍事的な常識を置き去りとした行動に首を傾げるのだ。
そんな最中、1人だけ口を開く者が居た。――フランシスコ・セイノス長官である。
「まあ、こういうときは最悪から考えるべきでしょうな。
先住民族とオアハカ侯爵家の間で密約が取り交わされた、と考えたら1つ説明が付くのではないかね」
その言葉に副王も含めた一同の表情が凍った。
確かに、今まで敵対していた先住民族が、副王領における反乱勢力と手を結んだとなればそれは危険度が段違いに上がる。
別の官吏より異論が出る。
「しかし、それがあり得ますか。彼等、エンコメンデーロはむしろそうした先住民族を積極的に殺戮してきた側ではないですか。それに彼の民族はスペイン人のことを見境なく敵視しているはず。
そこに妥協点は無いのでは」
確かにその意見には蓋然性があった。スペインがこの地を治め始めてから数十年は経過しているのにも関わらず、その統治に反対する勢力であれば、エンコメンデーロこそ味方とはなり得ないはずだ。敵の敵は味方とは言っても、そもそも新大陸の先住民族の人口激減を引き起こした要因の1つである彼等と連携することが実利として有効であったとしても、それを心情的に納得できるかというのは別の話だ。
「……フィリピン伯様はどのようにお考えで」
再び沈黙が流れたかと思うと急に私に話が振られた。この声はセイノス長官か。
またえぐいタイミングで質問をぶつけてくる辺り、底意地の悪さが見て取れるが、この問いかけに対して答えないわけにはいかない。
さて、1つ疑問に思っていることを言ってみる。
「……4日前とはいえ、反乱軍にアウディエンシアの武器庫が攻撃を受けたという報そのものが入っていること。この事実そのものに意味があるのではないでしょうか。
現時点でグアダラハラがどうなっているかは分かりませんが、少なくとも4日前の時点では情報封鎖は為されていなかった。これは念頭に置いた方が良いかと思われます」
このとき私が考えていたのは、本能寺の変の後の毛利家のこと。毛利家は本能寺にて織田信長が討たれたということを知らずに秀吉と和睦を行った。この際に、秀吉がどのような手段でもって変事を知ったのかは諸説あるものの、それを知った後は自軍にも箝口令を敷き、同時に主要街道を直ちに封鎖した上で和睦交渉へと入っていった。
しかし、本件においてはその街道封鎖が為されていない。まあ普通に行ったら馬車で2週間かかるはずの場所の情報が4日で手に入っていることから、こちらの情報伝達に遅延はないはず。だから武器庫襲撃の報は、ほぼ初報と捉えて問題無いとは思う。
そのような考えの基に発した私の言葉に対して、ベラスコ副王が口を開いた。
「つまり……そこから導き出されるのは3択ですね。
反乱軍指揮官は情報封鎖をするという発想のない将だったか、それをするだけの余力が無かったか……あるいは意図的に流してこちらの兵力の誘引を狙っているか、のいずれかでしょう、そうですねフィリピン伯殿?」
「ええ、まあ副王様が申し上げる通りかと。
これに付け加えるのであれば、オアハカ侯爵領とグアダラハラの間には、太平洋側を通れば、アカプルコやバーラ・デ・ナビダード……私が差配する予定のフィリピン遠征艦隊があり、物資集積地もそちらに置いてあります。
武器を奪うのであれば、正直アウディエンシアの武器庫などよりもこちらの方が警備が薄いのにも関わらず、警備担当をしている者からは私の下へ襲撃を受けたなどという一報は入っておりません。
……まあ、我が部隊が伝令も出せぬほど殲滅された可能性もありますが、それであったとしても周囲の町村からこちらに急使が出されぬというのはおかしい。ですから、私としてはグアダラハラに程近い地域で挙兵がなされたと考えております」
まあ、物資の護衛を任せているグレイスに軍と呼ぶべき規模の相手と対峙したときの対応策までは協議していない。そもそも反乱が発生することなど想定していなかったからだ。だからこそ、何か一大事があれば彼女が独断で動くとは思うが、そうであった場合、こちらに何の情報が送られることなく全滅することはあまり考えられない。
だって、当主を失った家の未亡人でありながら負け戦の直後に兵を編成し直してそれまで当主が攻めていた城に再攻撃を仕掛けて落城させるだけの軍事的才覚があるのがグレイスだし。……正直、名の残る戦国武将すらも相手取れそうな彼女が、最も得意とする数百という兵力で、しかもその気になれば艦隊すらも利用できるという好条件下の中で無策で負けるとはどうしても思えない。
だからこそのこちらは襲撃に遭っていないという予測なのだ。
「つまり、オアハカ侯爵の旗を掲げてはいるものの、現地指揮官の独断――そういうことだね? マルガレータ・フォン・ヴァルデック殿?」
「あくまで現時点で入っている情報を統合すればの予想ですよ、セイノス長官」
「……もしマルガレータ殿の推察が正しいのであれば、こちらとしての対応策は簡単ですな。マルティン・コルテス兄弟には出頭命令を出し、兵の出動準備をする。その2つだけ行えばいいでしょう。大人しく彼等が此方に現れるのならそれで良し、駄目なら軍を差し向ける。
グアダラハラの報もとにかく続報を待ちましょう。彼方が逼迫していたり、あるいは連絡が途絶えたならば軍はグアダラハラへ。
兵が足りぬのならば総監らに命を出せばよろしいが、それも状況次第で構わないでしょう。
……このプランをアウディエンシアとしては提案しますがよろしいですかな? まあ、何か誤りがあれば、本国に対する釈明はそこのマルガレータ殿にお任せすればよろしい」
「……え」
「……フランシスコ・セイノス殿。フィリピン伯殿に責任を丸投げは致しませんよ。新大陸の統治の責任は副王である私にあります。
アウディエンシアからの提案をヌエバ・エスパーニャ副王の名のもとに承認いたします。オアハカ侯爵の兄弟につきましては速やかに出頭頂くように私とセイノス長官の連名で書状を出します。
……それで、皆様もよろしいですかな? 追って続報が入れば、また皆様にもお伝えいたします」
……ベラスコ副王が悪い人ではなくて本当に良かった。ってかセイノス長官は時折私のことを窮地に追い込もうとするのは何なんだ。嫌がらせなのかそれくらい対処できるだろという信頼の裏返しなのか分からん。けれども、私は自分の命が最優先なのだから、こういうところで責任を負わせないようにして欲しい。
まあ副王が決断したことで異論が出る訳も無く、そのままセイノス長官の話した通りの対応で進むこととなった。
そして、その結果というか顛末はそれから半日後の続報ですぐに明らかとなった。
――曰く、グアダラハラのアウディエンシアは反乱軍から武器庫の防衛に成功。そして現地指揮官とされるエンコメンデーロのアロンソ・ゴンサレスの戦死が確認された後に、残りの兵は投降した――とのこと。
*
それから数週間が経過した。
まず私が早馬でグレイスに安否確認の連絡を送った返事がきて、特に何事もなかったことと、グアダラハラでの反乱については私の連絡で初めて知ったということが書かれていた。
そしてマルティン・コルテス兄弟に出された出頭命令についてだが、これも彼等兄弟が揃ってメキシコシティまで僅かな供だけを連れてやってきたことでオアハカ侯爵領での武装蜂起の目は無くなった。
というところで、一応アロンソ・ゴンサレスによる反乱の事態収拾へと本格的に取り組めることとなったようで。まあ、ヌエバ・エスパーニャの施政には私は絡んでいないので、この辺りは噂話を拾った感じだけれども。
しかし、アロンソ・ゴンサレスが蜂起に使用した旗、これが正真正銘オアハカ侯爵のものであり、更にマルティン・コルテス兄弟が直接彼に渡したという事実が発覚し、蜂起に直接は関与していなかったものの、かなり協力的だったことは判明。
そこからとりあえず副王領にて下された判断は、爵位こそ剥奪しないが事情聴取をした後にスペイン本国へ送致処分。カスティーリャ枢機会議か宮廷辺りに判断を丸投げするとともに、事実上の追放という厳しめの処置であった。
もしアロンソ・ゴンサレスとともに決起していれば大変なことになったからそれくらいは妥当なのかもしれないけれど。
そして、その爵位を持っている弟の方のマルティン・コルテスが、何と事情聴取の間に私への面会を要求したという知らせが、アウディエンシアから使いがやってきた。
ここに来た当初、セイノス長官に問われた際には私は会わない決断をした。しかし、今になって向こうから面会を求めてくるという事態。
そして、事情聴取を受けている今であれば。それほど危険を伴わずにマルティン・コルテス――ひいてはエンコメンデーロ側の代表とも呼ぶべき人物に会うことが適う。
そこまで御膳立てしてくれて、なおかつ安全も確保されているのであれば、私としても否、と突き付ける必要性は無く、事ここに至ってはマルティン・コルテスと会うことを決断したのであった。