表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/104

第3話 神のより大いなる栄光のために


 新たな信徒団体であるコングレガティオ・マリアナは、最初ローマに設置されようとしていたが、これは私の方からなるべく丁重に固辞した。

 流石に、プロテスタントから改宗した人間がいきなりカトリックの総本山であるローマで暮らすというのは恐ろしいというか、ただでさえ神聖ローマ皇帝の妹であるマリアさんの屋敷ですら宗教的な差別を喰らっていた身なので、ローマに直接乗り込む勇気は無かった。継母とか関係なく普通に殺されかねん。


 では何処ならば良いか、とフェリペ2世から聞かれるが、一任されてもそれはそれで困る。とりあえずカトリックにもプロテスタントにも染まっていない中立地域が良い。けれども、キリスト教圏であることは必須。


 ……うーん、ヨーロッパで適合地が浮かばない。現代の価値観から雰囲気だけで言えばスイスっぽさはあるけれど、そもそもスイスってカトリックなのかプロテスタントなのかすらも分からないし、これから海に出ようとしているのに内陸国はちょっと、という部分もある。

 これが日本であれば、多分堺の町とかがベストなんだろうなあ、という思いを馳せたところでふと気付く。


 堺の町って宣教師らからは何て呼ばれていたっけ。そこから私は自ずと答えを引き出した。


「――ヴェネツィア。王太子殿下、あそこに伝手はありますか?」


「10年程昔にプレヴェザで父上が異教徒の軍勢に屈辱を与えられたときには、同盟を結んでいたから伝手はある。

 ……かの共和国で適地となると……パドヴァ大学が妥当か、マルガレータ、それで良いか?」


 ……この時代の学校とか坂東の足利学校くらいしか知らないので、何も言えずに黙って頷く。


 でも何故学校に団体の本部を設置するのか、と思ったが、どうもこれにはイエズス会の活動が肝になっているようだ。

 戦国日本視点からすれば、イエズス会というものは布教活動する団体という側面しか見えてこなかったが、宣教も重要であれどそれと同等程度に重視されたのが『高等教育の拡充』であった。

 すなわち、イエズス会自身で大学を多数所有・建設しており、あるいは名のある大学と提携を結んでいたりする。そして高等教育機関なので神学校だけに留まらず大学などとも関わりが強い。

 ……というか、そっか。日本にまで来られるということは、それ以前にヨーロッパ船が行き来している新大陸はがっつりイエズス会の影響下なのね。イエズス会宣教師がインドから戦国日本へやって来たり、信長が士分に取り立てた黒人奴隷の弥助などからてっきりアフリカ・インド方面の方が強いとばかり思っていたが、どうやらそれは誤認であったようだ。


 そしてパドヴァ大学へ移るにあたって、お父様には手紙で事情を説明した。カトリックに改宗することは敢えて包み隠さずに述べた。継母が手紙を処分する可能性を考慮して、である。少なくとも改宗を明記すればカトリックである継母はそのまま打ち棄てることはないだろう。むしろ手紙を検閲していたとするならば嬉々としてお父様にそれを告げるはずだ。


 そしてその返信であるお父様の手紙の内容は主に2点であった。

 以後、ヴァルデック伯爵家の相続人としては扱わないこと。

 私の予想に反して勘当や戸籍抹消まではさせられなかった。つまりヴァルデック姓を名乗り続けることは許されたのである。


 ……これは何となく分かった。親心、それ自体もあるだろうが、むしろ関ヶ原の戦いでの真田家のアレ(・・)と一緒だ。家を割り両天秤にかけることで、カトリックとプロテスタントのどちらが勝利しても家が残るようにしているのだ。



 そして、もう1つ。私の継母であるカタリーナ・フォン・ハッツフェルトが死亡したとのこと。それに合わせて、フーノルトシュタイン家のユッタ・フォン・イーゼンブルクという中老の女性と近いうちに再婚する旨が書かれていた。

 ……あれ? 継母が亡くなったということは白雪姫のストーリーはクリアしたということなのか? もう暗殺に恐れる必要は無くなり、日本に行かなくても生きていけるのだろうか。


 新たな継母についての情報を集めてみれば、まず苗字が違うのはあれだろう、ヨーロッパだと複数爵位持ちは割といるので、同族でも苗字がバラバラになりがちなのだ。


 で、このフーノルトシュタイン家。一体どんな家なのかと調べてみれば実に怪しい。完全に書庫の書物の受け売りなのだがヨハン・ヒルフェン・フォン・ローチという神聖ローマ帝国を代表する元帥がいたそうで、対仏・対オスマンの戦争では常に皇帝に付き従った人物であるとのこと。ウィーン包囲時も防衛指揮官の1人であったらしい。

 で、私がネーデルラントの屋敷に送られる原因となった神聖ローマ帝国内でのカトリックとプロテスタントの勢力争いでは国王側、すなわちカトリック側に就いていた。で、この元帥の娘が嫁いだ先がフーノルトシュタイン家であり、夫が若くして亡くなったことで元帥の娘とその息子がフーノルトシュタイン家を差配するようになる。さらに、元帥自身に男児が居なかったために元帥の遺産がそっくりこのフーノルトシュタイン家に落ちてきたという寸法であり、その分家筋にあたる人物がお父様の次の婚約相手なのだ。

 だが。この元帥自身は神聖ローマ皇帝側に先の内戦では付いたが、死後埋葬されたのはプロテスタント系の教会であるとも書いてあった。


 極めてややこしい事態になっているが、おそらく。以前の継母のようなカトリック信徒ではなく、おそらく後妻はプロテスタントだとみていいだろう。となると、お父様は私がカトリック側に居る事情を反映して、プロテスタントへの結びつきをより強化したのではなかろうか。

 そういう見方をし始めると、継母の死が急に作為めいた意図を感じざるを得ないが、ともかくお父様が生き残りをかけて暗躍している現状を踏まえた上で一言。


 ――早いとこ、ヨーロッパから逃げよっと。




 *


 とはいえ、すぐにヨーロッパから逃げ出せるわけもなく数年が経過して1556年。

 パドヴァ大学に設置されたコングレガティオ・マリアナはイエズス会の指導という名目で、パドヴァ大学の教授陣とイエズス会の修道士双方から教育を受けることのできる組織へと変貌した。


 この年、私に強く影響を与える出来事が3つ発生した。


 1つは当代の神聖ローマ皇帝が退位を表明したこと。そして、次代の神聖ローマ皇帝にはオーストリア大公でローマ王であったフェルディナンド1世が世襲した。先代皇帝の弟君にあたる。

 一方で、スペイン王の地位はフェリペ2世が継承することになり、ここにハプスブルク家が分裂したのである。


 そして2人の叔父と甥、あるいは皇帝と王は異なる道を歩み始めた。

 フェルディナンド陛下は、神聖ローマ帝国内領邦君主に対してカトリックとプロテスタントのどちらを信仰するのか選べるようにした。つまり、両派の両立に舵を切り出した。

 一方で元王太子であったフェリペ陛下は、かねてより話のあったイングランド女王メアリー陛下との結婚を発表。これによりスペイン・イングランドのカトリック両国の連携体制が確立されている。

 ここまでが1つ目。事実上の私の後援者であるフェリペ2世が、確実にスペインの王位に就いたことは喜ばしいことであれど、どんどんとプロテスタントから決別のルートに入ってきてしまっている。


 2つ目は、それらのハプスブルク家の動きに連動するものであったが、ローマ教皇パウルス猊下が神聖ローマ皇帝の退位と、フェルディナンド陛下・フェリペ陛下の即位の全てに反発。ネーデルラントにて神聖ローマ帝国と交戦をしていたフランスと教皇領は同盟を結んで、スペインと神聖ローマ帝国と敵対。

 まだプロテスタントと共同姿勢を見せだした神聖ローマ帝国を敵に回すという判断は理解できる。だがしかし何故スペインもと思ったが、主戦場であるネーデルラントがスペインに飛び地として相続されたからであった。

 何というか策士であるというか、何故飛び地にしたのかというか。だが、これに呼応する形でパドヴァ大学のあるイタリア情勢も不安定化するから――南イタリアのナポリも北西イタリアのミラノもスペイン領であるため――正直やめて欲しい。


 3つ目はヨーロッパ情勢から少し矮小化して、イエズス会の内部のことだ。イエズス会初代総長であり、創設メンバーでもあったイグナチオ・デ・ロヨラ氏が亡くなったのだ。後継総長は決定されていない。

 というか、イエズス会って戦国日本の知識だと全く分からなかったがバリバリ新興の修道会であった。設立から20年程度しか経過していない。

 そのロヨラ氏の『神のより大いなる栄光のために』という修道会の統一方針は死後も継承され、教皇猊下への絶対的な服従とイエズス会内部にあっては上長命令遵守が規範として残った。



 ……と、言うと、いかにも古風で権力に絶対追従で、硬直した組織が思い浮かぶかもしれない。


 だがイエズス会士とやり取りするようになって分かったが、そういった先入観とは全く異なるほどに自由な印象だ。

 例えば、聖務日課と呼ばれる教会での祈りを共唱することが、イエズス会では義務化されていない。それを引き継ぐコングレガティオ・マリアナもまた同様の制度となった。

 修道者にとって義務とも言うべき聖務日課の共唱が免除されたことでその空き時間を会員は自由に使うことができたのである。


 また、教皇猊下への絶対的な服従とは言いながらも、教会体制内部に対する改革の必要性は重々承知していたことから、イエズス会は内部の汚職や不正を厳しく糾弾したし、その意味で言えばイエズス会員が高位聖職者や教皇猊下と対立することも珍しくなかった。

 実際のところ先に挙げたロヨラ氏自身も異端審問を受けていたりする。


 そこまでしているのにも関わらず、何故このイエズス会が潰されずに残ったかと言えば、やはり高等教育機関を掌握していたことが大きい。信仰教育のみならず会員は修辞学を積極的に修めたことで各国の法律家を養成することとなり。それだけではなく、芸術や美術、はたまた科学なども修めた彼等の教養はどこでも求められた。

 更には、ラテン語以外の土地土着の言語で書かれたヴァナキュラー言語による文学教育も重視しており、これはそれぞれの地域に根付いた布教に役立った。更には非ヨーロッパ言語の学習ですらも行われていたのである。

 ここまで教育を重視した修道会は当時としてはほとんど唯一無二と言ってもよい存在である。各地の王族とも関係があるイエズス会が多少教会内部にとって意に沿わない存在であったとしても、容易には切れない存在であったのだ。


 だからこそ、イエズス会は教会内部の体制改革に関与できたのである。


 そして私が籍を置くコングレガティオ・マリアナには、パドヴァ大学とそうしたイエズス会の権威が集まるがために急激に注目が高まったのも道理である。



 そこで、私は名を知る人物に出会った。


「マルガレータさん、また言語の授業を取っていたのですね」


「そういうあなたは、法学の教授の方々が褒めておりましたよ。あなたほど優秀な生徒は中々居ないと……ねえ、ヴァリニャーノ殿」


 ――アレッサンドロ・ヴァリニャーノ。織田信長とも謁見した宣教師で天正遣欧少年使節の提起者。今はまだパドヴァ大学の一学生であり実のところ今の段階ではイエズス会にも入会していなかったのだが、まさかヨーロッパで彼と出会うことになるとは思わなかった。


「……そういえば、今週末にまた、フェラーラから司祭様が講義にいらっしゃるのですよね?」


 フェラーラとは、パドヴァ大学のあるヴェネツィア共和国から見れば隣の国だ。いかに距離的にはそこまで離れていないとは言え、国を跨いでの移動を頻繁にする辺りは、イエズス会修道士らしいフットワークの軽さである。


「あら? そうだったわね。それにしてもヴァリニャーノ殿は、あの方を随分と気に入っているのですね」


「当たり前じゃないですか! あれだけ分かりやすく話をされる方は中々おりませんよ! うちの大学の教授にでもなってくれれば助かるのですが……。それだけに、オルガンティノ様の講義は絶対に聞き逃せないのです!」


 ヴァリニャーノが力説した人物は、グネッキ・ソルディ・オルガンティノ。

 織田信長と豊臣秀吉に拝謁した京都での布教責任者。既に隣国・フェラーラで司祭になっている彼はパドヴァ大学でのイエズス会とコングレガティオ・マリアナの新しい試みに興味を持ち、こうして足繁く通うようになっている。

 まさか日本関係者にイタリアで出会うこととなるとは。しかも、おそらくヴァリニャーノとオルガンティノは今の時期は知己でも何でもなかったはずなのに、引き合わせてしまった。


 そうして今は学生であるヴァリニャーノと話していると、大学関係者らしき人物が私に声を掛ける。


「……何用でしょうか?」


「マルガレータ・フォン・ヴァルデック様に面会したいと、大学まで御客人がいらしております。

 ……そ、その。ドミニコ会のバルトロメ・デ・ラス・カサス様であると名乗られているのですが……。速やかに、お会いに向かっていただけないでしょうか?」



 その台詞を聞いたヴァリニャーノは、「ラス・カサス様、というと……あのご高名な!?」と驚いている。



 ――ちょっと待って。

 あまり聞き覚えがない名前なのだけれども、一体誰なのだろうか。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ