第28話 荒野の誘惑
「……まあ、この際いろいろ気になるところはありますが、一度棚上げにしましょう。まずは、1つだけどうしても気にかかることが。
何故、私を共謀者に選んだのです?」
メキシコシティのアウディエンシア長官であるフランシスコ・セイノスはゆっくりと考えた後に、言葉を選んで私にこのように尋ねてきた。
ただし、これには回答を用意していた。
「――奴隷制や強制労働に反対するだけではなく、人身売買や奴隷交易に対して反対する立場の方、だからです」
ポルトガル併合などという大事業が一朝一夕で出来るはずもなく、それが成功したときに私は間違いなくヨーロッパにも新大陸にもアフリカにも居らず、アジアに居る。
今、きっかけを作ればおそらく最大の功労者ということで論功行賞では勲功一番を授かるであろうが、その反面例えば私がブラジルで領主をして直接統治でもって奴隷交易を停止する……などといったことは正直不可能だと考えているし、やりたくはない。
だから代理人を立てる必要があるが、イエズス会からの要求も踏まえた上で人身売買に対して反対の立場を取る人間を監督者に就ける必要がある。それが彼、フランシスコ・セイノスというわけだ。
黒人奴隷の供給元となっているブラックアフリカはポルトガル領であり、砂糖需要で沸き立っているブラジルもポルトガル領。カリブ海でもサトウキビの生産は行っているものの、現時点では奴隷に関する問題はポルトガルの内政問題と抵触する。
フェリペ2世の発給している奴隷商人への免状であるアシエントが与えられた特権商人も、その奴隷の確保にはポルトガル領アフリカへ赴いているのだから、抜本的な対策にはポルトガルの政策転換が必要だが、私にはそこへ介入する手が足りない。
だったらポルトガルごとスペインに併呑すれば、フィリピン伯――スペイン貴族としての権限で堂々と介入可能となる。加えてポルトガル併合そのものはいつ発生するかは度外視しても歴史的な既定路線ではあるから、色々と突破口はあるはずだ。
更に言えば、このセイノス長官は、ヌエバ・エスパーニャの副王領が設置されるまでは事実上中米スペイン領を差配していた人物。領地経営に関する知見もあるわけで、条件としてはこの上ない人選だと思っている。
砂糖の巨大商圏だとか、国際的な奴隷貿易システムだとか、そうした枠組みの解決をしようとするから至難の業なのだ。いっそのこともっと別角度の問題をぶつけて一連の問題を斜め上にすっ飛ばしてしまおうという力技の解決策なのである。
「納得はしていませんが、私を選んだ理由については理解しました。
……ですが、私がその企みを何処かへ通報する、とは考えなかったのですかな?」
「無論考えましたが、正直今更ポルトガルに通報されたところで無意味なのですよ。多分、向こうは私がポルトガルに敵対しているものだと考えております」
実際、考えてみれば私とポルトガルの関係は割ともう手遅れ感が強い。
最たるものはフィリピン伯。そもそもフィリピンとは植民地分界線に則ればポルトガルの取り分に位置しており、明確な条約違反なのである。ついでに言えば香料諸島と日本の大部分も同じである。
この爵位を下賜された時点で、フェリペ2世も植民地分界線を守る意図はないのは明白だ。まあ、だからといって彼がそのままポルトガルを敵とすることを是認しているわけでもないだろうが。
「……ふむ。では私が仮に貴殿の権謀に加担したとして。
そのメリットは如何に。正直、このアウディエンシアは性に合っていてね。メキシコの地にもう30年は定住しているのだから……うん、気に入っている。
今更、勝手知らぬ南米やアフリカに飛ばされるのは少々骨が折れるのだが」
「奴隷交易に直接踏み込めるとしても、ですか?」
「全く成し遂げたくないと言えば嘘にはなるが。自らの信念にのみ没頭する程、最早私は若くはない」
そう言いながらセイノス長官は、肩をすくめるようにして白髪となった自身の髪をいじる。まあこの喰えない感じ、後何十年でも生きていそうな気はするけど。
確かに権力志向の強い人間ではない。それはこの地にヌエバ・エスパーニャ副王領が誕生した際に、そのとき事実上の統治者であった彼が、特に何も言わずに新任の副王に従ったことからも明らかだ。
今より上位の地位も要らない。最早情熱に身をやつす立場でもない。これが戦国武将であれば本領安堵でもすれば味方になりそうなものであるが、アウディエンシア長官という身分の安堵はインディアス枢機会議の管轄事項であり、巡察使の身分である私には少々厳しい。諜報能力では完全にセイノス長官のが上回っているわけだし。
ただ現時点で私の話を聞く姿勢を崩さず交渉のテーブルを立たないということは、必ず妥協点が存在する。
考えろ、私。セイノス長官が私に対して求めるものは何だ。
私が最初にセイノス長官に会った理由は? ――ベラスコ副王の権限制限に関する上奏の真意を確かめるためだった。
何故、セイノス長官は副王の権限を制限しようとした? ――統治能力に不満があったからだ。
どういった統治手法に不満を持っていた? ――貧しい者への施しという内政事項に個人的な借金を抱えている点、それを公私の会計予算を混同している……。
……これか。
会計予算における公私の分離の不徹底。それはカスティリーヤ王家ですらも同様であった。
そして、私の有するカードにそれを解決へと向ける方策が存在する。
「ルイ・ゴメス侍従長……いえ。この場合は、カスティリーヤ会計長官殿と言うべきでしょうか。彼との渡りを求めている。その認識で相違ないでしょうか」
ルイ・ゴメス・デ・シルバ。
初期の初期であるネーデルラント政策からの付き合いだ。侍従長という国王に近侍する存在でありながら、同時に会計長官にも任命され、更には実務機関の財政特別委員会の責任者。私の友人である隻眼の麗人、アナの夫でもある彼は、まず間違いなく現在のスペイン中枢においてフェリペ2世を除けば私の協力者として最も近しい人物である。
セイノス長官は長い沈黙の後、ゆっくりと頷いた。
「……マルガレータ・フォン・ヴァルデック殿、貴殿の提案に乗ろうか。
ただまあ、すぐにとはいかないね。徐々に浸透を深めていくしかないし、それには時間がかかる」
「ええ、それは理解しております」
快い返事を頂いて、私は安堵の表情を浮かべながらそう答えた。
「大変結構。
ポルトガル貴族の取り込み策についてだが、これは件の侍従長に協力を要請するのが良いだろう。何せ、彼はポルトガル出身だからね。
困窮している貴族などにスペインから商人や教会を経由して金の貸付でもすれば良い。その際にあまり多く見返りを求めないことだ。ただ全く見返りなしで施しを行えば勘違いする輩も居るだろうから、スペイン・ポルトガル双方の益になることに介入するように働きかけるのが無難かな。その辺りの差配も、彼の侍従長ならば、こちらの意図を伝えずにしてもするだろう」
「……成程、素晴らしきお考えで」
「それで今のポルトガルのセバスティアン国王は8歳で、摂政が政務を代行しておる。この国王の養育係の中にイエズス会修道士が居たはずだ。これが肝となる。
まあ貴殿から何か言うまでもなく、幼き国王に色々と吹き込むだろう。かの国王が成人する頃には、晴れて現在のブラジルの植民地統治者に反感を覚える施政者の誕生、というわけだな。これも分断工作として利用できよう」
「……んんっ?」
「極めつけは、我が国のカルロス王太子よ。父はフェリペ陛下であるのは当然だが、その母は前々妻であった亡きマリア・マヌエラ妃の子だ。
マリア・マヌエラ妃がポルトガル王女であった以上、その子であるカルロス王太子はポルトガル王位の継承権は有しておる。
8歳の子供を王位に付けねばならぬほど血筋の不足しているポルトガル王家にとって、正当な継承権を有する我が国の王太子の存在は大きかろうて。
加えてカルロス王太子は御年17歳。先延ばしされてはいたが、既にフェリペ陛下も差配する予定の領地を見繕っておる、貴殿は知っているか?」
「……いえ」
「――ネーデルラントよ。即ち、そう遠くない将来にポルトガル国王の継承権を有する王太子がネーデルラント統治者として君臨する可能性が高い。
はてさて、貴殿はネーデルラントとは浅からぬ関係であったな?」
あれ……。もしかして、私。相談する相手間違えたかな、いやに計画の組立てが具体的に整えられていく。
まあ、頼りになることには違いないけれども。もしかしてセイノス長官って、『治世の能臣、乱世の奸雄』タイプの人間だった? スペインや私にとって益があるなら構わないけれど、眠れる獅子を目覚めさせてしまったやつかな、これは。
*
年は巡って1562年を迎えた冬。
冬になっても日中は暖かいままだが、夜は底冷えするように寒い。ポルトガルの一件もルイ・ゴメス侍従長にフランシスコ・セイノスの書状と私の紹介状を一緒に送ったこと以外は、ひとまずセイノス長官へと一任することとした。
そして、その書状ももう間違いなく侍従長の下へ届いているだろう。紹介状とは別にアナに対しても季節の手紙を送っている。
というのも、直前の船便でアナから手紙が来ていたためだ。
書かれていた内容は、マドリードの近くにフェリペ2世がどうやら王家の霊廟を建設するプロジェクトがまもなく本格的に始動するとのことだった。
既に設計図の作製に着手していて、以前ルイ・ゴメス侍従長が選定していた用地候補を選定し買い取っている最中だとのことだ、まあそれが船便で届くまでにかかった日数である3ヶ月前の情報なので今は既に土地は確保済みかもしれないね。
ポルトガルの件はセイノス長官との極秘事項であるため、手紙には書いていない。というかイエズス会メンバーにもグレイスにも伝えていないくらいには厳重に秘している。
あ、それとジョゼ・デ・アンシエタの同行条件の一件については、セイノス長官より直々にオルガンティノへ謝意を伝えたことで、ほぼ内定となっている。まあ本部の意向を聞いてからにはなるので、実際にどうなるかは出発直前にはなるものの、準備は既にしてもらっている。
また艦隊そのものは完成した。結局、11隻からなる大艦隊となった。で、この艦隊の指揮権限については、度重なる協議の結果ひとまず私に帰属することが決定した。なので遠征艦隊の提督? 艦長? は私になる。
しかし、それでは元々トップであったはずの元メキシコシティ市長であるミゲル・ロペス・デ・レガスピの立つ瀬がないということで、11隻のうち、5隻はヌエバ・エスパーニャからの援軍という取扱いになった。つまり全体の指揮権限は私が有するものの、ミゲル・ロペス・デ・レガスピは配下ではなく同盟者のような扱いとなるわけである。まあ割り込みトップだから仕方ない話だけど面倒くさい。
割り込みが認められたのは、私の方が爵位的に上位だったりカスティリーヤ宮廷との関係があるという側面も勿論影響はしているが、最大の要因は、元メキシコシティ市長の方は軍事指揮官としての力量は未知数なのに対して、私は少数で戦闘行為には参加していないとはいえアイルランドでの初陣経験が認められたからである。
少なくとも、置物にはなれる指揮官ということで消極的な評価を得ている点が加点になるのだから、何というか釈然としない。
……まあ他にも、こっちにはグレイスの配下という子飼戦力が存在するため仮に私をトップに据えない場合、相手方は相当私に配慮しなければならないのは火を見るよりも明らかで、それを嫌ったという部分もあるとは思う。そういった兵力が発言権に直結するところは戦国時代の香りがしてとても分かりやすくて良い。
そんな訳で、遠征艦隊のメンバーとは調整を幾度もなく行い、その過程で必要があれば、ベラスコ副王やセイノス長官にも同席を願っていた。
今日は、そんなベラスコ副王の使者によって副王宮殿まで呼び出された。まあ私は相変わらずメキシコシティに居るから割とすぐに行けるが、グレイスは物資集積地の護衛で、イエズス会メンバーは更なる修道院の拡大のために再び場所選定のために土地を物色しているらしい。
だから護衛を除けば1人で登城する。うーん、こういうときの代理人がゆくゆく欲しいけれども、あんまり家臣団充実させると小回り効かなくなるし何より警戒されるだろうからなあ。グレイスも新大陸では部隊指揮ばかりさせているが、外交交渉も問題なくこなせるだろうから、ちょっと勿体ない気もする。
まあ、ともかく。
いつもの定例会議か何かだろうと思ってベラスコ副王に謁見したものの、どうやら雰囲気が違う。
そこには副王は勿論のこと、セイノス長官もおり、更には私もあまり見かけない高官や武官の姿がそこにあった。
「……もしかして、私、時間間違えました?」
そう告げると、ベラスコ副王より返答がある。
「いや、合っていますよ。一応、手短に諸君にも紹介しておきましょう。
彼女が、マルガレータ・フォン・ヴァルデック殿。フィリピン伯殿ですね」
そう告げれば、他の知らない方々が嘆息しながら私を見やってきた。その突然の視線に私は一礼をして返事とする。
そして、副王配下の者に席へと案内されるわけだが、かなり前の方の席だな。嫌な予感しかしないのだけれども……。
そして場が再度静まったのを皮切りに、副王は次のように語った。
「さて、改めてフィリピン伯殿も参られたので、要点をかいつまんで説明いたそう。
――4日前に、グアダルハラのアウディエンシアの武器庫が南部からやってきた軍勢により襲撃されたという第一報が届きました。
叛乱軍の現地指揮官として姿が確認できたのは、エンコメンデーロのアロンソ・ゴンサレスです。
ですが、彼は旗印にオアハカ侯爵家の紋章を掲げております。ですのでこの地を発見したコンキスタドールのエルナン・コルテスの子であるマルティン・コルテス兄弟らの関与が強く疑われます」