第27話 国盗り物語
砂糖プランテーション農園。
どうして、これが奴隷を使うことになっているかと言うと、実に単純でサトウキビを砂糖にするのには手間がかかる上に、時間をかけられないという制約があるからだ。
まず茎が2,3メートルに伸びるから1つ1つが重い。そんな重い作物を炎天下の中刈り取って収穫するだけでも実に面倒くさい。
そして収穫時期。砂糖を得ることを目的としてサトウキビを栽培しているのだから、必然糖分が最も貯まったタイミングで一斉に収穫することが望ましい。
更に製糖作業。刈り取ったサトウキビは放っておけば発酵が開始するので、なるべく早く製糖しなければいけない。
こうして生まれる状況が、人手が大量に必要となる上に重労働でかつ炎天下の作業。まあ一般的な感性をしていればまず就きたくないと思う仕事であるため、砂糖生産は常に労働力確保への対処が迫られる産業であった。
これに加えて、当たり前の話ではあるが、ポルトガルは大西洋を隔てた新大陸よりも先に南下したすぐ先の大陸であるアフリカへの入植を先行して行っている。
そしてアフリカにも砂糖栽培適地があり新大陸へ来る以前からアフリカにおける砂糖栽培ノウハウを蓄積していた。まあそれが、奴隷を使役するという方法なのだけれども。
だからこそブラジルにおいて砂糖農園を新たに造成するときに、既存のノウハウに従ってアフリカから奴隷を仕入れる業者が居た。
人的資源のコスト面で考えれば現地住民を強制労働した方が安く上がるが、砂糖栽培のノウハウが無いところから1から教えるというのは奴隷と主人の関係であったとしても大変だ。だったら、今までやってきた方法でコストが多少かかってもアフリカから人を仕入れてきた方が楽だと考える農場経営者が居たのも必然であろう。コストと手間のどちらを取るか、そしてその先住民族はユグノーと連携してポルトガルの支配に反抗するのだから奴隷の方が楽だと考えるのは、決して容認できる考えではないが、されど事実として受け止めなければならない。
で、大量の人の流入により疫病も発生するわけだが、このときブラジルを襲ったマラリアや黄熱病は、ヨーロッパ人もネイティブアメリカンも耐性がほとんど皆無と言って良く、相対的に抵抗力の高かったアフリカの奴隷が更に新大陸において市場を席捲するのだから血も涙もない話である。
私として反省しなければならない点は、国際貿易で世界が繋がっていることを、この砂糖の問題については今こうしてジョゼ・デ・アンシエタに指摘されるまで全く気が付かなかったことにある。
日本へ行く理由付けにポルトガルが独占市場を築いている香辛料の買い付けの新規ルート開拓、そして石見銀山で採れる銀をポルトガルに流さないことで銀のスペイン独占体制を崩さないこと、すなわち国際的な商業取引の枠組みで説得したのにも関わらず、似たような構図を取っているはずの砂糖においては遅れを取ってしまった。
これまで私が武器として使っていたはずのものが、期せずして私自身にも火の粉が降りかかる代物であったことを今の今まで全く認識できなかったこと、ここに1つの問題があった。
……それでも尚、不満を述べることを許されるのであれば1つ。壊血病方面でレモネードが取り沙汰されることは想定していたが、まさか砂糖需要の拡大の方で問題が析出するとは思わないでしょう!
「――とは言っても、私が砂糖需要拡大の一端を担っていることは事実でしょうけれど、如何に艦隊用にレモネードを差配していたとはいえ、ブラジルという地域の砂糖事業の趨勢を変える程の影響力は、私1人の力では無いでしょう――」
その私の言葉はジョゼ・デ・アンシエタによって遮られる。
「……いえ。フィリピン伯様はご自身の影響力を軽く見積もっております。
あなたの背後に控えるものが何か、今一度深くお考えくださりますよう」
身分としてはフィリピン伯。周囲の目からはフェリペ2世のお気に入りのように見える私だが、だがそれだけでここまでの話に――。
――いや、違う。
ヨーロッパ随一の大国・スペインの国際貿易都市『アントウェルペン』と、ヨーロッパにおける一大商業都市国家『ヴェネツィア』。私の後ろ盾には、その双方の存在がある。
アントウェルペンは大きな商業取引がある国家を挙げるだけでもスペインのみならず、ポルトガル、イングランドに神聖ローマ帝国、更には東に行けばポーランドなど多岐に渡り、一方ヴェネツィアはカトリック総本山たる教皇領からイスラーム勢力の雄であるオスマン帝国の窓口まで、宗教・宗派に捉われない関係性を構築している。
その両者が後援に付いているというのは、裏を返せばこれまでの行動は彼等には把握されている、ということになる。
しかも、私はレモネードというものをアイルランドへ赴いた際に外交官として高名なアラス司教へと提供し、彼の口から高評価を頂いていた。レモネードは美術品収集にも目がない彼の司教のお目通りに適った代物であったことも確実に影響しているはず。そしてその彼はスコットランドへと私と別れた後は旅立っていった。
それで極めつけは、私はカトリックとプロテスタント双方から良くも悪くも知名度が高くなっているという点。悪名でも、それすなわち知名度。つまり、私の名で商品を売るとすれば双方の宗派に対して商圏を形成できるのである。
そしてレモネードという商品そのものも、ここに来て問題となる。
今にして思えば、レモンもあって砂糖もあるという状況下でレモネードが誕生していないことを疑問に思うべきだったのだ。やっていることはそう難しい作業過程を経ているわけではないのだから。
それが出来なかった理由は、単にその2つの原材料が高価であったからということ。いや、実際には私が作る以前にも同じような飲み方をする人間は居たのかもしれない。が、流行らなかった。何故か。
高価な商品を流通させるためには、ただ真新しい、ただ美味しいという要素以外にも『付加価値』が必要なのではなかろうか。例えば戦国時代では茶道が大流行したが、『茶器1つで城と交換できる』程までの価値を形成したのは、茶道そのものが有する要素以外に、織田信長や豊臣秀吉他様々な天下人による付加価値形成が行われた側面は確実にあるだろう。
……私はレモネードにそうした『付加価値』を形成するのに最適な人間であった、とそう言わざるを得ない。
と、したときにこれから起こることは様々な食べ物や飲み物に砂糖を入れて楽しむ、というブームが来ることは予期すべきで、そのムーブメントを形成し砂糖需要の拡大――ひいては奴隷交易による人身売買市場の成長という引き金を引いたのは、他ならぬ私になるであろう。
その流行が発生しないと私には考えられない。何故なら、此処――新大陸にはまだ甘味としては手付かずのカカオが既にスペインの手の内にある。そして。
チョコレートの歴史もココアの歴史も、これから刻まれるものなのだから。
*
ここまで理解すると、ジョゼ・デ・アンシエタの要求がまた違って聞こえてくる。
つまり、意図せぬものとは言え砂糖の巨大商圏を形成してイエズス会の意に沿わない人身売買拡大の契機を作った挙句に、既にブラジルから先住民族擁護を主張していた修道士の追放処分をする実害も出ているのだから、どうにかして落とし前を付けろ、という意味合いも含まれていると考えた方が良い。
そう考えるとごもっともな話なのだが、一方でこの問題が容易に解決できないものであることには変わらない。
砂糖の需要拡大が根本要因なのだから消費減退が最も抜本的な対策となるが、正直この状況から砂糖の使用を規制するのはかなり厳しいように思える。私が更なる悪名を背負う形で『砂糖は異端の食べ物』のような突拍子もない声明を出したとしても、結局プロテスタントやオスマン帝国の市場は残ったままで、リスクの割に効果は限定的と言わざるを得ない。
では次点で浮かぶのは砂糖の供給手段を増やすということ。サトウキビ畑や製糖工房に人手を使うのであれば、人手の要らない砂糖生産を提供すれば良い。
ただ、その解法が『甜菜』であることまでは私は知っているが、まずどこに甜菜はあるのか、そして甜菜の栽培方法、どうやって砂糖にするか、更には甜菜そのものの見た目すら分からない有様なので、これでは『甜菜』というワードだけ投げかけたとしても、砂糖が出来ることはないだろう。
だからといって、ポルトガルに対して強制労働を取りやめるように訴えたり、人身売買を行わないように提言するというのも有効的な策にはなり得ないだろう。まあ、だからこそジョゼ・デ・アンシエタもポルトガル側への働きかけまで望んでいない、という話にはなったのだろうが。
あるいは、購買力のある顧客育成という観点からの財産の有さない奴隷を廃止に持っていくという手段も、そもそも私が生きている間に発生するのか分からない産業革命を待ち大量生産の時代を迎える必要があるという点から、あまり適さない。
だからこそ、全てを防ぐことはできない。まずこれを私は容認するとともに自覚する必要がある。
加えて戦国知識では、戦国日本こうした国際的な人身売買のロジックに組み込まれてはいたものの、売りに出す側の立場だ。
秀吉による伴天連追放令の前日に出された、その覚書の中で日本人の売り渡しを禁じる箇条があるものの、一方で伴天連追放令そのものには組み込まれていない。だからこそ、その後の徳川幕府による朱印船貿易での外国人商人の取引制限が法制上では人身売買を制限するものとなるわけだが、一連の流れもやはり人を売る国のやり方だ。
仮にここからなにがしかの手法を真似るとするならば、私はアフリカの諸侯へと伝達せねばならないし、そこはポルトガルの影響域なのだから直接的には手は出せない。間接的にやるなら一番はやはりイエズス会経由になるが、これ以上イエズス会がポルトガル王家から不興を買うことになりかねない提案は却下されるだろう。だからこそポルトガルに口を出すことは極めて難しいと言わざるを得ない。
いや、ちょっと待った。
――その時、私は気付いてしまった。
そして気付いてしまった以上、私の方針はその方向性で定まってしまう。
この後、ジョゼ・デ・アンシエタに対しては了承の意を返した後に、私はアウディエンシア長官、フランシスコ・セイノスへ再度の面会を要求したのである。
*
「マルガレータ・フォン・ヴァルデック殿。何かありましたかな?
先日からあまり時を置かずの来訪。しかもなるべく早期にお会いしたいとは……只事ではありませぬな。
貴殿の表情を見るに、人払いをしたのは正解でしたね、してご用件を伺いましょうか」
私は自分自身でも緊張していることを理解しつつも、それを全く隠す余裕もなくぽつりぽつりと語り出した。
「……ポルトガルの砂糖交易の振興。これ自体はポルトガルという『国家』として捉えるのであれば、奴隷交易も促進され砂糖売買で富を為すもの。
……しかし。その利益構造にポルトガル本国が直接的に絡むのは難しい。何故なら、砂糖市場形成を担うのはアントウェルペンにヴェネツィア。生産地がブラジルで、奴隷供給地点がアフリカである以上、どうやってもポルトガル本国は税を取ること、そして経由地としての恩恵に預かることが精々です。
つまり、植民地監督者と本国貴族領主の地位と経済的な関係が逆転構造になる可能性が高い。
――セイノス長官。ポルトガルの本国貴族をスペインに取り込み、植民地との対立を助長させ……ポルトガルという国を、共に盗りましょう」
――ポルトガル併合。
その引き金を、能動的に引くことを私は決断したのである。