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第26話 真心と果実


 グレイスの軍勢を物資集積地へと回し、グアダラハラのアウディエンシアより特別手当を受け取る手続きが完了した頃に、ポルトガル領ブラジルにおいて布教活動を行っていたイエズス会士のジョゼ・デ・アンシエタが私達の下へと逃亡してきた。

 逃亡と言っても、着の身1つだけで逃げてきたわけではない。まあ、元々清貧を尊ぶ聖職者であるから豪奢な恰好をしているわけでもないのだけれども。


 まず、ジョゼ・デ・アンシエタがカリブ海に面する港湾都市・ベラクルスに上陸した際にミケーレ・ルッジェーリが出迎えに走った。この辺りの差配は、私がセイノス長官から話を聞く以前にオルガンティノが指示を飛ばしていた模様。

 つまり、イエズス会の情報はオルガンティノに集積され、必ずしも私の下まで回ってこない話があるということ。イエズス会の下部組織たるコングレガティオ・マリアナの所属では地味に意思決定から外されているのかもしれない。まあ、私の場合聖職者としての身分よりもスペイン宮廷との関係のが重要だし、事実イエズス会上層部も完全な身内ではなく協力者程度に捉えられているのだろう。つまり、私とオルガンティノの方針が異なった場合に割と大変なことになるわけだけれども、こればかりは時間をかけて信頼を勝ち取るしかない。


 で、ルッジェーリに連れられたジョゼ・デ・アンシエタは、まず私に同行するイエズス会メンバーと面会を果たし、次いでベラスコ副王、そしてセイノス長官に挨拶した後に、私と会ってみたいと言っているらしい。

 まあ、断る理由は無いので承諾するが、この彼の会う順番を見ても、私がイエズス会と同一の存在と捉えていないことは明らかだ。




 *


 逃亡してきたジョゼ・デ・アンシエタは見たところ、私やオルガンティノと年代は近そうな印象を受けた。異端者に対する不当な刑死と住民反乱加担。第一印象だけを見るとそのような罪を重ねる人間には見えないけれども、人を見かけで判断することほど危険なこともない。とはいえイエズス会士なのだから、基本的には友好的に接する方が望ましいであろう。


「アンシエタ様。まずは遠路遥々ご苦労様です。

 ……その、ブラジルの状況はどのように?」


「あまり好ましいとは言えませんね、フィリピン伯様。

 フランスのプロテスタント勢力であるユグノーが、入植して以降、ネイティブアメリカンの支持を得て、ポルトガル総督府に対しての軍事的な対抗パートナーとして台頭しつつありました。私達としては不本意ながら(・・・・・・)もポルトガルに祝福を与え、彼等の軍医として付き従ってはおりましたが、結局冤罪の裁判記録をでっち上げられてこのような仕儀に……」


「『不本意ながら』ですか? ポルトガルを味方とするのはアンシエタ様としては行いたくなかったことだった、と。そういうことでしょうか?」


「ええ、そうですね。ユグノーらが来る前までは統治方針を巡って……はい、敵対していたと言っても過言ではないでしょう。入植者による不当な殺戮行為や強制労働は布教の妨げにしかなりませんからね。

 ですがユグノーらによりプロテスタントの教えが広まることだけは断固阻止せねばならないと、協力したのは良いものの結局追放という結果に終わってしまいましたが」


 えっと。結構ブラジルの方は混沌としているみたい。

 イエズス会修道士とポルトガル人入植者とネイティブアメリカン、これら以外のプレイヤーとしてフランスで台頭してきているユグノーと呼ばれる新教徒の存在があったということ。まあ、同じプロテスタントとは言ってもユグノーと神聖ローマにおけるルターの教えに殉ずる者らは別個の存在なような気もしなくはないけれども、それでもユグノーが在地勢力の支持を得ると、ジョゼ・デ・アンシエタは、今まで批判していたポルトガル入植者と一度手を組みなおす程には、相当な危機感を覚えていたのには想像に難くない。


 ……まあ、逆のポルトガル人の立場から考えてみれば、今回の追放劇には納得がいく部分も見えてくる。今まで散々施政について批判を重ねてきた宣教師がプロテスタントという脅威に瀕したときに、今更助力を請いてきたとしても、それまでの積み重ねによる不信感を拭いきることはできなかったのだろう。

 しかも眼前にはフランス人入植者によって組織化されていく先住民族の存在があるのだから、内部の体制強化のためにも宣教師を追い出し引き締めを図った……、という見方は可能だ。


 そして極東方面でのイエズス会の管区変更によってポルトガルよりもスペインに対しての関係重視を仄めかす動きが、今回の一件の一端を担っている……かまでは分からないが、心構えとして私の行動1つで容易に歴史が変わり得ることは覚悟した方がいいかもしれない。


 まあ、変わったところで戦国時代が絡まない限りは全く分からないが。



 しかし、ふとここで戦国時代に思いを馳せたことで、私は1つ彼の発言と私の知る知識にそぐわない部分を発見した。

 ジョゼ・デ・アンシエタは『軍医』としてポルトガルに付き従ったと語っていた。イエズス会において会員が修めるべき学問としては修辞学が最重要視されており、次点で科学技術や美術、文学などが挙げられているものの、『医学』を学ぶイエズス会士が居なかったわけでもない。例えば大友家領内に病院を建設したルイス・デ・アルメイダ。彼はポルトガル王より医師の免許を受けた宣教師でありながらにして正式な医師でもある人物だ。なのでザビエルやトーレスなどの地盤を引き継ぐ形で北部九州から山口などの地域で宣教を行う傍らで医療行為も同時に行っていた。

 しかし、1560年を境にしてアルメイダは医療事業を日本人信徒に任せて、自身は布教活動に専念するようになる。


 一体、何があったか。その答えは、次の私の質問とリンクする。


「あの、アンシエタ様。イエズス会は宣教師に対して医学研究や施術の禁止通達を出していませんでした?」


 史実では1559年に発されているこの通達の存在がどうにも『軍医』としての活動を阻害しかねないものではないかと思えてはならない。

 これに対するジョゼ・デ・アンシエタの回答は、こうであった。


「……えっ、あ、いや。私はそのようなことは伺っておりませんでしたが。オルガンティノさんからも特にそうした話は出てきませんでしたし、どこかでフィリピン伯様が聞き違えたのかもしれませんよ」


 困惑したように告げられた言葉を私は受け取る。

 これは……歴史が変わったのか、はたまたイエズス会の通達が日本や、アルメイダ限定で送られたものであり、新大陸においては史実通りなのかは判断できない。

 うーん、日本のイエズス会知識で新大陸の現状に推測を立てることが出来ても、それを基軸に行動判断までは厳しいな。やっぱり日本に行かなければ、この手探り状態は打破されないままだろう。


 ひとまず、私の情報が誤っていたのかもしれないと謝罪の言葉を口にした後に、1つ尋ねる。


「その……アンシエタ様は、今後どうなさるお積りでしょうか。その……今まで学んでいたブラジルのネイティブアメリカンの言語に関しては……」


「そうですね……トゥピ語、ああ彼等の言語ですが、ポルトガル対訳の辞書は既に作成済みですので、今すぐは無理でしょうがじきに新たな話者も生まれることでしょう。その意味では私のやってきたことの全てが無駄なることはないでしょうが。

 ですが、私の成し遂げようとしたポルトガルと彼等との和平、それは破談になることでしょう。


 ……おっと、すみません。今後の話でしたね。一応私と同時期にブラジルへと渡ったノブレガさんが私のやっていたことも引き継いでくれるでしょうから、イエズス会上層部の判断を仰いだ結果、おそらく新たな布教地域を割り当てられることかと思います。

 もっともこのような一件があったばかりですので、お互いの為にも次の任地はポルトガル以外でお願いしたいので、こうしてオルガンティノさんに口添えをお願いしに参上した次第ではありますが」



 一応、完全にイエズス会がブラジルの地から追放されたわけではなく残っている人物も居るようで。

 しかし……医師か。アルメイダの例があるようにイエズス会修道士に全くそれらの技能を有する人物が居ないわけではないのは知っているが、とはいえ日本における布教の過程においてイエズス会上層部より禁じられたこともあり、アルメイダ以後の人物で医術を日本で活用した修道士を私は知らない。

 なので、当然私達の同行者の中に正式な医師は居ない。無論、船医と言う形でフィリピン派遣人員全体で考えればその限りではないのだが、船医だと私の配下でもイエズス会関係でもなく、今回の派遣艦隊の長を務める元・メキシコシティ市長のミゲル・ロペス・デ・レガスピに属することとなる。


 彼と敵対するつもりは毛頭ないけれども、かといって医学、という自身の安全に直結するものはなるべく手元にも置いておきたい。手元が駄目ならせめてイエズス会側に用意できれば。


 そうしたときに、私が渡せる可能性のある対価を提示してフィリピン派遣艦隊に付いてきてもらえるだろうか、試す価値はあると見た。


「……であれば、アンシエタ様……どうでしょう、いっそのこと私達とともにアジアまで付いてきませんか?

 確約は出来かねますが、私から副王様やフェリペ陛下に対して医師免許下賜の言伝は出来るかと思います。その上で私からイエズス会側に派遣人員として是非、と推挙をすれば――」


 ジョゼ・デ・アンシエタは私の言葉を遮るようにしてこう口を開いた。


「……やはり、オルガンティノさんの見立て通りの方ですね、フィリピン伯様は。

 彼は、私がフィリピン伯様にお目通りをすれば必ずフィリピンへの派遣に対して助力を願うだろうと、そう推察されておりました」


「オルガンティノ先生にはバレていましたか……。と、なると?」



 ……なんだ、オルガンティノにはバレていたのか。随分と読みが冴えている。となると、もしかしたらオルガンティノの一存で進んでいる一件だったのかな、と思ったけれど、しかし、ジョゼ・デ・アンシエタはこう続けたのである。


「差し出がましいようですが、1つだけ条件を。それが叶うのでしたら私も同行いたしましょう。無論、これはイエズス会上層部の意向もある程度汲んだものでございます」


「……聞きましょう」


 さて、即答はしたものの何が来る。イエズス会とスペイン宮廷を繋ぐ関係性の構築か、フィリピン派遣人員の見直しか、はたまたポルトガルとの関係改善のために私に対して何かを強いてくるのか。


 ……ジョゼ・デ・アンシエタの答えは私の想定のいずれでも無かった。



「ブラジルで布教していた頃からなのですが、アフリカから送られている奴隷的な労働目的で連れて来られる方々がここ数年急激に伸びてきていまして。何とか政策的に歯止めをかけらないかという話がイエズス会内でございます。言語系統が全く異なる方々が増えると布教に円滑に行えず、現地宣教師の負担が増大いたしますので。

 無論フィリピン伯様に、ポルトガル側への働きかけまでは望んでおりません。あくまでスペインの貴族として、出来ることをして頂ければと思います」


「えっと、奴隷が使われているということは、鉱山とかですよね? あ、でも鉱山では、ここ数年急に奴隷が必要になるというのは変な話か……となると、何故ポルトガルは奴隷が大量に必要となっているのでしょうか?」



「――砂糖です。


 近頃、砂糖の需要の高まりがあり、その需要に応えるために砂糖農場を拡大しているのですよ」



 砂糖需要の拡大で奴隷が増えた? まあそりゃ需要があって然るべき産品だとは思うけれど。


 あっ。



 ――レモネード!!


 あれを作るのに、私が砂糖を大量に集めていた。もしかして、私が需要拡大の一端を担っているのか!?



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[一言] 更新お疲れ様です。 またもやバタフライ効果で新大陸に影響(><)>砂糖 前回の銅鉱山ぴったんこカンカン、昔投信で新興国の資源投資のファンドを調べた事が有ったり、某スナイパーのチリ鉱山の救…
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