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第25話 神の怒り、自由の王子


 新大陸に腰を据えてから数ヶ月が経過した。

 イエズス会の面々は、ヌエバ・エスパーニャ領内初のイエズス会修道院の建設地を選定し、既に工事は開始しているが完成にはしばらくかかるようで、おそらく私達の出航のが先になるとみて、後任者へ委任するつもりとのこと。

 また、聖アウグスチノ修道会の司祭が遠征艦隊全体のアドバイザー的なポジションに就いていることから、少々皮算用ではあるけれども、フィリピンにおける布教のやり方について打ち合わせも兼ねているらしい。


 ミケーレ・ルッジェーリとアーノルド・メルカトルの2人は相変わらずメキシコシティにある大学に通い続けている。まあこの2人は任せておけば良いだろう。


 というわけで、私は唯一正式な臣下であるグレイス・オマリーと共に相談事をしていた。


「あのさ……グレイス」


「何でしょうか、マルガレータ様」


「……お金、無くなってきたんだけど」


 私がそう言えば、グレイスは露骨にため息をつく。彼女は口調こそ丁寧であるが、結婚による枷が外れた途端にフィリピンへ行く私に目を付けて臣下になるという体裁で同行を願った経緯がある。

 まあ夫の弔い合戦に助力したから悪感情は抱かれていないと思うが、根本的に一筋縄ではいかない。私が貴族で彼女がアイルランドの国人衆であり身分差が有意に存在しているからこそ口調は丁寧なのだろうが、初対面の頃は態度も十二分に伴っていたことを鑑みるに気安く接して良い相手と判断されたのかもしれない。まあアイルランドの田舎出身だからそこまで礼儀作法に期待されていないという周囲の目を利用しているんだろうなあ、きっと。


「マルガレータ様」


「……はい」


「使い過ぎです」


 一応、巡察使ビシタドールとしての収入に、アントウェルペンからの定期的な献金やそれとヌエバ・エスパーニャの諸侯からの賄賂などのお金も含めればグレイスの臣下らを養う収入は何とかなっている。とはいえアントウェルペンからの献金を送金する手間で通商院に莫大な手数料を支払っているので無駄も大きいわけだが。

 問題は、それ以前からアントウェルペンで積み立てていたお金を新大陸において多く浪費してしまった点だ。


 世界一周を成し遂げた経験のある航海士でもあったウルダネータ司祭とのやり取りの中で、9ヶ月分の物資を持ち込むこととして、現在その食料品含めた物資の貯蔵の中途であり、資金プールは別に確保している。しかも、食べ物に関しては私達が新大陸に来るときのように水夫反乱と壊血病対策を兼ねた改善メニューなので通常の航海よりも多くの物資が必要となる。

 途中で一部が発酵してしまったレモネードも好評だったし壊血病対策には必須なので引き続き活躍してもらう予定だ。砂糖が少ないと発酵しやすいのではという意見が出てきたので、砂糖の量も多くするつもりである。まあ、カリブ海が砂糖生産地域だしヨーロッパに居る時よりは手に入りやすくはなっている。

 ってことで、8隻では船そのものが少ないのでは? という話になり、更に3隻を追加で建造することとなった。ちなみにこの3隻はアカプルコで建造中であるが、2ヶ月から3ヶ月程度で完成する見込みとのこと。意外と早く出来るのね、この時代の船って。


 で、人員に関しても編成は多少変えて、隻数の増大による若干名の増員は図るものの、人を増やしたらその分荷物もまた増えてしまうので、8隻から11隻と1.3倍強になったからといって、人員も1.3倍にしたわけではない。

 なので、建造中艦隊乗組員については既存艦隊の方で訓練してもらう。まあ、それも現時点で確保している人員についてはの話で、ほとんどは直前に雇い入れるのだけれどもね。


 ……と、まあこれだけ散財していればお金が底を尽きつつあるというのも道理な話である。むしろ良く足りたな、と思ったりもするが、やはり国際貿易都市であるアントウェルペンは献金額と言えども、格が違った。

 これだけアントウェルペン商人が裕福だと、国際貿易都市をスペイン国内へと移管させるという初期の私の提案は、フェリペ2世の治世下においては成し遂げられそうにないなあと思いつつも、それは私の心の奥底にしまっておく。


「……一応、大人しくしていれば、今まで通り私への給金は払えるのですよね? 船を買ったり数百人分の食事を何ヶ月も用意するなんて普通やりませんから、お金が無くなって当たり前だと私は考えますが。

 で、どうするのですか。お金稼ぎということなら、カリブ海に蔓延る賊でも襲って、収入の足しにします? 捕まえた賊を犯罪者として労働させれば、この地の労働人口不足にも貢献できて一石二鳥だと思いますよ」


 思ったよりも物騒な提案をしてきたグレイス。そういえば実家が海賊まがいのことをしていた領主だったなあ、と思い出す。だからこそ、アイルランドの辺境に居ながらにして情報通という相反する性質を両立させていたのだが。

 そして、その提案がなまじ今の私の事情的には割と悪くはない。ただ、間違いなく巡察使という職分からは逸脱している。加えて言えばそれ以前の問題もある。


「いや、グレイスの軍勢は消耗したら補充するのが難しいじゃない。それに曲がりなりにもスペインの艦隊が行き来する海域で、排除されずに賊をやっている輩なのだから、手ごわいのではないかしら」


「では、マルガレータ様は他に金策のあてが? それとも、大人しくしておりますか?」


「まあ……何かやるとするならば副王様かアウディエンシア長官殿に相談するところから……かな?」


「ならばアウディエンシアですよ、マルガレータ様。

 副王様は借金を重ねているのですから、頼りにすべきは自明ですね」


 ……確かに。

 でも、アウディエンシア長官のフランシスコ・セイノスはちょっと私苦手なんだけどな……。いや、まあそういう文句を言ってる場合でもないのは重々承知だし、根本的に敵対しているわけでもないし、何なら協力者に近い間柄ではあるけれども、怖い。




 *


「久方ぶりですね。マルガレータ・フォン・ヴァルデック殿。

 そういえば、つかぬ事をお伺いしますが、ロペ・デ・アギーレをご存知ですかな?」


「……いえ」


 当該のアウディエンシア長官に会った瞬間にこれである。脈絡も何もないが、私が知らない情報を提供してくれるために無視するわけにもいかない。まあ何も中身のない話であっても無視するつもりは無いけれども、それでもこの長官に相対したときには一言一句に注意する必要がある。


 そして語られた内容はやはり重大ごとなのである。


「おや、知りませんでしたか、ペルー王を僭称しベネズエラ沿岸のマルガリータ(・・・・・・)島で反乱を起こしていたかの狂人を。

 フェリペ陛下のことを暴君だと、公然と批判し、アマゾンのど真ん中で反乱を起こした挙句に、川を下りカリブ海の島を制圧し、抗戦していたのです。貴殿が新大陸にいらっしゃる前から反乱を起こしていましたけれどね」


「……初耳です」


 本当に初耳だ。暗に情報の手が狭いことを指摘されている気もするし、私の名前と似ている島でフェリペ2世に対する反乱が起こっていることも、どことなく私に警告を交えるかのようなメッセージ性を秘めているように感じさせる物言いなのは、ただ猜疑心のみが為すものなのだろうか。

 私は続ける。


「……それが、私と何か関係でもありましたか?」


「……その様子だと、本当に何も知らないのですね。

 ロペ・デ・アギーレは既に射殺されましたよ。パナマを抑えてペルー副王領の交易路を寸断しようと島から上陸したところを向こうの副王領の軍勢が取り囲んで殲滅したとのことです」


 私の情報網について探りを入れてきていたか。この場合、全然知らないというのはどのような評価になるのだろうか。

 グレイスはアイルランドの出だから、新大陸にネットワークは皆無だし、イエズス会もポルトガル側のブラジル植民地にしか浸透していないので、本国から船便で来る3ヶ月遅れの情報を除けば、本当に情報収集手段に欠ける。とりわけ新大陸のスペイン領土に関連する話は。


 となると、フィリピン遠征艦隊メンバーとの関係を深めた方が良いな。ただでさえ情報ラグがあるのに、そもそも手に入らないのでは身動きが取れない。

 新大陸に忍者衆でも居れば即、引抜交渉なんだけどな。そう上手くはいかないわけで。


「しかし、パナマですか」


「ええ、戦略的要衝を的確に狙う計画だったようですが、それ故に読みやすい。

 まあ今の『太平洋』には物資が色々と(・・・)集まっておりますからな。無論、そのより取り見取りの物資を狙ったのか、はたまたペルー王を僭称したのだからそのまま南下してペルーを手中に収めるつもりだったのかは知りませぬがね」


「……すみません、我々の派遣艦隊や物資の護衛の為に、視野・・を割いていただいていたのですね。感謝いたします」


 ここまで聞いてようやく話の真意が分かり、フランシスコ・セイノスの懸念が正当なものだと理解したので謝罪と感謝の言葉を口にする。

 即ち、私が派手にフィリピン遠征艦隊の整備と物資の集積にお金をかけたために、それを狙う襲撃計画があるかもしれないから気を付けろ、と今回のカリブ海での騒動を教訓として伝えようとしているわけだ。

 実際、ペルー王を自称したという反乱者が私達の物資狙いであったかどうかは知らない。けれど、確かに増やした物資に関する護衛計画が杜撰であったことは認めざるを得ない。


「……グレイスの軍勢を警備に回す……それで良いでしょうかね」


「結構。グアダルハラのアウディエンシアから多少ですが手当も出させましょう。グアダルハラの北方では強力な先住民族が跋扈しており危険な地域ですから、僅かでも後方に兵力が駐屯する安心感はあるでしょうし」


 よく考えてみればフランシスコ・セイノスはあくまでもメキシコシティのアウディエンシア長官だったことを今の発言からふと思い出す。そして私の敵対者としてエンコメンデーロの他にも、そもそもスペイン自体と敵対する先住民族という存在が居たということをすっぽりと忘れていたことにも気付かされる。そりゃ、多少セイノス長官も嫌味をぶつけたくもなるわけだ。


 基本的に味方なんだよな、この人。どちらかと言えば期せずして尻拭いをさせてしまっているという言い方が正しいような気もするが。



 ――そんな詮無きことを考えていた瞬間。

 私達が対面していた部屋のドアがノックも無しに突然開かれて、息を切らした軽装の汗にまみれた男性が手に持った書状を長官へと渡した。

 あ、伝令ね。


 フランシスコ・セイノスは、その書状を私が居る目の前で躊躇いもなく開き、読みふける。


「……あの、私は席を外しましょうか?」


 その様子から、もしかするとアウディエンシアという組織としてみれば部外者である私が見聞きしてはいけない情報の類かもしれない、と思い席を立とうとするも、その私の動きは他ならぬセイノス長官によって止められた。



「……いや。もう1つだけ、伺いたいことが増えましたよ、マルガレータ・フォン・ヴァルデック殿。


 ポルトガル領ブラジルにて、宣教師ジョゼ・デ・アンシエタが異端者を不当な行いで刑死させた疑いと住民反乱加担の罪で追放処分になったということが記載されていました。

 ……その。彼の人物は……イエズス会所属であったはずなのですが、何かご存知ですかな? いや、事実であれば大変なことですよ。

 ――ポルトガルとイエズス会に不和……と言いますか、齟齬が発生しているようにも見受けられますが知っていることがあれば是非お教え頂きたく」



 ……ブラジルにてイエズス会修道士が追放処分? そんなこと起こりうるのか……っ、あ……もしかして!


 今のイエズス会総長がインド管区内にある日本布教区を分離してフィリピン・日本準管区を制定して、その準管区長にオルガンティノ――スペイン側のフィリピン派遣メンバーを任命したことが関係しているのでは。


 しかも、その管区区分の変更の申し出をしたのは……私である。


 私のせいで、イエズス会とポルトガルの関係が悪化した、ということか!?



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― 新着の感想 ―
[一言] 更新お疲れ様です。 古今東西問わず『遠征(冒険行)』には『金』が湯水のように消費され・・・・(><) 安全マージンを広く取る為にも、命に直接直結する物資類には妥協は出来ないですし。 ペル…
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