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第24話 プラエケプトゥム


 人身売買と強制労働については、過去のエンコメンデーロの世襲反対という行動による怨嗟も重なっていることから、私の身の安全という問題とも絡めて注視せねばならないが、やることはやらなければならない。


 それは即ち、フィリピン派遣艦隊人員との顔合わせである。私自身は元々あった計画に横槍を入れた存在であるので、彼等との協力は不可欠であれどその一方で邪魔してきたという認識であるかもしれないため、可能であればそうした誤解は解ければと思う。


 艦隊そのものは太平洋岸のバーラ・デ・ナビダードという港町で建造されているらしいが、まだ出発には時間があるということで責任者らまでは集まっていない。

 副王の宮廷でどういったメンバーが召集されているのか資料を照会してみると、元メキシコシティの市長であったミゲル・ロペス・デ・レガスピという人物を遠征艦隊の長に据えていることが分かった。


 この計画そのものは私が関わる前から始動していたプロジェクトであるため、名実ともにコンキスタドールである。

 コンキスタドール……征服者と言える人物の前職がまさかの副王領の首都機能を有したメキシコシティの市長。何だかちぐはぐだ。


 経歴を調べてみると、元々は本国の貴族の出自だが末っ子であったために爵位など望めずに町議会議員をやっていたところに、エルナン・コルテスがメキシコに入植し、入植者を募集していたタイミングでそれに飛びついたらしい。

 で、メキシコシティでは長らく財政畑の行政キャリアを積み上げて市長にまで上り詰めた人物と。

 ……ますます、征服者らしからぬ経歴である。


 でも現状の実態から考えてみれば、そんなものなのかな。スペインに属する者が探検に出る場合に、公的な保障を得るためには通商院を通して申請が必要だ。それはカスティリーヤ王家による統制強化の一環としての側面が見えている。

 あらかじめ遠隔地で独断専行を行いそうな人物を極力外そうとするために許認可制にしているのだ。


 で、フィリピン遠征計画については、私が絡む前からフェリペ2世直々に副王へと命じられた計画であった。ならばその人員についても、第一に考えられることは『王家に反旗を翻さない人物』であること。

 勇猛果敢な冒険家よりも、キャリア街道を進んだ行政官である方が適任であるという判断は、手綱を握るという意味ではこの上なく正しい。


 それはさながら、徳川家が幕府という統治機構の組立てにあたり、武功ある歴戦の家臣よりも、世が安定して統治ということを考えるに至って文官やそれに近しい諸将を重用したように。



 ただし、当たり前だが門外漢をトップに付けているので、デメリットも相応にある。

 いくら中央の命令には従うとは言っても、フィリピン派遣艦隊ともなれば、容易に連絡を取り合うことなど不可能だ。ここ新大陸ですら本国との連絡のやり取りには片道3ヶ月なのに、フィリピンに入植するとすれば、更にその連絡路は伸びきってしまう。だからこそある程度の裁量権とともに判断能力が必至となるが、経歴からそれを期待するのは少々酷である。


 ただ、フェリペ2世も彼に仕えるスタッフも、そして副王も馬鹿であるはずがない。それくらいのことは対策済みであった。

 派遣人員の名簿をちらほらと経歴も含めて確認すると、顧問? にあたる人物に面白い経歴が記載された者が居た。


「聖アウグスチノ修道会所属のアンドレス・デ・ウルダネータ……。香料諸島渡航経験有り……で、世界一周達成者?」


 私が、その異色のバックグラウンドを持つ派遣艦隊副官内定者の名を呟けば、資料照会を手伝ってくれていた職員の方が答える。


「あ、副王様は本来、このウルダネータ司祭を遠征艦隊の長に付けようとしたのですが、先方から長としてではなく、アドバイザーとしてならばという回答を頂きましたのでこのような形になっております。

 その一度香料諸島へ赴いたという経歴も、失敗した探検における数少ない生き残りということですね。香料諸島にてポルトガル側に救助……いや、拿捕されて本国へと送還されたそうです」


 一瞬、この職員の本音が見え隠れしたが、確かに先代の神聖ローマ皇帝の治世下においてマゼラン艦隊以外にも何回か太平洋を横断してアジアへと艦隊を派遣している。その全てが失敗に終わっていたが、考えてみれば未知の航路を突き進む海上探検における失敗というのは、死に直結しかねない。


 けれども、彼等が目指した目的地は香料諸島であった。無論、フィリピンを目指す者も居たが、どちらかと言えば中継地寄りで比重は香料諸島のが高かった。

 そして香料諸島については先んじてポルトガルがアフリカ周りインド経由の航路にて発見している。だからこそ、探検に失敗してボロボロになり兵員も満身創痍となった艦隊がポルトガルに救助……拿捕されたのだろう。

 先行者が居たからこそ、僅かとはいえ生きて帰ってくることが出来たというのは何とも皮肉な結果であり、帰路でポルトガル航路を使って帰ってきたことで期せずして世界一周を成し遂げることとなった。


 ……となると、マゼラン艦隊の世界一周ってどうなっているのだろう。あちらはポルトガルに拿捕されていないよね?


 書類に記載された世界一周の実態が拿捕による本国送還の副産物だと知り、がっかりというか、まあそんなものだよなあと気落ちしつつも、明らかに今回の遠征の中核となる人物となるであろうアンドレス・デ・ウルダネータという修道士には一度会っておこうと思い、副王宮殿職員に紹介状をしたためてもらい、先触れを出してもらうことになった。




 *


 聖アウグスチノ修道会。

 ここもイエズス会と同じく男子修道会ではあるが、『第二会』という名で女子修道会も設置されており、さらにその下には『第三会』と呼ばれる社会生活を営みつつも信仰を行う信徒団体もある。ただしイエズス会と大きく異なるのは、300年以上の歴史があるということだ。

 聖アウグスチノ修道会もまた教育活動を重視する修道会だが、神学・哲学寄りであり、日々の祈りと修業を何よりも重視する。修辞学と現地語習得を活用して現地政府の文官層へと浸透していくイエズス会に対して、教会への奉仕を主目的とした生涯学習的な側面が強い。

 ただ流石に300年続く修道会である。大航海時代の先駆けとなったバスコ・ダ・ガマが航路を開拓する裏でポルトガル領がアフリカに点々と広がっていく中で、それらに小規模ながらも宣教師を派遣したり、大規模な海外宣教においては此処、メキシコへの参入はかなりの早期であった。

 ヌエバ・エスパーニャ副王領そのものが制定されるよりも昔なのだから、その動き出しの早さが遺憾なく発揮されている。既に当地には50ほどの修道会を抱えるほどの大勢力だ。


 そんな聖アウグスチノ修道会だが、今まで私に全く関わりが無かったかと言えば、そういうわけでもない。アイルランドに赴いた際に、アラス司教が現地に宣教師を送り込んでいたが、そもそもアイルランドにて強く根付いている修道会勢力の1つがこの聖アウグスチノ修道会だったりする。


 そして、何より。

 宗教改革を引き起こし、プロテスタントに分派したマルティン・ルターがその初期に信仰生活を行っていたのが、この聖アウグスチノ修道会なのだ。

 無論、後にルターは退会することとなる上に、聖アウグスチノ修道会の修道士らもその多くは賛同せず強く反対したものの、それでも会にとっては大打撃であったらしい。



 基本は男子修道会なので、私が修道院に赴くと大変不味いこととなる。

 かといって、食事処のような場所で会うというのも変な話なので、アンドレス・デ・ウルダネータ司祭の修道院がある地域の行政機関の客間を利用することとなった。


「……修道院では、修練者らの監督役を務めておりましたが……此度の遠征計画が立ち上がってからは、そちらの準備にほとんど取り掛かっておりますね」


 修道服を着た、壮年の男性。彼がアンドレス・デ・ウルダネータ司祭である。修道会へ入会したのがここ10年の出来事であり、前半生は海の男として大成した人物であったはずだが、今の立ち振る舞いはどこからどう見ても敬虔な修道士のようにしか見えない。歳を重ねているということもあるのだろうが。


「フィリピン派遣艦隊のトップの座を断ったようですね、ウルダネータ司祭。

 差し支えなければ、その理由をお伺いしても?」


「……ええ、構いませんよ。

 昔ならいざ知らず、今は修道士として信仰に身を置く生活をしておりました。ええ、確かにかつてはヌエバ・エスパーニャの太平洋艦隊の海事活動を手伝うこともありましたが、根本的に探検は……割に合わない。

 ヌエバ・エスパーニャの役人として、それなりの暮らしを享受することが出来ましたし、あるいは清貧を尊び信仰に生き、若き者を導く生活もまた……悪くないのです。


 だからこそ、本当は全てを断ろうとも思っていました」


「……ですが、顧問としてならば引き受けましたね」


「はい。フェリペ陛下より直筆の手紙を頂いた、というのも御座いますが。


 ……怖いのですよ。

 太平洋の荒れ狂う大海原の恐ろしさは、何十年も経った今でも昨日のことのように思い出します。飢えと病魔に怯え、船員同士で相争うことも幾度もありました。

 450人を超えるかといった艦隊で出立したのにも関わらず、香料諸島に上陸したのは私を含めて25人です。

 ……そして再びヨーロッパの地を踏むことができたのは、両手で数えることのできるだけしか居りません。


 だから私はとても怖いのです。

 フィリピンへ行くのも勿論怖い。されど、私が行かずとも誰かは行く――その時に『我々の失敗』を活かさずに同じことを繰り返すことは……もっと怖い」



 臆病……とはとても言えなかった。450人で出発して帰ってこれたのが数名。

 その壮絶な体験を私はどう形容すれば良いか分からない。私の知る言葉で表現することがとてもできない。

 怖いと思うのも当然だ。しかし、それでもウルダネータ司祭は再び艦隊に同乗することを決断した。このまま修道院で安らかに生を終わらせることも出来ただろう。


 しかし、彼は選択したのだ。再び、海へと出ることを。



「ですから、フィリピン伯様。貴殿がこの航海を成し遂げなければならないというのは理解しますし可能な限り尽力は致しましょう。

 とはいえ、もし私の話……いえ何でも構いません。僅かでもこの遠征に不安を感じるのであれば取り止めた方がよろしい。先達として言えることはそれだけです。

 余程の理由が無いのに航路無き海を渡らぬ方がよろしい。ましてや貴殿は女性なのですから、フィリピンに赴かずともに出来ることは無数にあるでしょうに」



 今までミケランジェロが、フェリペ2世が、執拗とも言える程に日本へ行きたい理由を尋ねてきたことが今更ながら分かった気がした。


 私が想定していたよりも、これは遥かに危険なことであった。



 いや、大航海時代という言葉が指し示す海上探検がリスクある行動だと理解していなかったわけではない。

 そしてヨーロッパには様々な命の危機があった。そこから逃げ出すことも間違ってはいないと思うし、ここ新大陸でもエンコメンデーロの件でやはり危険があることは正しい。


 しかし、それから『逃げるため』だけでは全く見合っていない。だからこそそこまでして日本へ行かねばならない意図が知りたかったのだ。



 私は小さく首を振り、こう答えた。


「ご配慮くださりありがとうございます。ですが、既に決めたこと。

 ウルダネータ司祭の助けは大いに借りるつもりですし、我々の方でも万全の準備は致します。

 ……食糧はどれだけ積めばよろしいですか、半年? それとも1年?

 船が足りぬというのであれば、追加で建造を致しましょう。


 私には航海の知識も経験もまるでありませんが、資金力と政治力ならばささやかながら助力できるかと思います。

 司祭の懸念を少しでも軽減できるのであれば、その2つの力――惜しみなく使いましょう」



 今は、経験あるこの司祭の知識が私の将来の命綱になっている……そうであるならば、自分の命と安全を守るために全身全霊をかけることを何を戸惑おうものか。

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― 新着の感想 ―
[一言] 更新お疲れ様です。 生存者&帰還者の重い体験談・・・・ 一気に難航海の現実が彼女に(><) 行くも地獄(遭難)、残るも地獄(暗殺)ならせめて前を向いての苦行を拓いていくしか!! 次回も楽…
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