第23話 新世界と旧世界より
人身売買と強制労働。
私の引き継いだ価値観による致命的な乖離を引き起こすポイントはここだ。
新大陸のエンコメンデーロは、探検や征服活動の恩賞として、その土地に帰属する人々を臣下として扱う権利を得て、それを論拠として先住民に対する強制労働を強いていた。
それは、ロジックそのものがスペイン本国民にも適用可能なことで本国の人間の権利すら脅かしかねない行いであったことと、支配領域を闇雲に拡大することよりも王権の統制の及ぶ地域を固める方向性にシフトしたスペイン王家によって規制を繰り返し行っていた。
その文脈に沿うのであれば、強制労働が法的に認められていない行為であるというのは、事実である。違反に際しての執行力が機能するかどうかを別とすれば。
ただし人身売買については、法的に違法という事実すらない。つまり、売られた先にて奴隷的な強制労働が執り行われなければ、労働力を金銭で売買する行為そのものは問題がない。
それどころか、不法行為だが取り締まり切れていない強制労働や、疫病・災害による死者の増加ペースに伴い急速な労働力不足を引き起こしつつある新大陸においては、むしろ人身売買は労働力を補填するために必要な存在と言えるかもしれない。
その考え方を自分自身が受け入れられるかどうかは、正直二の次として。まずは、現状を認めねばならない。正直、戦国日本でも人の売り買いは乱取りなどであったし、それを未然に防ぐために制札などが発給された例もあるくらいには普遍的なものであった。
アウディエンシア長官であるフランシスコ・セイノスは語る。
「先住民族の強制労働に反対、奴隷制に反対、エンコミエンダ制と暴虐の限りを尽くす悪しきエンコメンデーロに反対、そしてポルトガル商人を仲介とした黒人の人身売買に反対――それそのものは実に結構だ。私も全く同感の想いだよ。
では、スペイン王家も副王も、誤っていると思うかね?」
誤っているかどうか、そこを尋ねられる。私の内にある道徳規範で語るのであれば、明確に人身売買は誤りだ。
だが――。
「『アシエント』の免状が財政収支を改善させているのが事実であるのであれば、一概に誤りと断じる訳にも……」
「……ふむ。『アシエント』だけに難色を示す、か。
ということならば、王家も副王も規制を強めようとしているエンコメンデーロ。この地における強制労働の根源となっている彼等の所業は、一切の異議を挟む余地なく誤り、とそう判断しているということだね?」
……図星であった。いや。
より正確に言えばそこまで考えていなかったといった方が正しい。もっと単純に新大陸で先住民を強制労働に使役している権力者なのだから悪! というレベルでしか考えていなかった。
彼等が何故、強制労働という手段を取るのか、その理由を私は一度たりとも気にしたことは無かった。ただ悪であると断じ、そこにどのような構造や論理が内包されているのかを知ろうともしなかった。
私が沈黙し、返答が得られないと見ると、フランシスコ・セイノスは話題を変える。
「――もし、貴殿が真に望むのであれば。
バジェ・デ・オアハカ侯爵家のマルティン・コルテス兄弟への紹介状をしたためるが……どうする?」
直感的に、ここが山場であると感じた。しかしセイノス長官の発言の中に、私が知るものが何一つなかった。
スペインの侯爵家の家名など把握していないし、その兄弟についても私は知らない。だからこそ、この時点で何も判断することができないのである。
「あの……バジェ・デ・オアハカ侯爵家と、マルティン・コルテス兄弟というのは……?」
私がそう聞けば、フランシスコ・セイノスは露骨に溜め息を吐く。
「……そうか、知らぬか。では、こう言えば良いか?
バジェ・デ・オアハカ侯爵家とは、今、私達が居るこの地――メキシコを発見した張本人であるコンキスタドール、エルナン・コルテスがその功績から得た爵位であり、マルティン・コルテス兄弟はその息子たちだ。
兄弟らは、爵位に加えて更に広大なエンコミエンダも与えられている、父からの遺産としてね。
そしてネーデルラントにおけるフランスとの戦役に参加していた。大方、その功でエンコミエンダの世襲を認めてもらうつもりだったのだろう。
だが、彼等兄弟の企ては水泡に帰すこととなった……その理由は、貴殿が一番ご存知だね、マルガレータ・フォン・ヴァルデック殿?」
その時、私は顔から血の気が引くのを、はっきりと知覚した。
*
ネーデルラントにおけるフランスとの戦役。
丁度、ラス・カサスさんが私に接触してきた時期である。
その時、私は何をした?
新大陸のエンコメンデーロが自身のエンコミエンダの世襲を求めて、その対価として献金を行うというやり口を阻止して、ネーデルラント政策の転換とアントウェルペンに対する矢銭徴収を進言した。
そのために私はパドヴァ大学からネーデルラントで戦争指揮を執っていたフェリペ2世に直接会いに行っている。
……これ、下手したらブッキングしてるな。
そしてエンコメンデーロの世襲は為されなかったという事実と、私が代替案を提案した事実は残っているので、確実に向こうは私の存在を認知している。
あちらの立場で考えれば、新大陸から遥々太平洋を渡って少なくない金をかけて献金までする準備をして、なおかつ戦争参加したのにも関わらず、特に関係のない女が勝手に口を出してきたせいで全てご破算になったのである。
どこから考えても恨みを持たれて敵対する要素しかない。
「……会ったら私、殺されるのでは?」
「かもしれませぬな」
「……死にたくないのですけれど?」
「では、会いませぬか。それでも構いませんよ」
殺されるかもしれないという懸念を肯定されると、自分の命が一番大事な私としては、そんなリスクを敢えて取りたくはない。けれど、会わないと言えば言ったで舐められるかもしれない。
でも、ここで自分の命を掛け金としてベットするのは無い、か。白雪姫の物語からも逃げの一手を打ち続け、ようやく魑魅魍魎の跋扈するヨーロッパから大逃げをかましてきたのだから、今回も徹底して逃げる。
「そうですね。私はリスクからは徹底的に逃げる主義ですので」
「……成程、実に賢明ですね。
これで彼等を説得する、などといって、のこのこと出向いて殺されれば我々としても彼の兄弟を心置きなく捕まえることができましたのに」
怖っ。私を人柱にして逮捕する算段だったとか。
でも、そうした後ろ暗い企みを本人の前にして暴露するというのは、ある意味では誠意ある対応だとも言えるのだろう。私が本当に行くと言い出したらどうするつもりだったのかは気になるところだけれども、それを聞いたら藪蛇になりそうだからやめておく。
「……私のことを試しましたね」
「さて、何のことやら。ああ、そうでした。
ベラスコ副王が意図的に遅延させていたフィリピン遠征艦隊の準備には、後1年程時間が必要とのことです。
新大陸でのリスクを避ける魂胆なのであれば、強行して日程を早めても構いませんが、個人的には突貫工事の船には乗りたくないですな」
「……やりませんよ、そんなこと」
どことなく一言多い気がするけれども、とりあえず私が知りたいと思っていた艦隊建造にかかる時間も分かった。1年か。結構長いが、腰を据えて何か成し遂げるのには足りない。
とにかく、折角ヨーロッパから逃げ出したというのに、ここでもまた命の危機は去っていないのである。
*
とりあえず、長期滞在を見越して計画を練り直す。
まず、新人のミケーレ・ルッジェーリとメルカトル家の長男であるアーノルドの2人については副王の許可を取った上で王立兼教皇庁立メキシコ大学へ通わせることとした。出来て10年そこそこという新しめの大学だ。
だが、ヴァリニャーノにとっては不満の残る代物であったらしく、
「先住民族の言語学が無いのは致し方ないとしても、数学も占星術も無く、挙句の果てには修辞学すら教えていないなんて、そのようなことがあって許されるのですか……」
と、そんなことを言っていた。まあイエズス会の傘下にある大学ではないし、イエズス会の高等教育に対する意欲が高すぎるだけなのだけれどもね。
とはいえ、神学は当然として法学・医術・美術などの学部はあるので、地図作製に長けるアーノルドは、とりあえず美術学部に突っ込んでおいた。ミケーレ・ルッジェーリはとりあえず全般的に。正式な学生というわけではなく、聴講生扱いで授業を聞きに行ってもらっている。イエズス会独自の部分は、私の手元に高名な人物が集まっているから彼等に一任してしまえば何とかなるだろう。これもある種の英才教育である。
で、他のイエズス会メンバーはミケーレ・ルッジェーリの家庭教師だけでは暇を持て余すので、スペイン領新大陸初のイエズス会修道会の設立を本格的に目指すとのこと。実際に常駐される人員も本国に要請するらしい。
もっとも連絡には片道3ヶ月かかるけれど、1年滞在するなら何とかなるという判断なのだろう。とりあえず大筋だけ定めて先々のことは後任者へ投げるという魂胆だと思う。
それはともかくとして、フィリピン・日本準管区長という役職を授かったオルガンティノを呼び寄せる。一応我々のメンバーの中でイエズス会代表者ポジションなのは彼だ。まあ、ヴァリニャーノは教皇サイドと繋がりがあったりするけれども、それはそれ。
「こうして改まって場を用意して、何用でしょうか? マルガレータ殿」
「あの……オルガンティノ先生。今更と言えば今更な話なのですれど……。
『イエズス会』としては、新大陸における強制労働や人身売買の実態について、どのようにお考えなのでしょうか」
そう言えば、ラス・カサスさんの一件のときに私のことを後援しているイエズス会の動向について調べていなかった。
新大陸にて様々な立ち位置の人間が、私が宮廷内で思い付きで引き起こした財政対策もどきの提案が各方面で波紋を引き起こしてきたことを知って……怖くなった。
そして、味方だと思っていた――というか味方でなくてはならないと即座に詰みとなるイエズス会自身がどういった考えを有しているのかを詳しく知らないというのは、本格的にまずいと思ったのでオルガンティノに対して、聞くこととした。
その質問を聞いたオルガンティノは姿勢を一度正してから、こう答える。
「『イエズス会』としての意見ですか……。
まあ、当然ですが。そのどちらにも反対の立場を取っておりますよ」
ひとまず良かった。
最低限私が今までやってきた行動がイエズス会の怒りを買う行動ではなかったことに安堵する。
だからこそ、私は多少安易に次の質問を重ねてしまったことを、返答を聞き即座に後悔することとなる。
「それは、道徳的な理由によるものでしょうか」
「――違います」
「……えっ。では、どういった理由で……」
「まずイエズス会に限った話では無いのですけれども、基本的に布教というのは現地語で行うことはマルガレータ殿も御存知ですよね?」
それは知っている。
信徒団体であるコングレガティオ・マリアナに所属した早期の段階で、イエズス会の活動について似たような話を聞いたことがあるし、加えて言えば戦国日本の知識と照らし合わせてみても、ザビエルの日本布教初期においてデウスを『大日如来』と訳して仏教一派と勘違いされた話や、元琵琶法師の日本人、ロレンソ了斎を布教活動において重用した事実からも、戦国日本という一側面だけでも日本語による布教を如何に重要としていたが見て取れる。
オルガンティノは続ける。
「例えばアフリカから人身売買でやってきた方が、ここ新大陸の現地語は話せませんよね?」
あっ……確かにそうだ。
他の地域の人間が流入すると、現地語布教という前提が破綻する。
「それと、アフリカも中南米も、根本的に現地語というのは無数にあります。ただ布教するだけでも宣教師の負担が大きいのにも関わらず、各地の言語が入り乱れるという状況は、イエズス会のみならずあらゆる修道会にとって好ましい状況ではありません」
聞けば、南米ポルトガル領におけるイエズス会布教の例だが、集落や部族ごとに言語が違うなんてケースもざらにあるらしい。そんな各地の民族語を一から学ぶとしても全てはとてもカバーしきれないから、交易等で使われていてある程度のエリアで何となく通用する共通語を宣教師は覚えるとのこと。
で、それら覚えた言語を書籍として残す。最初に残すのは単語の対応表――即ち辞書だそうだ。現地の交易共通語を、スペイン語、ポルトガル語あるいはラテン語などと対応させた辞書を作成するのだ。
そうして宣教師の現地語話者を徐々に増やしていくわけだが、これが時間がかかるのは言うまでもない。
人身売買はそうした多大な労苦を無に帰す恐れがある。
「強制労働についても同様です。折角そのようなリソースを割いて布教したのにも関わらず早死にされるというのは道徳的な観念を抜きとしても、非常に非効率になってしまいます。
現地の方が我々の理念を理解してくれるというのは極めて重要なことなのです。長生きしてくれれば彼等のコミュニティにて、彼等なりの言葉で語らうことが出来ます。それが強制労働にて失われるのは、まさしく布教の機会損失と言えるでしょう」
そうか……そうだったのか。
この時代のカトリック宣教師が奴隷制に反対するのは、決して道徳的・人道的な理念のみに基づくもののみではなく、確たる利益追求とリスク回避に基づいた考え方という側面もあったのか。
そして、この立場は使えるかもしれない。
スペインの財政問題について詰める必要はあるかもしれないが、カトリックの盟主として君臨することとなるフェリペ2世にとっては、布教機会の損失という観点からのアシエント制度の反対というのは理屈としては筋が通っているように感じる。