第22話 ノミスマの本性
ヌエバ・エスパーニャ副王、ルイス・デ・ベラスコは、中米・カリブ海スペイン領における最高指導者にも関わらず、新大陸にて搾取を推奨するような人物では無かった。
むしろ、その逆で考え方やあり方としては私も共感できる人物である。そして私のヨーロッパでの行動もこの副王には把握されていた、と。
「ベラスコ副王様。そのようにおっしゃっていただけるのは光栄です」
「ああっ、いやいや、そう固くならずとも結構ですよ。フィリピン伯殿は私の臣下というわけではありませんからな。
……おっと、そうでした。こちらでの暮らしは私共の方で保障いたしましょう。流石にアイルランドの軍勢を全て養うのは厳しいですが、なるべく尽力いたします」
「……痛み入ります」
まあ流石に軍勢まで養ってもらうのは申し訳なさすぎる。3桁規模だからなあ、グレイスの臣下。
「何か他に要望があればこの場でも、後で私の秘書官にでもおっしゃっていただければ可能な範囲で用意させていただきますよ」
「ありがとうございます……あっ、そういうことならば……あの。
フィリピン行きの船ってどうなっています?」
「ああ、そのことを伝えていませんでしたね。実は当初予定していた船団数では不足することが分かって急遽新造中なのですよ。
バーラ・デ・ナビダード……太平洋側の港町なのだがね。そこで準備をしています。
もし予定が合えば見に行ってもいいかもしれないですね。して、フィリピン伯殿は今後のご予定は?」
「とりあえずまずは、一度アウディエンシア長官に顔を出しておこうと思います」
「そうか、それは大事だ。そちらを優先した方が良い」
「……承知しました。それと船が建造中ということはすぐ出発できませんよね?」
「……そうですね。実は本当のことを言うと、この遠征計画は元々私の一任で差し止めていてね、私個人としては……あまり気乗りはしないものです。
まあ、今更な話ですがね」
フィリピンへの遠征計画自体はフェリペ2世直々に2年前から始動していたプロジェクトである。それをこのベラスコ副王の一存で差し止めていた。
だからこそ本来はそのまま検討中で止まっていたはずのプロジェクトに私が横槍を入れたことで、突如再開し推し進められるようになったという背景があるようだ。
「……何故、副王様は遠征に反対なのですか?」
そう聞けば、フィリピン遠征計画とほぼ同時期に始動したプロジェクトについて語られる。
それは――フロリダ入植計画。
「13隻の艦隊を派遣してフロリダに開拓村を築いたのだけれどもね。これが全く上手くいかなかったのです。
現地住民が我々に非協力的で軍事的な小競り合いを引き起こしてしまったし、そうした状況で食糧生産すら覚束ない有様で、飢餓に瀕していてね……丁度、今年だね。全面撤退を命じた。
我がヌエバ・エスパーニャの目と鼻の先でも、こんな状況だ。フィリピン伯殿には申し訳ないが、私は皆様の無事を祈るばかりです」
2年間フロリダの開拓村をどうにかしようとしていたが、一向に住民の鎮撫に成功する気配もなく、ただただ予算を食いつぶす存在になってしまっていたので、結局全面撤退。
彼がフィリピン入植に積極的ではない理由はそこにあるのだろう。初めはフィリピンよりも近くのフロリダの方が優先すべきだと考えから。そしてフロリダで難航してからは、他に予算を振り分ける余裕が無くなったことに加えて近場でこんなに苦戦するのに太平洋を横断した先で、どこまで出来るのかという疑念。
けれども、その火中の栗を私が拾い上げたことで、凍結されていたフィリピン遠征は再開せざるを得なくなった。最早イニシアチブはカスティリーヤ宮廷に移り、そしてハプスブルク王家に忠義を誓う副王だからこそ、そこに異議を唱えることはしなかった。
「……フィリピン遠征艦隊は何隻でしょうか?」
「元々は5隻の予定でしたが、皆様の事情も鑑みて8隻で推し進めております。詳細は、アウディエンシアの方でも扱っておりますので、そちらの長官のフランシスコ・セイノス殿にお会いした際にお伺いすると良いでしょう」
……何がともあれ、アウディエンシア長官側にも会わないと細かいことは分からなそうだ。長期戦になりそうな予感がひしひしと感じるが、お金は出してくれるとのことだったので、しばらくは新大陸に腰を据える覚悟をした方が良いのかもしれない。
「色々とありがとうございます。初めての土地で不慣れなこともあるでしょうが、今後ともよろしくお願いいたします」
「もちろん、こちらこそお願いしますね。
……おっと、そうでした。フィリピン伯殿に1つ頼み事が。
この後、アウディエンシア長官に会いに行くのでしょう? その際に先年に私に課そうとして要求――副王の政務はアウディエンシアの事前承認を得るようにとカスティリーヤ宮廷へ奏上し、副王権限を制限しようとしたことの真意について聞いてきてくれませんか?」
うわあ、最後の最後に重たいものを。
滞在費も遠征艦隊も用意してくれているだけに、これは断れない。
先に恩を与えることで断りにくくするというやり方か、完全にしてやられた。
*
「マルガレータ・フォン・ヴァルデック殿かね。ご足労いただきありがとう」
フランシスコ・セイノス。メキシコシティを管轄するアウディエンシア長官。握手を求められたので応じる。先に会った副王よりも年上で白髪もちらほらと目立つ方である。
簡単に副王宮殿で彼については調べてきた。ベラスコ副王直々に宿題も用意されてしまったこともあり、ある程度事前情報を調べることに越したことは無いという判断だ。
フランシスコ・セイノスの新大陸でのキャリアは長い。30年ほど前からこの地にて尽力している資料が散見される。私達が降り立ったベラクルスから此処――メキシコシティまでの街道の建設であったり、本国から牛馬を輸入して輸送インフラを整えたり、既にヨーロッパで流通していた印刷機を新大陸でも導入するなどの様々な成果を残している。
そしてそれらの活動は、副王が設置される前の実績だ。カスティリーヤ宮廷より副王が置かれると、そうした中米スペイン領における顔であったフランシスコ・セイノスは権限を副王へと移譲してアウディエンシアの聴訴官や長官としての職務に全うする人物なのだ。
言わば新大陸における最も権威と実績ある内政家であり、今のヌエバ・エスパーニャの祖を築いた人物と評することもできるかもしれない。
副王に対して謁見したときは、フィリピン遠征メンバーの紹介の側面もあったので、グレイスの臣下を除いたメンバーでぞろぞろと宮殿へと向かったが、このフランシスコ・セイノスに対しては誠意を見せるという意味でもむやみやたらに人を連れて行かない方が良いと思い、護衛を除けば単身で彼の下へと参った。
ちなみに、この隙を利用して私に同行しているイエズス会メンバーは新大陸スペイン領初のイエズス会修道院をどこに建設するのか選定しているらしい。仕事熱心なことで。
「セイノス長官。一応伺っているかと思いますが、インディアス枢機会議の命により巡察使として着任いたしましたので、ご挨拶をと思いまして……」
「実に良い心掛けですね。……その様子だとベラスコ副王から何か言われたね?」
その言葉に私は動揺を隠しつつもしらばっくれようとするが、機先を制される。
「ベラスコ副王も2代目の副王としてよくやっているとは思うが、私から見ればまだまだ青二才よ。
そして貴殿も。アウディエンシアとは司法の目――その我等を監査する側なのだから、生半可な地方役人に言いくるめられるようでは職務を全うできないよ」
「……肝に銘じます」
まさかの監査される側の立場の人から、考えが甘いと指摘されるとは思いもしなかった。『司法の目』と称したということは、我々の行動について把握していたのであろう。副王の下へと行ったことは当然バレているし、そこで何が起きたのかもこの様子だと薄々察しが付いているのであろう。
ヨーロッパも魑魅魍魎が跋扈していたが、これでは新大陸も同様じゃないか……。
まあ、でもバレてしまっているなら取り繕いようがないので、ストレートに尋ねる。
「ベラスコ副王からは先年の副王権限の制限奏上について、真意を聞きたいということでしたが……」
「ああ、やはりそのことかい。こちらに来たばかりのご令嬢に任せることではないよ、全くね。
聞かれたならば答えようか。理由は大きく2つある。
1つは簡単だよ、ベラスコ副王の統治能力に我々アウディエンシアは疑問を抱いている。彼の統治術は全てが上手く行っていなくてね……。赤字分を自身のポケットマネーで補填するどころか個人的な債務まで抱えている始末だ」
現地住民や貧しい者への公共インフラ整備にかかる費用の全てを副王としての予算で賄えず、個人的な借金でそれの穴埋めをしている。滅私の奉仕と言えば聞こえは良いが、これは統治者としての予算と、個人の資産を混同していることに他ならず、この手法を認めてしまうと逆の統治者としての予算を着服することを正当化する根拠にもなってしまう。そこをアウディエンシアとしては危惧しているというわけだ。
……うーん。道義的に正しいのは副王だが、法的に正当なのはアウディエンシア長官の方だ。一概にどちらかが一方的に間違っているという話でもなく、これは困った。
でも、ここで長官に追従すると、副王のことを全面的に否認することになってしまうので擁護はしておこう。
「……今の時代、そこまで会計予算を分けて考えるというやり方は、主流ではないのでは」
実際に先進国であるところのスペインの宮廷内部を見ても、その人員が執事や侍従といった身の回りの世話をする役割の人物と、大臣や官僚といった政治を遂行する人物との明確な区分けが出来ていないし。ということは、カスティリーヤ王家レベルとも公私の明確な分離がなされていないのだ。
この私の反論にフランシスコ・セイノスは若干表情を変えて、こう答えた。
「――その貴殿の申すやり方をしているスペイン王家が、財政的に危機を迎えていることは他ならぬ貴殿が一番ご存知でしょうに」
ぐうの音も出ない反論で返されてしまった。
形勢不利とみて話を流そう。
「……それで、2つ目の理由はなんでしょうか」
「……。まあいいけどね。
ベラスコ副王はあくまでも王家の忠誠の観点から、エンコメンデーロの独断専行を防ぐために奴隷的な強制労働に否、と唱えているのは、伺ったかい?」
「ええ、それで様々な施策を取っているとも」
「そう、そこが一番問題なのだよ。
……マルガレータ・フォン・ヴァルデック殿。貴殿は『アシエント』をご存知かい?」
「……いえ」
アシエント。
おそらく聞き及びのない単語だ。
「今は、その権限は商務院が有しているがね。前提として此処――新大陸と欧州との交易は制限されている。その特別許可を出す制度がアシエントだ」
つまり、形は少々異なるが戦国時代的に言えば御用商人か。
交易特権を商務院が発行することで、商人は新大陸との交易が可能となる。商人のメリットは言わずもがな、正式な免状が発行されることで正当性が担保され、それが商人にとって最も得難い『信用』へと直結する上に、一般には認められていない新大陸交易路を利用することができるメンバーへと昇格できる。
しかもその交易路は、我々が利用したように、護送船団方式なため護衛艦隊付きなのだ。
では、スペイン王家としてのメリットは、ここまでの商人に対する恩恵が凄まじい取引であるために多額の献金が期待出来るのだ。加えてその商人が船を失ったり交易品を駄目にしたりしても、商人の利ざやに関与しないため損失を補填する必要もない。
慢性的な財政危機にあるスペインにおいて、この特別財源は必要不可欠なものである……というか、こういう裏口の献金ルートがあったのにも関わらず財政が傾いているのか。
「その……アシエントという免状がどのように関係するのですか? 交易を活性化させ王家も潤うのであれば、然したる問題が無いように見受けられますが……」
「このアシエントが発行される商人の多くが、ポルトガル商人であり。
……その主要交易品が、黒人奴隷だと言っても。貴殿は手放しに賛同するのかね?」
……なっ。
――そうだ。そうだった。スペインにはアフリカ領はあれど、その過半が地中海に面する地域であり、ブラックアフリカに領地を有していない。そこに領地があるのはキリスト教世界ではポルトガル、ただ一国である。
にも関わらず。新大陸のスペイン領には黒人奴隷の存在が見え隠れする。ラス・カサスさんがネイティブアメリカンの権利を主張したように大多数の強制労働者は現地住民から供給されているものの、黒人奴隷の存在が皆無、というわけでもないのだ。
更に、エンコメンデーロの統制という実利のためにネイティブアメリカンの権利保護には王家も積極的であった。が、黒人奴隷交易システムにはアシエントの許可状による奴隷交易許認可が王家より与えられているのだ。
奴隷交易を王家や中央省庁である商務院より統制できるのであれば、それは中央の統制能力の強化に直結する。しかもそれが有力な財源になるわけで。
極めつけは、これら一連の話が一切副王の口から語られなかったこと。
即ち、副王としては新大陸における奴隷的な強制労働は反対の立場だが、人の売買について反対の立場を取っていないのだ。
――そして、その姿勢はおそらくスペイン王家もまた同様なのである。