閑話 16世紀スペイン関連用語解説
爵位(神聖ローマ/スペイン/ネーデルラント)
死ぬほど面倒くさい概念。姓として名乗っている場合は、その領地を直接統治している家系出身とみて問題ない。同一家系が複数爵位を有しているケースも多数散見される。例えばフェリペ2世はスペインの国王だがそれを意味するスペイン王の他に、ナポリ王、シチリア王、ミラノ公、ネーデルラント統治者などを兼ねる。で、スペイン王とはカスティリーヤ・アラゴン・ナバラの3つの王を兼ねていて、あるいはネーデルラント統治者とはネーデルラント17州全ての爵位を有することと等しく、このように1つの爵位がより下位の爵位を包括しているケースも多々存在しているのである。そして複数爵位保有者の多くは1つないしは少数の爵位しか基本的には名乗りに使わない。
ここまでの前提の上に、更にファンタジー世界でありがちな公爵→侯爵→伯爵→子爵→男爵の順番で偉さや宮中席次が神聖ローマ・スペインでは、決定されない場合も多い(爵位保有者の権勢などで流動的に変動する上、例えば同じ公爵でも『何処の』公爵であるかが大事になる)。また伯(Graf)は、一般的にはその家の成人男子が全て名乗ることのできる称号なので、同一時期に同一の『伯』を名乗る人物が複数人居るということは度々発生する。
(なお、本作における爵位の和訳問題においては、Fürstを侯爵とし公爵にはHerzogしか含めないこととしている。
が、爵位名・地名・人名は作者の感性で一番しっくりくるもので何となく選定しているために言語的な統一性は取れていない。)
そして最も問題となるのが、複数爵位兼任者の場合、1人で複数領を統治することは物理的に不可能なため各領に代理人を置くケースである。先に挙げたフェリペ2世の場合、本作でも取り上げているネーデルラント政策の例を挙げれば、ネーデルラントの総督(Landvoogd)としてフェリペ2世の姉(パルマ公妃のマルゲリータ・ダウストリア)を任命し、更にネーデルラント17州の各領の爵位もそれぞれ全てフェリペ2世が有しているため、そこには知事(Stadhouder)としてフランドル地域(フランドル伯国)にエグモント伯(ラモラール・ファン・エグモント)を任命している。そのような代理統治者の任命を行うために、『エグモント伯がフランドル伯領を代理統治する』などという異なる爵位保持者が異なる領地を代理で治めるという状況が発生するのである。
と、いうのが『神聖ローマ・スペイン・ネーデルラント』における簡易的な爵位の説明となる。
……うん。フランスやイギリス辺りはまた話が変わるんだ、これ。そして加えて言えば教会勢力側には大司教領・司教領・修道院領なんてものがあるのだけれども、これは割愛。
エンコミエンダ/エンコメンデーロ
元々はレコンキスタ期にイスラーム勢力を駆逐する際に活躍した兵士や有力者への褒賞として与えられた土地に住む人々を臣下とすることのできる権限のことをエンコミエンダ、そしてエンコミエンダを受け取った人物をエンコメンデーロと言う。
これが新大陸の統治システムに流用されて、コンキスタドールなどの冒険者・探検者が征服した領土に対して適用することで入植者に現地住民を使役する許可を与える制度としても用いられるようになった。なので結果的にはエンコミエンダという制度によって植民地における現地住民の強制労働を正当化する論拠となってしまっているが、問題はこの制度……スペイン本国においても全然現役の制度ということにある。
例えば、本作の登場人物でカスティリーヤ宮廷メンバーの一員であるルイ・ゴメス・デ・シルバ侍従長はポルトガル貴族の出身であるためスペインに領地はなく侍従長の俸給は僅かで財務長官職に特別手当も無い。一応イタリアのエボリという土地が後にルイ・ゴメスに与えられて『エボリ公』を名乗れるようになるが、このエボリ公、イタリアでは公爵相当だがスペインの大貴族の間では低く見られており、ファンタジー世界区分の感覚で言うなれば伯爵以上侯爵未満くらいのステータスであった。そんな彼がカラトラーバ騎士団管長に就任した際にその騎士団領の一部(スペイン本国の領地)をエンコミエンダとしてフェリペ2世より与えられている。
このようなロジックでもってスペイン本国の土地収入を与えたいが貴族のように世襲させるのではなく、その場その場に応じて臨機応変に分配できる便利制度としての側面もエンコミエンダは有しており、一概に新大陸における植民地統治論理のためだけの存在ではないのである。
アントウェルペン
この地が商業都市として確立するための前身は15世紀前半に周辺地域が地場産業の保護を理由にイングランド産の毛織物の輸入禁止措置を取った一方で、アントウェルペンはイングランド商人を受け入れたことにある。その後ライン川を利用するケルンの商人の協力を取り付けたことで国際商業都市として飛躍することとなる。
16世紀に入ると、ポルトガルの香辛料交易やポーランドの穀物輸出に関わる。ヴェネツィアのような自由共和国であったわけでもないアントウェルペンが栄えた最大の理由は、ヨーロッパ各地の逃亡ないしは移動してきた商人を積極的に受け入れたことにある。ネーデルラントの地元民やスペイン・ポルトガル・イングランドの商人以外にもヴェネツィアやクロアチアから流入してきた商人がこの都市の運営に重要な役割を果たしている点が特筆すべきであろう。そしてその国際的な多様さが宗教的な寛容にも繋がり、ユダヤ教徒やスペイン本国で迫害されていたユダヤ教徒からの転向カトリック(コンベルソ)、そしてプロテスタント信仰者も多数住んでいる。
スペインの新大陸の荷は、一度スペイン本国のセビーリャに集められる。が、それにも関わらず国際貿易としての決済はこのアントウェルペンで行われたために新大陸から莫大な量の銀が流入することとなる。
フェリペ2世とカスティリーヤ王家の統治術
フェリペ2世の史実の統治システムをもってして官僚主義的という評価は散見されるが、それは正しくとも正確ではない。彼の築き上げた『官僚』システムはフェリペ2世の死後、スペインの黄金期が去ると共に衰退していくが、それは彼の統治術が先進的すぎた故ではなく、ただフェリペ2世でしか扱えないものになっていたからである。
基本的に、カスティリーヤ王家の統治機構に枢密院のような機関というのが存在しない。王家の公的な部分とプライベートな部分とが明確に区分されていなかった。この一点だけ見ると最も先進的なのはイングランド王室で、1530年代にある程度成熟した公私を分離した王権の確立を行っていてカスティリーヤ側でそれが為されたのは17世紀に入ってから。よってカスティリーヤ王家の官僚システムはイングランドと比較すると100年ほど遅れていた、という見方もできるかもしれない。
では、何がスペインの黄金期――ひいてはフェリペ2世の治世を際立たせたかと言えば、それはひとえにフェリペ2世個人自身の尋常ではなく強力な自制心による成果である。侍従や執事のようなプライベートな寵臣を政治に参画させていたものの、それは世俗貴族や先代の側近衆に対してのカウンターパート的な側面が強く、逆に寵臣らの権勢が拡大してくると今度は一転して実務層との連携を強めていく。と、同時に貴族らとの距離も適切に保つ……そのような宮廷のバランスをフェリペ2世個人の力で成り立たせていた。1人の人物や特定の部局に独占的な権限を与えない……というのは先王カール5世路線の踏襲であるが、フェリペ2世はその先王の思想に忠実であったが、先王の遺臣に対しては権限が集中しないように細心の注意を払っていたりと、権限の分散と自己への集権という一見矛盾した統治術をその治世の間、徹底しているのだ。
だからこそ、フェリペ2世の死後このシステムは運用者の不在により破綻するべくして破綻した。
実際のシステム面では、秘書局の機能拡大という形でバランスを取ることに成功していた。フェリペ2世が『書類王』とも渾名されるような極端な文書主義が官僚機構の萌芽と目されるが、フェリペ2世の秘書局とは宮廷内部に留まらず各種専門諮問会議内にも別個に設置している。彼等秘書官に対して国家運営上のあらゆる事項について『答申(consultas)』として機密文書を発給するように命じ提出させることで、フェリペ2世自身が全ての案件に介入できる体制を作り上げたのである。
この秘書局を通じて明らかにした問題は、秘書局経由で専門諮問会議へ問題解決を命じられるが、この諮問会議が機能不全に陥っている場合、実務者をメンバーに入れて組織した『特別委員会(junta)』を新設して対応した。特別委員会は複数の諮問会議に跨るような権限の重複しかねない業務を円滑に遂行する目的にも利用されている。
だが、この秘書局ネットワークの代償として国庫に対する重大な財政負担がのしかかることとなる。例えば戦争諮問会議における秘書局支出に着目すると、同会議内の秘書局機能を陸海で分離したこともあり、フェリペ2世の統治開始時点から30年経過した1586年には支出が7倍になっていることが会計監査にて明らかになっている。
副王 (スペイン)
欧州スペイン領においては同君連合を組んでいるカスティリーヤ以外の王家の地方行政の担い手。この制度を転用することにより新大陸統治にも王権が及ぶようにして出来たのが、ヌエバ・エスパーニャ副王領(1535)とペルー副王領(1543)の2つ。前者はメキシコ、中米、北米、カリブ海のスペイン領を管轄し、後者は南米のスペイン領を管轄した。
そして副王はスペイン大貴族から選定される。この副王領の中には副王が直轄する地域の他、総監(Capitania General)領、アウディエンシア長官領などが設置されている。
総監【Capitania General】(スペイン新大陸領地)
カピタニア・ヘネラル。1561年時点では、ヌエバ・エスパーニャ内部のサントドミンゴ総監領(1535)、グアテマラ総監領(1542)、ペルー副王領内のチリ総監領(1541)の合計3つがある。総督領が設置される地域は、海賊が横行していたり強力な先住民族が居住するなどの軍事的に注力する必要が強い地域に設置される。そのため軍事的懸念の解決に注力が置かれ、制度上は副王の下に置かれているものの領内の脅威を排除するためにしばしば独占的な行動権限も認められていた。
アウディエンシア【Audiencia】
スペイン本国においては最高司法機関を意味したが、新大陸においてはインディアス枢機会議に従属する司法・行政・立法権限を有する副王の諮問機関・政策アドバイザー的な側面の強い統治機構。トップは長官1人でそこに補佐官として数名の聴訴官が就く。副王や総監との相互監視としての役割を有していて、副王不在時には臨時指揮を執ることも。1561年時点ではヌエバ・エスパーニャ内部にはサントドミンゴ(1511)、メキシコシティ(1527)、グアダルハラ(1548)、ペルー副王領内にはサンタ・フェ・デ・ボゴタ[コロンビアほぼ全域を管轄](1548)、シャルカス[ペルー北部を管轄](1559)に設置されている。
成立時期からも明らかだがヌエバ・エスパーニャにおいては、副王領よりも先にアウディエンシアが設置されている。
副王の統治中核地域を基本として、司法機関の意味合いもあるため銀山などがある経済的な要所にも設置されるようになる。副王よりも長官の交代が緩やかであったため長期的な視野に立って施政に取り組むことができる一方で、アウディエンシアに所属する役人は法的に縛られていて、エンコミエンダを所有したり商取引を行ったりしたら身分を剥奪されることとなっていた。
枢機会議・諮問会議
カスティリーヤ枢機会議はカスティリーヤ王国内にて国王に次ぐ権威を有する統治機関。その他にアラゴン・イタリア・フランドル・インディアスと地域別に設置されている地域別の枢機会議と、財政諮問会議、戦争諮問会議、司法を担当する異端審問所などの政策系の諮問会議があり、カスティーリャ枢機会議はこれらを統括していた。けれどもカスティーリャ枢機会議は権威こそあれ、フェリペ2世の治世下においては政策決定の中核として恒常的に活躍したわけではない(フェリペ2世の秘書局を通じた秘密文書による文書主義のため)。
(※地域別に置かれた統治機関を○○枢機会議、政策別に置かれた専門機関を○○諮問会議と呼称を使い分けているが、原語においては同一単語(Consejo de ○○)である。本作では差別化のためにあくまで恣意的に分類している。)
植民地統治の機関としてはインディアス枢機会議が存在し、国王と新大陸とを最も結び付けるものである。アウディエンシアを現地機関として設置し、アウディエンシアはインディアス枢機会議に職務を報告する義務があり、アウディエンシア同士の裁定やカスティリーヤ王家内の別の行政組織との渉外折衷も担当、更には新大陸の役人や高位聖職者の任命権限を有しており、任命した責任を問われるため、彼等の監査役(巡察使[ビシタドール])の派遣も行った。
通商院
新大陸の経済活動をカスティリーヤ王家の権限下に置くための組織。1503年にセビーリャにて設置され、新大陸との交易船は全て通商院の許認可を受ける必要が生じた。と同時に新大陸からの船は全てセビーリャに寄港することが義務付けられる。1543年からは大西洋における海賊の跋扈と護衛の観点から護送船団方式が採用され、その経費調達として軍艦護衛税を制定。
内部人員としては商務官・財務官・記録官が設置され1510年条例においては彼等の労働時間に関する規定も織り込まれる。主要業務として、交易船団・探検隊の企画・許可、新大陸移民に対しての規律管理、運輸関連税・輸出入関税の徴税、新大陸における交通インフラと宿泊地の建設・維持、商人や海運業者に対する司法権限(重罪についてはインディアス枢機会議にて判断)、航海士の資格認定、船舶の艤装など広範にわたる。
カスティーリャ王家──宮廷
└──秘書局
└────カスティーリャ枢機会議
└──政策別の諮問会議
└──秘書局
└──各地域の枢機会議
(インディアス枢機会議)
└──アウディエンシア【新大陸】
└────副王【新大陸】
└──総監【新大陸】
└────通商院
└────臨時設置される特別委員会
・宮廷メンバーは寵臣と大貴族らで主に構成。寵臣と秘書局とは関係が比較的良好で、大貴族は枢機会議のメンバーと重複する。
・枢機会議は実際の政策決定に大きく関与していない。諮問会議はある程度は機能しているが機能不全が見られた場合には特別委員会の設置で対処することが多かった。なので、諮問会議と特別委員会は予算を奪い合う関係。
・秘書局に権限は集中しているが、諮問会議ごとの秘書局はフェリペ2世が直接まとめていた。なので秘書官が絶大な権力を得ることは無かった。
・副王は大貴族の中から任命される。なので枢機会議関係者であることが多い。
・副王が軍事的要衝に総監を任命するが、総監領内での権限に対して副王が口を出せることは少ない。
・副王と総監を相互監視する役割を担うアウディエンシア。アウディエンシア長官はインディアス枢機会議によって任命される。
・副王が死去するなどで不在になった際に一時的に次代の副王が決まるまではその政務をアウディエンシア長官が代行することもある。
・インディアス枢機会議は、新大陸の役人(アウディエンシア所属の役人含む)および高位聖職者の任命権限がある。役人の監査のために巡察使を派遣する。
・通商院は本部をスペイン本国・セビーリャに置き、新大陸の交易の一切と経済活動を管理する。そのあまりに広範な業務は副王・総監・アウディエンシアの管轄としばしば競合する。