表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
19/104

第19話 躓きの銀


「……ふむ。此度の顛末は理解した。アラス司教はそのままスコットランドへと赴いたことも承知した。

 アイルランドへ赴くように提案したのは私だが、まさか小競り合いとはいえ戦が起こるとは思わなかった。恫喝と交渉で済むと考えていたが……済まぬな、マルガレータ」


 カスティリーヤ王家の行政拠点に指定されているマドリード宮殿に戻った私は、スコットランドへ逃げ……いや、交渉しに行ったアラス司教の書状を届けるという任とともに、此度のアイルランド救援の恩賞と懲罰を受けるためにフェリペ2世の下へ出仕することとなった。

 まず取り沙汰されたのは戦になったという点。これは宮廷としては想定外の事態であったようだ。彼等としては必要以上にイングランドを刺激しないように将も一線級部隊も派遣しなかったが、それが現地領主に舐められるという致命的な齟齬を起こした。

 私からすれば舐められていたというかグレイスの援軍だと思われていて機先を制する目的で彼女の夫を殺しただけだとは思っていたが、宮廷メンバーからしたらもっと戦支度をしておけばその領主らをも全て叩き潰すことも出来たと考えたようだ。

 あくまで表の目的は交渉で、裏の目的はカトリック宣教師の浸透にあったから護衛用の兵力以上のものは必要無いと考えたのは仕方ないとは思う。


 この予想外の珍事により、メリットとしては私が初陣を経験した、ということで功績の価値が大幅に向上したこと。

 女性領主というのはヨーロッパではそれなりに例がある。イングランドなんかは最高指導者が女王だし。とはいえ、軍事指揮経験のある女性領主というのは、そこから更に目減りする。しかも後方指揮などではなく100人規模の小競り合いの指揮官としてなのだから、そうした軍事能力の方で爵位授与に反対する勢力が消失したのだ。

 まあ私が卓越した指揮が出来なくても、お飾りとして戦場に立っていることが出来る……というのはそれなりに評価されることみたい。最低限ではあるが、その最低限は意外とバカにならない。


 加えて副次的なものとして、アラス司教を戦端に立たせなかったことも評価された。彼はスペインを代表する外交官である以前に名が体を表すように『高位聖職者』である。ある意味戦場より血なまぐさい外交の場でやりあってはいるけれども、それでも直接的に殺傷が行われる戦場でアラス司教を指揮させなかった事実は意外と大きいのだ。私も一応信徒団体に所属こそしているが、司教という肩書きはそれ相応に重いのである。


 で、デメリットは秘書官のマテオ・バスケスから指摘される。


「――結果は上々でしょう。周辺の領主を味方に付け渉外交渉可能な相手に恩も売れた。

 ですが、何故200人も引き抜いてきたので? これは現地のイングランド反抗能力を削ぐことになっていませんか」


 まあ、質問されてしかるべき話ではある。想定されていた質問なので事前にアラス司教とも練っている。それは渡した手紙にも書かれているはずだが……敢えて聞いてきたなこの秘書官。彼自身が知りたいというよりかは、他の面々に周知するために愚者を装ってきた。


「彼等はイングランドの国内法に依拠した世代交代をしようとした領にて反発した人員でございます。不満はあれど新領主に刃向かうほどではなかったので、あのままアイルランドに留め置いた場合、我等の敵対勢力に捨て駒として使われる可能性がありました。なので、私の一存で現地から離した……というわけです」


 ぶっちゃけグレイスの臣下として勝手についてきたからで、グレイスは私の指揮下にあるが陪臣に対する直接的な命令権限って無いので私から強く命ずることは出来ないから、私がグレイスを拒まない限りは連れてくるしかなかったのだ。その辺りの封建的な契約関係は別に私から話さなくても重々承知のことだ。


 そう言えば、納得したようなポーズを示しながらフェリペ2世が話す。彼も手紙で内容を確実に知っているはずなので演技のリアクションなのだが。


「……そういうことであれば已むを得まいと思うが、他にマルガレータに聞きたいことはあるか? おっと……モンデハル候」


 そう言ってフェリペ2世は周囲を見渡す。すると1人の風格ある老人が私に向き合いこう話してきた。


「マルガレータ殿と顔合わせするのは初めてだったかね。ルイス・ハルタド・デ・メンドサだ、以後よしなに頼むよ。

 この際だ。腹の探り合いは無しにしようではないか。貴殿が『フィリピン伯』なる称号が与えられるとして。その領は我等カスティリーヤが現状治めているわけでもない。

 一体どうやって貴殿は200名もの臣下を養うのかな?」


 メンドサという姓はどこかで聞いたことがあると思ったら……あの隻眼の麗人であるアナの本家の人間だ。ということはスペインを代表する大貴族のはず。

 しかし……200人を養う方法か。確か戦国時代換算だと1万石で300人の軍勢を率いることが出来るくらいの収入であったはず。となると、少なくとも大名領主クラスの収入源は確保していなければならない。

 ぶっちゃけグレイスの臣下の話であり、私が陪臣のことまで心配するのはお門違いではあるけれども、彼女の直轄兵力こそがそのまま私の手勢に直結するために、私としてはグレイスに対して彼等を養うことの出来る規模の給金を与えるのがベストであり、その辺りはメンドサ家の大貴族であれば百も承知なのだろう。


「……アントウェルペンでの献金では、何とかなりませんかね」


「新大陸はおろかフィリピンまで赴く貴殿にネーデルラント政策を舵取りができるのですかな。欧州に居る間はまだしも、宮廷を離れた後に今まで通りの献金を期待するのは間違いだと思うがね。

 それに新大陸との商業的なやり取りには通商院が間に入るから、送金には手間賃を取られるだろうね」


 アントウェルペンが私に対して好意的なのは、私がネーデルラント政策に関与できる宮廷影響力があったからこそだ。ヴェネツィアからであればまだしも、流石にフィリピンからカスティリーヤ王家を動かすことは難しくなる。欧州に戻ってくれば献金は期待できようが、新大陸に渡った後はゼロにはならないだろうが、お気持ち程度になると思った方が良い。

 加えて通商院という大西洋の交易を管理する機関の手によって、物品のやり取りは制限される。送金ではないが関税で言えばスペインから新大陸へ物を送る場合には7.5%、逆のときは15%程度の従価税がかかるのだ。だから逐一アントウェルペンで得た献金を新大陸に送るというやり方はあまり賢くない。賄賂が物納である場合は特に。


 モンデハル候の発言の正当性に気付き、私はどうやってグレイスのアイルランド衆を養うか思案していたところ、フェリペ2世が笑いながら語りかけてくる。


「あまり、意地悪するでないモンデハル候よ。マルガレータ、種明かしをするとだね。君にフィリピン伯とともに、新大陸の巡察使ビシタドールとしての権限も与えようと思っている。

 フィリピンに根付き収入源が出来るまでの臨時職だと考えてくれて構わないよ。

 そして、その巡察使の任命に骨を折ってくれたのは、モンデハル候ではないか」


 これは私もピンと来なかったので、説明を求めれば秘書官により補足される。

 まず新大陸のスペイン領は副王と呼ばれるスペイン大貴族からの派遣人員が治めている。しかし新大陸には副王は2人だけ。これで北はメキシコから南はチリまで手中に収める広範な領土を治めることは到底不可能だ。

 なのでインディアス枢機会議と呼ばれる新大陸政策を決めるスペイン本国の組織が政府高官や高位聖職者の派遣を担う。で、インディアス枢機会議の上位組織としてカスティーリャ枢機会議があり、そのカスティーリャ枢機会議の議長がモンデハル候となるわけだ。

 ちなみにこのカスティーリャ枢機会議、王家の次に権威ある統治機関だったり。そこの議長ともなれば国でも覇を唱える有力貴族だ。


 で、ここまでがスペイン統治機構の前提。

 それで、王家より新大陸統治を委任された副王は、戦国日本の領主よろしく難治の土地には別の人間を専属の問題解決者として充てた。それを総監と言い、これは有力な先住民族や、強大な海賊が縄張りとする地域などに置かれた。

 で、この副王と総監。形式的には上下関係にあるが、なまじ軍事的な要衝において問題解決を図るために、それなりの軍備が与えられているためにほとんど自治をしているような状態になっているのである……武士とか大名の類じゃんこれ。


 するとそういう動きを快く思わないのが高官を派遣しているはずの枢機会議側で、枢機会議は司法機関という名分でアウディエンシアという裁判所としての機能を主としつつも副王に対して政策アドバイザーとして口出し出来る出先機関を新大陸に設置して、枢機会議の意を受けた者を送り付けた……副王の所在地から財政的な要衝に至るまで複数。

 で、複数のアウディエンシアの職員は案の定権限争いをすることになり、その陳情と仲裁をする、あるいは他の派遣人員も不正をしていないか目を光らせるための人員として、巡察使という職業が誕生したのである。


 ちなみに、この巡察使は私の知る歴史でヴァリニャーノが就任したカトリック布教状況を確認するためのイエズス会内部にある宣教師称号の巡察()とは全く別物である。


 この他に新大陸とスペイン本国間の商業流通網と商法を取り纏める通商院なんかも存在するが今は割愛。

 その新大陸における折衷役に近い役回りの職が巡察使というわけである。


 ……つまり、その職による手当と仲裁の際に生じる賄賂で生計を立てろ、と。



「陛下、並びにモンデハル候をはじめとする貴族の皆々方のご配慮には多大なる感謝を」


 収入源になることには違いないため、受け入れないという選択肢は無いのだが、一方でこれで新大陸においても面倒ごとに巻き込まれることが決定した瞬間であった。




 *


「で、だ。マルガレータの要望したフィリピンの爵位は用意したし、フィリピンへの派遣艦隊も数年前よりヌエバ・エスパーニャ副王へ命じて準備させている。その派遣艦隊に同行しても、航路が確立してから赴くのでも好きな方を選んで良いが。

 ……もう、マルガレータのフィリピン行きは覆らないからこそ聞きたいことが1つある。


 何故、そこまでフィリピン……というかジパングへと、赴きたいのかね?」



 フェリペ2世から問われたこの言葉が、今回の正念場であることははっきりと分かった。まあ私が日本に行きたいなどということは話してはいなかったが知られているのも納得だ、イエズス会はその事実を認識しているわけだし、神聖ローマ帝国のユーリヒ=クレーフェ=ベルク公も知っていたことだ。

 ここまで準備を突き詰めた後で本心を聞いてきたのは、ある意味では配慮である。まあ、スペインやカトリックにとって不利益なことを言った瞬間に頭と胴が離れることになるであろうが。


 しかし日本に行きたい理由か。ミケランジェロしかり、どうもこの部分を気にするな。……まあ、それはそうか。行こうと思って普通は行ける距離じゃないしなあ、特にこの時代だと猶更。


 でもこの場にはフェリペ2世以外にも貴族の面々や宮廷の寵臣などが控えているから、誰しもが納得できる……というか疑問を斜めにぶっ飛ばすような回答をした方が彼等の疑心も晴れるだろう。

 と、なれば。


「……私がヴェネツィアからの依頼で、現在ポルトガルの独占体制にある香辛料交易について、フィリピンを足掛かりとして『香料諸島』へ交易路を作ろうという誘いを受けていることは知っているでしょうか」


 その私の言葉に一同はどよめくが、フェリペ2世は動じない。


「……成程、言われてみればあのヴェネツィアの首領と接点が出来たのが不思議だと思っていたが、それでようやく合点がいった。

 まあ、強欲なヴェネツィア人の考えそうなことだが、交易路が出来ればスペインにも利がある……か。まあ、そちらは追々協議するが、勝手にやってもらって構わん」


 知らなかったのか。いや、知っていたけど他の貴族らを前にして今知ったということにしたのか。まあ、そこは良いか。



「ありがとうございます。

 それで、私が何故、日本へと行きたいかなのですが。

 ――日本では、『銀』が多量に採れます。


 ……そして、それは既にポルトガルも理解しております」


 この言葉を口にした瞬間、多くの寵臣と貴族の数名が顔を真っ青にした。


 ヴェネツィアが私を使って『香辛料』のポルトガル独占価格を崩そうとするそれと全く同じロジックで、ポルトガルも『銀』のスペイン独占価格を崩すカードを抱えている。


 それが――石見銀山であり、博多なのである。



 何よりも深刻なのが、現状のスペイン財政は新大陸の『銀』を垂れ流すことで成り立っていること。しかも垂れ流す量も莫大で、値崩れを起こしかねないレベルなのにも関わらず、ここでポルトガルが運ぶ日本産の銀などが欧州にまで持ち込まれれば……その先に待ち受けるのは、銀価格の大暴落とスペイン財政の崩壊なのだ。


 多分、私の知る歴史ではそれが発生している。発生してなお最盛期を築いていたのだからおかしいと言えばおかしいのだが、もしこれを防ぐことが出来れば。

 オランダの独立であったりイングランドの伸張……そして、アルマダの海戦すらも未然に防ぎ、キリスト教禁教のトリガーとなるオランダと徳川幕府の蜜月関係を未然に防止できるかもしれない。豊臣政権は、また別枠で考える。


「日本の銀が中国――明に渡りそこから密貿易でポルトガルへ至るのはやむを得ないとしましょう。まさかマカオに攻め込むわけにもいかないでしょう。

 ですがまだポルトガルの支配体制が整っていない日本に直接乗り込み、銀をスペインにて封じ込める……それが出来るのは、現地政権が機能している今、だけなのです」


 まあ現地政権たる室町幕府が滅茶苦茶な状態にあるのを知っているのは、おそらくこの場では私だけだから黙っておく。戦国時代だからこそ国として統一行動が取れていないだけなのだが、一応体裁はポルトガル支配に対抗する辺境の国家という位置付けにしておく。


「……ネーデルラント政策のときもそうであったが、どちらも財政対策なのだな」


「はい。私は古くからスペインに仕えているわけではないのでコストカットできる分野なんて分かりませんし、同様に収入を増やす手立ても思い付きません。

 ただ、それはここに居る皆様方の力があれば必ずや乗り越えられると信じております。私にできる僅かなことは、ただ今あるものをなるべく減らさないようにする進言くらいです」


 これは割と切実な本音である。実際にどうやったかは知らないが、何とかはなったのだろう。でなければ全盛期を築くということは出来ないと思う。

 だから、そこよりもメスを加えるべきは衰退のスイッチとなりそうなところと、極東へカトリック勢力以外が伸張する可能性がある部分だ。


 私のその真意のどこまでが見通されたか分からないが、フェリペ2世は玉座に背をもたれかけて告げる。


「……そうか。忠言感謝する。

 今後は新大陸やフィリピンでその才を活かせ……マルガレータ」


「――承知いたしました」



 一応、これでヨーロッパでの用事は全て完遂した……のかな?


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] いよいよフィリピン行きかな。 でもあっちまで行くと中国史天地創造より長い問題に巻き込まれそう。 イエズス会にもどっぷりですし。
[一言] 更新お疲れ様です。 頭の痛い問題(押しかけ臣下&兵)も何とか乗り越え、名実共に日本行きの実績&名目達成!!^^ 目指すは極東ジパング!! 果たして、海路は平穏無事にかの地へたどり着けるのか…
[一言] 正直日本に行く場面で第一部完とかならないかと心配してたけど、ちょっとテンポアップするかな?
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ