第18話 譲渡と再授封
我がスペイン軍は戦闘を行わなかったために死者は出なかったが、戦場まで赴くのに落伍者はいくらか出た。まあその多くはオフハラティ家の居城へと戻っていたので初陣による損害は行方不明者2名、戦果ゼロという結果に終わった。
とはいえ、背後を固めていたというのは存外重要であったようで、グレイスさんには戦闘終了後の戦場でいたく感謝された。とはいえ彼女も返り血を浴びていてその血の生臭さから何が敵城内で起こっていたのか、そしてグレイスさんがどのような行動をそこでしていたのかを想像してしまい吐き気と悪寒から血色を悪くしているのを察されたのか、戦場の後片付けはグレイスさんらに任せて先んじて私達は元の城へと戻ることとなった。
初陣であったことはバレていたし、まあ絶対気を遣われたね、これは。
とはいえ戦場では暇をしていた我等であったが、戦後処理は戦場のようにただ景色を眺めているわけにはいかなかった。戦そのものよりも、その後の方が余程面倒くさいのである。
まず、戦場を途中離脱していた周辺領主が続々と城にやってきて『スペイン』に臣従する意を明らかにしてきた。この時点で城に残っていたオフハラティ家中の者はあまりいい顔をしなかったが、そこはグレイスさんが『スペインの援兵が無ければ敵を討ち取ることは叶わなかった』とフォローを入れてくれたので、まだ何とかなった。
ただし、流石にこの臣従案件については私の一意で決めることのできる事項ではなかったので、アラス司教に全部丸投げ。
そして、万が一のことを考えてグレイスさんが小舟で状況をオマリー家に伝えていた。私達は船を動かすわけにはいかなかったので仕方が無いが、そのオマリー家を通したやり取りで私達を取り巻く状況を認識したアラス司教は、情報が届いて直ちにこちらへ急行。まあ、ここで私が死んだら色々と大変なことになるからそりゃそうなる。
となると、それはどう映るか。
「――『譲渡と再授封』に基づき、オフハラティ家は長子相続の原則に則り先代当主ドナル・オフラハティの長男であるオーウェンを次期当主として認めるが、彼は若年であるため従兄弟を政務補佐に付ける……ですか」
オフハラティ家が次期当主としてグレイスさんから息子を取り上げて、従兄弟が実権を握ろうとする動きが見え始めたのである。
仇討をしたのはグレイスさん、そして周辺領主はその一部始終からスペインへ臣従を願い、そして偶然とはいえグレイスさんの実家であるオマリー家からやってきたアラス司教はさながらオマリー家による家中乗っ取り策に見えてしまったようだ。
だからこそ、オマリー家の影響を排除するためにオフハラティ家は強硬策に打って出てきた。
その話が出てきたことに頭を悩ますグレイスさんと対面するのは私とアラス司教。まあ、現状次期当主は決定していないので、私達が話し合う相手がグレイスさんになるのは当然の帰結であろう。
「……色々と突っ込みたいのですが、あの……アラス司教様。
まず、そもそも『譲渡と再授封』って何です?」
これについては明瞭な答えが返ってきた。
即ち、領主らが実効支配している土地を一旦、王に譲渡する。すると領主は王から開封勅許状という所領安堵の知行状を頂いて、それを封土――荘園として受領できるのだ。
……あれ? そのまま戦国時代の所領安堵じゃんこれ。
「――最大の問題は、その『王』――アイルランド王とは、イングランド王の自称。
つまり、この法に基づく土地の処理を是認するということは、イングランドの支配下にあることを示すといっても過言ではない」
うわー……、そういうことか……。
オマリー家とオフハラティ家の問題を、スペインとイングランドの問題に置き換えてきたというわけだ。つまりこの継承を認めなければ、イングランドの介入を招きかねない、と。いや、本当にアイルランドの辺境領主の救援でイングランドがスペインとの開戦を決意するとはあまり思えないが、ブラフとしては十分機能するものである。何せ、私は今スペインがイングランドに対して戦端を開きたくないということは宮廷で聞いたうえでここにやってきているのだから。
「……本当に申し訳ございません、アラス司教様、マルガレータ様。
まさかこのようなことになるとは……。おそらくあなた方が武官ではないということも踏まえて易々と武力討伐には舵を切らないだろうと足元を見ての提案かと思われます」
こうなると、自分がやったことではないのに頭を下げざるを得ないのがグレイスさんだ。事情を把握した以上、アラス司教は優しい声で顔を上げるように彼女に伝える。
ちょっと、その様子を見て私は感情的に口を開く。
「いっそ『介入』してしまいますか、アラス司教様? 幸い周辺領主は我々に臣従しておりますし、お家争いを向こうがお望みとあればそれに乗ってしまっても……」
「――血の気の多い提案がマルガレータ君から出るとは思いませんでしたよ。ですが、こうなるとマルガレータ君が一度『ブルゴーニュ十字旗』を掲げてしまったのが手痛いですね。あの場ではそれが必要であったことは理解しておりますし、戦端を開かなかったことでその一件についてはいくらでも言い逃れは出来ますが、ここで家中争いに『介入』すると流石に外交上、言い訳ができません。
……イングランドの胸三寸で下手をすれば全面戦争になりますよそれは」
なるほど、大義名分になっちゃうのねこれ。そして外交上のイニシアチブをイングランドに握られてしまうと。
とはいえ、あの場でスペインの所属を明らかにすることは我等の安全上必要なことであり結果論ではそれが軍事的には正しかったことも示されている。
そんなことを考えているとアラス司教はこう続けた。
「……それはともかくとしてですね。えっと、グレイス殿……でよろしいのですよね? 貴殿は今後どうするつもりでしょうか」
確かにグレイスさんの意見も聞いておくべきであった。実際彼女の意見が通るかどうかは別問題だが、それでも聞き置くというのは大事なことである。
「……私は。夫が亡くなり、仇を取ってもこのような仕打ちを受けた以上、最早オフハラティ家に未練が御座いません。それに長男だけ私の手から奪おうとするやり口も気に入りません。
我が子――息子2人と娘1人は、実家で養育しようかと思います」
「ふむ……、それで貴殿はどうするのですかな? まさか単身此処に残るつもりでも無いのでしょう」
「はい。――あの、マルガレータ様」
「あっ、はい。何でしょうか、グレイスさん」
思わず反射で返答してしまったが、何故私に話を振ったのだろう。
その疑問は次の一言で氷解する。
「マルガレータ様が此方に滞在していたからこそ、私は背後を恐れずに夫の仇へと攻め入ることができたのです。
初陣も済ませていなかったマルガレータ様に、重大な決断をさせてしまったこと、そして戦を知らぬ身なのにも関わらず、私達を救う助力をして下さったこと……。返せぬ恩を受けてしまいました。
どうか以後は、マルガレータ様の臣として……フィリピンであろうとジパングであろうと付き従いたいと……」
家臣。
いつか必要であるとは思っていたが、まさかグレイスさんがそれを言い出すとは思わなかった。でも……。
「グレイスさん。……もしかして、なのですけれども。
――肩の重荷が取れた今、フィリピンや日本という遠国に行ってみたいという興味本位で私の家臣になろうとしていませんかね?」
「…………っち、バレたか」
やっぱり。彼女がそこまで殊勝で忠義に篤いだけの人間でないことは分かっている。仇討ちが舐められないために必要なことであれど、女性の身でそれを成功させてしまうというのは色々と不可思議なのだから、平々凡々な人間であるわけがない。
裏があって然るべきなのだ。戦も出来て、内政も出来て、外面を取り繕うことも出来る。……そこまでマルチな才能を持つ彼女が、アジアに行きたいと妄言を吐きながらもその実現に向けて邁進する私を知って、何も思わない訳が無いのである。
「……アラス司教様」
私が彼女を登用することをスペイン本国が認めてくれるかどうかという意を込めて発した言葉に、アラス司教はしっかりと意図を汲んで答える。
「マルガレータ君の同行者に女性が1人増えたくらいで目くじらを立てるような貴族や宮廷の官吏はいらっしゃらないと思うけどね。彼女もカトリックなのだし、好きに決めて良いと思うよ」
「……そういうことであれば。グレイスさん……ううん、グレイス。
あなたのお父さんを説得出来れば、臣下として受け入れましょう。それで良いですね?」
……で、これはあくまでも余談として聞いてほしいのだけれども。
この後、彼女――グレイス・オマリーが我々の船団に乗ってオマリー家のあるクルー湾沿岸へ戻ろうとしたところ、オフハラティ家で仇討ちに協力した面々が、従兄弟殿に反発してグレイスに心酔しきった様子でたとえ地の果てだろうと付いていくと言い出し、彼等の船が同行することとなった。
――その数……200人余。
「……マルガレータ君。彼女1人なら問題ないと私は言ったけれども、家臣団含めた200人の軍勢は流石に問題になるよ」
「――アラス司教様、何とかなりませんか……」
「いや、私は知らないからね。君の家臣なのだから君が解決しなさい」
結局、海賊然とした見た目をしたオマリー家当主であるグレイスさんの父親も流石に200人心服させて帰ってきた娘には度肝を抜かれた様子で、ほとんど彼女の気迫に圧倒される形でこの軍勢もろとも私に同行することを許可してしまった。まあ領主としてはむしろ手元に置いておけんよな。
でも、私はこれをどうやってカスティリーヤ宮廷に報告すれば良いんだ……。