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第15話 ネーデルラント包囲網とイングランド逆包囲


 日本行きを認めてもらおうと謁見を行ったら、まさかのフェリペ2世側からアイルランド行きを求められた。


 こうしてみると荒唐無稽な話であるが、フェリペ2世に説明を求めれば、マテオ・バスケスという若い秘書官が代理で私のアイルランド送りの理由を順序立てて教示してくれた。まあ、森蘭丸みたいな小姓のような者かな秘書官って。


 まず大前提として、これはネーデルラント政策の一環であるということ。私のネーデルラント統治機構を仲裁機関とする室町幕府化計画について複数のルートから確認が取れたことで、私がネーデルラントの安定化に際して何らかの手を打とうとしていることがカスティリーヤ宮廷内部にバレたというのがある。

 ……まあ、そりゃあバレるか。ネーデルラント総督はフェリペ2世の姉だし。


 とはいえ、宰相の決定権限はネーデルラント三部会に白紙委任している関係上、そこで私がネーデルラント貴族を使って工作を行うことについてはスペイン的には問題がない。そして、北部諸邦の影響力が強く先代の神聖ローマ皇帝も信任しているオラニエ公ウィレムであればスペインもネーデルラントも双方異論はない人選であろうこともあり、スペインにしてみても問題として取り上げることもなくネーデルラントも不満を持たないなら万々歳であるという寸法だ。

 だが、フェリペ2世率いる宮廷メンバーは、それだけでは不十分であるというか……どちらかと言えば私の援護射撃をするような提案を加えた。それがアイルランドのことと繋がる。


 それを理解するためにはまず、ネーデルラントの地政学的位置が問題となる。大陸においては神聖ローマ帝国を背にして、南にはフランス。そして海を隔てた海峡の向こう側にはイングランドがあるということ。

 神聖ローマ帝国は、カスティリーヤ王家と同じくハプスブルク家に連なるが、この国はカトリックとプロテスタントの和解を推し進め、双方どちらの信仰を領主が取っても良いと定めたために、決定的な国内の対立を回避できた一方で、そうした宗教対立においてはどちらの立場でも介入できない国家となってしまった。

 精々、領主レベルでの介入が関の山だし、下手に突けば内戦になってしまうという脆さの上に成り立っている。言わば神聖ローマ帝国とはスペインにとって血縁関係にあるにも関わらず、中立の壁としての役割しか果たせない。

 としたときに、現在フランスにて『ユグノー』と呼ばれるプロテスタント勢力が伸張して聖像破壊運動イコノクラスムと称してカトリック教会を物理的に攻撃していることが問題になる。

 加えてイングランドにてエリザベス女王が即位してから急速に国教会支持へと回帰している。まあ英国国教会と『ユグノー』を同一視して良いものかは疑問はあるが、少なくともフェリペ2世目線では明確に異端であり敵であることには違いない。

 だとしたときに、最悪のケースとしてはフランスがプロテスタントに転向して中立の壁を背にしたネーデルラントが異端に壁ドンされて動揺するというもの。


「――とはいえ、これについては対応策は既に協議してあります。我々はフランス王家を支持し、ユグノーの脅威に立ち向かうと」


 対応策とは、すなわちフランスの反体制勢力を駆逐してカトリックに押し留めることでネーデルラントの孤立を防ぐというやり口だ。とはいえ、ほんの2年前までフランスとスペインって戦争していたのに、もう同盟に準ずる関係になるのか……と思ったが、どうやらその講和会議にてフランス王家から18歳年下の王女がフェリペ2世に嫁いだみたい。歳の差結婚が流行っているのか?

 1つ1つの理屈を紐解けば理解できないわけでは無いが、ヨーロッパの外交関係が怒涛すぎてついていけなくなる。

 ほんの数年前まで、スペインにとってイングランドと神聖ローマ帝国が同盟国で、フランスと教皇領相手に戦争していたのが、今ではスペイン・教皇領・ヴェネツィアの三国同盟でオスマンに立ち向かう一方で、フランス王家と協力関係を結ぶようになり、逆にイングランドは国教会が伸張していくにしたがって不仲になっている、と。

 面白いくらいに関係性がひっくり返ってきている。


 と、したときに現実性の高い問題として警戒しているのが、フランスの宗教対立が激化し解決しないというパターンから、神聖ローマ帝国に続く第二の中立の壁になってしまうのではという懸念点。

 するとネーデルラントは2枚の壁の角に押し込められてイングランドに壁ドンされるわけだ。


「……とはいえ、現状ではネーデルラント救援のためにイングランドに対して戦争を仕掛けることは極めて困難と言わざるを得ません」


 そう秘書官が告げ、続けて話した理由は至極当然のこと。それは、大敗した地中海艦隊の再建に財政リソースを割く必要があるので、別方面で戦争を起こす余裕がないというものであった。

 そして、イングランドとの戦争になればネーデルラントとの重要な連絡線である英仏海峡をイングランド側が妨害するのは容易い一方で、スペインの経済的な中心地はネーデルラントのアントウェルペンにあるために、スペイン側は英仏海峡を使わなければグレートブリテン島を大きく迂回することとなり、効率が極めて悪くなる。

 で、効率が悪化すれば財政状況も悪化して地中海艦隊の再建も遅れてイングランドに注力できる時期も遅れるという悪循環に囚われてしまう。

 だからこそ、今この瞬間にイングランドに攻め入ることが出来ないのである。



「狡猾なのはイングランドを実効支配する庶子のエリザベスよ。明らかにプロテスタント寄りではあるが、一方で随所にカトリック勢力への配慮が残る対応も見せておる。

 こちらに余裕無き今、彼等の方に瑕疵が無いのであれば異端であれど口惜しいが直接は攻められん。高々、島の半分を抑えているだけの女主人に歯がゆいがな」


 そう語るフェリペ2世の言葉に少し疑問が生じた。


「……島の半分?」


 その私の呟きに膝を打ち、フェリペ2世は快活に答える。


「その通りだ。それこそがマルガレータをアイルランドに派遣する理由よ。

 其方には、アイルランドのカトリック勢力へのテコ入れの交渉に同行して頂きたい。

 ……上手く行けば、ネーデルラント・スコットランド・アイルランドにて、イングランドを逆包囲することが適うやもしれぬ」



 ……あっ、そうか。スコットランドがまだ独立している時代なんだ、この時代って!


これにルイ・ゴメス侍従長が追従する。


「加えて、現・スコットランド女王であるメアリー・スチュアート陛下は、フランス王と結婚しておりフランスを介してカトリックの連帯で繋がっております。

 かの女王は未だフランスに留まっておりますが、ブリテン島へと戻れば協調も出来ましょう。そして何より……イングランド王位継承権も有しておりまする」


「そのスコットランドとスペインの連絡線として、アイルランドを抑えたい……というわけですね」


「左様だ、マルガレータ。加えて言えば我が前妻亡き後のイングランドは、アイルランドに対する懐柔策から武力侵略へと方針が変わりつつある。一方的にイングランド側はアイルランド王などという称号を自称しているが、そのような妄言に教皇庁を始めとする国際社会は誰もまともに取り合っておらぬし、アイルランドも決死の抵抗を続けている。

 彼等が武力でアイルランドを攻め入らんとするのであれば、我々もアイルランドのカトリックを守らねばなるまい」


 ……まあ、イングランド側の立場から考えてみれば、ギリギリの綱渡りだなこりゃ。

 前門のフランス、後門のスコットランドは婚姻同盟で繋がっていて、スペインに対しては平身低頭して国内を固めねばならない。エリザベス女王にとっては、国教会の強化は、先代女王の政策からの一大転換でもあるのだから国外勢力の介入は何よりも避けたいところだ。

 としたときに、何とか経済的関係は築き上げているスペインも潜在的な仮想敵であることは言うまでもない。それこそフランスのユグノーが政権を握りでもしない限り外交的孤立がほぼ確定している以上、脇腹となるアイルランドを確実に抑えないと先が無いと考えるのは当然だろう。

 加えて、もっと単純かつ明瞭な理由がイングランドにはあるのだ。先のスペインとフランスの戦役に亡きカトリックの先代イングランド女王メアリーがスペイン側で参戦して大敗、大陸側領土を失陥しているのだ。つまり、戦国大名よろしく代替地としてアイルランドを抑える必要が生じたのである。


 そして、私にとって決定打となる一言がマテオ・バスケス秘書官から告げられる。


「……それと、これは本筋からは少しずれる話なのですが。ヴァルデック伯令嬢殿が、我々に求めている『フィリピン伯』なる庇護・・の対価として、ネーデルラント以外でも功を挙げる機会と捉えていただければ。

 純然・・であり無関係・・・であるアイルランドの救援。それを成し遂げれば、スペインの諸侯もヴァルデック伯令嬢殿の功績を正しく認めることとなるでしょう」


 妙に奥歯に物が挟まったかのような物言いであるが、今までのネーデルラント政策における私の活躍とされているものでは、誰のものともつかない僻地の爵位とて、スペインの貴族の末席に置くのには不十分であると言いたいのであろう。

 そして、そのネーデルラント政策の何が気に入らなかったかと言えば、おそらくは……プロテスタントへの融和策にも取れかねぬネーデルラント貴族に配慮したやり方。結局、コングレガティオ・マリアナというイエズス会系列の信徒団体を立ち上げてカトリックに趣旨変えをした私がプロテスタントにシンパシーを抱いているということを未だに疑っているのだ。まあ、この秘書官が……というよりかはスペイン貴族の総意なり風潮なりが、その方向ということなのだろうが。


 だからこそカスティリーヤ宮廷としては、そんなスペイン貴族を納得させるとともに、アイルランドの『救援』というやりやすい任務を用意してやった、という発想なのであろう。そう、これでも私のことを慮った上での対応なのだろう。

 プロテスタントに配慮することなく、カトリックに助力するというお題目を。確実に私の関係者の居ないアイルランドで、しかもプロテスタントに敵対するではなく同胞を助けるという名目の任にすることによって、私の心理的障壁を軽減させたつもりというわけだ。


 で、功を挙げさせてやれば、晴れて『フィリピン伯』を与えて私は宮廷に感謝、そして大貴族はフェリペ2世の統治機構外で動く私を遠隔地に排除できて大満足、宮廷は遠隔地の統制を私を利用してコントロールできるという実利に加えて私と大貴族双方から大感謝という流れということであろう。


 正直に言えばあまり気分の良いやり口ではない。が、このレールに乗れば私の目的も達成できることは概ね間違いないのも確かなのである。


「……承知いたしました。ちなみになのですが、アイルランドと一口に言っても、それなりの広さはあります。私はどこへ向かえばよろしいので?」


「イングランドによる自称行政府は、アイリッシュ海に面する東部の都市・ダブリンに置かれております。そこから北部と南部に対してはイングランドも浸透しておりますので、影響力の薄い西部。安全性を考えてクルー湾沿岸に向かっていただければ」


 ……それって逆に言えば、アイルランド全土の四分の三くらいは既にイングランドの手が伸びているってことじゃない? 本当に大丈夫なのか、これ?



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