第14話 白雪姫とエーボリ姫
若き隻眼の麗人であるアナとは思いのほかすぐに意気投合した。
24歳も年上の侍従長と結婚したアナと、『白雪姫』として王子に求婚されそれを断りつつもスペイン政局にて政治的影響力にその個人的関係を行使している私。
まあ、正直周囲の憶測で言われることはそう大差ないわけだ。
とはいえアナの場合だと、違うのが彼女本人もスペインの大貴族に連なる人物というわけで政治力の行使という意味合いだと、アナが件の侍従長を使っているわけでは無くむしろ、アナの実家の有するコネクションを侍従長が利用しているといった方が正しくなる。
でも……いや、だからこそか。それに歳の差まで考慮すると、色々と聞くに堪えない根の葉も無い醜聞が広まるのだ。
とはいえ『プロテスタントのクレオパトラ』などと言われている私がある程度の避雷針にもなっているわけで、そこがアナの好意的感触にも繋がるわけである。
で、このルイ・ゴメス侍従長の屋敷と言えば良いのか、アナの屋敷と言えば良いのか分からない家で世話になっているのは、現状私だけである。
ここまでの旅路で付いてきた面子のうち、まずヴェネツィアに付けられた護衛は任を全うしたということで、そのまま帰還。一応こちらからも給金は出しておいた。
そして、イエズス会修道会は当然スペイン国内にも点在するために、イエズス会修道士メンバーはそちらに滞在するとともに、そのネットワークを駆使してローマのディエゴ・ライネス総長との連絡を取ると言っていた。
後、メルカトル息子ことアーノルドだが、父親のパトロンであるアラス司教に挨拶すると言っていくつか荷物を持って行ってしまった。一応念のためにイエズス会士らと私から身分証明になるように手紙と、アナの紹介状も持たせたので問題はないと思う……多分。
そして、アナにフェンシングの話を振っていたら、いつの間にか話は少しずつ飛躍していった。
「――わたくしがフェンシングをやっていたのも、ひとえに貴族たる者武芸を嗜むべきという教えがあったからですわ。……わたくしは『女の身なのに注力しすぎ』と怒られたこともありましたが、スペイン貴族の間で武芸が大事になる理由は分かりますわよね? わたくしのお爺様お婆様の代の頃は、レコンキスタの真っただ中で国内に外敵が居る状態でしたので……」
「レコンキスタというと、イスラーム勢力をイベリアから駆逐したという……」
「ええ、その通りですわ。それ以後カスティリーヤ王家は軍を強くすることに邁進致して、今日の世界に名だたるスペイン軍が形成されておりますの。
マルガレータさんは知っていらっしゃる? レコンキスタの頃は異教の城砦を攻略するために片手に盾を持ち別の手に槍などを持って、敵拠点から投射される遠隔攻撃を防ぎつつ攻め入るやり方を取っていましたが、昨今は野戦で勝利を掴むための兵制に移行しております。
……テルシオは知っていらして?」
テルシオについては何となく聞いたことがあったけれども、詳細は知らなかったのでアナに説明を求めると、どうやら件の財政悪化の要因でもあるようであるが、スペインの常備軍組織のことを指しているようだ。
テルシオがスペインの軍の強さを体現する存在であり、何故そこまで強いかと言えば、まず現地指揮官の独自裁量権が認められており、戦闘に応じて陣形や戦い方の流動性が担保されていること。完全無欠の最強の戦闘方陣などは存在しないので、現場での対応能力の高さとそれをこなせるだけの練度がまず1つ。
そして、士気の高さと敗走率の低さ。編成地ごとにテルシオは人員がほぼ固定されており、本国出身者のみで構成され何より名誉の職であること。だから他の軍隊と比べて敗走する割合が段違いで低いのだ。加えてこの時代の主要なヨーロッパにおける戦闘は兵員の損耗による士気崩壊をどちらが先に起こすか根競べ染みたものであるため、敗走率の低さがそのまま勝利に直結する場面が多かったという絡繰りなのである。
だからこそ、テルシオだけではなくヨーロッパの軍勢の多くが防御偏重というか堅陣を敷く流れになったわけで、そこに銃火器も加算されるとなれば動きが鈍重になっていくわけである。
一通りの説明を聞いて納得した私は疑問点をアナに聞く。
「でも、そうすると……。速度が損なわれるのではなくて?」
「マルガレータさんのおっしゃる通りですが、『海』という素晴らしい道があるではないですか。陸上で劣る速度は船で輸送すれば良いのですよ……まあ、その栄えある海軍も地中海艦隊はオスマンによって損耗させられたので再建中ですが……」
ああー……、そこであのオスマンとの海戦がじわりじわりとかかってくるわけね。
というか、陸上ではヨーロッパ最強の軍勢、そして海上ではポルトガルと並ぶ海上覇権国でかつオスマンの一線級艦隊を一身に受け止める存在。
「それだけではありません。我々貴族やエンコメンデーロらは独自で私兵を持っていますし、同君連合であるナバラ、アラゴンも独自の軍を有しています。更にその他にも騎士団もありまして我が夫はカラトラーバ騎士団の管長を兼任していたりもします。
――何より、それに加えてテルシオには『ガレオン船』で編成される上陸作戦特化用の部隊も陛下は新設致しましたのよ」
……そっかー、海兵隊も組織していたのかー。
財政問題って完全に自業自得じゃないですか、これ!
*
「……それで、陛下に謁見して何を望むのですか、マルガレータさん?」
「太平洋航路が開拓された後に、ジパングへと」
「前教皇の残党に狙われているのでしたっけ? ……まあ、逃亡先としてみると大げさではありますが……悪くはないですね」
確かに、オスマン帝国との海戦敗北の責を私に擦り付けようとしている勢力から逃げるという理屈でスペイン本国まで来たが、その論理で日本まで行くのはちょっと仰々しすぎる。
でも、その認識でアナは『悪くない』と言うことは何かある。
「……悪くない、とは?」
「――ああ、いえ、すみません。そこまで難しい話では無いですよ。
マルガレータさんについては先に話した通り、陛下からのご寵愛という体裁で政治工作をしているという認識がスペイン大貴族の大勢ですので、あまりこの本国では快く思われていないのですよ。ただでさえ我が夫のような宮仕えの者に対する不快感が顕著な上でのことになりますので……」
「あー……成程。下手に宮廷政治で私の影響力が出るくらいなら、他ならぬ私が外に出たいと言ってるのだから、本人の希望に併せて追い出してしまえ、と。
まあ、そういうことであれば願ったり叶ったりなのですが」
「しかし、問題というか折角陛下に近しいのだから、独断専行著しい僻地のエンコメンデーロの統制もマルガレータさんに担わせたい……というのは理解した上での提案なのですよね?」
「ええ、まあ、そうですね」
確かにカスティリーヤ王家の権勢と直結する私が東アジアに送られる予定のスペイン関係者の統制を担うことをメリットとしてフェリペ2世にプレゼンテーションすることは考えていた。
「――だとすれば、スペイン貴族としての爵位を有していないことが問題になるかもしれません。一応正式な肩書きでは、あなたは神聖ローマ帝国の一領主の娘でしかないのですから」
「新規貴族家として独立する必要があると……。ではフィリピン伯とかそういう感じですか?」
ここで、お父様の話と接続するわけか。しかし自分で口に出してアレだが、フィリピン伯とか違和感しかないな、絶対現行の爵位制度に無いでしょこれ。律令制度に存在しない『琉球守』という官職を豊臣秀吉に欲した亀井茲矩並みにぶっ飛んだ発想だという自覚はある。
「フィリピン伯ですか……いや、それ意外と良いかもしれませんよ。
絶対現在の貴族の誰とも競合しないですし、副王領に統合するよりかはカスティリーヤ王家の臣下として直結していることにもなりますし。
……何より、『フィリピン』という彼の地の名が『フェリペ』陛下の名を由来にしているところから、ここまで突き抜けて媚びている印象を与えられる爵位名は、いっそ痛快ですらありますよ」
『フィリピン』の語源ってフェリペ2世なのか。
だから、フェリペ2世の愛人だと思われている私がフェリペ2世の名を冠した地の爵位を要求していることに。うわあ、それだけ聞いたら完全に悪女の類だ。最早『白雪姫』はおろか『白雪姫の継母』すらも凌駕する悪の権化と成り果てている。
でもそのわざとらしさと悪趣味さがかえって受ける、と。
いやあ、屈折してんなあ。
私が苦笑いを浮かべているとアナは続ける。
「ですが、保険も用意しておいた方が良いと思いますよ。陛下は聡明な方ですので、我々の想定を上回る案を提示してくるかもしれませんので外堀を埋めてしまうことで、選択肢を狭めておくことも重要かもしれません」
「……あっ、それならちょっと心当たりあるから、やってみますよ」
私はそう言ってフェリペ2世との謁見までの日に、イエズス会メンバーに会ってイエズス会の管区区分である『インド管区』の広範さを指摘し、『フィリピン・日本』を統合する新たな布教地域を準管区に昇格するように提言しておいた。
確か、もうフロイスがポルトガル航路を利用して来日していたはずだが、イエズス会上層での決定が上手く成されれば、フロイスも流石にポルトガルのことをイエズス会よりも優先することはないだろうから、決定的な対立は避けることが出来る。なるべく同じ修道会で足並みが揃わない事態は避けたいから、その準管区の責任者にフロイスか、はたまたこちら側の有力人物であるオルガンティノが就任するかは敢えて明言を避けてイエズス会総長に一任するということとした。
*
――で。そこまで準備した上でマドリードの新宮殿にてフェリペ2世との謁見の当日。
フェリペ2世が挨拶もそこそこに、全く予想だにしないことを口にしたのである。
「――ラモラールとルイ・ゴメス侍従長より話は伺った。
そこで私としても考えてみたのだが、マルガレータよ。
一度、アイルランドの救援に向かってくれないだろうか?」
……はい!?