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第13話 隻眼の麗人


 エグモント伯はすぐにでもネーデルラントから出られるように準備してくれていたが、この地の統治方法を室町幕府化する仕掛けを仕組むために少し長く滞在することとなる。


 とはいえ、その仕掛けそのものもエグモント伯が主導して、方々を動かす方針になった。……いや、私はネーデルラントの領主に関する情報が無いからね。

 それでも、ちょっとだけ手伝ってるうちに少し趨勢が見えてきた。ネーデルラントには大きなところで17の領邦があるが、エグモント伯が知事として統治しているフランドル地域は南西部――即ち私の知る地勢区分ではベルギーの沿岸部にあたる領域だ。

 そして南部諸邦は比較的スペインへ好感を抱いているのに対して、北部は少々危うさがある……というかその北部がそっくりそのままオランダな訳だが。

 ちなみに、かつてルイ・ゴメス侍従長の進言によって私が妥協を提案したことになっている三部会というのは、細部が異なるものの概ねこの17領邦の代表者会議という理解で良いとのことだ。まあ複数領邦の意志を代弁する者や、同じ領邦でも言語の違う地域から別個に代表を出すケースなどもあるので一概には言えないが。


 なお、ネーデルラント南部地域がスペインに親近感を抱いているのは比較的単純で、先代の神聖ローマ皇帝の時代からネーデルラントで行政を行う際に中核となったのがブリュッセルであることが大きい。後は、南部はフランスの軍事的脅威に晒され続けるのでスペインという強国の庇護下に入っている必要があることとか、この南部諸邦を分断するかのようにリエージュ司教領があってここは前教皇であり私の命を狙う残党を遺してくれたパウルス猊下が勅書を出し司教領の再編を行ったことで財政が大幅に悪化した関係で、パウルス猊下の敵であったスペインにシンパシーを抱いているとか何とか。

 もっとも南部と北部の境にあるアントウェルペンはブリュッセルを領都として治めるブラバント公国の支配下なんだけどね。で、ブラバント公爵位……というか大体この辺りの領邦はハプスブルク家の世襲であることを考えるとアントウェルペンにおける反スペイン感情は燻っていそうなイメージがある。


 そういう面もあるので一概に北部が反スペイン、南部が親スペインと区分することは難しいものの、エグモント伯が懐柔しようとしているオラニエ公ウィレムは北部のうち3州に強い影響力を持つため、エグモント伯が主導して動くことにより期せずして南北合同の動きとして室町幕府化の動きを加速させることができる。



 まあ、そこは三部会を誘導するなり、きっとエグモント伯が上手いことやってくれると期待して私はその空き時間に別の一手を打つ。


「……あの、マルガレータ様。アントウェルペンより指定された荷を購入してきましたが」


 エグモント伯がフランスとの戦役であったときにはフランドルの軍事指揮官であり周辺の騎士を統制していたことを挙げて、これ幸いと私に付いていたヴェネツィアの護衛の方に対してアントウェルペンまでの『おつかい』をお願いしていたのである。

 ……アントウェルペンではプロテスタント傾向が強いようなので、そんな所にイエズス会面子を入れるのはリスクがあり、かといってアーノルド君に任せるには実績が乏しいので、同じ商人的視点を持っているヴェネツィア出身者に任せる方がましということで彼等に頼み込んだ。

 その届いた両手で持てるくらいの大きさの荷箱を開ける。その中の様子を好奇心からかいつの間にか一緒に居たヴァリニャーノが声を出す。


「これは……瓶ですか?」


 箱の中には瓶が割れるのを防ぐために衝撃防止用の瓶の形と同じ籠に入れられた上に、木箱の空きスペースには藁が敷き詰められていた。瓶の数は……6本か。


「ええ、アントウェルペンには何でもあるものね。これ全部レモン果汁ですよ」


「レモンなんて高いでしょうに……。こんなに沢山の果汁を一体何に使うので?」


 その質問に私は答えるか一瞬迷ったが、どうせバレるだろうと思い直し答えた。


「ええ。ちょっと壊血病対策をしようかな、とね」


 壊血病がビタミンCの不足で起きることは、流石に私も知っていた。だけど、逆に言えばそれしか知らない。そしてビタミンCと言えばレモン、これも単純。

 多分、もっとスマートな方法は無数にあっただろうけれども、対照実験なんてしている暇はないので、お金が掛かろうとも確実な対策に手を伸ばしたというわけだ。


 問題は、この手法を表に出すことで壊血病患者が減ることでヨーロッパによる植民地支配が進みかねないことだが、少なくともスペインにおいては新領地獲得事業よりも、末端組織であるエンコメンデーロの統制に腐心していた。そして現状新天地を求めてカスティリーヤ王家の意に沿わないがスペインの威光を笠に侵略行動を取る者らは裕福ではないため、レモン果汁による対策は高価なのであまり意味はないだろう……いや、あまりにも劇的だったらレモンのプランテーション農園を造成するとか自弁する工夫をするのかな。


 そして、私個人としてはそうした『征服者』が今後活躍するとはあまり思っていない。だって、アジア方面に私が行くとすればスペイン中枢から監督権限はある程度渡されるだろうし、私を使っての遠隔地統治の統制を握ろうとするはずだ。だからこそ、アジアにおけるスペインの動向は上手く行けば私が掌握できる。

 と、同時にポルトガルとは『香料諸島』の関係から、対立姿勢で行くと思うし、ある程度はポルトガルの影響力も減退させることも叶うかもしれない。


 まあ、それ以外の地域でどうなるかはぶっちゃけ手が出せないが、だからといって壊血病の対策を止めるつもりもない。


 色々と理屈をこねたが、結局自分が壊血病になって苦しむのは嫌というだけだ。

 世界の今後の行く末などというものを考えて壊血病のリスクを背負うくらいだったら、そもそもこのヨーロッパから出ようとせず、政治的関与もせずに、私は白雪姫の物語を踏襲して『ハッピーエンド』を迎えれば良かったわけだし。

 物語を壊した以上、『歴史』などというものに配慮してわざわざ自分でリスクを背負うことはするつもりがないのである。


「レモンが壊血病の対策になるというのはどなたから聞いた話ですか?」


「あー……オルガンティノ先生。パドヴァ大学の文献で目にした話で……」


 取り敢えず本で読んだという万能言い訳を使う。しかし、それに対するオルガンティノの返しは早かった。


「どんな文献を目にしたのですかマルガレータ殿……。パドヴァには植物園もあるのですから少しでも信憑性の確かな文献であれば必ず調査をしているはずですよ。それが為されていないということは、見落とす程に真偽不確かな蔵書であったのでしょうね」


「というか、マルガレータさんが大学の書庫を訪れているところを見た記憶があまりありませんが、何時頃に見たものですかね。盗難防止用に鎖付きの棚で保管されていたはずですし、閲覧には許可が必要であったと思いますけれど……」


 ……やべ。安易な嘘はすぐに看破されるな。その焦る顔を見たオルガンティノもヴァリニャーノも溜め息を付く。


「まあ、個人の趣味で飲む分にはとやかく言いませんよ。マルガレータ殿の個人資産で買ったものなのですし」


「……ちなみに、壊血病の原因って何って言われています?」


 思えば、天動説にしろ地図にしろ後世にて正しいものか否かはさて置いて、理屈はしっかりと考えられているものばかりであった。少なくとも現代知識などという名の付け焼刃では反論が難しいことであったが、もしかして現状の壊血病の認識も似たようなものなのであろうか。

 オルガンティノが答える。


「私は医学はからっきしですし、占星も多少かじっただけですので又聞きにしかなりませんが……。

 地域格差があるので、海上の気象現象に起因する病気、ないしは風土病のようなものだと考えられているはずです」


 あー……。長い航海でビタミン欠乏症となり発症するという部分が、航海しているエリアに起因する問題だと考えている訳か。確かに、何も知らなければそう言われれば納得してしまうものがある。

 その説明に一定の理解を示した私の様子を見つつ、クラヴィウスが話す。


「――というか、そもそもネーデルラントからスペイン本国の間では、壊血病の報告はほとんど無かった気がしますが……」


 あれ? そうなんだ。

 というか、ビタミン欠乏で発症するという理屈は知っているけれど、どれだけビタミンを摂取しなかったら壊血病になるのかは知らないし……、更にこの時代の航海にかかる日数も全然分からない訳で。



 結局、酸っぱさに泣きながら大量のレモン果汁を1人黙々と船内で飲み続ける羽目になるが、それはまた別の話。




 *


 出航から2週間くらいでスペイン北部の港町であるヒホンに到着した。

 船酔いが凄い。船の種類には詳しくないので帆が張られた船であることしか分からなかった。そういえばオールを使って人力で漕ぐか風を使うかの2択なんだっけ、動力って。エンジンって絶対この時代じゃないだろうし。


 ヒホンの町は、小山のある岬に砦が築かれていて、奥まった湾内の海岸線に船着き場が造成されていた。結構古くからある港町っぽい雰囲気である。


「それで、スペインの宮殿って……確かバリャドリッドとトレドにあるのでしたよね? そのどちらにフェリペ陛下はいらっしゃるのでしょうかね」


 そう言えば、スペインには首都機能というものが無く、国王の居る場所がそのまま政治拠点になると伺っていた。まあ、先代が神聖ローマ皇帝とスペイン国王を兼ねてスペイン・ドイツ・イタリアにネーデルラントを包括する領土を治めていたとなれば、それはそうなるのも納得である。


「いえ、現在はマドリードの新たな宮殿へ居を移しておりますよ」


 いつの間に新しい宮殿を作っていたのか。マドリードって確かイベリア半島のど真ん中みたいな場所にあったはずだから、半島の北岸である現在地・ヒホンからだとイベリア半島を半分縦断する形になるね。うん、遠い。




 *


 結局、マドリードに到着したのは1週間後であった。直接アポなしでフェリペ2世の住む宮殿に行くわけにもいかないので、早馬を使ってルイ・ゴメス侍従長の家にとりあえず滞在する運びとなった。

 思えば、スペイン本国に仲が良い人って全然居ないな。フランシスコ会修道士でネイティブアメリカンの強制労働に反対するラス・カサスさんもスペイン在住ではあるけれども、まだバリャドリッドの修道会にて引っ越しの準備をしているとか何とかで忙しいらしいという報告は上がってきていた。

 ラス・カサスさん自身高齢だし、大きな移動を伴う引っ越しは色々と大変だろう。引っ越し先はこの街、マドリードらしい。


 まあ、それはともかくとしてルイ・ゴメス侍従長とも最後に会ったのは4年前に1回きりなので、挨拶をする。


「ええ、ええ。お話は、既にラモラール……いえ、エグモント伯より伺っています。私の方で陛下への謁見のスケジュールは見繕っておきますので、それまでは我が屋敷にごゆるりと滞在してください」


 ルイ・ゴメス侍従長とエグモント伯って旧知の仲だったんだ。知らなかったわ、意外な繋がりがあるものだ。

 ……でも、言われてみればおかしくないのかもしれない。エグモント伯はネーデルラントの貴族ではあるものの、亡きイングランド女王メアリーとの結婚を差配するといった外交にも関わる要人であったし、宮廷メンバーであるルイ・ゴメス侍従長もまた、長らく戦争指揮のためにネーデルラントに常駐していたフェリペ2世に近侍していたことを踏まえればいくらでも会う機会はあったのだろう。

 というか、財政特別委員会のトップでもあったっけ侍従長。それで私の策ということになっているアントウェルペンへの工作を行っていたとすればそこで繋がる可能性すらもあるわけで。


「とはいえ、これからすぐ宮殿へ戻るので、皆様の身の回りのことは妻に一任することとなりますが……」


「妻……?」


「おっと、マルガレータ嬢にはお話しておりませんでしたか、これは失敬。

 であれば早々と顔合わせをしてしまいましょう。スペイン大貴族のメンドサ家の分家筋にあたるメリト伯を父に持ちますアナでございます」


 その言葉とともに、部屋へ簡便なドレスを纏った人物が現れる。現れたのは私よりも年下であることが分かる女性であった。ティーンか二十歳前後といったところか。侍従長と並ぶと夫婦というよりかは最早親子ほどには歳が離れている。


「アナ・デ・メンドサと申します。以後お見知りおきを」


 その歳の若さを感じさせない老練で整った所作に圧巻されつつも、上げられた顔を見ると相当な美人であることに加えて、1つどうしても聞かずにはいられない点があった。


「……あの、アナさん? その……右目の眼帯は……」


「ああ、これでしょうか。昔、フェンシングをやっていた折に少しありまして……。右目を失っただけですわ」



 若くて美人で、フェンシングを嗜むスポーティーな側面のある隻眼の麗人。


 ちょっと、属性過多じゃないですかね……。


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