第12話 聖像破壊運動【イコノクラスム】
「……お父様。どうして此処に……」
カトリックとプロテスタントの交錯する神聖ローマ帝国。
「ユーリヒ=クレーフェ=ベルク公より急使がやってきてな――『貴殿の娘が我が邸に来ている』とね。
折角の機会だし……こうして訪ねたわけだ」
ヴィルヘルム公は、カトリックではあれど『中道』を標榜する人物であり、神聖ローマ帝国内部での宗教対立から距離を置いている。だからこそ、プロテスタントである父を自分の家に招くなどという所業が可能となるのだ。
「マルガレータ。お前の話は、よく小耳に挟むよ。随分と派手に動くから一挙手一投足が我が領まで流れてくるものさ……。
よもや『クレオパトラ』になぞらえて揶揄されるなど、一介の貴族令嬢ではあり得ぬわい」
「あはは……それは私自身もどうしてこうなったのかと常々疑問に思っていますよ、お父様」
苦笑いしながら受け答えをする。
「……そうであろうな。お前がスペインの王に気に入られたのが悪いから諦めよ」
そうすれば、お父様も当意即妙の返しでバッサリと私の発言を切り捨てる。確かに実際、ハプスブルク家のブリュッセルにある屋敷に人質交換として滞在するようになり、そこでフェリペ2世に出会ったところが全ての始まりであったのかもしれない。
『七人の小人』が現れることなく『王子様』に出会った私は、おそらくその時点で白雪姫の物語から大幅に乖離していたと言わざるを得ない。
「で、お父様。まさかそんな世間話をするために私に会いに来たわけでは無いですよね?」
私がそう告げれば、驚いたような顔を見せつつも次の瞬間には表情を戻してこう告げられる。
「……まあ、先に用件は済ませておくか。マルガレータよ。お前はこの欧州から飛び出す算段だな?」
「ええ、その通りです」
「であれば。……これが今生の別れとなるかもしれん。そうなれば我が子のうち誰にヴァルデック伯を継がせるかはまだ決めておらんが、2度と家の門をくぐれると思わない方が良い。大方、スペイン側で爵位なり立場なりを得てもらった方が良い」
まあ元々家を割るための策であったけれども、本格的に私は別家を立てる覚悟をしろということか。それは別に予定通りだから構わない。しかし、気になったのは……。
「――お父様、どこか身体が悪かったり? 随分と弱気なのでは」
今生の別れという言葉がどうしても気になった。
「……私も今年で67だからな。長く生きてきた自覚はある。
今、持病があるという訳でも無いがね。よくよく考えてくれ、マルガレータ。新大陸はおろか、そこから更に大洋を渡るのであろう? 1、2年で成し遂げられることではないではないか。
であれば、もう会えぬと思うのは自然なことではないか」
……確かに。
日本は遠い。そして、そこへ至る航路は、スペイン側からではまだ完全に開拓されていないとすれば尚更だ。
時間が掛かるということは理解していたつもりであったが、そうだね。お父様に残された時間を比較衡量すれば、結論がそうなるわけか。
「まあ、そういうことであれば。スペインの役職か、ヴェネツィアかはたまたイエズス会関連か、どれになるかは分からないですけれど」
「その辺りは勝手にせい。……しかし、イエズス会の庇護を求めたのは正解だと私は思うぞ。良き師は得られたようであるしな」
そう言えば幼少の頃、ルターのような人物に師事を受けて教養を身に付けよと、このお父様は言っていたっけ。まあ宗派をがらりと変えてしまったが、結果的に高等教育の拡充を重視し、会士や修道士に対しても確たる知識を求めるイエズス会――まあ厳密には所属先はその信徒団体であるコングレガティオ・マリアナだけれども、ともかくお父様としてはカトリック側での正解を引き当てた心持ちなのだろう。
ちょっと、悪戯心が芽生えたのでお父様に自慢も込めて話をする。
「実は、ミケランジェロ・ブオナローティ様にお会いして、少しお話をいたしました」
「……ほう、あの著名な彫刻家である氏か。それは聞き及んでいなかったな。何を話した?」
流石にこれにはお父様も感嘆の声を挙げ、その中身について尋ねてきた。
当代随一の天才であるミケランジェロに聞いたことは『転生』の存在そのもの。
「――私の今後の進退と在り方について、ご教示頂きました」
どうしても抽象的な物言いにはなってしまうが、お父様はどうやら大意は掴めたようだ。深く頷き、私の肩を軽く叩いた後に、こう告げた。
「……成程、道理で。私と共に過ごしていたときのお前は、ずっと何かに怯えるような素振りを見せていたが……吹っ切れたようだな」
白雪姫の物語を恐れていたことがバレていた。
「はい。やっと……自分が何者なのか、見つめ直せた良き機会だったと思います……お父様」
「結構。最早、道が交わることは無いだろうが……健闘を祈るぞ。信仰が変わろうとも、場所が変わろうとも、我が娘である事実は変わらぬからな」
それだけ言って、お父様は去っていった。
……此処で会えて良かった。掛け値なしにそう思えたのである。
*
「ヴィルヘルム公。……大きな恩が出来ました。
父と引き合わせて頂き、感謝いたします」
出立の日にヴィルヘルム公に感謝の意を告げると、私の同行者らは驚きの声をあげていた。私から話すこともないので黙っていたが、ヴィルヘルム公も秘匿してくれていたのだろうか。
そして肝心のヴィルヘルム公はおどけた様子でこう答えた。
「……はて? 何のことか全く分かりませぬな!
もしお会いしたというのであれば、偶然かあるいは神の差配か……そういった類のものでしょう!」
まず間違いなくこの方がお父様を呼び寄せたはずだが、白を切る様子。……あくまで偶々出会っただけということにしろってことね、そうした方がこの御仁にとって都合が良いのであれば別にそれで良いけれど。
「……そういうことであれば。ですが、偶然にしろ神の御業であるにしろ、それはヴィルヘルム公の日頃の行いがあればこそでしょう。そのお零れに預かったことは感謝せねば気が済みません」
「はっはっはっ! 日頃の行いであれば、確かに心当たりは多々ありますな。何せ善行しかしておりませぬ故!
マルガレータ嬢。貴殿の活躍を噂話で聞けることを楽しみにしているよ」
そう言ってヴィルヘルム公は立ち去って行った。……何だか、色々と助けてもらっちゃったな。
「……さて、新しいメンバーも増えたことですし先を急ぎましょうか」
オルガンティノがそう告げれば、その新メンバーであるアーノルド・メルカトルが声を張って答える。
「はい! これからよろしくお願いいたします! マルガレータ様と皆様!」
私達にヴィルヘルム公はネーデルラントまでの渡りと、若き地図作製者を惜しみなく与えてくれた。その大恩をいつか返せる日は来るのであろうか。
*
「既に船はご用意しておりますので、天候と海の様子次第では明日でもすぐに出立できるように致しております」
「あら、ありがとうございます……エグモント伯。しかし、準備が手早いですね」
道中は何事もなくあっさりとフランドルまで入ることが出来た。
そしてエグモント伯、彼ともお父様と同じくらい久しぶりの再会である。しかし、随分と急いでいる点を訝しむと彼はあっさりとその理由を明かした。
「……どうもフランスの情勢があまり芳しくなく。プロテスタント……フランス国内のカトリック勢力からはユグノーと呼ばれているようですが、王家が事態の収拾に失敗したようで、カトリック教会に対しての聖像破壊運動が行われております。それに対して有力諸侯が異端殲滅を掲げているとかで、最早妥協の見込みのない状態になっております。
表立ってネーデルラントに攻め込む危険性が低いかとは思いますが、万が一のこともございますので……」
フランスの状況は、これまであまり耳にしてこなかったが随分と危険水域に達しているようだ。折角スペインや神聖ローマ帝国と講和を結んだのに、今度は内憂に対して対処せねばならないとは大変なことである。
しかし、破壊活動まで行われているとは。今までの宗教対立の中では最も過激な行動かもしれない。
その言葉を聞いたヴァリニャーノは口を開く。教皇との繋がりのある彼にとっては、フランスの目と鼻の先の領地を差配するエグモント伯から、より細かな情報が聞きたいというのも当然の摂理であろう。
「エグモント伯……ネーデルラントにそれが飛び火する危険はありますかね?」
「――現状では、ほぼ対岸の火事であると認識しています。
確かにネーデルラントもプロテスタント信仰が根強い地域ではありますが……フェリペ陛下がネーデルラントの宰相職を三部会に委任した4年前の出来事が、大分旗色を変えましたな。
……他ならぬマルガレータ嬢の功績によって、ネーデルラントでは恐らくフランスのような事態へと進展することは無いでしょう」
宥和政策が効いている。エグモント伯自身も確かネーデルラント出身の貴族であったはずだ。かつてはフェリペ2世と行動を共にしていたことからカトリックではあるだろうが、彼が治めるフランドル地域の有力者などはプロテスタントも多かろう。
確かネーデルラント総督はフェリペ2世の姉上だったはずだから、上手くその辺りも回避している感じだ。
まあ、正直私としてはこのネーデルラントの独立が、日本でのカトリック影響力の減退に繋がりかねないので、この調子で独立をとにかく阻害出来れば何を信仰していようともどうでも良い。
「……ユグノーとやらの関わりはなるべく遮断した方が良いかもしれませんね。下手に手を出すとまずいことになりかねないです」
「それは理解しております。ですが海を隔てたイギリスでは既に政府主導でカトリック教会の解体も行われておりますので、このフランスの動きも合わせると、スペインを刺激しかねないかと心配しております……。
マルガレータ嬢。何かネーデルラントの安定を守るための良案はありますか?」
あっ、そう言えば亡きメアリー国王とフェリペ2世の婚姻を推し進めていたのは彼だったか。だからイギリスの動向にもチェックが入る。確かに、ネーデルラントの現状は厳しいように思える。というか、スペインがプロテスタントの弾圧を行う理由に溢れている。
カトリックの権威が低下したとスペインが見做せば必ずプロテスタントの規制が行われるだろう。しかし一方でカトリックの権威を不必要に強化すれば、現在のプロテスタント支持の有力者の不満が溜まり独立機運が高まってしまう。
……手詰まりじゃないかな、これ。いや、ネーデルラントの独立は何としてでも阻止しなければならない。
独立を防ぐには国内の内部対立を緩和する必要がある。……あっ、そっか。国内諸侯が対立するなら調停者を作れば良いんだ。即ちネーデルラントの公権力を室町幕府化してしまえば良い。そうすればカトリックやプロテスタントといった守護大名もどきが互いにぶつかり合っても、明らかにカトリックに肩入れするであろうスペインの介入なくしても両派の妥協が実現できる。
「……ネーデルラント宰相職の白紙委任を上手く使いましょう。権威がありながらも、カトリックからもプロテスタントからも等距離な人物を宰相として祀り上げて、国内対立の際には彼の者の裁定に委ねましょう。名目上は宰相とフェリペ陛下の姉上である総督との合議にでもすべきですね。
肝は、宰相の調停の実績を積み重ねることです。ネーデルラントの領主らが宰相の決定を無視すれば必ずやスペインが動きますから。
……問題は、それに該当する人物が居りますか?」
「……マルガレータ嬢、あなたの知見は……いえ。
うってつけの人物が1人……当代のオラニエ公――ウィレム様が適任でしょうな。マルガレータ嬢もよく知るマリア・フォン・カスティーリエン様の下で教育を受けたスペイン王家とも近しい人物です。先代の神聖ローマ皇帝の侍従として仕えた経歴もあるのでフェリペ陛下もその人選に否を突き付けることは無いでしょう。
そして、オラニエ公は饒舌であり誰とでも付き合うことのできる社交性の高い御仁ですので調停役としてはこれ以上ないかと」
オラニエ公ウィレム。うん、知らない人物である。けれども、ネーデルラントに手数を持たない私は、まあ最悪時間稼ぎでも良いからと割り切ってエグモント伯を動かすこととした。
となると、スペインに辿り着いたら再びフェリペ2世にネーデルラント政策に対して話し合う必要がある。あの熱烈なカトリック信者である国王陛下に再びプロテスタントとの妥協政策を告げるのも、そして再び政治介入せざるを得ないことで批判されることを考えると……憂鬱だ。