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外伝41話 結実


「フィリピン伯様、結論から申し上げましょう。

 現地人勢力の擁する船は、我々やポルトガルの有するガレオン船とは構造が異なります。ですのでガレオン船ではございません」



 連れてきた技師団らの報告を貸し出された屋敷の一室で聞く。その部屋は貴人に貸し出すことを意図してか畳が並べられ、その上からエスニックな絨毯が敷かれており華美なテーブルと椅子が用意されていた。

 ここまで言えば、私が今どこに居るのか疑問に思う者も居るだろう。


「……では、此処の――『幕府水軍操練所』の艦が外洋を航行するのは厳しいということでしょうか」


 摂津国兵庫津(ひょうごのつ)の幕府水軍操練所。そう。今の私は再び日本を訪れていた。ダトゥ・シカツナから情報を聞き出したのちに、細川藤孝と連絡を取り合って再度日本へと渡航する旨を伝えたら、寄港先にこの兵庫津を指定されたのだ。

 すると四角帆が3枚掲げられたガレオン船と遜色ないサイズの船が、数隻停泊していたのでその検分を技師らに委任した、ということである。正直私には船の見分けは付かないので、ガレオン船と言われればガレオン船にも見えるし、そうではないと言われれば違うのかと納得出来る船がそこにあった。


 そして、私の疑問に対する技師団代表の回答はこうであった。


「正直に申し上げれば未知数です、我々も知らない船ですので。ただしこちらの船大工から提供された資料に翻訳の齟齬が無い、と仮定すれば理論上はやれないことはないでしょうが、ではどこまでの荒波に耐え得るのかと問われてしまえば技術者として結論を出すことは出来ません」


 まあ彼等の立場を擁護するのであれば、勝手知らぬ船に対して『出来ます』と豪語したとして、それが誤っていたら沈没となるわけだから無責任なことは言えない。だから曖昧な物言いになってしまうのは仕方ない気がする。でも不可能であれば不可能と断じたはずだ。本当に何も分かっていないのであれば『現地部族が作った謎の船』相手なのだから安全マージンを取って『無理』と結論付けた方が遥かに楽だし確実である。

 にも関わらず、ここまで悩み抜いている技師団は少なくとも、そこにある船に真摯に向き合っているようには思える。


「ガレオン船と異なる部分をお聞きしても?」


「大きな特徴は2つです。帆の形が異なることとと巨大な櫂と思しきものの存在ですね。帆は付け替えればどうとでもなりますが、ガレオン船においては帆や錨を操作するスペースに現地大型船と似たような機構が見られます。

 それと、細かいことにはなりますが喫水線の上部にある排水口も相違点ですね」


 巨大な櫂とはおそらくのことであろう。手漕ぎ船装備であることには違いなく、ガレオン船には本来附属していないものである。つまりこの幕府船の原型はおそらくジャンク船からの派生なのだろう。

 更に別の技師が話を続ける。


「懸念としては構造的差異が大きいので、我々がこの船を修理するのは時間がかかるということでしょうね。手っ取り早いのはこの国の現地住民の船大工を雇用してしまうことででしょうが……」


 船の特徴云々よりも最大の問題はそこであろう。よく分からない船だから、同行させると修理できない可能性が生じる。まあ私としては艦種の区別はつかないが、ガレオン船技術を模倣したジャンク船のような和船ということであれば、おそらく末次船のような、私の知る歴史における朱印船に類するものなのだろうとは思っている。出てくる時代が早いけれども、日本史のぶっ壊れさ加減は私が唯一正確に理解できるものだし今更な話である。

 しかも朱印船水準まで到達していれば少なくとも東南アジアでの運用は問題はない。だって普通に往来していたわけだし。


 とはいえ私には技術的な部分はさっぱりなので、今ここにある幕府船が朱印船レベルの機能を有しているのかは分からない。

 分からない以上は、判断を留保する。そして今までスペイン語で行っていたやり取りから日本語に切り替えて、テーブルの対面に座っていた人物に一通り説明する。


「――という判断になりますが、貴国といたしましてはどうお考えですか……織田信長殿?」


 私達の報告がなされている時間を待っててくれたとも取れるが、そもそも本来機密に類するやり取りを行う最中追い返せないレベルの相手というのはそう多くないのである。

 一応『フィリピン伯』の地位はフランシス・ドレーク追跡のために艦隊を出発させるまでは有効なので、その事前準備として日本に赴いている今は辛うじてまだ私は『フィリピン伯』であり、副将軍・織田信長よりも格上となる。まあ爵位という肩書きが無くても上座に案内されそうだけどね。


「流石に10年足らずでは、猿真似が限界でございました。

 ……ですが練度はそれなりに鍛えてきたつもりです。きっと兵と将は、マルガレータ・フォン・ヴァルデック殿のお役に立てるかと。船が問題なのであれば貴国で建造された船を陣借りの最中は買い上げましょう。無論、戦が終われば船はそのままお返しいたします」


「……兵員はいかほどおりますか?」


「最大で五百までならば。入り用な分だけご所望ください」


 幕府船に不安があるならスペイン船に乗せても良いし、その分の費用は負担もしてくれる。人員だって500名は破格だ。11隻のガレオン船でフィリピンに来た時の総員が約750名であったことを考えれば、援軍どころか私達にとっては一軍の規模である。


 とはいえ、だからこそ裏がある。船の買い上げなどの措置はこちらを慮っているように一見すると見えるけれども、その実は本物のガレオン船の操船術や使い勝手を実地ベースで把握されることに他ならない。織田信長からすれば船1隻の代金で充分以上にお釣りが来る内容だ。使い潰して船ごと船員を沈めて証拠隠滅という手も無くはないが、体裁的に援軍を頂いておいてその仕打ちはリスクが高すぎて実効性がまるで無いし、戦が終われば船を返すと言っているから勿体ないとこちらに思わせてそういった強硬策を抑止すらしている。


「……ちなみに、指揮はどなたに?」


「異論があれば、一旦義昭公の下に持ち帰らせていただきますが……。やはり貴国との最初の協同作戦ですので、水軍奉行たる明智光秀殿をお付けしようかと」



 ……マジで? 光秀借りられるの?




 *


 まさかの明智光秀を客将として借りられるという好待遇に内心驚いたが、よくよく考えてみればこの世界における光秀って細川被官から水軍奉行にスライドしたから織田家重臣に名を連ねていないのだ。また幕府と織田家を繋ぐ橋渡しの役割すらも和田惟政に持っていかれているために、信長にとって光秀がそこまで近い存在ではない。

 また足利義昭にとっても、早期の段階で水軍奉行になった明智光秀との関わりはそこまで強くない。織田家にとっても幕府にとっても優秀な実務家であれど重要人物ではないのが彼なのである。だからこそ私が考えている程には明智光秀という存在が重くない。


 だが貸し出しやすいというのは多分あくまでも副次的要因であろう。事前に私が一度本国へ戻ることになることは、ここに来る前の細川藤孝への連絡の中で伝えている。それを織田信長が把握していないわけがない。

 だからこそ明智光秀を私の客将に据える一手は、現在ヨーロッパに居る一色義棟こと斎藤龍興への対抗カードという側面はあるはず。身分的には足利将軍家一門の一色の家格を新参とはいえ有している斎藤龍興に比して、明智光秀の身代は及ばない。

 が、帰蝶縁戚という立場や元美濃出身者という部分は的確に嫌がらせとして機能しうる微妙なところを突いた人材だ。

 既に斎藤龍興が日本を飛び立って5年と幾ばくか。天正遣欧少年使節が9年間、慶長遣欧使節が7年の歳月を帰国までに費やしていることを思えば特段長いとも言えない期間ではある。とはいえ未だに恐らくヨーロッパに留まっていることを踏まえれば長めではあるのだけれども。


 となると、私に追従する形で明智光秀をヨーロッパまで連れて行くことはただ斎藤龍興だけを幕府の外交アドバイザーにしないという心構えが垣間見える。それは私と龍興の切り離しも兼ねているだろうが、その対価としての客将・明智光秀なのであれば上手いところを突いてきたなあという思いが募るばかりだ。

 であれば明智光秀の帯同は、幕府方か織田家としての要求事項であろう。下手すれば単騎でも連れて行けと言われそうだ。船のことも踏まえて私は結局、こう答えた。


「……兵は百名で充分ですし、幕府船のまま来てくださって構いませんよ。

 ただ客将といえども、将の配置から艦への指揮系統については私どもが握らせていただきます。それでよろしいでしょうか、信長殿?」


「――勿論です。水軍術の先達である貴国と陣を共にするこれ以上のない機会に、そのような寛大な条件でお認め下さり欣喜雀躍の想いであります――」



 うーん。援軍貰っているはずなのに、交渉自体は上手く丸め込まれた感半端ないな。




 *


 兵庫津を出立した後は、細川藤孝の詰める花隈城へと赴く。花隈城って私の知る歴史だと信長上洛後に築かれた城のはずだから、地味に細川藤孝用に新築の城が与えられている。

 というか、三好三人衆にまつわるゴタゴタが海防の強化によって全然発生していないので、摂津は平穏そのもので『摂津()守護』に任命された和田惟政が白井河原の戦いで戦死せずに生き残っているし、伊丹親興の寝返りも発生していない。というかそもそも白井河原の戦いの起点となるはずの池田勝正の池田城追放も起きておらず、荒木村重が全く暗躍していないという有様である。

 まあ兵庫津に幕府の実働兵力があって、それは三好三人衆率いる四国勢の侵略から守ってくれる反面、摂津衆は常時監視されているともいえるから動けないのだから納得ではある。


 細川藤孝の花隈城へ行く理由は、ダトゥ・シカツナ経由で援軍に関する報を齎してくれたことに対する謝礼と、明智光秀との面会にある。

 兵庫津と花隈城は目と鼻の先だけどね。


「……白雪様。息災にしておりましたかな? 此度は本拠が焼討にあったと聞き及びまして、ご無事で何よりでございます」


「いえ、焼かれたのは手漕ぎ船数隻ですから。我が臣の尽力もあり身の危険などはございませんでしたよ。

 ……それで、此方に控えているのが明智光秀殿でよろしいですね?」


 通された対面の間の長押なげしに無骨な長い筒――吹き矢があるのを尻目に見ながら藤孝の隣に控えている人物に意識を向ける。


「はっ。水軍奉行の明智光秀と申しまする。此度は本拠を焼いた賊の追討に際して、援兵を任されたことを恐悦至極に存じます――」


 あー……もうフランシス・ドレークのセブ襲撃は、室町幕府サイドでは『本拠焼討』という体裁で進めるのね。その言い方をされると物凄い大事件のように思えるが……って、領主である私が自主的に封土を返納する旨はこっちにも伝えているから、認識が大げさになるのも仕方ないのかもしれない。


「一応、まだ本決まりではないですが、ガレオン船2隻と幕府船1隻を混成して追討を行おうと思っております。扱いとしては私戦になりますので大掛かりな部隊を動かせないのと、あまり多くを割いても闇雲に海域を探るだけでは結果は出ませんからね。やり方については後程でよろしいですね」


「はっ」


「では続けます。光秀殿には旗艦に我々とともに入っていただこうと考えております。全体指揮の副官・軍師格とお考えください。

 ですので、どうしても幕府船を指揮する現場指揮官を貴殿以外に用意していただく必要があるのですが、問題ありませんかね?」


「ええ、差し支えないですよ。我が臣にお任せください――」


 いや、流石に明智光秀クラスだと話が早い。というか、臣って誰だろう。地味に気になるけど、陪臣の名ってそう易々聞いて良いものではなかった気もする。

 そんなことを考えていたら明智光秀が更に言葉を紡いだ。


「――明智秀満や、溝尾茂朝、藤田行政らにお任せいたしますよ」



 こっちの心を読んできたかのようなタイミングで結構ビビった。読心レベルで話が早いのか……。




 *


 細川藤孝の下で歓待を受けた翌朝には、光秀を伴い京へと出立する。大阪湾伝いで淀川水流に至り、そのまま巨椋池へと入る水上ルートだ。


 淀川においては以前利用した際にアーノルド君が残してくれた家紋込みの関所位置情報付きの地勢図がある。いや、まあアーノルド君は今回も一緒に付いてきているけれども、彼とも話した結果明らかに関所の数が減っている。あれだけ摂津が安定すれば、そりゃ幕府の権威も盤石だとみて諸勢力も関所を減らすことに同意せざるを得ないのだろう。ついでに言えばその少なくなった関所で止められる回数も減った。

 ちなみに前に作成したアーノルド君の地図には、旅程と通過関所の時間も太陽観測を駆使して記載されているから、体感ではなく実測値で所要時間がしっかりと減っている。


 そして以前と同様に巨椋池に入ったのちに、伏見で下船して下京へと向かう。目的地は四条坊門――足利義輝時代にカトリック布教が認められた際に南蛮寺が建設なされた地である。

 宣教師の京の滞在が再び許されたためにオルガンティノとヴァリニャーノは再建することに決めたらしく、堺の療養所はアルメイダにそのまま任せていているとのこと。実際、オルガンティノとヴァリニャーノが共に行動することはそれほど多くなく準管区長と、その筆頭補佐という高い地位を活かして業務を分担しているらしい。


 しかし、セブでのことを書状にて説明したら2人から話があるということでこの四条坊門の地が指定された。

 到着してみれば新たな教会は3階建てで石造りである。……あれ? おかしいな。確か再建された南蛮寺って木造ベランダ付きの展望が良い感じの和式の櫓のような物件だったはずと資料にも残されていたはずなんだけど、とそこまで考えて思い至る。


 そっか、私のせいだねこれ。フィリピンに建築士は居るし、フィリピンと日本の往来のハードルが史実よりも遥かに低いしで、イエズス会による技術者の招聘が楽なんだ。

 中に入ると、私の存在は明瞭であったのだろういきなり最上階へと通される。


 そこには既に、オルガンティノとヴァリニャーノの両名が居た。


「……マルガレータさん。セブでは大変な目にあったようですね」


「ええ、まあ……そうですね、ヴァリニャーノ殿」


 私は細川藤孝から同じような質問を受けたときとはうってかわって曖昧に頷いてみせた。別に彼等は虚勢を張るべき相手ではないし、私がフランシス・ドレークの襲撃に腰が引けていたことなどお見通しであろう。短い付き合いではないのだから。


 すると、オルガンティノがこう告げる。


「しかし、爵位の放棄とは思い切りましたね。

 ……そこまでスペインが信用出来ませんか? 普通、イングランドとの戦役であれば素人目なら勝てると思いますけれども」


「……あー、いや。信用云々の問題では無いですね。何故かと言えば困るのですが……」


 ちらりとヴァリニャーノに目配せをすれば、彼は短く頷く。

 『転生』ということを知っている彼ならば、そちら関連であることはスペイン敗北という話を聞いた段階で思い至っていただろう。


 そして、予想外であったのはオルガンティノもまた私の答えになっていない歯切れの悪い物言いにさして追及せず、次のように語ってきたことだ。


「もっとも、そこはマルガレータ殿も熟慮の結果でしょうし我々が口を出すべきことでもないですから構いませんよ。必要であれば『コングレガティオ・マリアナ』の一部を組織改編して女性修道会へと格上げして、そこに所属するということも出来ますけれども……」


「あはは、オルガンティノ先生。そこまでご配慮いただかなくても大丈夫ですよ。

 ……それで、本題があるのでしょう?」


 そこで一時静寂が訪れ、2人は無言で頷いた。


「……実はですね。イングランド艦の追撃にですけれども、此方のヴァリニャーノ君を連れて行って貰えれば、と。イエズス会からの隠居祝いと言いますか、餞別だとお考え頂ければ」


「……ヴァリニャーノ殿が?」


「はい。イングランドへ帰還しようと考えるならば、再びマゼラン海峡を通るのではなく、ポルトガル航路を利用して世界周航紛いの逃亡を行うことでしょう。

 ……イエズス会は、マルガレータ殿の無事を祈るとともに。ポルトガルの通行許可を少しでも得やすくなるように助力は惜しみませんよ」



 ここに来てイエズス会の全面バックアップ体制が確立された瞬間であった。そうか、今ならばポルトガル新国王であるエンリケ元枢機卿に連なる伝手でポルトガル国政関与すら出来るのだイエズス会は。

 それでも。その手を差し伸べられたのは、私が今まで一貫してイエズス会に対して全面的な支持とともに布教政策を丸投げして放任していた結果でもある。



 日本に逃げるためにはイエズス会の存在は欠かせないと始めた関係が、フィリピンからヨーロッパへ戻るために万全に生かされることとなるのだ。



「……あ、そうでした。マルガレータさん。フィリピンに戻る前に朝廷へのご挨拶と『タカツカサ』家の『ドン・パウロ』様が面会を希望しておりますので、『タカツカサ』家の邸宅にも訪問して頂けると助かります」


 ……はい!? 鷹司家のドン・パウロって、それ一条兼定のことだよね!?

 朝廷へと出仕するキリシタン公卿という土佐一条家時代から大分かけ離れたことになっている一条兼定が私に求めることって一体何がある……?

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― 新着の感想 ―
[良い点] あら、明智光秀の家臣に斎藤利三は出てこないのね 何か歴史改変の影響で身の振り方が変わったのかな
[一言] 和洋間の子船は国内で使うのにはかなり長く使われてたらしいけど、外洋では実際の所どうなんでしょうな。
[一言] 更新お疲れ様です。 まさかの明智光秀が副官待遇で帯同。 日本製似ガレオン船の実力や如何に? マルガレータの丸投げ宗教政策が思わぬ形で恩返し^^ 次回も楽しみにしています。
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