19.初心に帰ろう
昨晩、四条姉妹との会話に気を取られまたしても終電を逃した俺は、ランニングがてらに家に帰った。四条と話した事で『あの頃』の自分を思い出したからだろうか?久しく忘れていた、ランニングそのものを楽しむような、清々しい気持ちで十数キロ程度の距離を走り終えた。
シャワーで軽く汗を流してベッドに入ると、すぐに睡魔が襲ってくる。ランニングで体が程よく疲れているのもあるだろうが、やはり気持ちの問題も大きかったのだろう。精神的にダメージを受け、泣き疲れて現実から逃げるかのようにベッドに沈んだあの時とは違う。明日からどんな練習をしよう?何を鍛えよう?どんな成長が出来るだろう?そんなワクワクしたような思いを抱きながら、眠りについた。
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翌朝は、とても気持ちの良い目覚めを迎えることが出来た。嫌な事を思い出さず、ぐっすり眠れたお陰だろう。身体の疲れはしっかり抜け、頭の中もスッキリしている。まるで試合当日の朝であるかのように心身ともに力が漲っており、早く練習をしたい気持ちが抑え切れなかった。
軽く朝食を済ませると、ジャージに着替えてまずはアップのランニングに出かける事にした。その後は素振りとチューブトレーニングをしてから昼食にして、午後からは新球種の習得に挑戦する。そんな予定を立て、外に出る。
「良い天気だ。絶好の野球日和ってやつか?」
そんな呟きが漏れる。普段通りのランニングコースを走るのも良いが、今日は調子が良い。走ったことのない場所の風景でも眺めながら、行けるところまで走ってみよう。そう思い立った俺はいつもと違い、河川敷方面を目指して走り出した。
「こっちの方って久しく来ていなかったけど、俺の記憶にある景色よりもかなり変わっちゃったんだなぁ」
走りながら眺める風景は、記憶とすっかり違っていた。
かつて公園があった筈の場所や、何かの工場があった所に今は新しい住宅街が出来ていた。
昔は親や友達とキャッチボールをした広場も、今はもう更地になってしまっており、何かを建てている途中だった。変わらないものは無い、という事なのだろうか?そう考えると、少し寂しさを感じてしまう。
……そろそろ日も高くなって来たので、この辺で折り返して戻ろう。帰りは橋を渡って反対側の川沿いを走って行くことにした。途中、河川敷の小さな広場で野球をする数人の小学生を見かけた。学校行事か何かの振替休日なのかな?ボールの握りも、バットの持ち方も知らない。でも、凄く楽しそうに遊ぶ小学生達。
「俺にもあんな頃があったんだよな。ただ友達と野球をする、それだけで時間を忘れるくらい楽しかった時が」
難しい事なんて考えず、ただボールを投げる。バットを振る。そうするうちに球速が上がり、スイングも速くなる。それで結果が出るのが嬉しくて、また練習に没頭する。あの子達を見ていると、忘れていたそんな気持ちを思い出した。初心忘るべからず、とはよく言ったものだと思う。
楽しむ事が上達への一番の近道。それを俺は知っている筈だ。あの頃より実力も環境も段違いなんだ。今の俺なら、もっと野球を楽しんで上に行けるはずだ!よーし、やってやるぞ!
帰宅し、チューブトレーニングを始めた俺。このトレーニングはスペースをさほど取らずに出来る事、使い方で鍛える箇所を変えられる事から頻繁に行なっている練習でもある。特に投手としてはインナーマッスルという奴はかなり重要だ。これを鍛えておくのとそうでないのでは、怪我率が相当に違ってくるらしい。
優れた選手ながらも、肩や肘の故障に喘ぎ思うような結果が出せない選手も多い。それに球速や制球力は体が出来て来れば自然と身につく物だ。まずは怪我をせず、一試合投げ切れるようになろう。
昼を食べ終え、食休みをしながら机の上に放置された参考書を手に取る。………あの日、机に投げ出され開かれなかった参考書。それは、立ち止まってしまった俺と同じなのだろう。
だから、ここからは先を見よう。そしたら、何かが見えてくる筈だ。
「まずはシュートの項目からにするか」
シュート。直球と同じ握りか、少し2本の指を縫い目から左にずらして腕を左に捻りながら投げる事で、右バッターの胸元目掛けて食い込むボールだ。直球と球速の変化が少ない事から、直球に合わせて来たバッターのポイントをズラし、内野ゴロを打たせやすい。逆に左バッター相手では自分から逃げて行くような軌道を描く。
総じて直球に自信のある俺と相性が良いボールだと思われる。
……しかし、不安点もある。まず、腕を捻りながら投げるシュートは怪我のリスクが多い。メジャーでは殆ど投げる投手がおらず、日本人のシュートが向こうで武器になるのはこれが理由だ。
そして、もう一つは制球。当然甘く入れば右バッターには内に入ってくる絶好球だ。だからズバッと胸元に投げ込める制球力をつける必要がある。
「まずは、色んな握りと投げ方を試してみたい所だが……受けてくれる相手がなぁ」
チームのキャッチャーにお願いする手もあるが、彼だって自分なりの課題があるのだろう。その邪魔はしたくない。ある程度物にならなければ、組み立ての参考にもならないだろうしな。さて、どうした物か………
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