藤堂亜沙美 前編
竹下亜沙美、今の名は藤堂亜沙美。
ゴールデンウィークが明けてから婚姻届を出しに行き、名字が変わった。
直人と結婚してから一ヶ月が経った。
新居に引っ越してから亜沙美は自分の中で日課としている朝御飯を作っていた。
「…なんか毎日同じだなぁ」
その生活に一切の不満は無いが何となく物足りなさを感じていた。
「…そうだ、ナオを驚かせよう!!」
亜沙美は思い付いた事を実行するため色々と考えることにした。
「…朝から迫ってみる?いや、それは私のやり方じゃない。味噌を変えてみようかしら?……ナオは気付かないかも」
色々と考えるが決定打が無かった。
扉が少し空いている寝室を覗いてみる。そこにはぐっすり眠っている直人がいた。
「…何だろう?何か腹が立ってきた」
亜沙美は直人の所に小走りで行き、その勢いのまま直人の上に飛び乗った。
「…う、うぅ、重い」
直人はほぼ無意識に近いといってもいい状態だったが、それはそれ、これはこれ、言ってはいけないことを言ってしまった。
亜沙美は持っていたお玉で直人のおでこをカンッと叩く。
「痛い!……おはよう、痛いよ」
直人が目を覚ます。
「……で?」
亜沙美は冷たい目をしている。
「…何かありましたか?」
直人は朝から気が気ではない。
「キスして?ぐらい言いなさいよ!新婚よ?私達」
「…キスして」
「あ?何言ってんの!?」
「理不尽…」
「いいから起きる!」
亜沙美の大きな声が直人の頭に響く。
「え!?もうそんな時間?……ってまだ早いじゃん」
直人は焦って目覚まし時計を見るが本来起きる時間よりも三十分早かった。
「ほう、それを朝御飯を作ってる私に言いますか」
亜沙美は少しイラッとした。
「…起きます」
直人は危険を察知し起き上がり、そのまま上にまたがってる亜沙美を抱きしめ
「愛してるよ」
と耳元でささやいたがすでに遅かった。
「今日ゴミの日だからすぐに行ってきて、玄関に置いてあるから」
「…はい」
亜沙美は直人を引き剥がし、キッチンに戻っていった。
「ったく、言うならもっと早く言いなさいよ…」
しかし亜沙美は少しニヤけていた。
キッチンに戻ると味噌汁を作る鍋の中の水が沸騰していたので火を止め、顆粒出汁と乾燥ワカメを入れ、少し混ぜたあと味噌を溶き入れた。
寝室からあくびをしながら直人が出てきた。
そのまま玄関のごみ袋を持とうとしたので
「ちょっと!そのまま行くつもり?」
亜沙美は焦って声をかけた。
「…え?そうだけど」
「いや、ダメでしょ…」
「そう?」
「そう!寝癖を直して着替えてから行って!」
「…わかった」
直人はとぼとぼ寝室に戻っていった。
その数分後、外向けに身嗜みを整えた直人がゴミを出しに行き、帰ってくる頃には亜沙美が朝食の準備を終えていた。
「ナオ!ご飯出来たよ!」
「ありがとう」
亜沙美が声をかけると直人はイスに座った。
亜沙美もイスに座り
「いただきます」
「いただきます」
お互いに言い合ったあと、二人とも味噌汁をすすった。
その後
「ナオ、結婚式なんだけど」
「うん、どこがいいか決めた?」
「…お台場」
「レインボーブリッジが見える所?」
「そう、あそこがいい」
「プロポーズもお台場だったしね」
「ねぇ、ナオはどういう感じの結婚式にしたいって思ってる?」
「今はもう会社にいないわけだし、家族と世話になった人達を呼んで感謝の意を示すようにやりたいかな」
「うん、良かった。それは私も一緒。家族以外に誰呼ぶの?」
「……試されてる?」
「うん、試してる」
亜沙美は肘をついて組んだ両手に顎を乗せ、直人に笑いかけた。
「智美、由香、さとみは呼びたい。いや、呼ばなくちゃ…、あとが怖いから。後は店長と馬渕さんかな」
「抱きつかれた総務の子は?」
「根に持つね……」
「持ってないよ?わざと言ってるだけ」
「呼ばないよ、いや、呼んでも来ないでしょ。むしろ呼ばれたら困るでしょ」
「どういう意味で?」
「…そういえば今日、夕方から雨らしいよ?」
「そうなの?で?どういう意味で?」
「怒るよ?」
「ごめんなさい、……私の事を捨てないで!!お願い!!」
亜沙美は若干大きな声を出した。
「それ、ずるいよね」
「そう?」
「うん」
直人は亜沙美の事を真っ直ぐと見た。
「本当に怒ってる?」
亜沙美はその態度に不安を感じた。
「怒ってはないよ、むしろ愛してる」
「……バカ、何を言ってるの?」
亜沙美は恥ずかしくて下を向いた。
「愛してるよ」
「いっ!いいから!…食べちゃいなさいよ!あとご飯一口じゃない!」
「はーい」
直人が食べ終わると亜沙美は二人分の食器をキッチンに持って行き
「ナオ!私が食器洗ってる間に今日のスケジュールまとめておいて!」
亜沙美は急に仕事モードに入った。
「うん、そういうところも好きだよ」
「いいから、早くしなさい」
直人の愛情表現を亜沙美は弾いた。
亜沙美が食器を洗い終わると
「ナオ!準備できた!?」
「出来てるよ」
「それじゃ行きましょう!……っと」
亜沙美は結婚してから出来ていないことを思い出した。
「ナオ、先に行って」
「ん?何で?」
「いいから、靴を履いてから行ってきますって言って」
「……?」
直人は不思議そうな顔をしている。
靴を履いてから
「…行ってきます」
そう直人が言うと亜沙美は
「いってらっしゃい」
と言ったあとに目を瞑り、少し唇を尖らせた。
「……っ!」
亜沙美は驚いた。自分が想像していたよりも直人から強く抱きしめられてから激しくキスをされた。
離れた直人を見ると
「…行ってきます」
直人がまた言う。
「いってらっしゃい」
亜沙美も繰り返す。
今度は二人とも抱き合いながら数分間キスをしていた。
「こ、これ以上はダメよ…」
「うん…」
お互いに腕を掴みながら離れた二人は自制心を取り戻した。
そして
「い、行こう?はい!逆を向いて!」
亜沙美が直人を扉の方を向かせる。
「うん、…行こう」
先に靴を履いていた直人が先に家を出る。
「も、もう…リップ落ちちゃったじゃない…」
そう直人に言いつつ亜沙美は下を向きながら笑みを浮かべていた。
店までの道を二人で歩いていた。
「結婚してからそういう可愛いところ増えたよね」
直人が言ってきた言葉に少し亜沙美は引っ掛かる。
「…あ?する前は?」
「いやいや!結婚してからの方が可愛いって言ってるんだから!」
「…そっか、そうだね。で?今夜は?」
亜沙美は上目遣いをした。
「…ん?何が?」
「ちょっと?」
亜沙美は直人の耳をつまんで引っ張った。
「ウソウソ!覚えてます覚えてます」
そこそこ痛い思いをしている表情のまま、直人が答える。
「ふふっ、ハハハ!!面白い顔!!」
亜沙美は笑い出し、手を離した。
「ひどくない?」
「で?どこ行くの?」
「秘密」
「観覧車でしょ?」
「…ひ、秘密」
「結婚一ヶ月記念であの観覧車かぁ」
「…嫌?」
「嫌じゃないよ。わかりやすいなぁって思っただけ」
「あっ…、ど、どこに行くかは秘密だからね?」
「…もう無理だよ」
「ですよね……」
「地図アプリ開いたままの画面でスマホをテーブルに置いてたらダメじゃん」
亜沙美が風呂から上がった後にすぐに直人も風呂に向かった。
その時にテーブルの上に無造作に置かれたままの直人のスマホがあった。
「…あの時はしまった!って思ったねぇ。でも亜沙美は見てない感じだったからセーフって思ってた」
「ちゃんと見てました。ついでに他のも」
「他のも…?」
「何?まずいものでもあった?」
「無いから別にいいけど…」
「でも気になることがあったのよね」
「な、何でしょう?」
直人は少し目が大きくなり、下を向いた。
「ナオって友達少ない?メッセ、私か智美さんぐらいじゃない」
「そっち?いることはいるけど社会人になってから頻繁に連絡取るって奴はいないよ。初めは土日出勤の仕事だったからね、予定が合わなくて次第に誘われなくなった」
「ごめん、辛いこと聞いちゃったね……」
亜沙美は直人の肩をポンっと叩き、泣きそうな表情をした。
「いや!そこまでじゃないよ!?」
「うん、うん。今度からは私がナオで遊んであげるからね」
今度は口に手をあて下を向く。
「そりゃどうも。……ん?言葉おかしくない?」
直人は一回受け入れたがすぐに疑問を持った。
「そう?どこが?」
亜沙美はきょとんとして直人を見た。
「あれ?天然で今の言った?」
「ううん?私はナオで遊ぶ」
「それ!ってかわざと言ってるじゃん」
「バレたか。…ちっ!」
「はい、急ぐよ…」
直人は歩くスピードを速めた。
「あ!ちょっと待ってよ!」
亜沙美もそれを追いかけた。
店
二人は亜沙美の両親から継いだ店に辿り着いた。
直人がシャッターの鍵を開けて上げる、その後に入り口の鍵を開けた。
店の中は大体三十二平米で十八畳程の広さ、一番奥にカウンターがあり、さらに奥には四畳の和室があり、そこで休憩したりしている。
中に入った二人はまずその和室に荷物を置き、仕事中に着ることにしている、えんじ色のエプロンを身に付けた。
直人が店内の掃除を始めて数分後、亜沙美の父 茂樹が入ってきた。
直人は挨拶をしたあとそのまま茂樹につき、仕事を教わっていた。
亜沙美はその姿を見ながら伝票整理と出納帳の確認をしていた。
「…お父さん、今日配達無かったっけ?」
「うん?あぁ、あるよ?」
「じゃあ今日はそれナオと行ってきてよ。私達が店に来てから二件あったけど、お父さんだけで行ってるから」
「一人で大丈夫か?」
「大丈夫よ、長くはかからないでしょ?」
「まぁ、三十分ぐらいだが…」
「なら平気。そのうち直人が行くようになるんだから私も一人で店番するの慣れないとね」
「…そういうことならわかった。直人君、いいね?」
「はい、よろしくお願いします!」
直人は頭を下げた。
「…直人くん、そこまでじゃなくてもいいよ?」
茂樹は前々から思っていたことを言うことにした。
「…え?」
「いや、そんな体育会系みたいな感じじゃなくても」
「あっ、はい…」
「親子なんだし。遠慮はいらないよ」
「はい!わかりました」
「……うん、まぁ徐々にね」
二人の会話を聞きながら亜沙美はスマホを見ていた。
宅配便からメールが来たのでそれを確認した。
「…二人ともそのままお昼食べて来ちゃえば?」
「え?お昼?僕とお義父さんで?」
「より時間かかるけどいいのか?」
「大丈夫。二人が帰ってきたら私も行くから」
「わかった。そういうことならあの中華屋に行こうか、直人くん」
「はい、ごちそうさまです!」
「……そういうところは適応早いね」
二時間後
「それじゃ行ってくるよ。亜沙美、本当にいいのかい?」
「いいよ、行ってらっしゃい」
「わかった」
茂樹は念のため再確認した。
「それじゃ行ってくるね」
「ナオ、例のあれは?」
直人が話すと亜沙美は目を閉じた。
「…お義父さんの前で何やってるの?」
茂樹は直人の肩に手を置き
「直人くん、搾取されてないかい?」
心配そうな顔をした。
「搾取って何よ!!」
「……そ、それじゃ行ってきます」
直人はそのまま配達に出掛けた。
「……さてと、とりあえずは一人で頑張りますか」
亜沙美は気合いを入れた。




