65.名物クッキー
「あっ! セトスさま、変わったよ! 揺れ方!」
王都の外壁門を出て、街道に出た所でアンジェが歓声を上げた。
「よく分かったね。王都を出たから、道のつくりが変わったんだ。
さっきまでは石畳だったけど、今は土を固めただけの道だよ」
「ここの方が、ガタガタしないね?」
アンジェがそう言った瞬間。
ガコンッ
「ひゃっ!?」
「申し訳ありません、石に乗り上げました。
大丈夫ですか?」
アンジェが悲鳴をあげた直後にハンスが声を掛けてきた。
「大丈夫だよ」
「なるほどねぇ、ちょっと怖かったよ……」
「石畳と違って、土の道は跳ねた時の衝撃が大きいからね。
ハンスが気をつけて走ってくれてても、どうにもならない時はあるから」
「だから、石畳にしてあるのね」
「雨上がりすぐだと地面がぬかるんで馬車が走れなくなることもあるし、土の道は意外と大変だよ」
「そうなんだね。知らないこと、ばっかりで、楽しい」
うんうん、と一人で頷いて納得するアンジェに、他のことも教えてあげたくなる。
「景色もずいぶん変わってきたよ。
さっきまでは建物が多かったけど、この辺りは王都の人達が食べるものを作っているから畑が多いんだ」
「空気の、味が、ちがうかも」
「空気の味? 匂いじゃなくて?」
匂いが違う、というなら俺にも分かるんだけれど、味、というのが分からないから聞いてみる。
「うーん……におい……? 匂いとは、ちょっと、違うと思う」
「どういう感じ?」
「セトスさまは、空気の味、しない?」
「しないというか、考えたことも無いな」
「そっかぁ。じゃあ、匂いと似てる、と思う。
けど、もっと、濃いかんじ」
「土の匂いがする感じのことかな?」
王都の中は人工的なものが多いけれど、少し離れたこの辺りは農業地帯だから濃い土の匂いがする。
「そう、かなぁ? 分からないよ」
アンジェには変化が感じられるだけでそもそもそれが何の匂いなのかは分からないから。
「じゃあ、風の感じが変わったのは分かる?」
「うん。それも、思ってた。
風が柔らかくって、のんびりしてるね」
「王都の中でも家の周りは建物が多い方だからね。
建物の間を通り抜ける風は強くなるらしいから、こういう広いところの風の方が穏やかに感じられるんだと思うよ」
「風さんも、広いところの方が、楽しそうね」
自分も風と同じような気持ちになったのだろう、ふわふわと笑うアンジェがかわいい。
「アンジェも広いところのほうが好き?」
「うーん、どうかな。わかんない。
だって、わたしは、セトスさまと一緒なら、どこでも好きだもん」
「……それは、よかった。ありがとう」
たまに不意打ちでかわいいこと言ってくるからなぁ。しかも、本人は完全に無自覚なところがタチが悪いし。
「あっ、セトスさま! 今の音、なに?」
「どんな音?」
正直、俺の耳には馬車が立てるガラガラという音しか届いていない。
今の音、と言われてもアンジェほど耳の良くない俺には全く分からなかった。
「ぴーぴょぴょ、みたいな感じの、かわいい音」
「ああ、それなら鳥の鳴き声かな?」
「とりさん! イリーナに、教えてもらったよ? とっても小さくって、わたしの手のひらくらいの、大きさの生きものだよ、って」
「ということは、触ったことはない?」
「うん、ない。触れる?」
「えーと……」
俺は脳内で旅行プランとその周りにあるレジャースポットを思い浮かべる。
「確か、行くつもりをしているところの近くに鳥と触れ合える所があったと思うから、そこに行くことにしようか」
「やったー! 鳥さんと、会えるのね!
お話しでしか知らないけど、ほんとはどんな感じなのかな? 楽しみ!」
それからまた、窓から見えるのどかな田園風景をアンジェに話してあげる。
「小麦は多くの人の主食だから作っている所が一番多いんだけど、この辺りでは作ってないんだ」
「……なんで? わたしも、毎日食べてるでしょ?」
「でも、小麦は保存が効くからね。遠くで作っても、王都まで時間を掛けて持ってこれるんだ。
だけど野菜とかは腐るのが早いだろう?
だから、王都の近くでは野菜とかの腐りやすいものを作ってるんだ」
「なるほど! 確かに、その方がいいよね」
ふむふむ、と納得してくれるアンジェ。
机に向かって書類を読めなくても、出来る勉強はいくらでもあるってことだ。
「あっ、また、道が変わった!」
「街道沿いの、ゲルマトっていう街に入ったんだ。ちょっと休憩しような」
はしゃぐアンジェは自分で気づいていないようだけれど、既に疲れてきていた。
揺れる馬車の中で座っている、というのは意外と筋力を使うことだから、一度車外へ出てリラックスすることはとても大切だ。
「んぅーー、つかれた、かも」
とん、とステップから軽く飛び下りたアンジェは、ぐーっと伸びをした。
「かも、じゃなくて疲れてるんだよ。
普段使わない筋肉を使うからな」
「セトスさまは、馬車、いつも乗ってるでしょ?
なのに、つかれたの?」
「もちろん。王都の中の石畳を走るのとはまたちょっと違うから」
「ふふ〜、そうなんだね! おそろい!」
ただの休憩ですらとっても楽しそうなアンジェが、ひくひくと鼻を動かした。
「なんか、いいにおいする!」
確かに、辺りには甘いものが焼きあがったような、こんがりした良い香りが漂っていた。
「美味しそうだな」
「うん! 何の、におい?」
「ああ、あれかな? ゲルマト名物、スパイシークッキーだって」
このゲルマトの街は、王都から一番近い温泉であるカラントと王都の間の休憩地点として栄えてきた街だ。
観光客向けの名物もあるし、ちょっとした楽しさのある街になっている。
「食べてみたい!」
珍しいもの好きなアンジェは興味津々なので、ひとつ買ってみることにした。
「まいどあり〜っ!」
威勢のいいおばちゃんの声と共に、大きなクッキーを受け取った。
「とっても大きなクッキーだよ。
アンジェひとりでは食べきれなさそうだ」
名物というだけあって特徴を出そうとしているのか、俺の手のひらよりも大きい。
「えっ、そんなに?」
「はい、どうぞ。落とさないようにね?」
日当たりのよいベンチに並んで座ってからクッキーを渡す。落としても受け止めてあげられるように注意しながら。
「わ、ほんとだ! 思ってたより、ずっと大きい!」
歓声をあげて、大きさを確かめるようにクッキーの縁を指でなぞる。
「アンジェ、ひとりで全部食べる?」
「えっ……むり、だと思う」
「じゃあ半分こしよっか」
「半分も、食べれないかも」
「じゃあアンジェが食べられそうな分だけね。
はい、どーぞ」
1/4以下の大きさになるようにぱきりと割って、渡してあげる。
「ちょっと、いつもと違うかんじの味ね? おいしいよ」
「スパイシークッキーだからな。シナモンが結構効いてるし、ハーブとかも入ってそうだな」
かりかりと少しづつクッキーを齧るのはなんだか小動物っぽい。
「セトスさま、おいしい?」
「うん、美味しいよ。ただ、思ってたより大きいけど」
「うふふ。見えてるのに、思ってたのと違ったの?」
「食べてみたら、結構ボリュームあるんだよな」
「そうだね。おいしいから、わたしももっとたべれるよ?」
「じゃあ、はい」
さっきよりも少ない量をまた分けてあげる。
「おいしいねぇ。いっしょだから、とってもおいしいよね」
「ただのクッキーなのに、とっても良い思い出になったな」
「そうだね。とっても、楽しいね!」
キラキラした彼女の笑顔が、一番の思い出だな。