57.結婚式へ向けて
「ただいま」
離れへ帰ると、出て行った時とそう変わらない姿勢のままアンジェは待っていた。
「おかえりなさい。どう、だった?」
「父上はとても喜んでくださったよ。また近々パーティーに出ることになりそうだ」
「喜んで、もらえたの。よかったね」
「アンジェに嫌われるようなことするなよって釘を刺されたよ」
苦笑いしながらそう言うと、アンジェはかすかに首を傾げた。
「なんで?」
「俺たちが知らない情報を取れるから離したくないんだよ。それに、最近深く付き合い始めた辺境伯がいるそうで、その情報が入っていたんだって。
次会う時から参考にするみたいだよ」
「ふぅん……たしかに、お父さまとお母さまも、ほかの人の好きなものとか、お話ししてたかも」
「ディスカトリー伯は出世欲の強めな方だから、情報共有も大切なんだろうな」
「セトスさまも、出世、したいの?」
「そりゃあ、したいさ。周りを押しのけて、何としてでも上に行きたい、というほどでもないけれど、出世出来るに越したことはない」
「じゃあ、わたし、セトスさまのためにも、なるのかな?」
「もちろんだよ」
「ほんとに!?やったー!」
その時にアンジェが見せた表情は、今まで見たことが無い、はじけるような笑顔だった。
「わたし、セトスさまのために、出来ることが、あるんだ!」
肩を少し震わせて、身体全体で喜びを噛み締めているようなアンジェ。
自分の役に立つと分かっただけで、こんなにも喜んでくれる彼女が可愛くて仕方なくて、思わずぎゅうっと抱きしめた。
「アンジェが聞いてくれたことは、役に立つって言ってただろう?俺は、本当に嬉しいんだよ」
「役に立つって、言ってくれてたけど、セトスさまのためには、ならないのかなって、思ってたの」
「そんなことは全くないよ。確かに、俺は『家のためになる』って言ってばかりだったな。
もちろん、家のためにもなるんだけど、それは父上や兄上や俺が出世できる、って事だからな?」
「セトスさまの、ためになるのなら、もっとがんばるよ!」
アンジェが健気過ぎないかな?
俺のためにこんなにも頑張ろうとしてくれるなんて。
「無理はしなくていいからな。ゆっくり一緒に、できることをやっていこう」
「うん!セトスさまと、いっしょ」
ふふふ、と俺の腕の中で笑うアンジェはやっぱり天使だった。
翌日。
仕事をなるべく早めに切り上げて帰って来なさいという連絡を受けて、急いで帰った。
幸い、俺は普段真面目に働いているから職場の皆も早く帰らせてくれたし、何か悪いことがあった訳では無いそうなんだけど……
「ただいま」
本邸を経由せずに直接離れへ帰ると、アンジェがいつもと違う、ちょっとだけおしゃれっぽいワンピースを着ていた。
「おかえりなさい 」
「何かあったのか?」
「よく、知らないの。お義父さまが呼んでるから準備してねって言われたよ」
「父上が?」
俺を早く帰らせて、アンジェにきちんとした格好をさせて。
何を考えているんだろう?
とにかく、行ってみれば分かるだろう。
「アンジェの準備が出来てるなら行こうか」
少し手を貸してアンジェを立たせると、いつものようにするりと腕に彼女の手が掛かる。
「行くー!セトスさま、早く帰ってきてくれたし、おうちの中でお出かけだもん」
楽しそうなアンジェと二人で本邸へ行くとサロンに通された。
思っていたより本格的だぞ?何をするんだ?
少し待つと、父上と母上、それに兄がやってきた。
全員集合だな。ほんとにどうしたんだ?
「全員集まったな。さっそくだが、本題に入る。セトスとアンジェの結婚のことだ」
父上が話し始めて、自分の事だと分かったアンジェの俺の腕を掴む力が強くなった。
少しでも安心させられるように、その手を軽く撫でてあげる。
「アンジェが普通に動けるようになって落ち着いてから式を挙げようと言う話だったが、パーティーにも行けた訳だし、そろそろ本格的に準備を進めてはどうかと思っている」
「あら、良いと思うわよ!アンジェちゃんも、我が家にいるのに結婚してない宙ぶらりんのままじゃあ居心地が悪いでしょうしね」
「具体的な時期など決めずにいたが、なるべく早く、そうだな、夏になるまでにしてはどうかと思っている」
今の季節はようやく春になったばかりとはいえ、急な話だな。
「夏までと言うことはあと3ヶ月ほどですよね?なぜそう急いでいるのですか?」
「急いではおらん。アンジェの成長が早いからそれに合わせているだけだ」
あくまでもそう言い張る父上に、兄が口を挟む。
「父上ー、そんなに建前を言わなくても、アンジェちゃんは気にしませんよぉ?」
「建前ではないが」
「そんなこと言ってぇ。セトスとアンジェちゃんの結婚、そんなに賛成してなかったのに、昨日から一気に賛成して、話を進めようとしてるじゃないですかぁ」
「まあ、確かにそれもあるな。どちらにせよ、日取りをきちんと決めてはどうかと言うことだ」
「俺としても、結婚式を早めるのは賛成です。アンジェは?」
「わたしも、うれしいです」
アンジェの表情が強ばったままなのが少し気になるが……
俺がアンジェのフォローをするより前に父上が話始めた。
「では、結婚式は出来れば6月中に行うということで、良いな?
セトスでは手の回らない所も多いだろうから、リサも手伝ってやるように」
「言われなくたって手伝うわよー!アンジェちゃん、最高の結婚式にしましょうね」
「母上、よろしくお願いします」
「よろしくおねがいします」
「頑張りましょうね!」
二人揃って頭を下げた所で今日の話し合いは終わりで、俺たちは離れへ戻る。
「アンジェ、何か気になることがあるのかい?」
リビングルームのソファに並んで座って、ゆっくり聞いてみる。
さっき、表情が硬かったのは気のせいじゃないと思うから。
「気になる、ほどでもないの。
でも、なんだか、分からないことが、多いような……うぅん」
難しい顔をして黙り込んでしまったアンジェを優しく抱き寄せる。
「難しく考えなくてもいいよ。アンジェには申し訳ない話なんだけど、父上と母上は、アンジェが『何も出来ない』って思っていたわけだ」
「うん。それは、知ってる。ほんとのことだもん」
「でも、今回のパーティーの件でそうじゃないことが証明された。人前にも出れるようになったし、アンジェにしか出来ないことがあるからね」
「みんなよりも、耳がきこえるって、そんなに大事なこと?」
「アンジェにはよく分かってないかもしれないけど、少なくとも俺にとってはとても大事なことだな」
「じゃあ、わたし、ほんとにちゃんとできてるってことだよね?」
「そうだよ。そうじゃなかったら急いで結婚式をしようとはならないだろう?」
「うん。分かった。納得した!
つまり、わたしはセトスさまのためになる人だから、急いで結婚しちゃおう、ってこと!」
満面の笑顔でそう言い切る。
「そういうことだよ」
「セトスさま、ありがとう!」
アンジェが勢いよく抱きついてきて、俺の胸の辺りに顔を擦り付ける。
「俺の方こそ、ありがとう。アンジェが頑張ってくれたおかげだよ」
「セトスさまが、がんばる方法を、教えてくれたから!
ほんとに、夢みたいだねぇ……わたし、セトスさまの役に立てて、そのうえ、結婚できるんだもん!」
ぎゅーっと抱きしめてくれるアンジェ。
「俺と一緒に、幸せになってくれる?」
「うん!もちろん!」
元気よく返事をしてくれる彼女を、強く抱きしめ返す。
この腕のなかのぬくもりを、何よりも大切にして生きてゆこうと、そう心に誓って。