56.役に立つということ
まだ、パーティー会場の片隅のソファにいる。
アンジェが楽しそうなのはいいんだけど。
少し前から、確実に顔色が悪くなってきているのが気になるんだ。
「アンジェ、そろそろ帰ろうか」
軽い調子でそう声をかけてみる。
「まだ、だいじょうぶよ?」
「顔色、真っ青だけど、本当に大丈夫?」
「……ん?そう?」
自分の調子が悪いことに気づいていないのかな?
「時間も帰っていい頃だし、今日はこのくらいで帰ろう」
「わかった。帰ろ」
アンジェはまだ居たい様子だったけれど、明らかに調子が悪いから彼女を連れて会場を出た。
帰るには早い時間帯だったため、スムーズに馬車に乗ることができた。
「アンジェ、大丈夫か?疲れた?」
座ると俺の方にもたれ掛かるようにしてくるからよほど疲れているのかと思ってそう聞いてみると。
「……すぅ」
返ってきたのは可愛い寝息だけだった。
「無理させたな、ごめん」
ひとりごとのように呟いて、アンジェの髪をそっと撫でる。
疲れきるまで、俺の役に立とうと頑張ってくれたアンジェは本当にすごいと思う反面、無理してることにすら気づけなかった自分が情けなくなった。
馬車から降りる時も、抱き上げたからずいぶん揺れたはずなのにほとんど起きる事もなく、イリーナが手を貸して着替えている時も夢うつつだった。
そのままベッドまで連れて行って、そっと寝かせる。
「おやすみ」
小さな声でそう言いながら髪を撫でる。
顔色はあまり悪くないし、明日には元気になってくれるかな。
翌朝。
「セトスさま、おはよぅ……」
いつも通りの時間に起きてきたアンジェは、まだ若干眠たそうだった。
「おはよう、アンジェ。昨日はお疲れ様。
まだ眠たかったら寝てきていいよ?」
「んー、どうしよ。ねむいの……
セトスさまは、お仕事?」
「今日も休みだから、ゆっくりしてていいよ」
「セトスさま、おやすみなの?
なら、だいじょうぶ!起きてる!」
「無理はするなよ?昨日も馬車でもう寝てたし」
「んー、帰り道のこと、あんまり、覚えてないな」
「そうだろうな。ほとんど寝てたから」
「ごめん、なさい」
「アンジェが謝ることじゃないよ。むしろ、俺の方こそごめんな。アンジェに無理させてばっかりだ」
「むり、してないよ?」
「それならよかったけど……」
そうこう言っているうちに朝食の準備ができて、ふたり揃って食べ始めた。
アンジェは食べることに集中しているから、黙ったままで食べ終わる。
「おいしかったね」
「そうだな」
「いまから、なにするの?」
「アンジェが眠くなかったら、昨日聞いた事を教えて欲しい。まだ覚えてる?」
「もちろん!覚えてるよ」
「じゃあ今から、教えてくれるかな。全部書き取るから」
日ごろから仕事で書類作りに明け暮れている俺は、速記に少しばかり自信がある。
ゆっくり話すアンジェのスピードについて行くことはさほど難しくなかった。
俺が知っていることも少しはあったけれど、大半は知らない情報。
さらにいえば、パーティーという公の場で喋れる程度の重要性しかないけれど、俺たちが知らないはずのこと。
決定打になるような情報ではないけれど、そう力が強い訳ではない我が家が貴族社会でうまく生きていく為にとても大切な情報だった。
「侯爵さまの奥さまの、好きなお酒とか、知りたいの?」
ちょっと呆れたように言うアンジェ。
知ってどうするの?と言わんばかりだ。
「知りたいよ。知っているだけで出来ることが増えるからね」
「そういうものなの?」
「例えば、いつかうちの母がお茶会に呼ばれた時に、好きなお酒を知ってたらそれを手土産に持っていくだろう?
そうしたら、侯爵さまの奥さまは『あら自分の好きなものを覚えてるのね!仲良くしましょう!』ってなるだろ?
すると、兄が出世できたり、家に何かあった時に助けてもらえたりする訳だ」
「……なるほど?」
あんまり分かってない感じだな。
「まぁ、色々役に立つって事だよ」
「それならよかった。でも、人が多すぎるの。
聞こえないことも多かったよ」
「結構端の方に座ってたからな。俺の耳じゃあ会話の内容なんて何も聞こえなかったよ」
「そうなんだぁ……でも、とっても楽しかったよ!」
「アンジェはパーティー楽しいタイプなんだな。また行ってくれるか?」
「うん!行きたい!」
「これを持って行ったら父上はパーティーに出ろとうるさくなると思うんだが」
「また行けるってことだよね?」
「アンジェが嫌でなければ」
「やったー!行きたいの!だって、セトスさまと、楽しいお出かけなんだよ?」
「気に入ってくれていて本当によかったよ。じゃあ、俺は父上にこれを報告してくるな」
「うん!いってらっしゃい〜」
イリーナによると父上は自室にいるようだから直接報告へ向かう。
「失礼します」
「どうした?珍しい」
俺は最近あまり本邸に近づいていないからな。
「昨日のケイオス様のパーティーについての報告です。会場での会話の一部をこちらの資料にまとめました」
「ほう?」
父上は野心が強い訳では無いが、貴族としての一般的な考えはある。
パーティーの会話には興味があるだろう。
「発言者が分からないものもあるのですが、多少は役に立つかと思います」
「どうやって手に入れた情報だ?」
「会場の隅の方に座っていて、アンジェが聞こえたことを書き起こしただけです」
「これを聞いていることは他に分からない程の距離か?」
「はい。現に、俺には全く聞こえませんでしたから、普通は聞こえない距離です」
「でかした、セトス。特に、ヘンケルス辺境伯とは最近付き合うようになったばかりなんだ。少しの情報でも重要な時期だからな」
「それは良かったです」
「それで、次のパーティーの予定は?」
ほら、やっぱりだ。
父上だって役に立つ情報は欲しいし、何よりこちらの家が知らないはずの事とあればさらに欲しがるのは当然のこと。
「特に予定はありませんが」
「それならこちらで段取りをしておく。アンジェは行けるだろう?」
「昨日帰ってきた時点では疲れきっていましたが、本人は楽しかったそうです」
「そうか、そうか!楽しんでいるのならなおさら、早急に予定を組もう」
「アンジェは体力がありませんから、あまり詰めすぎないようにお願いしますね」
「ああ。アスセスが出るものに一緒に行けばいい。セトスも社交は得意ではないし、これだけの情報が手に入るなら行くだけで十分だ。
人間関係はアスセスに任せておきなさい」
よし、社交はしなくても良いと言質はもらった。
「それでしたら、行けると思います」
「予定を付けておくからそのつもりでな。
くれぐれも、アンジェを逃がすんじゃないぞ。
婚約してるからと言って油断せずに、しっかり捕まえておけよ」
「はい、もちろんです」
正直言って、驚いた。
父上はこの情報を喜ぶだろうとは思ったけれど、アンジェと俺が結婚することに少しばかり反対していたのがこうも簡単に手のひらを返すとは。
「では、失礼します」
部屋を辞して離れへ帰るが、俺は本当に嬉しかった。
父上は、口では俺が気に入っているなら結婚しても良いと言いながら、実際は結婚に賛成していなかった。
メラトーニにだまされたと思っていただろうし、せっかく何かの縁になるかと思っていた俺の結婚が、お荷物を背負うだけになるのが不本意だったのだ。
でも、今回のパーティーで父上は考えを改めた。
普通でも、初めてのパーティーなど何も出来ない。
粗相をしなければ上等と言われる状況下で、家の利益になる情報を取ってきたアンジェにこれ以上ないくらいの期待をしているのだ。
アンジェは何か特別なことをしている訳では無いから、その期待を裏切ることはないだろう。
本人はなぜ褒められているのかよく分かっていない様子だったし。
でも、これでアンジェの力が認められた。
何も出来ずに俺に頼るだけのお荷物じゃないってことが分かって貰えた。
そのことが、俺にとってはたまらなく嬉しかったんだ。




