30.支え合える
突然起こったアンジェのハイテンションも収まったところで、次はちゃんと歩くための練習方法を考えよう。
「アンジェ、そのまま座ったままで足を上下させれるか?」
右足は少し上がるが、左足が上がらない。
「じゃあ一旦これを練習しようか。
右上げて、下ろして。 左上げて?上がってないよ、もうちょっと……もうちょっと」
あっ、少しだけ上がった。
「下ろしていいよ。じゃあもう一回、右あげて?」
交互に足を上げるということに慣れさせてみる。
「うん、これなら、怖くない。
たぶん、右は、ペダルふむから、あげれるんだと、思う」
「ああ、それで右だけ上がるのか。
じゃあしばらくは立つのとこれを毎日練習しよう」
「わかった!」
手探りでの練習はやっぱりアンジェに怪我をさせてしまう可能性も出てくる。
だけどなるべく安全にしてあげたいから、きちんと考えて無理はせず、少しずつ出来ることを増やしていこう。
それから10日ほどして。
毎日少しずつ継続するということは素晴らしいもので、椅子に座ったままでの足踏みはほぼ完璧にできるようになった。
心なしかアンジェも得意げだ。
毎日少しずつとはいえ、できることが確実に増えていくから、アンジェのやる気にも繋がっている。
「足踏みは座ったままならできるようになったから、次は立ってできるようになろうか。
前の時だいぶ怖かったみたいだけど、大丈夫。前と違って練習もしたから。
ちゃんと支えるからやってみよう」
「わかった」
もう、立つことにはほとんど苦労はない。
足踏みは足の筋肉全体を強くしたようで、立つ動作も、立ってる時の姿もだいぶ安定している。
以前やった時のように、アンジェの肘の辺りをしっかりと持つ。
アンジェも俺の腕をしっかりと持ってくれた。
「よし、じゃあ右足をちょっとでいいからあげてみて?」
ほんの短い時間だったけれど確実に上がった。
トン、と軽い音がする。
アンジェが思っていたより簡単に上がったようで、少し驚いたようだ。
そして満面の笑みを浮かべ……出ました、アンジェお得意のドヤ顔。可愛い。
間近で見るアンジェの表情の変化は本当に可愛い。
瞳は閉じられたままで変化しないのに、それ以外の全てのパーツで喜びを伝えてくれる。
「できたよ、できた! もう一回!」
何度も何度も右脚を上下させる。
勢いがつきすぎて少しバランスを崩しそうになるが、お構いなしだ。
支える俺はちょっと大変なんだけど、アンジェはとっても楽しそうだからしばらくそのままにしておいた。
「じゃあ次は左足だな。
右よりも上がりにくいかもしれないけどやってみよう」
これまでの練習はピアノで使う右の方が動きやすいから、主に左足を中心にやっていた。
それでもやはり毎日ガッツリ使っている右足の筋肉には追いつかず、左足の方が動きが悪い。
それでもかなり動くようになっているからできるかもしれない。
恐る恐る左足を上げてみる。
右足が支えきれず、かくんと膝が曲がってしまった。
倒れるかもしれないと思っていたから、しっかりと支えられて、そのまま椅子に座らせる。
「大丈夫か? 痛くない? ケガしてない?」
「うん、大丈夫。もう一回」
そこであっ、と気付いたように俺を見た。
「無理、してないよ。ほんとに。
そんなに、怖くないから。コケるかもって、わかってたから」
慌てたように言い募る。
「大丈夫、わかってるよ。
やっぱり今回みたいにコケるかもしれないってわかってたら、心づもりもできるし不安も少ないよな。
でも左足が上がらないっていうより、右足が重さに耐えれなかっただけみたいだから、一旦休憩しようか」
コテンと首を傾げられてしまった。
自覚がないのかな?
「今、コケた時どうだったかわかる?」
ふるふると首を振る。
やっぱりコケてる最中にそんなこと考えられないよな。
「俺は横で見てたからわかったんだけど、左足を上げたからバランスを崩したんじゃなくて、右足の練習をしたすぐ後にそのまま左を始めただろう? だから疲れた右足が体の重さに耐えられなくなったんだと思う」
一気に話したせいで上手く話を咀嚼しきれてないようで、しばらく体をふらふら揺らしながら考えてるようだったけど……
「右足が、疲れてたから、うまくいかなかった?」
「そうそう」
アンジェは時間はかかったものの、理解してくれた。
でも、俺の悪癖が出てしまってるな。
相手のこと考えずに、自分の思うことをそのまま話してしまう。
今回、アンジェは俺の言いたいことが何か分かろうとしてくれたから、時間をかけてきちんと考えてくれたけど。
人によってはそのまま、わからないまま流されてしまうことも多い。
本当にどうにかしないとな。
少しの間悩んでいるとアンジェが不安げに手を伸ばしてきた。
「どうしたの?」
「あっ、ごめん。続きやろうか」
「まだ、ダメ。どうしたの?」
うーん……
無意識にごまかそうとしてたのは、見抜かれてしまったみたいだ。
「別に大したことじゃないんだけど、ちゃんと分かりやすい言い方しないといけないとなって思って」
自分の悪いところを言いたくはないんだけど……
ちょっと気まずい沈黙の後、またアンジェが手を伸ばしてきた。
意図がわからず戸惑っていると……
「あたま、どこ? 近づいて?」
よくわからないままとりあえず近づくと、ポンポンと頭を撫でてくれた。
「セトスさま、かしこい、からね。
でも、わたしは、分かるから、大丈夫。
もし、分かって、なかったら、ちゃんと、言い直してくれるし。
だから、大丈夫」
俺を慰めようと、必死に言葉を連ねるアンジェ。
長く話すのは苦手なのに、俺を慰めてくれようとする。
ちょっと涙腺が緩くなってしまったみたいで……
見えてなくてもアンジェにはバレてるかもしれないけれど、潤んだ瞳を晒したくないと思うのは男の性。
プライドとアンジェの優しさの間で身動きがつかなくなってしまった俺を、ずっとずっと、俺が自分から離れるまで撫でていてくれた。
俺がアンジェを支えてあげていると思っていた、でもそれは違う。
間違いなくアンジェは俺を支えてくれている。
自覚がなかったのが申し訳ないくらいだった。