22.満月
ひとしきり俺の仕事の話を聞いたアンジェは楽しかったようで、今度は自分の話を始めた。
「そうだ、ティアといっしょに、楽器をやろう、って。
なにが、いいと、おもう?」
「楽器か、そうだなぁ……ティアとやるならピアノか?」
「ピアノか、フルート」
「そうか、ミリアーナさんと一緒にするなら管楽器もありだな。
でもアンジェには肺活量が足りないからちょっと無理があるかなぁ?訓練にはなりそうだけど」
「はいかつりょう?」
「どれくらい息を吹けるかってこと。
アンジェはあんまり運動してないし、体力ないからね。
管楽器は結構体力いるらしいから、ピアノか弦楽器にしておいた方が無難かもな」
「そういうもの? わからない、けど」
「先生がいるかどうかもわからないからね、ちょっと母上に聞いてくるよ」
ソファから立ち上がると、不意に服を掴まれた。
「わたしも、いく」
*****
アンジェを車椅子に乗せて母上の部屋までやって来た。
「アンジェ、ノックして」
ノックくらい俺がやった方が早いんだけど、車椅子をめいっぱいドアに寄せてアンジェにさせる。
コンコン
軽い音が響くと、母が顔を出した。
「あら、アンジェちゃん。いらっしゃい」
「俺は無視ですか?」
あまりにもキレイに無視するものだから、冗談気味に言ってみた。
「男はいいのよ、男は。
成人した男なんてつまらないもの。
それに引き換えアンジェちゃんは、可愛いからね〜」
「はいはい。母上の希望通り、アンジェの話ですから」
「そうなの?
それなら早く言ってよ〜。中へ入って」
「俺の扱いが雑ですねぇ」
軽口を叩きながら中へ入り、ダイニングテーブルの椅子をひとつどけてそこに車椅子を止める。
「セトスさま、お義母さまと、仲いい?」
「ん?なんで?」
「たぶん、仲いい。
けど、ちょっとだけ、ちがうかも」
「ああ、冗談ばっかり言ってるからか。
心配しなくても、仲は良いよ。
こんなふうに面と向かって言い合えるのは仲がいいからこそだと思う」
「そういう、もの?」
「そういうもの。アンジェに心配かけるなら、やめた方がいいかなぁ」
「わかった、から、いい」
「こういう人間関係のニュアンスもちょっとずつ覚えてね。いつか、社交場へ行った時には必要になると思うから」
「セトス、あなたはアンジェちゃんを社交場へ出すつもりなの?」
「ええ、そうですよ?」
「それならアンジェちゃんにはだいぶ頑張って貰わないとね」
「そうなんですよね。
とりあえずは興味のある所からってことで音楽系をやりたいみたいなんですが、いい先生知ってますか?」
「さっきティアちゃんと3人で話してたんだけど、しばらく基礎が出来るまではティアちゃんに教えて貰ったらどうかなって」
「確かに、その方が安心ですね。
アンジェは、それでいい?」
「うん。さいしょは、ティアといっしょに、ピアノ。
それから、げんを、やりたい」
「アンジェちゃんは弦楽器が好きなの?」
「ミリアーナ、さんの、フルートは、むりだって。
でも、弦なら、出来るかも」
「そうねぇ。アンジェちゃんは身体も小さいし、管楽器を上手く吹くのは難しいかもね。
じゃあとりあえずはピアノで、ヴァイオリンかハープの先生を探しておくわ」
「母上、ありがとうございます。
良かったな、アンジェ。
何でも、努力した分うまくなるから、頑張って」
「うん、がんばる! ティアみたいに、弾けるように、なったら、セトスさま、聞いてね?」
「楽しみにしてるよ」
「じゃ、明日から、ティアと時間を合わせて教えて貰ったらいいわ。私でもいいしね」
「よろしくお願いします」
アンジェよりも楽しそうな母に暇を告げて別棟に帰る。
母屋の玄関から出ると大きな満月に照らされた。
「わたしね、おちゃかいって、何するものか、知らなかったの。
ことばだけ知ってて、なにするかは、ぜんぜん。
でもね、今日、わかった。みんなで、あつまって、おしゃべりする。
わたしが、おもってたより、たのしかった」
「そうやってアンジェの世界が広がってくれたら俺も嬉しいよ。
自分の好きことを探してどんどん挑戦して欲しいな」
「すきなことは、ピアノと、おちゃかい。
でもね、知らないこと、すると、つかれる。
今日は、セトスさまが、帰ってくるまで、ちょっとだけ、おひるねしてた。
イリーナが、した方がいいって、言うから」
「俺だって知らないこととか慣れないことをしたら疲れるよ。
でも、疲れたってことは体力がついたってことだから、アンジェが強くなれたってことなんだよ」
「わたし、つよく、なれた?」
「そうそう。ちょっとずつ慣れていけばいいしね」
「わたし、つよく、なりたいの。
セトスさまみたいに。セトスさまと、おんなじくらい、いろんなこと、できるようになりたい」
アンジェは、本当に強い人だと思う。
目指す所をはっきり決めてそれに向かって突き進むにはすごく沢山のエネルギーがいる。
俺も含めて普通の人はそれが嫌になって止めてしまうことも多いのに、アンジェはまっすぐ進んで行ける強さを持ってるんだ。
「いつか、俺と一緒に仕事ができるようになったらいいな」
「いいな、じゃないの。なるの。
立てるようになったし、ごはんを、たべれる、ようにもなった。
がんばれば、できるんだよ。
できそこない、じゃ、ないから」
「そうだな。一緒に頑張ろう」
「がんばる、から、みててね? ぜったいだよ?」
「ああ、絶対、隣にいる。約束だ」
この日、満月の下で交わした約束を、俺は生涯忘れない。