11.いきてるの。
3日後
変人職人とアルが『車椅子』と名付けられた道具を持ってきた。
台車というよりも椅子の両側に木製の大きな車輪をつけたような見た目をしている。
「椅子を台車に乗せると、かなり不安定になる上にガタガタとうるさいんじゃ。
台車に乗せるには人間は重たすぎるんじゃな。
じゃが、車輪を大きくするとあまりガタガタいわんようになるし、少しはコケにくくなるようじゃ。
なるべく扱いやすいもんを作ったつもりじゃが、改良点があればいつでも言ってくれ」
「ありがとうございます。アル、試しに使ってみたいから、乗ってくれ」
「大丈夫か?倒さないでくれよ?」
「知らん。倒れたらごめん」
「いやいや、開きなおりがこぇーよ!」
なんだかんだと文句を言うアルを半ば無理やり車椅子に乗せて動かしてみる。
「案外簡単に動くな」
「乗ってる側もぜんぜん怖くないな。結構安定してる」
普通の男性が乗っていてもこれだけ軽く動かせるのなら、アンジェはもっと簡単に動かせるだろう。
これさえあれば、どこへでも連れていってあげれそうだ。
もちろん、自分で歩けるようになって欲しいけど。
「うむうむ。いい出来じゃな!
さっそく、愛しのハニーのとこへ持っていってやるんじゃ!」
わはは、と豪快な笑い声を残して老人は去って行った。
「ありがとうございますー!」
大声でお礼を言うと、軽くヒラヒラと手を振り返してくれた。
そのままアンジェに会いに行った。
はやく彼女の笑顔が見たかったから。
「セトスさま!」
ガチャリとアンジェの部屋の扉を開けると同時に彼女がこちらを向いた。
俺の方に手を突き出してぱたぱた振っているので、軽く抱きしめてあげる。
「この前も気になったんだけど、アンジェはなんで俺が来たってわかるんだ?」
「だれかが言ってる、ときもあるけど、たぶん歩くときの音と、におい、かな?」
「足音でだれかわかるのか?」
「そう。あしおと。
足音は、いろいろあるから、わかりやすいよ?
こえみたいに」
「なるほどなぁ。アンジェは耳がいいから見えないところにいる人でもわかるんだな」
「そう。でも、今日は、足音じゃないのがあったの。
聞いたことない音、かも」
「それは、車椅子の音だよ」
「んん?くるまいす?」
「椅子の横に車輪がついてて、アンジェを乗せて運べるんだ。これに乗ったらどこへでも行けるよ」
途端にアンジェの表情が暗くなった。
「車輪、たぶん、ゴロゴロのこと」
「どうしたんだ?」
少しの間、暗い表情をしていたアンジェだけれど、すぐに覚悟を決めたみたいだ。
…………何の覚悟?
「だいじょうぶ。だいじょうぶ。
セトスさまと、いっしょだから」
「本当にどうした?」
何を考えているのかわからずに困っていると、横からイリーナが答えてくれた。
「おそらく、お嬢様の仰っている『ゴロゴロ』とは、以前に使っていた台車に椅子を乗せたものです。
かなり不安定だったので乗るのが怖いのだと思われますが、外に出るために頑張ろうと思っていらっしゃるのではないかと思います」
「なるほど。ありがとう。
アンジェ、今回のは違うんだ。
俺の知り合いに頼んで、ちゃんと安定してる、乗っても怖くないものを作ってもらった。
実際に友達を乗せて動かしてみたけど、大丈夫だったから」
アンジェの表情が少し柔らかくなった。
戦場に向かう兵士みたいだったのが、少しマシになった程度だけど。
「一回、ちょっとだけでいいから乗ってみないか?怖かったらすぐに言って欲しい。我慢しないで欲しいんだ」
こくりと頷き、立つために力を入れる。
身体を支えて椅子の肘掛けから手を離させると、イリーナが素早く車椅子に替えてくれた。
「後ろの椅子を変えたから、ゆっくり座ってみて。
高さが少し変わってるから、気をつけてね」
アンジェの弱い肌を傷付けないように気をつけながら車椅子に座らせる。
「今は大丈夫?」
アンジェが頷いたのを確認してからゆっくりと動かしてみる。
とりあえず、部屋の中をくるりと一周する。
動かせる範囲が狭い分、曲がるのに少し手間取ったけどほとんど揺らさずに一周できた。
「大丈夫だった?怖くない?」
「うん。ぜんぜん、こわくない」
「それならよかった」
「あの、セトスさま? そと、行ける?」
アンジェは元々外に行きたいと言っていたし、この前庭に出た時もとてもはしゃいでいた。
「もちろんいいよ。少しだけ庭に出てみようか」
アンジェをしっかり毛布にくるんで寒くないようにして、外に出る。
冬が間近とはいえ、太陽の光はまだ暖かい。
ベンチの横に車椅子を停め、隣どうしになれるようにして座ると、アンジェの表情がふっとゆるんで俺の大好きなふわふわの笑顔になってくれた。
「ありがとう、セトスさま。
ほんとに、本当にうれしい。
このまま、セトスさまのおうちに、連れて帰ってほしいくらい」
心の中で大きくガッツポーズをした俺を許して欲しい。
もう俺の家の準備はほぼ出来ていたし、あとはアンジェが来てから不自由なところをみつけて直していこうと思っていて。
アンジェが来たいと言ってくれたらいつでも連れて帰るつもりだったから。
「じゃあ、アンジェ、一緒に帰ろうか?」
バクバクと跳ねる心臓がうるさい。
なんだか、プロポーズでもしているような気分だ。
もう婚約しているというのに、断られるのが怖いみたいで。
「ううん。いまは、まだ、だめ。まだ」
……断られると、思ってなかった。
いつでもおいでって言ってたし。
連れて帰ってほしいって言ったし。
俺の発した絶望の気持ちが伝わったのか、アンジェが少し慌てた様子でフォローしてくれる。
「ちがう、ちがうの。行きたいの、セトスさまのところ。でも、まだ、だめなの。まだ。
ちゃんとしなきゃ」
「ちゃんと?」
とりあえずフラれたわけではないことがわかって、気持ちが持ちなおしてきた。
「そう。ちゃんと。
イリーナ、とうさまは、いま、いる?」
「いらっしゃると思いますが」
「じゃあ、セトスさまいるし、ちゃんと、しにいこう」
イリーナも俺も頭の上ははてなマークでいっぱい。
「アンジェ、ちゃんとって何をするつもりだい?」
「とうさまに、言うの。
わたしは、セトスさまの、ところに、行くよ、って」
彼女の表情は硬い。
しかし、背後に炎が見える気がするくらいに強い決意が感じられた。
「そうしないと、いつか、帰ってこいって、言われる、から」
「なるほど。アンジェは、本当に俺のところに来るために、頑張って色々考えてくれたんだね」
髪を軽く撫でるとアンジェはその手を包みこむようにして握り、自分の胸元に押し付けた。
「わたしの、ここ、ドキドキしてる、でしょ?
でもね、セトスさまが、きてくれるまで、そんなこと、気づかなかったの。
わたしね、いきてるのよ。いきてるの。
セトスさまが、いるから、いきてるの。それを、とうさまに、わかってもらうの」
アンジェにしては珍しく、長く話してくれた。
俺のために頑張ってくれてるのがめちゃくちゃ嬉しい。
「ありがとう、アンジェ」
アンジェが握っているのとは逆の手できつく抱きしめる。
傷つけないように気をつけながら、彼女には力いっぱい抱きしめられていると感じられるように。
しばらくそうしていて、そっと振り返るとイリーナさんが立っていた。
「旦那様のご都合は良いとのことです。今から行くかどうかはわかりませんと言って来ましたが、どうなさいますか?」
「セトスさま、いっしょに、いってくれる?」
「もちろん。アンジェがイヤじゃなかったら、一緒に行きたいよ」
「ありがとう。イリーナ、いく。
とうさまに、いまから行くって、いってきて」
アンジェは膝の上できつく両手を握り締めている。
「そんなに力を入れたら指を痛めるよ。俺は絶対隣にいるから、そんなに緊張しなくて大丈夫」
そう声を掛けてから、彼女の握りこぶしを解いていく。
指一本ずつ、丁寧に。
軽く手のひらを揉んであげると、少し緊張が抜けたみたいで。
「うん、ありがとう。もう、だいじょうぶ」
いつものようにとはいかないけれど、俺の大好きなふうわりとした笑顔をみせてくれた。