第九話 「美奈子の推理」
●朝 水瀬邸
時間を少し戻す。
水瀬家の朝食が終わった席。
ルシフェルが作ったご飯に味噌汁、目玉焼きと焼き鮭という、日本の伝統的な朝食が食卓を飾る。
世界最強級の二人が近くにいることに安心したのか、無性にお腹の空いた美奈子は、気が付くと大盛りご飯を2回、おかわりしていた。
好きな男の子の父親と姉の前で食べまくったことにようやく気づいたのは、茶碗を置いた後だった。
一瞬、戻せば何とかなるかと、とんでもないことを思いついたが、実践することだけはやめておいた。
「それだけ食べることが出来れば、大丈夫だ」
茶碗一杯をゆっくりと済ませた由忠は、満足げに頷いた。
「見事な食べっぷりだ。安心したぞ」
「き……恐縮です」
言われた美奈子は、赤面して小さくなるしかない。
「お義父様」
そんな美奈子をチラと見て、クスリと笑ったルシフェルが言った。
食事を終えた由忠に茶を出したり、食器を片づけたりと、その手が止まることはない。
制服の上に割烹着姿のルシフェルは、美奈子の目からみても何だか恐ろしく新鮮に思えてならない。
―――料理、本気で覚えようかな。
そう、思う。
そんな美奈子の視線に気づかないのか、ルシフェルは由忠に言った。
「病院が連絡がありました」
「死んだか」
「……どうしてそんなに嬉しそうな声、あげるんですか?」
「なんだ、生きているのか」
「“手の施しようがありません。今晩が峠です”って息子がお医者様に言われたら……」
「毎度毎度、祝杯を何度無駄にする気だ?あのバカは……で?一生寝たきりくらいの朗報はあるんだろうな」
「先程、退院しました」
「……ちっ。費用はあいつ持ちだろうな」
「当然です」
「ならいい」
「はい」
心底、水瀬が気の毒になった美奈子の前で、由忠が沢庵に楊枝を突き刺した。
「それと、水瀬君からですけど、警察からの依頼があって、病院にしばらく残るそうです」
「ん?」
「村田警部補―――ご存じですよね」
「ああ……」
天井に視線をさまよわせる義父の顔を見て、ルシフェルが顔をしかめた。
「お義父様」
「ん?」
「理沙さんの、一体何を想像したんですか?」
「ん?顔とか階級とか、実績とか」
「……どうして、実績思い出して鼻の下が伸びたんですか」
「……」
由忠は、何もなかったかのように、口の辺りを手で覆った。
「悠理はその件について何か言っていたか?」
「検死を頼まれたとか」
「検死?」
由忠は怪訝そうな顔をした。
「誰か死んだのか?」
「山中なんとかいう若い女性……私もその程度しか」
「山中美智子か?」
「えっ!?」
驚いた声をあげたのは美奈子だ。
「山中美智子って!」
「知っているのか?」
「親戚です。今、お母さんがお通夜に」
「25歳……自宅は台東区か」
「お義父様?どうしてそこまでご存じなんですか?」
「ここに書いてある」
由忠は、そう言って、手元に置いてあった新聞を美奈子達に手渡した。
「不審死の妻を葬儀場へ〜あきれた夫逮捕へ
失踪した後に、自宅付近で死体になって発見された山中美智子さん(25)の遺体を、警察に届けることなく自然死と偽った夫・山中忠夫容疑者が○日、警察により逮捕された。
「妻が不審な死に方をしたとなれば、社会的信頼に傷が付く」と、山中容疑者は妻の死を偽った動機を説明している。警察が美智子さんの遺体を確保したのは葬儀場、すでに家族や職場関係者が参列し、僧侶による読経が挙げられている最中だったため、一時葬儀場は騒然となった。
この件については、死亡診断書を偽造したとして、知り合いの医師も事情聴取を受けており、警察は、容疑がかたまり次第立件する方針だ」
●桜井邸
「参ったわよ」
美奈子の母は、疲れた様子で首を横に振った。
場所は美奈子の家のリビング。
美奈子の横にはルシフェルがいた。
「死因は心臓発作って聞かされていたのよ?美智子ちゃん健康そうだったのにって、みんな首を傾げていたら、突然、警察が来て、他殺の可能性があるだの検死するだの」
美奈子の母はお茶を飲みながら続けた。
「最後にはダンナさんが逮捕されるでしょう?あれ、ダンナさんが殺したのかしら」
「それはわかんないけど……」
興味津々という顔をする母親に困惑気味の表情を浮かべる美奈子はルシフェルを見た。
「その美智子さんって、親戚か何か?」
「やだもうっ!」
美奈子の母は美奈子を叩く素振りをした。
「美智子ちゃんとは遊んだことあったでしょう?山梨にブドウ狩りに行ったの覚えてない?」
「いつの話?」
「あんたが2歳の時」
「覚えているわけないでしょう?」
「お母さんは覚えているわよ?」
「……その」
ルシフェルが口を開いた。
「美智子さんは、つまりは美奈子ちゃんの?」
「まぁ、一言で言えば親戚ね」
美奈子の母は頷きながら答えた。
「勝年さん―――つまり、おばあちゃんの弟の血筋。」
「桜井さんって、親戚は多いんですか?」
「いえ?逆よ。勝一郎さん、つまり美智子さんのお父さんは3年前にガンで。お母さんは戦争で亡くなっているから、美智子さんも身寄りがないのよ」
「―――えっ?」
「正直」
美奈子の母は、首を傾げながら言った。
「桜井家っていうのは、本当に細い家系でね?びっくりするくらい親類縁者はいないの。最近はお葬式もこじんまりとやるらしいけど、それでもあの若さなら、親兄弟、親類集まればそこそこの数になるのが普通でしょう?
だけど、桜井家はそうはいかないのよ」
「どうして?」
「そりゃあなた。人がいないんだもの。今回のお通夜だって、会社と交友関係抜きにしたら誰もいないような感じで、お母さんが親族席の上座よ?……まぁ、知っている限り、親類集まるとなれば、10人集まった覚えないものね。あなただってそうでしょう?
お母さんが小さい時からそう。
お父さんのお葬式の時、お母さんに聞いたものよ。“ウチはどうしてこんなに人が少ないの?”って」
「そしたら?」
「……おばあちゃんが亡くなる少し前に聞いた話だけど」
美奈子の母は、湯飲みにお茶を注ぎながら言った。
「桜井って姓は、明治に入ってから……もっと正確には、葉月市に来てから名乗った姓。それ以前のご先祖様がどんな姓を名乗っていて、どこに住んでいたのか。誰も知らないの」
「え?」
「サムライだったのか、農民だったのか……誰も知らない。それが私達桜井家のご先祖様」
「た、例えば」
美奈子は無い知恵絞って訊ねた。
「お寺とか。ほら、過去帳ってあるでしょう?」
「まぁ無理ね」
美奈子の母は首を横に振った。
「明治維新でこの一帯焼け野原でしょう?うちが檀家になってる居菩寺だってその後に再建されているから」
「……過去帳が残っていない?」
「ルシフェルさん。その通り。明治維新で、あのお寺も一度、村ごと消えたから」
「……消えた?」
「そう」
頷いたのは美奈子だ。
「それまでの葉月は、単なる小さい漁村に過ぎなかった。漁村といっても、港といえる港もないようなところ。あるのは遠浅の海岸と砂浜だけ」
「……へえ?」
ルシフェルの知る葉月市は、軍需企業の工場が乱立する一大工業都市にして、世界的に知られた近衛軍の軍都だ。
半円形の深い港は大型船舶が常に出入りを繰り返し、上空を飛行艦が行き来する葉月市しかイメージ出来ないルシフェルには、この軍都が昔は長閑な漁村だったと言われても、ピンとこない。
「江戸城攻略を目指す新政府軍と、それを阻止したい幕府軍双方の魔法騎士達が激突したのがこの葉月村付近。一連の戦闘中に、原因不明の爆発が発生して、葉月村は消滅。当時、残っていた住民で助かった者はいない」
「……」
「何しろ、爆発のエネルギーは、遠浅の海岸をえぐり取ったくらいだもの。その結果生まれたのが、今の葉月湾」
「地形を変える程の爆発?」
「そう。爆風と熱線で両軍共に壊滅的な打撃を受けた両軍。特に江戸防衛を目指す幕府軍に与えた影響はかなりだったみたいね。江戸城無血開城は、この葉月湾の誕生と引き替えだったわけ」
「……成る程」
ルシフェルは頷いた。
「お寺の過去帳も、葉月市が出来てからしか残ってないでしょうしねぇ……」
美奈子の母は、そう言って肩をすくめた。
「美智子さんが亡くなれば、桜井の血筋は美奈子だけになるのねぇ」
●近衛軍某施設
「“マルタ”が口を割りました」
入室してきた女性士官が、敬礼の後にそう言った。
マルタ―――漢字変換すると“丸太”だ。
即ち、物言わぬモノ。
この女性士官が―――いや、関係する者達が、その相手を人間扱いしていないことは、それだけでわかる。
口を割ったんじゃなくて、割らせたの間違いだろう。
それを聞いた由忠と水瀬は、その突っ込みだけはしなかった。
割らせるよう、命じたのは彼ら自身なのだ。
「フリーランスの何でも屋です」
「依頼主は?」
「ペーパーカンパニーです。“マルタ”自身が良いように利用されていたことになります」
「……そんな所だろう」
由忠はタバコを灰皿にねじ込んだ。
フリーランスの何でも屋に仕事を依頼する連中で、まともな者がいた例は、由忠の生涯でも数えるほどしかない。
「ホンモノの村田警部補は?」
椅子の背もたれにもたれかかり、目を閉じて女性士官の話を聞いていた水瀬は、目を開けずにそう訊ねた。
「警察病院内の駐車場に停車していたパトカーのトランクから発見されています」
「……そう」
「実行犯は水瀬少佐だと、村田警部補は見ているようですが」
「……後で否定しておく」
水瀬は目を開いた。
「……どう見る?お父さん」
「ここでは大佐と呼べ」
「……どう、見るの?」
「連中の狙いは間違いなく、あの美奈子という女の子だった」
由忠は息子に言った。
「部屋に強行突入、対象を拉致する。それが狙いだったが、相手が悪すぎたな」
「だからわかんないんだ」
水瀬は首を傾げた。
「何で?どうして桜井さんが狙われるのか」
「……確かに、怨恨の線は考えられないな」
由忠も、デスクの上に広げられた書類を眺めながら頷くしかない。
書類―――
それは全て、桜井美奈子に関する近衛の調査報告だ。
生年月日から過去の経歴といった月並みなものから、一体、どうやって調べたのか。それ自体が疑わしいほど、美奈子の人格に関わる重大な内容を書き連ねたものもある。
「この書類」
デスクに手を伸ばした水瀬は、興味なさそうに書類を片づけながら言った。
「言いたいことは、桜井さんが“シロ”だってことでしょう?」
「……そうなるな」
「所でお父さん」
「ん?」
「桜井さんのスリーサイズをメモしていたけど、何するの?」
「お前は体重をメモしていたろう」
「……二人とも」
ゴホン
わざとらしい咳払いをした二人が、女性士官の視線から逃れるように会話を続ける。
「……書類上、“シロ”だ。では、事態が収拾出来ん」
「桜井さんが狙われる理由……」
「そう言えば悠理」
「何?」
「お前―――前に面白いモノを見たと言っていたな。何でも、あの桜井美奈子に送られてきた荷物に入っていたという」
「?」
水瀬は、しばらく考えた後、ようやく思い出した。
「ミイラの手首のこと?」
「それだ」
「若い女の手首だけど」
水瀬は、父親に怪訝そうな顔をした。
「ミイラだよ?」
「……お前は俺に何をしろというんだ」
「……」
「……」
「……そう言えば」
水瀬はポンッと手を叩いた。
「宛先がヘンだった。桜井さんじゃなかったんだよね。あれ」
「ん?」
「桜井美那の子……そう、書かれていた」
「誰だ?それ」