第八話「死体安置室にて」
「悪いわね」
翌日、水瀬は理沙に呼び出された。
呼び出された場所は警察病院。
しかも死体安置室だ。
「―――それにしても」
理沙は安置室のドアを開く手をとめた。
「どうしたの?それ」
「……いろいろありまして」
悲しげにそう答える水瀬は全身包帯とギプスだらけだ。
死体よりも死体らしい。
理沙は本当にそう思った。
「彼女と修羅場にしても派手すぎるわよ?」
「……ううっ」
「本当みたいね……はいはい泣かないの」
「グスッ、それで?」
「今回のホトケさんは」
理沙に促された水瀬は、安置室に入った。
薄暗い照明しかない上に、空気がよどんで線香の臭いでもなければ気が狂いそうな、そんな部屋。
普通の神経の持ち主なら、入ることさえ躊躇って当然の場所だ。
白い布がかけられた寝台が一つ、置かれている。
香炉に立てられた線香から白い煙が上がっている。
水瀬は軽く手を合わせた。
「ホトケ様の名前は―――」
理沙は、開きかけたバインダーを脇に挟んだ。
「まだ言わなくて良いわ」
「?」
水瀬は怪訝そうな顔で理沙を見た。
「まず、死体を調べて、意見を聞かせて」
「外見だけでいい?」
「……」
検分を終えた水瀬は、死体に白い布をかけ、再び手を合わせた。
死体は30代の女性。
死に顔に苦悶の表情がなかったのが唯一の救いだ。
「どう?」
「どう……って」
水瀬は困惑した様子で、何度も首を傾げた。
「この人、どうしたの?」
「何が?」
「……内臓っていうか」
水瀬は、白い布をかけられた死体に視線を送りながら言った。
「お腹の中で何かが爆発したみたいな裂け方してる」
「死因は失血死」
理沙は死体から視線を外さずに答えた。
「検死の結果も、内部からの何らかの圧力による内臓器の破裂が認められている」
「……腸で?」
「子宮がね……跡形もないって」
「……オモチャでも入れたの?」
「どこの世界に爆発するようなのがあるのよ」
「世の中、いろいろいるから」
「……本気でそう思っている?」
その質問に、水瀬は黙った。
「そんな馬鹿げた死に方したマヌケを見せるために、私が水瀬君をここに?」
「……僕が異常だと思うのは」
水瀬は言葉を選びながら言った。
「死体の損傷もだけど……」
「死体そのものの状況なんだよ」
「?」
理沙は、表情を変えずに、じっと水瀬を見た。
その視線に促されるように、水瀬は言葉を続けた。
「子宮付近に、魔力が発動した痕跡がある……信じられない」
「どう?」
「どう作用したらこうなるか、まるでわかんないけど」
水瀬はしきりに首を傾げる。
「かなり強力……としか言い様がない」
「―――それと?」
「魂が崩壊している」
「―――崩壊?」
「強い魔力に接する場合、もしくは強い魔力を持つ者に憑依されるなどして、魂がその強い魔力と融合もしくは同調した際、魔力に負けて吸収されたり、破壊されることがある。その典型的現象になっている」
「お葬式、あげるだけ無駄じゃないの?それって」
「―――魂の救済がお葬式っていうなら、そう」
水瀬は頷いた。
「死後3日くらいは経っているけど?」
「ええ」
理沙は頷いた。
「死亡推定時刻は3日前の午前2時頃。死体発見は同日午前10時過ぎ。死体は白装束を着用した状態で、自宅付近のベンチに横たえられていた」
「……」
「何が起きたの?」
「―――私が知りたいわよ」
「どんな実験したのかな。それとも儀式?」
「だから」
ヘンな質問をする水瀬に、理沙はあきれ顔だ。
「―――肝心のこと、聞き忘れていた」
水瀬は死体から離れ、安置室から出ようとして、思い出したようにドアの前で止まると、くるりと振り向いた。
「この人、誰?」
「やっと話させてもらえそうね」
理沙はようやくバインダーを開いた。
「山中美智子。年齢25歳。職業会社員。ENC社葉月支店の経理課勤務。結婚歴有。夫は葉月忠夫SLC社葉月支局勤務。夫婦仲は良好」
「……」
「山中美智子は6日前の21時に退社したのを最後に失踪、家族から捜索願が出ていた。死体発見は自宅付近でよかったんだけど」
理沙は肩をすくめた。
「夫婦共に大企業勤務でしょ?事件になってもらっては困るってわけでいろいろとあったのよ」
「?」
「まず、不審な死に方してる以上、警察に届け出る必要があるのに、それをしていない」
「……うん」
「知り合いの医者に偽の死亡診断書書かせて、火葬届けも出したんだけど」
「……へ?」
「所が、ホトケさんが見つかった所を、近所のうるさいバアさんが見ていたのよ。で、このバアさん。警察へご注進してくださったワケ」
「……へぇ?」
「警察も一応、事情聞いたら死因から何から支離滅裂。素人がどんなに頑張っても、プロならわかるのよ。
ほら。病院以外、自宅でさえ、少しでも不審な死に方した場合、警察に届け出る義務があるんだけど、ダンナはそれを無視した。
それが立派な犯罪で、“これ以上やったらしょっ引くぞ!”って脅したら、全部白状してくれた。
警察が死体抑えた現場がね?お通夜の真っ最中。
もう大騒ぎになったそうよ?
参列した人達、みんな急病で死んだと思っていたら、他殺の可能性があるなんて言われたもんだから」
「……葬儀屋さんもお気の毒に」
水瀬はそこで、理沙に訪ねた。
「旧姓は桜井?」
「―――大正解♪」
理沙は満足げに微笑んだ。
「水瀬君はこういう方面には頭の回転が速くて助かるわ♪」
「昨晩は、僕がお相手出来なくて悪かったね」
「いいわよ」
「……」
「……」
理沙の動きが、止まった。
「私、何かヘンなこと言った?」
「昨晩……誰に相手してもらったの?」
理沙の手が動いたのは、その瞬間だった。
懐に突っ込まれた手が抜かれた。
そう思った次の瞬間―――
水瀬を、何かが襲った。
ただの弾丸ではない。
「?」
展開した魔法防御壁に突き刺さったのは、無数の短い針。
「これ―――短針銃?」
超硬質の針を大量に、高速で撃ち出すため、金属でもボロボロにすることができる恐るべき代物。
無論、その殺傷能力の高さと、非人道性、超至近距離にのみ有効という、使い勝手の悪さから、正規部隊で使用される代物ではない。
まして警察官である理沙が使うことはありえない。
「どこの誰か、聞いておく必要がありそうだね」
「ば、馬鹿なっ!」
理沙は目を見開いて水瀬を見ていた。
「魔力防御でどうして!?」
「対魔力加工でもしてあった?」
水瀬は楽しげに口元を緩めた。
その途端、
ジュッ
小さな音を立て、防壁に突き刺さっていた針が蒸発して消えた。
「―――なっ」
「おあいにくさま」
愕然とする理沙に、水瀬は心底楽しげに微笑む。
「さて……いろいろ喋ってもらうからね?」
水瀬の魔法が理沙を襲ったのは、その直後だった。