第十八話 「諸悪の根元は語る」
「気を悪くしないで聞いてくれ」
水瀬が樟葉にたっぷり説教を喰らっている頃、ルシフェルを前に、由忠はそう切り出した。
場所は由忠の執務室。
将官用に設計された広い室内には、由忠と涼宮遙中尉の姿があった。
涼宮遙中尉。
千里眼と呼ばれる能力―――第三眼の持ち主として一年戦争全般において早期警戒・索敵任務で活躍した。
その探索範囲とその精度は人類史上最高レベルと聞くが、どこをどういう経緯をたどれば、そんな気の毒な立場に立たされるのか、現在は水瀬の専属CPOという、ルシフェルではないが気の毒すぎる立場にいた。
「あのバカ息子は、近衛の任務から外される」
「何故ですか?水瀬君がどれだけ問題起こしても、それだけは」
「あいつは、美奈子ちゃんの探索に全力を傾けてもらうということさ」
由忠は肩をすくめた。
「そして俺達は、近衛の正式な任務を受け、行動することになる」
「はい」
「よし。まず、任務の概略から説明しよう」
由忠はそう言うと、机の上にあったリモコンを手にした。
「事件の経緯についてだが―――ん?」
由忠は壁めがけてリモコンのボタンをさかんに押すが、何も起きない。
「おかしいな―――故障か?」
「閣下」
「中尉、これは再生ボタンを押せばいいんだろう?」
「あのですね?」
遙が由忠の手からリモコンをもぎ取ってボタンを押した。
「その前に、主電源を入れてください」
「そ……そういうものなのか?」
「そうです」
遙が操作しているのは、どうやらプロジェクターのリモコンらしい。
ルシフェルは、執務机の端に置かれた遙のものらしい小型端末に気づいた。
「ルシフェちゃんには、信じられないかもしれない情報だけど」
確かこのフォルダに……あ、これだったかな?
遙はいくつかのフォルダを開いた後、画像を表示した。
「……」
映し出された画像を見て、目が点になったのはルシフェルだけじゃない。
由忠でさえそうだ。
「失礼しました」
ただ一人、遙だけが平静を装って、手早くリモコンを操作、別なフォルダを開こうとする。
「す、涼宮中尉?い、今のは?」
「気にしないでください。事故です」
「裸の男同士が絡んでいたような気が?」
「気のせいです」
「た……確かに、私には信じられません」
「錯覚です―――あった」
二人からの冷たい視線をはじき返しながら、遙は一つのフォルダを開いた。
「ドライブはEじゃなくて、Fだったんですね―――今回の事件については不明な点が多すぎます」
「俺には、中尉の趣味の方が不明だが……」
「何か?」
「……いえ」
プロジェクターに映し出されるのは、ルシフェルにはどこか見慣れたような場所だった。
「これ……神社の倉庫か何か?」
「そう思ってください。正確な場所については、私も知らされていません」
「遙さんも?お父様はご存じなのですか?」
「……問題は、どこで盗まれたかではない」
由忠は言った。
「何が、誰に盗まれたか、だ」
「はい」
「とにかく、教えられる限りは教えておこう。場所は宮中。昨夜、侵入者があり、全ての防衛網を突破、保管されていた宝物を盗み出した後、逃走。現在に至るも足取りは不明」
「……遺留品は?」
「ない」
由忠は即答した。
「監視カメラも破壊されたため、映像が残っていないと報告を受けている。ありえない話だがな」
「……」
ルシフェルもそう思う。
宮中の防衛網は、ルシフェルでさえ、そう簡単に突破出来るものではない。
その上、監視カメラに姿を残さないとなれば、ルシフェルには出来る自身が全くない。
それをやってのけた?
一体、どんなバケモノだ?
「それで、だ。ルシフェル」
「はい」
「現時点では、ここまで知っていればいい。新たな情報が入り次第、連絡する」
「?あの」
ルシフェルは首をかしげた。
「肝心の、何が盗まれたか、まだ聞いていませんけど?」
「うむ。いい質問だ」由忠は満足そうに頷いた。
「実は―――俺も知らん」
「……は?」
「あのね?ルシフェちゃん」
遙が申し訳なさそうに言った。
「賊が侵入した所って、実は半世紀近く、正確には作られてからずっと、満足に誰も入ったことのないような、いわば開かずの間なの」
「開かずの間?」
「だから、ここに何が収蔵されていたのかは、記録を当たらなければならないのだけど、これがいろいろと厄介で」
「?」
「同じ部屋にあったらしいんだけど、過去に封印されて、そのまま行方不明になっていた妖魔とか、爆発系の呪具とかが暴れ出しちゃってね?左翼大隊第一中隊が総掛かりでかかってはいるけど、未だ勝負がついていないの」
「……つまり」
ルシフェルは話をまとめた。
「何が収蔵されていたかを知るにしても、収蔵品そのものが暴れ出して、何もわかっていない……そういうことですか?」
「そうだ」
由忠は満足そうに頷いた。
「さすが俺の娘だ。よくわかったな」
「……とりあえず」
ルシフェルはあきれ顔で父親の顔を見るのが精一杯だ。
「さっさと妖魔を撃破する方に動くべきでは?」
「ルシフェルがそう望むなら、俺は父親として動いてやろう」
「―――お願いします」
ルシフェルは言った。
「一度でいいです。マトモな父親をやってみせてください」
近衛は、侵入者に逃走された後、即座に遙以外の第三眼による追跡を開始した。
だが、宮城の中でその反応が消失。以降の足取りは全く確認出来ずにいる。
テレポートにより宮城を脱したものと断定可能。
報告ではそうなっていたが、由忠はそれに納得していない。
由忠自身もその程度しか報告を受けていない。
宮城とその周辺は、魔法騎士による奇襲攻撃を阻止するため、原則としてテレポートが一切不可能な魔法陣を展開している。
この魔法陣を突破出来るとすれば、それはごく限られた超高位魔法騎士くらいなのだ。
事実、先程、あのバカ息子が侵入に失敗したと報告を受けている。
つまり、相手はあのバカ息子より優秀となる。
そんな魔法騎士が、よりによって盗人になるはずがない。
だが―――実際は違う。
警戒厳重な宮城に侵入。
一人も殺すことなく、すべての騎士達をねじ伏せ、
誰もが忘れていた宝物を盗み出し、
悠々と宮城を脱出した―――
全てに要した時間はわずか15分。
由忠でさえ、見事というしかない手際だ。
だから、相手が誰か知りたいと、由忠も思った。
しかし、ここで奇妙な連中が横やりを入れてきた。
近衛元帥府
別名幹部会議と呼ばれる近衛兵団の最高諮問機関だ。
事態の連絡は、この元帥府を経由し、由忠に伝えられた。
監視カメラに映像は残らず、
騎士達は記憶を失い、
足取りは一切不明。
つまり、誰がどうやって、何を盗んで、どこに消えたか?その一切が不明だというのだ。
―――ありえるか。
そんな報告を前にすれば、由忠でなくても、そこに何か意図的なものを観じずにはいられないだろう。
元帥府は何かを隠している。
いや―――
元帥府は何かを隠滅した。
そう言うべきだろう。
真実を知る者のうち、由忠が接触出来るのは、おそらくは樟葉とその副官である篁だけだろう。
痛めつけて聞いてやろうかとも思ったが、樟葉は自分の上官だし、篁は口を割る前に自殺しかねないカタブツだ。
―――あの樟葉の側にいたら、嫁のもらい手なくなるぞ?
篁の美貌を思い出しながら、心底残念だと由忠は思わざるを得ない。
―――いっそ、俺の愛人に……。
ふと、そんなことを考え、由忠は脱線気味の思考を戻した。
相手が誰かは知らない。
何が盗まれたかもわからない。
そこでさじを投げるわけにも行かない。
だから、由忠は発想を変えた。
単に、盗人が盗品をどうするか。
それだけを考えたのだ。
盗品の使い道はどうしても二つに絞られる。
使うか
売るか
使うとなれば、事後確認が出来る。
もっと厄介なのは、売る方だ。
とにかく、バイヤーをあたるしかない。
そっちの方が近い。
どうせ、あの店だ。
盗まれた場所の特殊性から、由忠がすぐに思いついたバイヤーの店は一つ。
―――出来れば、ここにだけは来たくなかった。
小雨の降る街角にぽつんと立つ古ぼけた骨董品店。
ここに来るのは何年ぶりだ?
由忠はため息一つ、そのドアを開いた。
ドアには、古い字体で、天原骨董品店―――そう、書かれていた。
「……」
空気までが古ぼけているような錯覚にとらわれる店内は、由忠が最後に訪れた時そのままに、時を止めているようだった。
入り口のショーウィンドウに飾られた色あせたフランス人形の虚ろな目。雑然と積まれた正体不明な金属の塊。
迷路のような店の造り。
すべてが何も変わっていない。
不思議な感慨を抱きつつ、由忠は誘われるように店の奥へと入っていった。
「おお。由忠ではないか!」
誰もいないと思っていたレジの後ろから、少女の明るい声がした。
「―――久しぶりだな。かのん」
「うむ!何年ぶりじゃ?」
「悠理が生まれて以来か?」
「もうそんなになるか?懐かしいのぉ」
カノンは、湯気を上げるティーセットを載せたお盆を、縛られた革張りの本の上に置いた。
「ところで由忠、このレジは覚えているか?」
「ああ。ガキの頃、このレジから金盗み出して、何度お袋に殺されかかったか……」
「妾も巻き添えになって大変じゃったからなぁ……」
「お前も一枚かんでいたろうが」
「何じゃ?」
かのんは不満げに、その人形のような顔をしかめた。
「幼なじみ、しかも筆おろしの相手にそれはないじゃろうが」
「へいへい……昔の恋人には親切にしますよ」
「ふん。昔の純情さはどこにいったんじゃ……」
さみしいぞ。と、かのんは口元をとがらせた。
「ところで、お袋に会いたい。通るぞ?」
「ああ……ご主人様にお茶をお持ちするところじゃ。ついて来い」
通路を幾度も曲がった後、由忠は黒光りする頑丈な古代樫で作られたドアの前に立った。
「ここに来るには、お前かお袋が必要ってのも大変な話だな」
「防犯上のことじゃ。無理に侵入した愚か者は永遠に続く“無限回廊”に送られ、未だ死ぬことも出来ずに藻掻いておるわ」
かのんはドアを叩いた。
「ご主人様?由忠がお見えじゃ」
「由忠が?」
ドアの向こうから、かのんによく似た声が聞こえた。
「入りなさい」
「ふぅん?」
由忠から説明を受けたのは、由忠の母―――神音だ。
「宮中に侵入者。しかも何かを強奪された……か」
「……あの」
母親を前に、由忠は小さくなるしかない。
目の前にいるのは、どうひいき目に見ても小学生なのだが、それでも実の母親であり、外見からは想像さえ出来ないその恐ろしさは、子供の頃から骨身にしみている。
「近衛には第三眼がいるでしょ?たしか、悠理の部下にも」
「彼女にも発見出来ていません」
「使えないわね」
「すみません」
「で?盗品だからって、ここに来たと?」
「はい。ついでに、宮中侵入の手ほどきなんかしてないか……と」
「由忠」
カチャ。
手にしたティーカップをソーサーに戻した母親の鋭い声に、由忠は無意識のうちに姿勢を正した。
「私にも仁義というものがあります」
「はぁ……」
「代々、水瀬家が忠節に励んだ皇室に対し、何故私が弓を引くが如きマネをすると?」
「か、関わっていないのですか?」
「私から購入したブツをどう使おうが、私の知ったコトじゃありません」
「あ……あの、それがマズ……」
「由忠。いいこと?私は商人です。売ったモノの扱いまで責任はとれないわよ?」
「し、しかし……それなら」
「相手が誰か?知りたいなら情報料を支払いなさい。これはビジネスです」
「……いくらですか?」
神音はその細い指を二本立てた。
「悠理に請求してください」
「それでも親?」
「それは僕のセリフです―――成立ですか?」
「まぁ、いいでしょう……それで、何を知りたいの?」
「まず、犯人……いえ、取引相手について」
「そうねぇ……」
「本名を」
ちょっと言い淀んだだけで、由忠は母親を制した。
「仮名偽名はご遠慮下さい」
「本当に面白みのない子……どこで育て方間違えたのかしら」
神音は憮然としてカップに口を付け、
「一々覚えているワケないじゃない。バカね」