第十七話 宮中異変
この村が、自分を歓迎していないことだけは、そのカギでわかった。
腹いせに石でもぶつけてやろうかと思ったけど、とりあえず止めた。
他にもやらなければならないことはあるんだ。
「あれ?」
水瀬の携帯電話がなり出したのは、その時だ。
「……あっ。遙さん?」
相手は遙だ。
「どうしたの?」
『だから』
「何が起きたの?すぐ戻ってこいって」
『緊急事態。ちょっとスゴいことが起きたから』
「?テレポート使っていい?」
『ダメ。普通に来て』
「半日かかるよ?」
『悠理君は、何のために空が飛べるの?』
「面倒くさいよ。電車の特急料金、ついでにお弁当とお茶、経費で落ちないの?」
『グーとパー、どっちで殴られたい?』
「すぐ行きます」
「私、空飛んでこいって言ったのよ?」
水瀬の頭に出来たでっかいタンコブに湿布を当てながら、遙は呆れ顔で言った。
「テレポート防御シールドが昨日から強化されたの、知らなかったの?」
「知らないよぉ……」
場所は宮城の一角。
飛行が面倒くさいという理由でテレポートによる進入を試みた水瀬はモノの見事にテレポート防御シールドにひっかかり、連動する警報システムが作動、捕縛された挙げ句、樟葉にブン殴られ、巨大なタンコブを作ったのだ。
「それにしても……饗庭中将もここまで殴らなくても」
「ううっ……年増のヒステリーって言い返しただけだよ?」
「言い過ぎ」
「“何か言いたいことがあるならいってみやがれっ!”って言ったの、樟葉さんだよ?だから」
「だから」
湿布を貼り終わった遙は諭すように言った。
「相手のこと考えて、それが言っていい言葉かどうか、喋る前に考えなさいって言われているでしょ?」
「……うん」
「祷子ちゃん怒らせたあの時、自分から約束したのは、悠理君なんだからね?」
「……うん」
水瀬は頷いて、
「それで?何が起きたの?」
「昨晩、宮中に侵入者があったの」
「それで?もう始末されたんでしょ?」
「それがね?」
「まさか」
水瀬は目を見開いた。
「に、逃げられたの?」
遙は無言で頷いた。
「防衛隊は壊滅したけど、死者は確認されてない」
「樟葉さんがイラついていたのって、生理不順じゃなかったんだ」
「こらっ!」
遙のチョップが悠理のタンコブにクリーンヒットした。
「そういうこと言っちゃいけませんって、何度言えばわかるの!?―――こらっ!お姉さんがお説教してあげているのに、白目むいて気絶するなんて、許されると思っているの!?こらっ!」
「……なんだ、その頭は?」
「放って置いて下さい……ぐすっ」
「タンコブの上にタンコブとはな……本当に愉快なヤツだ」
「下のタンコブ作ったのは樟葉さんでしょ?」
「お前が作って下さいとおねだりしたからだ」
「言ってないよぉ……」
「もう一個、作って欲しいか?」
「ううっ……」
水瀬は恨めしそうに言った。
「僕の背が伸びないのは、お父さんと樟葉さんとお師匠様にゴチゴチ殴られているからだぁ……」
「生まれつきを人のせいにするな。ところで、さっき聞き損ねたが、何のために宮城へテレポートした?しかも無断、無許可、不法で」
無断、無許可、不法を険悪なまでのトーンで口にした樟葉は、顔こそ笑っているが、目が怒っている。
「樟葉さん」
言いかけて、水瀬は慌てて口を押さえた。
「ん?どうした?」
「な、何でもないよ」
「言いかけたことを途中で止めるのはマナー違反だぞ?」
「怒らない?」
「ああ」
「……そんなに怒り方すると、シワになる」
ガンッ!
「怒らないって言ったでしょ!?」
頭の上でタンコブがツインタワーになった水瀬が泣いて抗議するが、
「知るかっ!」樟葉はそれを一喝する。
「ワケを言えっ!」
「だから、何だか知らないけど、宮中に侵入者があったから戻れって、遙さんが」
「……ああ」
樟葉は、納得したという顔で頷いた。
「事態が事態だから、涼宮中尉がお前を呼び戻し、お前は中尉の警告を無視した挙げ句がこの失態というわけか」
「何があったの?」
「……お前には関係のないことだ。その件は他の部隊が当たる」
「じゃ、いいの?」
「ああ―――下がっていい。ついでにしばらく遊んでいいぞ?」
「本当?」
「しばらく、私の権限で、お前を近衛の任から解く」
「……え?」
「どうした?疑わしいって顔だが?」
「僕、そんなこと聞くために、こんな目にあったの?」
「自業自得だ」
「何だか理不尽だなぁ……それで」
水瀬は訊ねた。
「何があったの?」
「関係ない以上、知る必要もない」
とりつく島もないとはこのことだ。そう言わんばかりの樟葉を前に、水瀬は助け船を求めて、樟葉の後ろに立つ副官の篁少佐を見た。
端正な顔立ちの篁少佐は、そんな水瀬の視線に眉一つ動かそうとはしない。
「侵入者があったんでしょ?僕でも何か役に立つと」
「昨晩、あそこに侵入者があったことは把握している」
樟葉は冷たい視線で、水瀬の言葉を遮った。
「それがどうした」
「……あの」
「既に他部隊が従事中だ。それと、本件の一切については、厳重な箝口令が敷かれている。お前達も近衛の一員なら、その意味を正しく理解しろ」
「……あの?」
「下がれ。私は忙しい」
革張りの背もたれの高い椅子に腰を下ろした樟葉の目は殺気立っている。
その眼光に気圧され、樟葉の横に立つ篁副官の気の毒そうな視線に励まされるように、水瀬は敬礼の後、樟葉の部屋を出た。
パタン。
「……ハァッ」
樟葉は水瀬が部屋を出た途端、力尽きたように椅子の背もたれに体を預けた。
「全く……なんて事態よ」
「侵入者に関する情報は、これを除いて、すべて抹消させました」
篁副官が執務机の上にDVDを置いた。
「現地の全部隊への記憶操作は本日1500までに終了」
「……馬鹿げている。そうは思わないか?」
「無理もありません」
DVDの上に突っ伏した樟葉に篁副官は複雑な感情を浮かべた顔で言った。
「あの施設へ侵入を許したこと。そして、その侵入者の素性……この二つが近衛内部に広がれば、とんでもないことに」
「……その最悪に輪をかけてくれそうなのが今、目の前から消えてくれた……」
「私も、あの子とのことは、噂でしか知りませんが」
「噂だけで十分よ。本当、真実をあの子が知ったら悪夢よ?何しろ―――」
「ストップ」
カチッ。
篁副官が、樟葉の言葉を止めるなり、机のボタンを押した。
ドアの開閉ボタンだ。
「わっ!?」
突然、ドアが開いたせいで部屋に転がり込んできたのは、水瀬だ。
ドアに耳を押し当て、樟葉達の会話を聞いていたのは間違いない。
「―――お前なぁ」
「……つまり」
樟葉の執務室前でバケツを頭に乗せ、両手にも持たされた水瀬が自問した。
―――私がいいって言うまでそうしてろ!
樟葉が命じた結果だ。
「その侵入者って、僕の知り合いだってことだよね?」
両手どころか頭にまでバケツを乗せられた水瀬は首を傾げようとしてやめた。
バケツの中に入った手榴弾を爆発させたくない。
「でも……」
考えれば考えるだけ―――
「やっぱり、ヘンだよね?」
そう思わざるを得ない。
樟葉は、侵入者があったことそのものを、僕に知らせたくない。
責任問題になる?
ううん?
僕と責任問題は関係ない。
第一、そんな姑息なマネする人じゃない。
「……おかしいよねぇ」
そう、どう考えてもおかしいのだ。
「樟葉さんはその侵入者から僕を遠ざけようとするんだろう?」
うーん。
つい、思わず傾げた首のおかげで、バケツが頭から落下し―――
そして―――
「わわわっ!」
「貴様は人に迷惑かけなければ、反省も出来ないのか!」
「バケツに手榴弾入れたの樟葉さんでしょ!?」
バケツから落ちて火のついた手榴弾。
それを掴んだ水瀬は、問答無用で樟葉の部屋に投げ込んだ。
当然、怒り狂った樟葉にボコられたのだ。
「その程度、どうにかしろっ!処分に困ったからと言って、上官の部屋に投げ込むとは何事だっ!」
「理不尽だぁっ!」
「どっちがだっ!」