第十五話 M村
水瀬の携帯が鳴ったのは、図書寮を出てからすぐだった。
ルシフェルからは鬼のような勢いで呼び出しがかかっていたが、嫌な予感が最大級の警告を発する水瀬は、その全てを無視していた。
またかと思って見たら、相手は遥だった。
「悠理君?」
電話の向こうで、遥の嬉しそうな声。
不思議と、それだけで水瀬は心臓がトクンと鳴る。
「ようやく調べがついたわ」
「何の?」
「M村のこと。苦労したんだから」
「……」
「悠理君?」
「僕―――頼んだっけ?」
「……」
「……」
「……」
「遥さん?」
「―――悠理君」
怒っているのはわかる。
だから、先に断ることにした。
「グーとパー、どっちもイヤ」
水瀬は先手を打ったつもりだったが、相手の方が上手だった。
「―――バキュンとグサッてどっちがいい?」
すぐ戻って!
戻ってこなければ殺すっ!
戻ってきたらもっと殺すからねっ!
凄まじい剣幕の遥に怒鳴られ、水瀬は遥の元に文字通り飛んで戻った。
その水瀬を待っていたのは、凄まじい形相の遥の出迎え。
いや、出迎えと呼ぶにはあまりに乱暴な事態だった。
「ふうっ」
遥は満足そうに銃口から立ち上る硝煙を吹き消した。
その目の前では、ズタボロ状態の、かつて水瀬だった残骸が転がっている。
「十分、反省した?」
「ごめんなさぁい……グスッ」
「私がセクハラされても我慢して、M村のこと聞き出してきたのに」
「発砲しなかった?」
「大丈夫よ」
遥はモーゼル・ミリタリーに新たな弾丸を装填した。
「撃ったのはゴム弾だから」
「……」
「しかもっ!」
ビシッ!と、遥は指を立てた。
「その後でナンパまでされたのよ!?」
「どこの物好きが」
バコッ!
いつの間にかホルスターから抜かれた拳銃を逆手に持った遥の一撃が水瀬の脳天を襲った。
「本当に危なかったんだからっ!」
「……相手が」
ゴンッ!
「ポンポン殴らないでよぉっ!」
水瀬は泣きながら抗議した。
「僕の方が上官なんだからぁっ!」
そう。
水瀬は少佐。
遥は中尉。
階級万能社会では、水瀬の方が遥より立場は上なのだ。
「だってぇ♪」
遥は恥ずかしそうに身をよじりながら言った。
水瀬は、その愛らしい姿だけで、遥に対する抗議を忘れてしまう。
つくづくズルイ女だと、そう思ってしまうが、元来年上好みの水瀬にはどうしようもない。
奇妙な話だが、むしろ役得かとさえ思ってしまう。
「悠理君の頭ってもの凄く殴りやすいんだもん♪」
「……」
「でね?」
遥は言った。
「M村は、現在の人口は300人程度の小さな村よ。たいしたことは何もない。産業は農業、お米だけ。戦後の新農本主義政策のおかげで、新規就農者が少しずつだけど増えている。めぼしいところはそんなところね」
「ふうん?」
「それでね?その辺の伝承とか、民俗学的に詳しい教授がK大学にいるっていうから、訊ねてきたの」
「民俗学的?」
水瀬は首を傾げた。
「奇妙な切り口だね」
「軍事的な意味で水瀬君がM村に興味を持つはずがない。むしろ、オカルトチックな意味」
遙は小さく微笑んだ。
「そういうことでしょう?」
「遙さんには勝てないなぁ」
水瀬は苦笑して頷いた。
その通りだ。
河内時雨なら、歴史的、もしくは民俗学的な視点からのデータの方がありがたい。
水瀬の言葉に満足したらしい遙は満足げに頷いた。
「タクシーで移動したってことにして経費もらって、電車と無料バス、ついでに徒歩で大学まで行ったの。そのコレ」
遥は、ポケットからメディアカードを取り出し、水瀬の掌に置いた。
「教授が持っていた、あの辺の伝承をまとめたデータ。教授のお薦めは、葦の舟伝説よ」
「葦の舟伝説?」
水瀬はメディアカードを弄びながら訊ねた。
「何?それ」
「詳しくは中を再生してね―――ヒルコは知ってるわね?」
「古事記の?」
「そう。イザナミとイザナギの最初の子だったのに、不具を理由に葦の舟に入れられて流されてしまった。そのヒルコの漂着伝説がある」
「……暇つぶしにはなるかな」
水瀬はメディアカードをポケットに収めながら言った。
「ヒルコ伝説なんて、そんなおっかないものに関わりたくないもの」
「そうね」
遙も苦笑した。
「神様絡みの、しかも皇祖神に近い神様の事件なんて、私達がチョコチョコ関われるものじゃないからね。ああ、そうそう」
ポンッと遙は手を叩いた。
「M村で一番目立つ施設は、学者村よ」
「学者村?」
「そう。偉い学者先生達が、静かな老後を送るために作り出した閉鎖型都市。まぁ、リゾート施設ね」
「中は入れる?」
「いろいろあって閉鎖されているけど―――これ、A24棟のカギね。門は無人でしょうから、どうにかして入って」
遙は水瀬に銀色の鍵を手渡した。
「その教授の別荘の鍵。テーブルに置いてあったのを、粘土で型どりしておいた」
「やることが一々犯罪だよ。遙さん……」
「いいのよ。ロクな指導もしないで、肩書きだけで大金巻き上げるあんな連中のほうが、よっぽど犯罪なんだから」
「……なんかあったの?」
「昔の話」
「でも、僕も僕で友達が攫われちゃったし、いろいろあるから」
「データは目を通しておいてね?」
遙は言った。
「どこにどんなカギが込められているかわからないから。だいたい」
「だいたい?」
「私、これもらうためにお尻撫でられたのよ!?」
「それで……」
「腕ねじり上げてあげたけど、大したお金もらえなかった……最悪」
どっちが最悪なのか聞きたかったが、とりあえず水瀬は黙ることにした。
「それでも、ナンパされたんでしょ?」
「ええ。それが2件も」
「つまり、二人?」
「そう。一人が大学で、すごく背の高い、ボサボサ頭の人で―――顔は悪くなかったわよ?M村の資料、コピーさせてくれ。お金は1万円までなら払うからって」
「渡したの?」
「10万とお昼代でコピーさせてあげた―――あ、そうそう」
「?」
「なんだか、幕末の有名人のお墓があるって言っていた」
「河内時雨?」
「そう。水瀬君に伝えておけって―――」
突然、遥の眼から光が消えた。
「遥―――さん?」
「……」
ダンッ!
ダンダンダンッ!
突然、ホルスターから拳銃が抜かれ、引き金が引かれた。
問答無用の実弾が水瀬の足下に撃ち込まれた。
「は、遥さんっ!?」
「―――コレハ、ケイコクダ」
無機質な声が、遥の口からこぼれた。
「?」
「カワチシグレカラ、テヲヒケ」
「……」
「サモナクバ、シガマッテイル」
「……後、知らないからね?遥さんにこんなことして」
「ケイコクハシタゾ?」
フッ。
糸が切れた操り人形のように、遥がその場に崩れ落ちた。
水瀬はそれを抱き留める。
「……二人目に難破されている間に、催眠術をかけられていたってわけだ」
河内時雨と駅。
その二つがキーワードとなって、警告を発するように暗示をかけられていたんだろう。
水瀬はそう判断した。
「……でも、何で?」
それがわからない。
河内時雨。
もう一世紀以上昔の人物だ。
その人物に一切関わるな?
何故?
わざわざ遥さんにこんなことしてまで?
「よくわかんないけど……」
水瀬は、遥が完全に気絶していること。
そして、周囲に人もカメラもないことを確認すると―――
「これが僕の役得♪」
そっと遥と唇を重ねた。
翌日、水瀬は再びバスに乗ってM村に向かった。
朝早く出発して電車とバスを乗り継いだ。
始発で出たというのに、もうお昼近い。
車中、ずっと考えることは、遥のことばかり。
さすがに遥が目覚めようとした時は肝を冷やしたのは事実だ。
目覚めた遥は、何もなかったように普段通りに水瀬に接してくれた。
「お昼に食べなさい」とおにぎりまで用意してくれた。
それが、何だか申し訳ないような、残念なような、複雑な思いを水瀬にもたらしてくれた。
それもまた事実だ。
ただ―――
ふと、手を何度も握りなおしてみる。
この手が何を掴んだのかをかみしめるように。
「……」
思い出すだけで体が熱くなる。
目の前を流れる車窓が目に入らず、頭がぼうっとする。
キキィッ
プシュゥッ
バスが止まり、ドアが開いた。
バス停だ。
「あ、降りまぁす!」
水瀬はリュックサックで腰の辺りを隠すように立ち上がった。
「……あれ?」
バス停の横には、軽自動車のような小さな車が、何故か運転席側のドアが壊れた状態で放置されていた。
ナンバーは品川。東京から来た車だ。
古くて年代物の車。
一瞬、盗難車か不法投棄された車かと思ったが、外装はキレイだし、中に荷物が置かれているから、どうも違うらしい。
「これ、トヨタかな?……パプリカ?」
水瀬はエンブレムから車名を読み上げたが、元来車に疎い水瀬にとって、
「へぇ?こういう車もあるんだぁ」
程度でしかない。
歩き始めた途端、水瀬は車のことを忘れた。
うっそうと茂る杉林をぬけた先。
どうやら峠のバス停だったらしい。
眼下には、予想していたよりもずっと広い盆地が開けていた。
目にするものは一面の緑は、緑萌えるこの季節ならではの木々と稲の緑の見事なコントラストを描き出す。
緑の中に点在する異なる色が、その美しさを際だたせる。
それは、この地に人が生活している証のようなものだ。
「それにしても……どうしてこんな所へ?」
それがわからない。
東京へ攻めてきて、わざわざどうしてこんな辺鄙な場所へ戻る?
敵が考えていることがわからない。
河内時雨というのに、そんなにこだわりがあるのか?
とりあえず、水瀬は景色を見回すと、再び歩き出した。
故郷である滝川村と大した違いのない鄙びた風景は、水瀬の目には東京の景色より心安らぐものがある。
まだ青い稲穂の上を飛ぶバッタを目で追いつつ、水瀬が目指すのは河内時雨の慰霊碑だ。
騒ぎの根元に挨拶しておこう。
そんな気持ちになったのだ。
「……」
ピタッ。
不意に水瀬の脚が止まった。
「……」
視線はまっすぐ道路をむいたまま。
ただ―――
「……」
ちらりと周囲を見回す。
緑の中、あちこちで何かが動いた。
人だ。
緑の中を、視線を避けるように、人が隠れた。
「……」
田舎特有の部外者を監視するクセが出ているのかとも思うが、気分のいいものではない。
自分が決して歓迎された存在ではないことくらい、わかっている。
「―――ま、いいか」
水瀬は肩をすくめると、知らんぷりを決め込んで歩き出した。




