第十四話 「水瀬、動く」
「……で」
焼けこげた室内。
テレビは砕け、窓ガラスをはじめとした建具は軒並み破壊されている。
近隣の住民から警察へ通報が行ったらしい。
警視庁キャリアの愛人を通じて、現場に入ろうとする警官達を追い返した由忠は、室内を一通り見回した後、息子に尋ねた。
「美奈子ちゃんを無様に奪われた……と?」
無様。
その言葉を強調する父親に、水瀬は無言で頷いた。
「こんな室内で乱戦になったら」
「単に手を抜いたか、ドジっただけだろう―――で」
口元を尖らせ、言い訳する息子に由忠は容赦ない。
もし、この息子に本気になったら、この辺りがどうなっているか。いろんな意味で想像さえしたくない。
「―――相手は」
「この前、襲ってきた相手」
「女?」
「……うん」
由忠の見た息子の顔には、親にしかわからないものが浮かんでいた。
「……」
「……どうしたの?」
「喋れ。外見や、判断の付きやすい特徴は?」
その言葉に、水瀬は答えた。
「すっごい、ブス」
「ブス?」
由忠の眉がピクリと動いた。
「そんなにか?」
「うん。見るだけで気絶しそうなくらい。声なんてね?聞くだけでじんま疹出来そうだったよ?」
「―――ほう?」
由忠は頷くが、どうひいき目に見ても、わざとらしい。
「そうか―――なら、私やルシフェルが関わるべき問題ではないな」
「そう!」
何故か水瀬は、力強く頷いた。
「この家の修理費は、僕がもつし、後の追跡も僕がやる。お父さん達は温泉でも行っていて?結婚記念日、近いんでしょ?どう?ルシフェルも」
「……そうか」
由忠の口元に、意地の悪い笑みが浮かんだのに、水瀬は気づきもしない。
「なら、お言葉に甘えさせてもらおうか」
「うんっ!」
水瀬はきびすを返し、小走りに玄関に向かう。
「リフォーム会社の手配だけお願い。僕、そういうのはわかんないから」
それだけ言い残すと、父親の前から姿を消した。
律儀にリフォーム会社との手続きを終え、由忠が水瀬邸に戻ってきたのは昼過ぎのこと。
どういうわけか、水瀬はまだ家に戻っていなかった。
「水瀬君が一人で追跡するというのですか?」
食事を終えた父親の前から食器を片づけるルシフェルが訊ねた。
「水瀬君にしては珍しいですね」
「まぁ、そういうことだな」
ルシフェルの淹れてくれたコーヒーを楽しみながら、由忠は頷いた。
「少なくとも、責任感がどうのというは違う」
「……違うんですか?」
食器を乗せたお盆を台所に持っていこうとしたルシフェルの手が止まった。
「どういうことです?友達が目の前でさらわれたら普通は」
「あいつに普通という言葉を当てはめることが出来るか?」
「……それは」
「……あのバカ息子」
コーヒーカップをソーサーに戻した由忠が、何故か天井を仰ぎ見ながら言った。
「どうやら、敵の女が気に入ったらしい」
「……は?」
ルシフェルは、本気で怪訝そうな顔で父親を見た。
あの鈍感な水瀬君が、女の子に興味を持った?
しかも、敵の?
俄には信じられない。
「……陰気で無愛想で、近づくだけで葬式に参列した気分になれる。そんな女の子」
「敵が……ですか?」
「いや?」
由忠は、笑いをかみ殺しながら楽しげに答えた。
「どういうわけかあいつは、周りにいる女の子について、私が“どういう子だ”と聞くと、昔から正反対のことを喋るんだ。ブスだと力説すればするほど、美人だと、そうなる」
「……ああ」
ルシフェルはそれで納得した。
「お父様の毒牙にかからないように、水瀬君なりに警戒していたからですね?」
「……」
「……それで?」
「……そういうことか」
そう呟く由忠の表情は、深刻そのものだ。
「はい?」
「それを一々鵜呑みにしたことがほとんどだった。俺は一体、何人の女との出会いをフイにしたんだ」
「……水瀬君の年齢からすれば、性犯罪のレベルかと。それで」
あのバカ息子、今度であったらタダではおかんぞ。
そう怒る由忠に、ルシフェルは茶菓子を出した。
「水瀬君、止めないんですか?」
「止める?」
由忠は、娘の言葉に眉をひそめた。
「何故?」
「な、何故って」
ルシフェルは、父親の想定外の一言に声を詰まらせた。
「だ、だって。敵の女ですよ?」
「敵に寝返るようなマネはせん。あいつは結局……」
由忠の視線は、どこかルシフェルの知らない遠いところを見ていた。
「……結局?」
「さて」
由忠はそこまでいいかけて、座布団から腰を浮かせた。
「午後は昭博との約束がある。大学の図書館だ。ルシフェルも来るか?あの大学、お前の第一志望だろう?」
「帝都大学ですか?」
「そうだ。キャンパスのティーセットは絶品だと昭博が絶賛していた」
「おごっていただけますか?」
「親を信じろ」
「はい。すぐに準備を―――ところで」
「ん?」
「さっきの陰気でどうのって、誰のことです?」
「ああ」
怒るならあのバカ息子にしてくれ。
そう言って、由忠はルシフェルを指さした。
その頃、水瀬は宮内省の図書館にあたる図書寮の休憩室にいた。
午後の気だるい日差しを窓越しに浴びながら、水瀬は目の前の老人の話に聞き入っていた。
「この前、怪談話として教えてもらったのを思い出したんです」
「よく覚えていたな」
楽しげに頷いたのは、肥満気味な体を背広に押し込んだ老人。
顎が動くたびに、胸元まで伸びた髭がモゴモゴと動く。
間宮教授。
東京帝国大学名誉教授にして、幕末史の権威として知られている。
「宴会の席上のことだ。誰も本気で聞いていないと思ったが」
水瀬の手作りの茶菓子を前に、教授は顔をほころばせている。
「……まぁ、偶然が重なっただけじゃろう。一つを除いてな」
「一つ?」
「松笛じゃ」
「松笛?あの大魔導師の?」
「そう。松笛は謎の多い人物でな。
少なくとも、河内時雨が京都で捕縛されたのと時期を同じくして、一度姿を消している。
再び現れるのは明治に入ってからだ。
おかげで、学者の中には、河内時雨殺害に直接手を下したのは彼じゃないのかと説く者が多い位だ」
「本人は否定しているんですか?」
お茶を出しながら、水瀬はそう訊ねたが、教授は首を横に振った。
「さてな。何しろ、わずかな問答しか記録が残っていないから何ともわからん。ただ」
「?」
「彼女を巡っては、もう一つ、別な事実があるのだ」
彼は、身を乗り出し、小声で言った。
「何です?」
「河内時雨を護送したのは浪人共とされているが、実は新撰組の腕利き達だ。一番隊の沖田、三番隊の斉藤がその筆頭だよ」
「まさか」
水瀬が驚いたのも無理はない。
新撰組。
つまり、今の近衛の母体。
それが絡んでいるとはつまり、この事態が水瀬の予想しなかった方角で厄介な代物だと、そういうことになる。
「そのまさかさ」
教授は頷いた。
「私が調べた限り、河内時雨が京都を出発し、殺害されたとされる約2週間……新撰組の行動記録には、この二人の名前をはじめ、かなりの人物の名前がキレイになくなっている。
また、新撰組の会計記録には、旅銀名目で百両もの金が動いた記録が残っている。
支払い対象の隊士はざっと30名。支払い時期は二人が戻ってきた丁度翌日だ」
「偶然では」
「隊士の物見湯山で百両もの金を支払ったといのうか?」
「……」
金の面ではかなり厳しい組織。
それが水瀬の知る近衛だ。
聞いた限りでは、その伝統は新撰組時代にまで遡り、組の財政を一手に賄っていた賄方の梅という女性の、金に対するシビアさが根本にあるという。
金を巡っては、鬼と呼ばれた土方副長でさえ勝てなかったといい、そこから“大鬼”の異名をとったという、この梅という女性指揮下の賄方が、遊びのために百両をはたいたなぞ、その後身である近衛財務局会計課を知る身としては、想像さえ出来ない。
「新撰組がかなり関与していたと見る根拠は、こういうわけさ」
待ちきれない。といわんばかりに教授は包みをほどき、中の大福に手を伸ばした。
「……成る程?それで」
水瀬も湯飲みに手を伸ばし、大福をほおばる教授に尋ねた。
「どんな人だったかも?」
「甘さといい餅の軟らかさといい……絶品じゃ……」
大福を2つ、一気に食べた教授は湯飲みの茶を飲み干した。
「はっきり、美貌だけはすごかったという。新撰組の近藤、土方、斉藤あたりは随分とその死を惜しんだというからな」
「お墓は?」
「終焉の地については諸説あるが、新撰組の誰かが書き残した覚え書きが残されている。それを元にすると、今のT県M村じゃな。無論、死体というか遺骨が納められているとは思えないが」
「え?殺されたんでしょう?その、時雨って人、新撰組に」
「そこが謎なんじゃ」
「?」
「新撰組の腕っこき30人が一体、河内時雨になにをしたのか。斬ったのか?それとも、誰かに引き渡したのか?それは一切不明。先の松笛か言った、門になった。という言葉だけしか、何も分からない」
「……門」
「明治以降、倒幕活動で共に戦ったとする志士の誰かが、どこから聞きつけたか、ここで死んだと言い張って、墓を造った。そういうことだ」
「M村でしたっけ?」
「ああ。戦争で一時放棄された後、復興されたあたりだよ」
「……」
水瀬は、敵にしかけた魔法針の反応が消えたという報告を思い出していた。
敵は車を使って東京を離脱。高速から降りた後、数時間後に反応が消えた。
その消えた先。
そこが、T県M村だった。
偶然か?
それとも、意図的か?
「……どっちにしても」
水瀬は小さく呟いた。
「行くしかないか」