第十二話 「由忠の結論」
「語っただけで……死んだ?」
ルシフェルが怪訝そうな顔で由忠に訊ねた。
「あり得るんですか?」
ルシフェル自身は、全く話を信じていない。
よしんば、現実の話だとしても、それは単なる偶然が重なった結果程度にしか思っていない。
「あり得ないことが起きたから、結論として“呪われている”という噂が出たんだ」
由忠はルシフェルの反応を楽しむかのように答えた。
「―――また、こんな話もある」
「我を過ぐれば憂ひの都あり、
我を過ぐれば永遠の苦患あり、
我を過ぐれば滅亡の民あり
義は尊きわが造り主を動かし、
聖なる威力、比類なき智慧、
第一の愛我を造れり
永遠の物のほか物として我よりさきに
造られしはなし、しかしてわれ永遠に立つ、
汝等こゝに入るもの一切の望みを棄てよ。
―――わかるか?」
「ダンテの『神曲』地獄篇ですね」
「そうだ」
由忠は満足げに頷いた。
「よく知っておるな。よく勉強しているな」
「ありがとうございます……あの、それで」
ルシフェルが訊ねた。
「ダンテと河内時雨……どういう関係が?」
「河内時雨が死亡したとされる年から約20年後、先程の事件から数年後のことだが……河内時雨について調べていた歴史学者が一人、ある人物を訪ねた」
「誰です?」
「松笛貴臣―――幕末から明治にかけて最大最強と呼ばれた魔導師。河内時雨とは双璧をなすことは、さっき教えた通りだ」
ルシフェルは無言で頷いた。
「私の知る限りだと、松笛と学者のやりとりはこうだ」
問う「河内時雨は、本当に浪士達の暴行により死んだのか」
答う「それでは不満かい?」
問う「違うのですか?」
答う「そう思うならそう思うといい」
―――そして、松笛は席を立つと、朗々とこの一節を口ずさんだという。
なおも意味がわからないと食い下がる学者に、松笛は言った。
―――彼女は門になったのだよ」
「いくらでも解釈出来る言葉ですね」
聞き終えたルシフェルは、首を傾げた。
「……門」
「松笛は謎の多い人物でな。少なくとも、河内時雨が京都で捕縛されたのと時期を同じくして姿を消している。上に大がつく魔導師である彼女であるから?彼女を殺した、或いは殺せたのは、彼だけだというのが定説なんだ」
「本人は否定しているんですか?」
ルシフェルはもっともらしいことを訊ねたが、由忠は首を横に振った。
「先程の問答しか記録が残っていないから何ともわからん」
「……成る程?それで」
ルシフェルは首を傾げた。
「……お義父様は、伝説を信じているのですか?河内時雨の話は呪われているって」
「伝説と言えば伝説だが」
「……あの」
義父が顔を曇らせたことに娘としてイヤな予感を感じたルシフェルは訊ねた。
「まさか、伝説じゃなくて、事実なのですか?」
「河内時雨の死については、正直、俺も詳しいことは知らない。詳しいのはむしろお袋だろう」
「御婆様が?」
「ああ。俺は河内時雨のことに関わるなとお袋から言われた」
由忠はコーヒーを飲み干した。
「小学生の夏のことだ。河内時雨の記事を、何かで読んでな?興味があったのでお袋に聞いたんだが―――“あなたを関わらせる訳にはいきません”と言われた。お袋からそう言われたのは、それが最初で最後だ」
「関わることを許さない?水瀬家当主として?」
「それだけ、厄介な話だということさ」
由忠はコーヒーカップを娘に渡した。
ルシフェルは、脇に置いてあったコーヒーメーカーからいれたてのコーヒーをカップに注いだ。
「よく考えて見ろ。河内時雨が勤王家だというのは建前というか、一般的な知識に過ぎない」
「はい」
ルシフェルは頷いた。
「しかし現実は、幕末の大魔導師」
「そう。では聞くが、それがどうしてこうも世論の話題に上ってこないと思う?」
「……え?」
ルシフェルは、父親からの突然の質問にすっかり面食らった。
「だ、だから、タブーだから」
「そう」由忠は頷いた。
「河内時雨の話題そのものに、触れること自体がタブー視されているんだ。総じて言えば、河内時雨と言えば、幕末史のタブーの代名詞だ」
「……どうして?」
「そう考えること自体がタブーなのさ」
「答えになっていない」
「……その答えを、少なくともお袋は知ってるんだ」
由忠は、渡されたコーヒーカップから昇る香りを楽しみながら言った。
「いいか?幕末にも派手に立ち振る舞い、葉月湾まで作り上げたわが一族の中でさえ、河内時雨については資料が残っていない。口伝さえお袋が断ったせいで伝わっていない。その意味を考えて見ろ」
「今、とんでもないこと聞いた気がしますが……絶対的なタブー?」
「そうだ」
由忠は頷いた。
「俺も個人的に調べたさ。結局、河内時雨を世に出そうとした者は、必ず不慮の死を遂げている。事故死、自殺、突然死」
「……消された?」
「そう見るべきだ」
「ふぅん?」
「だからですか?」
「ん?」
「桜井さんの荷物に、河内って名前があったことが心配になったのは」
「そうだ」
「河内時雨って、子孫はいないのですか?そんな人なら、子孫の所になにか記録でも」
「そこまでは―――知らんというか、」
由忠は顎の下をポリポリと掻いた。
「河内時雨で血筋は絶えたはずなのだ。もし、傍流もしくは、河内時雨の子孫が存在していたら」
「していたら?」
「とんでもないことだ」
「?」
「水瀬家と倉橋家……そして河内家は共に巫女の家系だ。同じ巫女でも、性格が違う。わが水瀬家や倉橋家は、別名「戦巫女」と畏怖された、バリバリの戦闘系だ。だが、河内家は違う」
「違う?」
「……生け贄の巫女だ」
「生け贄?」
「ああ……代々、といっても、正しくは数百年に一人の割合で生け贄を差し出す程度だったそうだ。今は本家が途絶えた今となっては、何にどんな儀式を経て生け贄を捧げていたか知る術はないがな」
「……まさか」
「俺が心配になった理由は」
由忠は真顔で言った。
「その、桜井美奈子が河内時雨の子孫だとしたら、相手の狙いが全部読めるからだ」
「……あっ!」
ルシフェルは真っ青になった。
「そ……そんな!」
「わかったようだな」
由忠は娘の聡明さに満足するかのように、感慨深げに頷いた。
「敵は、ミイラを送りつけることで、生け贄を求めた。そして、その生け贄として、河内時雨の子孫たる巫女として」
「……」
「―――桜井美奈子を指名したんだ」