俺は闘技場に放り込まれる
いや、寝ている場合じゃないな。
俺は普通の人間だ。
そう、普通なんだ。
毎日律儀に学校に通っていた奴らは正気じゃない。
俺が標準だ。
俺は凡人である故に、この状況をどうすることも出来ない。
自分を取り巻く環境について確認してみた。
なぜか周囲を光沢のあるフレームが囲んでいる。
見るからに登れるはずがない。
SF映画で見るようなドアがあったが開きそうにない。
俺はこの、長半径50m程の楕円形の施設に隔離されているのである。
見上げれば、地上5m程に沢山の人が確認できた。
なんだあの人々は。
俺のことを珍しそうに見るな。
そして餌をまくな。
俺はそんな猿の餌みたいなのを主食とはしてない。
現代日本が育てた俺のプライドは、空腹とちまい食料を天秤にかける必要はない。
空腹を選んだ。
フレームの上にはガラスが張られている。
そのガラスの中程に、人の腕一本出るほどの隙間がある。
そこから人々は俺に向かって豆を投げていた。
落ちた豆…。
人間は極限を超えるとなんでも食べられると思う。
それ程までに空腹感を感じていた。
要らぬプライドは捨てた。
いただきます。
人々の見た目は俺とニアリーイコール。
耳長とか鼻高とかいうことはない。
俺となんら変わらない。
ではなぜ珍しそうに扱われているのだろうか。
わからない。
とりあえず出たい。
この壁の中は妙に臭いのだ。
臭いの根源を目で辿った。
不幸なことに、行き着いた目線の先には巨大なイノシシが。
あ、まずい。
見つかったらゲームオーバーだ。
おいおい…冗談だろ?
何これバラエティ?
ドッキリなの?
引きこもりに天誅を的なやつなの!?
こんなひきこもりに、あの巨大なイノシシに対抗できる力はない。
その上装備は何も無い。
助けを求めて人々と目線を交わした。
あれ?
あいつら笑ってる?
先程までの恐怖と焦りとは裏腹に、ふつふつと怒りが湧いてきた。
ここはきっと闘技場だ。
あの豆は俺への餌ではなく、巨大なイノシシを俺の元に誘き出すための餌だったんだ。
怒りが頂点に達したそのとき…
リーン…ゴーン…リーン…ゴーン…
神々しい鐘の音と旋律。
光球が俺を包んだ。
天から煌々と、輝く光が降り注ぎ、絵文字の如き光のアイコンが、次々と俺の中に吸い込まれていった。
「う、うわあああ!」
数秒後、眩しさを堪え瞼を持ち上げた。
俺の前から巨大イノシシは跡形もなく消え去っていた。
ーーー
異世界人とは日本語で話すことが出来た。
無意識的に異世界語に変換されているのか。
多少異世界補正は効いているのだろう。
でなくては困ってしまうが。
なぜ俺がこの闘技に放り出されたか、事の経緯を尋ねた。
「んー。やっぱり知らないよね。いいかい?今、王都は緊張状態なんだ。そんな時に不可解な物体とともにヒトが落ちてきたとあっちゃ。穏便にもみ消すのが一番だろ?」
「阿呆か! なんでそっち側のペースで俺の命かかってんだよ! 舐めてんのかお前達は!」
椅子に腰をかけくるくると回っている男に重ねて問いただした。
普通に考えて、昏睡状態の一般人を巨大イノシシと戦わせることを企てるだろうか。
勝負ですらない。
ただの見世物グロテスクショーだ。
闘技場での観戦を娯楽とする風習は、俺の思い描いていた異世界観とマッチする点がある。
ここは未来的な発達をしている様に見えて、文化的にはそこまで進歩している世界ではないのかもしれない。
それには理由があるそうだ。
ーーー
俺は一躍有名になった。
この世界の新聞の見出しには、
『異世界人。『即殺』を習得!』
と、大きく出た。
え?即殺?なにそれ味するの?
話し相手の、スピーディーと名乗る研究者は、
え?スキル知らんの?無知過ぎて嘲笑に値するわ
と挑発気味に俺の無知を伝えてきた。
こいつ嫌いだわぁ…。
嫌々掘り下げて聞いてみた。
スピーディーによると、この世界において万物はスキルによって管理されている。
この世の中もまた各々のスキルで構築されてできたものなのだとか。
つまり、異常に未来化した景観はスキルによって構成された。
しかし文化は停滞、という不自然な状況が生まれたらしい。
スキルの習得には、スキル書を読む必要がある。
これを読むと無作為にスキルが付与されるのだとか。
研究者はスキルの原理を常に暴こうとしているとか。
なぜ俺がスキルを発現できたかまではわからないそうだ。
『天恵感知』:対象の持っているスキルを閲覧できるスキルを使って、研究員に俺が持つスキルを調べてもらった。
翌日の新聞の見出しには、
『異世界人。全スキル取得!』
と、記された。
ーーー
俺はついに研究室から解放された。
この世界において、ほとんどの不思議な現象はスキルで説明できる。
俺に人体実験だとか恐ろしい事は要求されなかった。
加えて、特別ちやほやされることもなかった。
全スキル取得を知らされたとき、俺は自分を主人公の類だと思った。
この世界では不自由しないと思った。
しかし、だ。
いくつかのスキルを試しに発動させてみた。
その結果にスピーディーを含む研究者達は落胆した。
そのスキルのどれもが、使い物にならないレベルの弱々しいものだったからだ。
『爆炎』では一瞬の火花。
『滝水』では一滴の水。
『暴風』では吐息。
『雷迎』では静電気。
『物理攻撃』ではしっぺ。
『念動力』に至っては紙コップを数ミリ動かせるレベル。
極め付けは『即殺』の擦り傷である。
全てがそんな低レベルのスキルだった。
二度目の絶望。
自分を最高点と思い込んでからの最低値。
あの頃の希望は何処へ。
気がかりなことがある。
なぜあのとき俺は、『即殺』で巨大イノシシを消滅させるまでに至ったのだろうか。
初回限定だろうか。
理由がわからない限りどうしようもないが、それが理解できれば全スキルをフルに使えるようになり、楽々異世界ライフが確立される。
無一文のこの状況は変わらない。
闘技場内併設研究室の仰々しい出口の前で茫然としていることしかできなかった。
さて、これからどうしようか…