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獣狩り 六 ~ 双子

 密林の中を蛇行する川を、手漕ぎボートが遡っていく。平坦な土地を流れる茶色く濁った川の流れは穏やかだ。しかし流れを遡る以上、ボートの速度はさらに緩やかなものにならざるを得ない。僕たちが奴隷船を降りたシャマ港からクマシー鉱山付近にあるローランの村までは、ヴァルド市から王都までの距離と変わらない。道さえ整備されていれば馬車で三日程度の行程である。それでも水路を往く以外に道は無かった。


 熱帯雨林の中に造られた土を固めただけの道路は、雨季になると泥濘(ぬかるみ)で使い物にならなくなる。交易商ですら馬の怪我を恐れて陸路を使わなかった。僕たちは二艘の手漕ぎボートに分乗して、ローランの村を目指した。日中は地元部族のシャンティ族が漕ぐオールの動きをただ見つめているだけで終わり、夕暮れが迫ると川辺で野営する。特に危険はなかったが、時折降る洪水のような雨だけが身体に障った。


 奇妙な味の芋やバナナ、干し肉や野草を刻んで入れた米の煮込みなど、食事は質素だったが毎日ありつけた。先生と卯月は米食にも慣れているようだったが、僕はいまいち馴染めなかった。干した芋を咥えているほうがマシだとさえ思ったほどだ。だが、他に食べるものが無い以上、選り好みしている場合ではなかった。


 シャマ港を出て五日を過ぎた頃、ようやく僕たちはローランの村に辿り着いた。陽は既に傾きかけていた。実に長い道程だった。鉱山に近く、起伏のある川沿いの土地は水車の動力として治水されているため、村の中枢まで船が入ることはできなかった。


「木立よりも高い建物があるとは。意外にも発展しているのかも知れんな」


 先生の指差す方を見ると、バナナやマメノキの樹冠に混じって、耐火煉瓦の壁が見えた。溶鉱炉のようだ。


「この村では珍しいものではないがね。ここでは誰も彼も錬金術師の言いなりだ」


 バルトリーニ氏が溜息混じりに言った。


 ローランの村は外周二キロメートルほどの範囲に収まる小さな村だった。その中にいくつもの水車と網の目のような水路が並んでいる。錬成炉の大掛かりな仕掛けを動かすためには水力が必要だ。錬金術師が多く移民に来ているということは、主として彼らのために川の流れは利用されているのだろう。


「一軒だけ宿がある。今晩からはそこで寝泊まりしてくれ」


 バルトリーニ氏はローランの村に入ってからも口数が少なかった。すれ違う人々にも声をかけないし、逆に声をかけられることもない。そういう質の人物なのか、他に理由があるのかも知れなかった。しかし、それを聞くことすら憚れる、質問し辛い雰囲気がバルトリーニ氏にはあった。


 宿へと向かう途中、夕映えの中で一つの人影が僕たちの前を通りがかった。


「獣の……呪い……どうか慈悲を……」


「え?」


「獣の呪い……救いを……」


 物憂げな、そして焦燥感の入り混じった声は、確かにそのように聞こえた。しかし、人影はすぐに通り過ぎていってしまった。逆光に霞む人影をよく見ると、女性は使徒派教会の修道服を身に着けていた。バルトリーニ氏は彼女の声が聞こえなかったらしく、さっさと先に進んでいってしまう。


「先程の女性は?」


「何だって?」


「修道服を着た女性です」


「あぁ、アデーラか……」


 バルトリーニ氏は後ろを振り向くこともなく言った。


「この村の修道院にいる修道女だが……」


「獣の呪いって何です? 彼女がそう言っていました」


 バルトリーニ氏は僕を振り返って一瞬、眉をひそめたが、(かぶり)を振ってから答えた。


「呪いにかかった者は、この近くにあるボシュムトイ湖を守る獣に八つ裂きにされるとか。そういう話だ。ボシュムトイ湖というのはシャンティ族が崇めている湖で、隕鉄が取れる。ちょっと変わった話だが、まぁ我々がそんなことを気にしていたら調査にならんがね」


 バルトリーニ氏は眼鏡を押し上げ、再び先を急ぐように歩き始めた。先生は何度か後ろを振り返り、アデーラという修道女の姿を確認していたが、すぐに僕たちの後ろに続いた。


 着いた宿は村の外れにあった。木造で小さな寄棟屋根の建物がいくつか集まってできている。雰囲気はあるものの、快適かどうかは定かではない。周囲には煉瓦造りの頑丈そうな建物もある。そんな中で木造の宿はより一層、素朴に見えた。


「ところで、バルトリーニ殿。私たちはある贋作師を探しているのですが」


 荷物を運び込みながら、先生はバルトリーニ氏に尋ねた。


「贋作師?」


「エルミール・ド・エルゾーグという贋作師をご存知ではありませんか?」


「知らんね」


「では、この村に剥製を作ったり、何か得体の知れない物を作成していたような者はおりませんか?」


「それなら、グラウバーと……あとはベリャーエフの双子がそうかも知れん。交易の度に奇妙な品を出していたからな。しかし、私から紹介できるような連中じゃない」


 バルトリーニ氏は考えあぐねる素振りを見せた。しかし、先生は全く遠慮しない。


「彼らは何者ですか?」


「グラウバーは錬金術師、それとベリャーエフたちは屍霊術士だ。まぁ、調査に当たって獣の話を聞きたいのなら、グラウバーの集会に顔を出しても良いかも知れんな。彼女はたまに人を集めている。獣の呪いを明らかにすると言って」


 バルトリーニ氏は他人事のように答えて、大きく息を吐いた。


「ローランは奇妙な村だ。獣の噂は絶えない。だが、すべてを鵜呑みにすることもないだろう。私は今日はこれで失礼するよ。明日は休んでいてくれ」


 心底疲れたように、バルトリーニ氏は自分の家へと向かって帰ってしまった。僕たちは釈然としない気分のまま、宿に荷物を運び入れた。食事の前に僕たちは先生の部屋へと集まった。


「エルミールの弟子は確かにこの村いるようだ。グラウバーだかベリャーエフだか」


 先生は部屋の窓を大きく開いて、できるだけ外から風を入れようとしていた。しかし、夜風はほとんど吹いていなかった。


「エルミールについて聞き出せますかね?」


「聞き出せないなら、勝手に調べるまでだ。小さな村だし、妙な真似をしてもバレはしないだろう。いちいち本当の目的を喋っていたら逆に危険かも知れないし」


 そうだろうとは思ってはいた。少なくとも何か手がかりを得ない限り帝都には戻れない。そのためには家探しのような真似も仕方ないのだ。言い訳がましいが、多少の無理をしてでも調べなければ先には進めないだろう。そんな物騒な相談をしている最中に、遠吠えが響いてきた。狼に似た獣の遠吠えだった。


「なんだ?」


 まるで僕たちの動向を警戒しているかのような獣の声に、先生は肩を窄めて窓際を振り返った。窓の外を見ると、確かにそこには黒い毛に覆われた巨大な獣の影があった。獣の影はゆっくりと窓際を横切っていった。


「うわっ!」


「静かに」


 僕が思わず声を上げると、卯月が声を潜めて僕を制した。先生は目を見開いて卯月と窓の外を交互に見てから、ゆっくりと窓際に歩み寄った。先生の白い横顔を汗が滴るのが見えた。


「いない」


 先生は窓の外を伺いながら言った。


「今の……見たかね?」


「狼みたいだったけど……」


 卯月は顔を強張らせながら言った。先生は卯月の言葉に頷き、窓辺から離れた。


「バルトリーニ氏の言っていた動物の生態調査とは、あれのことかな」


「獣がこんな人家の傍まで来ますか?」


「来ているのだから仕方ない」


 先生は荷物の中からエールの瓶を取り出すと、一気に中身を飲み込んだ。


「人畜無害な生き物だと良いが」


 明らかにそういうものではない予感がしたが、事実を口に出すと恐怖が増すような気がして、僕は言い出せなかった。先生は宿の者にも獣の影について尋ねてみたが、シャンティ族の家主は僕たちの言葉をあまり理解していないようだった。


「要領を得ないな。とりあえず君たちは一緒の部屋にいたほうが良いかも知れん。私は……一人で寝る」


 先生は警戒した様子で窓の鎧戸を閉じて、部屋にこもってしまった。不安を解消できないまま、僕たちはローランの村で初めての夜を過ごした。緊張していたせいか、それとも暑さのせいか。獣は悪夢となって僕の夢の中にまで訪れた。


 翌朝、僕は物音で目が覚めた。床に一枚敷いただけの筵から起き上がると、見慣れない二つの人影が部屋の中にあった。宿の部屋には扉の鍵は無かった。僕は息を飲んで、卯月を揺さぶって起こした。


「お目覚めですか?」

「お目覚めですか?」


 瓜二つの顔が声を揃えて言いながら、僕の顔を覗き込んだ。双子――まるで人形のように端正だが、妙に不安になる顔立ちの双子が僕の前に立っている。見分けのつかない相貌に、乱れのない砂色の髪の毛と深い青色の瞳。誰かに似ていると思ったら、彼女たちの顔は先生によく似ていた。


「だ、誰ですか? 勝手に部屋に入ってきて……」


「申し遅れました」

「私たちはマイラ・ベリャーエフ」

「レイラ・ベリャーエフ」

「ローランの屍霊術士です」


 人形のような双子はリズミカルに交互に答えた。よく見ると双子は屍霊術の鐘を連ねた杖を手にしている。昨日、バルトリーニ氏が話していたベリャーエフの双子とは、彼女たちのことだろう。


「調査のためにローランまで来られたとか」

「村をご案内したほうがよろしいかと思いまして」

「バルトリーニさんは無口ですから」

「お二人とも如何でしょう?」


「はぁ……それは、どうも……」


 急な訪問に呆気にとられたまま、僕と卯月はベリャーエフ姉妹を迎い入れることになってしまった。


「皆さんもご存知なのでしょう?」


「何がですか?」


「鉱脈を司る者たちについて」


 双子の言葉に思い至るところがなく僕は何も答えずにいたが、卯月はどうやら心当たりがあるようだった。不安気な表情で双子を見つめている。


「お二人の先生も、私たちと同じですよ」

「彼らの加護を受けたのです」

「ですから皆さんを」

「お手伝いすることにしたのです」


 双子は狙い澄ましたかのように同じタイミングで笑みを浮かべた。二人の挙動はどこまでも演技じみていた。


「先生は?」


「まだお休みのご様子」

「先にお二人をご案内しましょう」

「このローランの村」

「呪われた村を……」


 そう言って、双子は部屋の扉を開けながら微笑んだ。

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