獣狩り 五 ~ 暗黒大陸
イスパニアのカティス港で、僕たちはオットボーニ家のジーベック船から算法修道会の奴隷船へと乗り換えた。帝国籍の奴隷船は横帆二本に縦帆一本を組み合わせたバーク船だった。こうした帆装の船は積荷の重量の割に速度が出て、しかも帆を操作する船員が少なくてすむ。つまり人件費を軽くしたい奴隷商人にうってつけの船だった。
奴隷船は水上の監獄として奴隷だけでなく水夫たちからも恐れられている。少ない人員で過酷な熱帯地域へ航海し、大量の人間貨物を運搬しなければならない。その途中で怪我や病気になっても、欠員を補充する余裕など無いのだ。奴隷船は人間貨物を奴隷たらしめる以上に、水夫を奴隷として酷使する空間だった。
そんな恐怖に満ちた奴隷船、ナイチンゲール号を預かる船長はジョン・ノーブルと名乗った。アルビオンの連合王国の出身で、健康的な巨体の持ち主だった。ノーブル船長は黒い装丁の福音書を片手に、非常に穏やかな口振りで挨拶した。
「皆さんのことはオルロフ殿から聞いております。暗黒大陸に着くまでは我々も奴隷を載せませんから、どうぞご安心ください」
「他の船員は? 我々の事は何と?」
「他言無用との事でしたから、皆さんを友人の貿易商として紹介しておきました。私以外には皆さんの正体を知る者はおりません」
先生の問いにノーブル船長は口元に笑みを浮かべながら答えた。しかし、その目は笑っていなかった。
「なるほど」
先生はノーブル船長に確認すると、引き続き商人らしい振る舞いをするように僕たちに指示した。
「東洋人の少女は……どのような立場を装いますか?」
ノーブル船長は卯月を一瞥して先生に尋ねた。
「私の手伝いの一人として扱ってくれればいいのだが……何か問題でも?」
「左様ですか。いや、家内奴隷として東洋人を買う貴族も珍しくありませんので。一応、確認させていただきました」
「そうかね」
「差し出がましい事をお伺いしてしまい、申し訳ございません」
「……」
いつもは一言くらい皮肉を言って釘を刺すところで、先生は沈黙した。窘めることさえしなかったものの、ノーブル船長の人種意識に関して先生が良い印象を抱かなかったことは間違いない。それでも、違法な密出国者として行動している以上、余計な事を口走らないほうが得策だった。算法修道会の機嫌を損ねれば、どこに放り出されるか分かったものではない。
「運んでもらっているのは我々のほうですから、船長に余計な手間をかけさせないように努力しましょう」
思い出したように、先生は社交辞令を口にした。
「何も心配要りませんよ。ナイチンゲール号が海上を走る限り、私以外に人の乗り降りを決めることができる者はいません」
ノーブル船長の言葉は簡潔だったが、つまり船上の権力はすべて船長が握っているということだった。何人たりとも船長に逆らうことは許されない。いくら船長が間違っていると思っても、胸三寸に納めて従う。それが船上の法なのだ。
「それは心強い」
「暗黒大陸の黄金海岸に到着したら、私共も仕事にかかります。一ヶ月か二ヶ月程度は奴隷集めに時間をかける予定ですから、その間にじっくりと皆さんも仕事に取り掛かって下さい」
ノーブル船長は冷たい目で僕たちを見下ろして、大股で船長室へと戻っていった。
「傲慢な輩だ」
ノーブル船長が去ってから先生が小さく呟いた。
「聞こえますよ」
「既に出港しているんだ。今更、我々を降ろすことはできまい」
カティス港は水平線の彼方に消え、僕たちは洋上にいた。船長の指示なのか、水夫たちは僕たちをできる限り意識しないように動いているようだった。二十人にも満たない水夫たちの大半は平水夫で、甲板長以外は主甲板に出てくることがなかった。船を指揮する人間はいずれ奴隷を載せる船倉や、奴隷が行動する主甲板には出ないようにする。そういった規律が徹底されているようだった。
生木の樽に入った水は一月足らずで腐り果てる。それでも、ノーブル船長はなかなか補給を行わなかった。ノーブル船長は筋金入りの倹約家のようで、水夫たちへの福利すらも最低限に留めるように努めているようだった。
「正しく奴隷船だな。隷従する者とさせる者だけが乗っている」
先生はナイチンゲール号が寄港する度、ため息混じりに言った。いかに身勝手で浮世離れした先生でも、ノーブル船長の命令には従わざるを得ないようだった。
「仕方ないですよ。密出国しているわけですから」
「エルミールのような贋作師を使って、剥製を密輸している連中の手を借りねば出国できないなどとは、私は思わないがね」
「そういえば、先生はエルミールと何があったんですか?」
僕は単なる好奇心で先生に聞いた。あまりにも退屈な日々の繰り返しで、話題も尽きかけてきたところだった。先生にとっては面白くない話題かも知れないが、他に話すネタも無かった。先生は少し逡巡したが、エールを一口飲むと言った。
「ダレス卿から聞いているかも知れないが、私は昔、贋作を創っていた。あの時はまだ物を見る眼が無かった。エルミールが創った剥製が、この世には存在しない生き物だとは全く想像もしていなかった」
「騙されたわけですか」
「見事にな。ダレス卿が贋作を扱うことは知っていたが、偽の剥製まで扱うとは思っていなかった。私はエルミールの巧みな作品に目をつけて、それを勝手に持ち出した。そして、高名な博物学者に売りつけようと考えた」
先生は口元を歪めて答えた。先生の自嘲気味の口振りが示すように、先生の過去は皮肉めいているようだった。
「自業自得というものだな。ルークラフト卿は剥製がすべて偽物だと看破して見せた。私は詐欺で捕まったが、その頃にはダレス卿も私との関係を断つだけの準備をしていた」
「その後はどうやってルークラフト卿の弟子になったんですか?」
「騙そうとしたわけじゃないと必死に弁解したよ。教授は私に情けをかけてくれた。その分、新大陸では大いに苦労したがね。教授が満足する『本物』を見つけるためには、私はなんでもした。そして今、ようやく詐欺師のエルミールを捕まえる機会を得ることができたわけだ」
先生は船倉の奥を見つめながら、またエールを口にした。その顔はいつもよりも愉悦の色が強く見えた。どちらかと言えば詐欺師になったのは先生の責任だが、指摘するのも面倒だったので僕は黙っていた。
「……算法修道会の秘密と、エルミールは関係があるの?」
いつの間にか先生の横に座り込んだ卯月が尋ねた。
「何だって?」
「エルミールも秘密を知っているって」
「どうだろうか、分からんな。算法修道会の秘密を自分から話したがる物好きな人間に出会えれば、その関係も分かるかも知れん」
その可能性は低そうだった。ユーリヤにしてもノーブル船長にしても、算法修道会は一癖も二癖もあるような連中ばかりだ。その口を割らせることも難しいのに、わざわざ秘密を自ら開陳しているような者がいるとすれば、それは一種の罠にも思えた。
***
何事もなく奴隷船は航行し、三週間が経過した頃にようやく暗黒大陸の黄金海岸と呼ばれる地域に辿り着いた。ナイチンゲール号は早速、要塞があるシャマ港に近づいた。船外を覗くと、水夫たちが手漕ぎボートで繰り出していく様子が見えた。港で疾病が流行している危険を考慮してのことのようだった。しばらくして手漕ぎボートが戻ってくると、ノーブル船長が僕たちを呼び出した。
「エルミールの弟子がいた村まで行って下さい。道中は現地を調査している博物学者が案内してくれるそうです」
「ようやく陸か……なんとも懐かしいものだ」
先生は背伸びしながら黄金海岸に建てられた要塞を見つめた。
「エルミールの弟子は黄金海岸の内陸部にある、シャンティ族の治める村にいます。念の為、申し上げておきますが、現地で算法修道会は助力できませんので無理をなさらないように」
むしろ、先生にとっては無理できる条件が一つ増えたといえる。ナイチンゲール号がシャマ港に到着すると先生はノーブル船長に短く礼を述べ、さっさと土の上に降り立った。僕と卯月も先生を追って暗黒大陸への第一歩を踏み出した。
「君たちがノーブル船長の言ってた調査員か?」
シャマ港に着くと、シャツの袖を肘まで捲った男が声をかけてきた。ボサボサの茶髪に黒縁の眼鏡。いかにも学者然とした男だった。先生はすぐに男の話に合わせて答えた。
「えぇ、そうです。私はワーズワース。この二人は助手です」
「助手まで連れてくるとは準備がいいものだ。私はエドガール・バルトリーニ。よろしく」
「どうも、バルトリーニ殿」
「早速だが、ローランの村に向かおう。シャンティ族のボートが交易のためにここまで来ているから、その帰り道に付いていく」
バルトリーニ氏は先頭に立って、時間が勿体無いとでも言わんばかりにそそくさと歩き始めた。
「調査の話は既に聞いていると思うが、周辺の動物の生態調査だ」
何も聞いていない。早くも雲行きが怪しくなってきた。
「えーっと……ワーズワース殿には調査の経験があると聞いているのだが?」
「えぇ、新大陸でも調査を」
「それなら安心だ」
バルトリーニ氏は振り返ることなく、勝手に話を進めてながら、どんどん進んでいく。ノーブル船長は博物学者が案内してくれると言っていたが、少し話が違うようだ。
「ローランの村はどのような場所なのですか?」
先生がバルトリーニ氏に尋ねた。
「クマシー鉱山の近くにある。帝国やアルビオン、ツァーリの大公国から移民してきた錬金術師が多くて。要するに、賑やかな村だ」
大して興味もなさそうにバルトリーニ氏は答えた。
「そんなことよりも調査が肝心だ。シャンティ族の王も、ローランの村での事件が解決することを望んでいるから」
「えぇ、勿論。そうでしょうね」
エルミールの所在を知る以前に、既に面倒な事件に巻き込まれつつあるようだった。僕たちはバルトリーニ氏の案内で、ローランの村へと続く川を遡上していくことになった。海岸沿いはまだ海風があって涼しかったものの、ひと度、密林の中に入ると凄まじい熱気が僕たちを襲った。すぐに夥しい量の汗が吹き出し、身体が水分を欲した。
「川の水は飲まないほうがいい。腹を下す」
先生に注意され、僕は水筒から真水を飲むことにした。水は貴重だったが、それを我慢したまま死ぬのは御免だった。
「しかし、これだけの人数で調査となると、シャンティ族にも目をつけられませんか?」
先生がそれとなくバルトリーニ氏に問い質した。
「シャンティ族は移民の錬金術師たちのおかげで金や鉄の産出量が増えて、我々を信頼している。多少は無茶も通る」
「なるほど。しかし、生態調査の上で、シャンティ族が信仰しているような動物を捕らえないようにしたほうが良いでしょう」
「そういうわけにも行かない」
バルトリーニ氏は苦々しげな表情を浮かべた。
「むしろ、彼らの信仰している獣について調べるのが、我々の仕事だ」




