獣狩り 三 ~ 守銭奴
「ジェピュエル総督府での調査は終わったのでしょう。これ以上、算法修道会が調査官殿を利用する意味があるというの?」
分厚い神学書を手に、オットボーニ司教がユーリヤに詰め寄った。ユーリヤの話から算法修道会とクルジュスコールの関係と目的は一応分かったものの、その活動については未だ謎だらけだった。ゲオルギウス・フラーテルという亡霊のような人物が背後で糸を操っていることは明白だったが、何故そこまでしてフラーテルに忠義を尽くすのか、あまりにも不審だった。
先生はフラーテルについて何か知っているようだったが、そうした秘密を知っていても事態を有利に運ぶ要因にはならないようだった。ユーリヤは依然として不敵な笑みを隠そうともしていない。
「このまま調査官殿が帝都に帰ったところで、身の上が安全とは言えないのデス」
「それはどういう事かしら?」
「ジェピュエル総督府は帝国から独立するのデスヨ。その中心的役割を果たしてきたクルジュスコールを擁護する報告書をコルヴィナの王立アカデミーに提出すればどうなるか。どんな廷臣でも、そんな報告書を書いた調査官を密偵だと疑うデショウ」
言われてみればその通りだった。僕たちがいくら陰謀に加担していないと主張したところで、クルジュスコールひいてはジェピュエル総督府の肩を持つような調査報告をしたということは火を見るより明らかだ。たとえコルヴィナの王立アカデミーを裏切っても、ユーリヤや算法修道会の活動のために王立アカデミーに散財させたという結果は変わらない。
帝都に戻ればすぐに、バルテンシュタイン男爵やモンバール伯爵の差金で、密偵たちが僕たちの身辺調査――あるいは拷問にやって来るだろう。焼きごて、ペンチ、木槌……身の毛もよだつ光景が想像された。帝国の中で最も安全であるはずの帝都で、まさか自分の命が危機にさらされることになることを予言されるとは。
僕たちは迂闊にも陰謀に片足どころか両足とも突っ込んでいたようだった。ユーリヤの言う慈悲に縋るより他に選択が残されていないのだろう。僕の気分は段々と沈んできた。その時、先生が突然声を上げて笑い出した。ついに先生も気が変にでもなったのかと、僕は不安になったが、そうではないようだった。
「確かに我々は陰謀の片棒を担がされたのだろう。だが、その陰謀の中身とは何だ? 公国の独立! 笑わせてくれる。本当の目的を隠しておいて」
「本当の目的? 公国の独立は隠れ蓑だとでも?」
司教の疑いに満ちた視線が、少女の顔で笑みを湛える先生に注がれた。
「そうですとも、司教殿。算法修道会の活動は、結局のところ金が目的です」
そう言って、先生は「笛を吹く人」の肩に手を置いた。
「トルダ子爵をその気にさせて、やったことと言えば地下岩塩坑の開発援助。クルジュヴァール市でもオークションで贋作を使ってガリアから金を引き出させた。やっていることは資金洗浄ばかり。とどのつまり、金自体を目的に活動しているだけの連中だ」
「資金をどう使おうが、我々の勝手デショウ」
「あぁ、勿論。だが、そんな連中が本気で信用を得られるとでも?」
先生は司教のほうを振り返った。司教はうんざりしたような表情でユーリヤを見つめている。これまでも清廉を良しとする姿勢を見せてきた司教にとって、算法修道会はただの胡散臭い秘密結社に映っているようだった。贋作によって資金を得ていたことを否定しなかったことは、ユーリヤたち算法修道会がエルミールなる贋作師と共謀していたことも裏付けている。
「私としては、司教殿にもう少し説得していただきたいところですが」
「えぇ、そうね。えぇっと……算法修道会がフラーテル司教によって創設されたも同義だと言うのなら、せめて使徒派の修道会として活動すべきね」
もっと他にこの守銭奴の修道会に言ってやることはあるだろう。しかし、どこかピントのずれた反応を見せる司教にも、先生は小さく頷くだけだった。
「我々にとって教義など、フラーテル司教殿の思し召しに適うか否かというだけの問題に過ぎないのデス」
司教の厳しい視線に対してもユーリヤは余裕の言葉を発した。
「教義は飾り物だってわけ? 呆れたわね」
「クルジュスコールは司教の冠を守っている。算法修道会は福音派として屍霊術を利用して富を得ている。ジェピュエル公国の支配のためには、それ以上を望む必要がなかっただけの事デス。そんなことよりも重要な事があるデショウ?」
「我々のこれからのことかね。それなら、あまり算法修道会の世話になるほどでもないと思うのだが。そうだろう、カミル君」
先生は急に話題を僕に振ってくる。そう言われても、漠然とした不安ばかりが脳裏を過ぎった。今更のこのこと帝都に帰ったところで、密偵に捕まるのがオチではないだろうか。僕が答えに窮している間に、ユーリヤが再び言葉を続けた。
「エルミールのことデス。調査官殿は、どうやらエルミールに興味があるようデスネ……」
ユーリヤはいつものように相手を伺うような姿勢になった。これ以上は無料で喋れない領域ということだろう。算法修道会の活動が金目当てだと言われているのに、全く懲りないものである。それでも先生は観念したように肩を落としながらも、ユーリヤに向けて銀貨を放った。ユーリヤは銀貨を受け止めると、黒い装丁の福音書の間に銀貨を挟んだ。
「算法修道会は確かにエルミールと共謀関係にありマシタ」
「ました?」
「エルミールは贋作を作って我々に渡す。それを算法修道会が売り捌く。そのような契約だったのデス。しかし、エルミールは裏切りマシタ。贋作が届かなくなったのデス」
「ほう」
先生がユーリヤの話に目を細めた。ようやく話に興味が出てきたらしい。
「奴の工房は調べたのかね? エルミールの居場所は?」
「それが分かれば我々も苦労しないのデス。エルミールは偽の剥製を作るのが主な仕事デシタガ、その拠点を隠していマシタ。エルミールは新大陸と暗黒大陸を行き来していたのデスヨ。我々も今はエルミールが一体どこにいるのか見当もつきマセン」
「……」
「今はエルミールを探そうと算法修道会でも情報を集めているのデスガ、あまり芳しくないデスネ。皆様が調査に出る前に、魚の剥製を送ってきたのが最後の連絡デシタ。暗黒大陸にいる弟子を経由して贋作を送って、それからは雲隠れデス」
「フムン」
贋作の供給者であるエルミールは行方をくらました。その居場所は新大陸か、それとも暗黒大陸か。情報に通じて暗躍してきた算法修道会ですらも居場所が分からないとなれば、手の出しようはないように思えた。しかし、それでも先生は引き下がらなかった。
「だが少なくともエルミールは算法修道会にとっても探す価値がある人物だというわけだ」
「その通りデス。エルミールは算法修道会の秘密を知っている一人デスカラ。いざとなれば消えてもらうほうが良いかも知れマセン」
平然とした表情でユーリヤは物騒なことを言い始めた。
「私もエルミールには借りがある。どうにかして奴と会いたいと考えてきた」
「なるほど?」
「そこでだ。もし算法修道会に慈悲があるのであれば、私をエルミールの下に連れて行く手助けをして欲しい」
「なんですって。いきなりそんな……」
僕は思わず長椅子から立ち上がった。先生は突然何を言い出すのだろうか。
「エルミールは新大陸か暗黒大陸にいたのだろう。良い機会だ。帝都に戻って密偵に痛くもない腹を探られるくらいなら、大洋を渡ってエルミールを探して、しばらく算法修道会に匿ってもらったほうが良い」
「それはそうかも知れませんけど……」
「不服かね?」
先生は悪戯っぽい笑みを浮かべている。自然哲学を学ぶ学徒にとって大洋を渡ることは学業上の大仕事を意味していた。見たこともない鉱物、植物、そして動物。新しい発見と冒険が待ち受けているのだ。大学でも新大陸や暗黒大陸への旅を断る者は皆無だった。しかし――
「結局、その……算法修道会の言いなりってわけですよね」
「まぁ。そうなるな」
「エルミールを探して、そしてエルミールがどうなろうが僕たちは知ったこっちゃないってわけですか」
「無責任だとでも?」
「そうですよ」
「いや、私が責任を取る」
先生は僕の顔をじっと見つめた。責任を取るなどと言っても、先生が何をしでかすか分からない分、余計に不安だった。
「少しよろしいでしょうか」
そう言ってアウレリオ司祭が一歩前に出た。
「もし調査官殿を出国させるのであれば、私たちも協力させていただきたい」
「それは大歓迎ですが、何故急に?」
「今回の件で調査官殿を巻き込んでしまったのは、他でもない私たちの責任でもあるからです。……そうでしょう、司教?」
アウレリオ司祭は司教のほうを向き直った。司教はむっとした表情で俯いた。
「ジェピュエル総督府とガリアの宮廷は……オットボーニ家を、共和国を通じて連絡を取っていました。これは明らかな事実です。このような陰謀に繋がっているとは知らず、しかしガリアの宮廷に利するため、私たちはジェピュエル総督府との連絡に協力していました」
「それは……」
「アウレリオ、もういいわ。その通りよ。オットボーニ家はガリアの国内でも司教職に与っている家系ですもの。それにここには算法修道会のユーリヤもいた。多かれ少なかれ、調査官殿にも影響が出ているはずだわ」
司教は大きく息を吐いた。
「ここにいる全員が、ジェピュエル総督府の独立を支援した共犯者でしょう? だったら、お互いに身の安全を考えたほうが得策だと思うわ」
「司教殿も政治がお分かりになってきたようデスネ。私は司教殿の意見に賛成デス」
ユーリヤの嬉々とした言葉に司教は再度、息を吐いた。
「オットボーニ家の商船が近々、定期商船団と一緒にイスパニアまで出港するわ。コルヴィナの南から共和国領内まで移動してもらって、そこから出国すればいいでしょう。商船の船長には私から連絡しておくわ」
「ありがとうございます、司教殿」
先生は司教に深々と頭を下げた。帝都に戻って自分が調査されるよりも、先んじて人探しという調査に出向くほうが好ましいことは確かだった。だが、ユーリヤの態度を見ていると、どうにもまた利用されている感が否めず、僕は今の事態を肯定的には受け止められなかった。
「イスパニアから先は修道会所有の奴隷船に乗って、まずは暗黒大陸まで向かっていただきマショウ。算法修道会が旅の準備はすべて整えておきマス。現地でも我々の仲間が皆様を全力で支援いたシマス」
「我々が帝国に無事に戻れるかどうかは、エルミールの行方と取引というわけかね」
「その通りデス。その途中で多少は秘密が漏洩することも仕方ないことと考えマショウ。すべては結果次第デス」
こうして、算法修道会の後ろ盾を得て、僕たちはコルヴィナ王冠諸邦から事実上、逃亡することになったのだった。




