獣狩り 二 ~ 算法修道会
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ローランの集会から遡ること二ヶ月前。僕たちはジェピュエル総督府からの帰り道、ヴァルド市を再訪した。コルヴィナの王立アカデミーに報告書を提出し、調査が終わったことを知らせねばならなかった。道中を共にしてきたフィッシャー卿と別れ、僕たちは見慣れた使徒派の教会堂に向かった。
「今度こそ司教殿と会えると良いのだが」
先生の心配とは反対に、教会堂に近づくとすぐに聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「皆さん、久しぶりね。元気だったかしら?」
教会堂に着くとオットボーニ司教は以前と変わりない様子で僕たちを出迎えた。彼女のすぐ後ろにはアウレリオ司祭とユーリヤが控えている。ヴァルド市のほうは陰謀に満ちたジェピュエル総督府とは違って平穏無事な毎日を過ごしていたようだった。先生は司教への手土産として、ジェピュエル総督府で競り落とした「笛を吹く人」の機械人形と、帝都で新たに出版された神学書を渡した。
「司教殿にはこちらの神学書を」
「気が利くわね。調査で大変だったでしょうに」
司教は神学書を手に、機械人形を物珍しげに見つめた。その表情は気が利く相手に感謝しているというよりも、何故このようなものを土産にしたのかという疑問に満ちていた。誰だってそう思うだろう。僕だってそう思う。先生の顔には親切さが溢れていたが、司教に機械人形を渡した先生の真意は嵩張る荷物を道中で適当に処分するところにあるように思えた。
「ゆっくりしていって。ジェピュエル総督府でも随分と派手にやらかしたと聞いているから。クルジュスコールでも色々とあったみたいね」
司教の「クルジュスコール」という単語にユーリヤが目を細めた。ジェピュエル総督府にいる間には何も連絡していなかったが、この病的な修道女は僕たちの情報をどこかで盗み見ているような感じがした。僕の視線に気付いて、ユーリヤは貼って付けたような笑みを浮かべた。
司教は機械人形から離れ、僕たちに長椅子を勧めた。
「いや、お恥ずかしい限りです。司教殿にもお噂が聞こえているとは」
「クロブシツキー補佐司教から連絡があったわ。彼女のように優秀な人を困らせるのは、貴方たちしかいないでしょ?」
どうやら僕たちの状況は補佐司教によってコルヴィナ側に筒抜けだったようだ。考えてみれば当然のようにも思える。同じ使徒派の司教同士、コルヴィナとジェピュエルの間で問題が起こらないように予防線を張っておくのは、やはり宮廷貴族を擁する家系や高位聖職者にとって当たり前の嗜みなのだろう。だが、それは同時にユーリヤにも情報が渡っていたということでもあった。
「それでもワタシは皆様が調査を成功させるものと信じておりまシタ。神の御加護があるものと」
僕たちが椅子に座ると、ユーリヤが口ずさむように言った。彼女の言う御加護とは、イネッサの活動や算法修道会とかいう修道会の支援のことなのだろう。それらは確かに調査に役立ったとは言え、死者を出した調査を成功と呼ぶユーリヤの態度には納得がいかなかった。僕はいよいよユーリヤを問い詰めるべきだと確信した。
「どうやら……ワタシに仰りたいことがおありのようデスネ。眼を見ればすぐにわかりマス」
ユーリヤは伸ばし放題の銀髪の合間から僕を見据えた。先手を打たれて僕は一瞬、言葉に詰まった。
「算法修道会」
その間に、僕の代わりに卯月が核心となる単語を発した。
「フィッシャー卿は算法修道会がジェピュエル総督府での活動を支援してくれたって言ってた」
「算法修道会ですって……?」
司教が訝しむような眼をユーリヤに向けた。
「司教殿はご存知なのですか?」
「正式名称はコルヴィナの東方算法修道会。かつてジェピュエル総督府が公国だった頃、半世紀前から活動している修道会です。福音派の修道会としてコルヴィナで最大の規模を誇っていたのですが、誰もその活動や所属する会員について知らないのです」
アウレリオ司祭が補足するように述べた。算法修道会は一種の秘密結社ということなのだろう。それがようやく表に出てきたと思ったら、ジェピュエル総督府で鉱山開発に関わっていたとなれば誰でも疑いの目を向ける。周囲の視線を集める中でユーリヤは高笑いした。
「ようやく我々に気付いてくれて嬉しく思いマス。しかし、些か遅きに失するという場面デスネ?」
ユーリヤは僕に向き直った。
「イネッサは善き信徒デシタ。自らの危険も顧みず、最後まで修道会に命を捧げたのデス。これほど感動的な殉教者は他にいないのデス」
「殉教だって?」
イネッサの名前が出た瞬間、僕は頭に血が上り、ユーリヤに対して吠えた。
「自分たちだけ安全な場所にいて、人を危険な場所に送り出すような連中が修道会を名乗るのか」
「我々の活動について、そう安々とはお話しできないのデス。ただ、我々のおかげで今の自分があることを思い出したほうが良いと思いマスヨ」
「修道会のおかげで僕たちが生き残ったとでも言うのか?」
「その通りデス」
僕の言葉に動じる様子もなく、ユーリヤは低く笑いながら答えた。
「逆に問いマスガ。イネッサは何故、死んだのデスカ? 貴方はそのことを理解していマスカ?」
「何故って……」
「吸血鬼なる者は彼女の血管に空気を入れて殺したのデスヨ。外傷を最小限に抑えて人を殺す方法を知っていたのデショウ。だからこそ、吸血鬼は吸血鬼として行動できたのデショウネ」
僕の反応など意に介さず、ユーリヤは面白がるように言った。
「そんな話は聞きたくない」
「おかげでこちらでも処理が楽デシタ。空気が血管に入るとどうなるか、ご存知デスカ? 徐々に息が苦しくなって、やがて――」
「やめろ!」
ユーリヤの悪趣味な話をこれ以上、聞きたくなかった。僕の叫びに教会堂は静寂で応えた。重たい空気の中でしばらく誰も口を開かなかった。
「算法修道会は……エルミール・ド・エルゾーグも支援しているのかね?」
沈黙を破って、先生がユーリヤに尋ねた。エルミール・ド・エルゾーグ。先生がオークションで詐欺師だと指摘した剥製の作者の名前だった。
「六本指のエルミールは実に素晴らしい贋作師デス。贋作そのものに価値があるとすれば、それはエルミールの手によるものだからこそデス。しかし、エルミールを支援するとは?」
「クルジュヴァール市のオークションでエルミールの剥製が競りに出されていた。それにオルロフ殿、君の作品も。もしかして、算法修道会はエルミールと結託しているのではないかと思ってね」
「まさか」
先生の言葉にユーリヤは目を丸くした。エルミールの名前が出たのは彼女にとっても意外だったようだ。
「では何も関係が無いと?」
「……」
先生は長椅子から立ち上がり、祭壇のほうへと歩み寄った。色とりどりのステンドグラスに照らされ、先生の顔が極彩色に染まった。
「どうかね? 答えないとは言わせない」
「どうなの?」
先生と司教に睨みつけられ、ユーリヤはややバツの悪そうな表情を浮かべた。しかし、それでも自分と修道会の優位は変わらないと確信しているように、彼女の口元には不敵な笑みが残っていた。
「算法修道会について最初から……お話ししたほうが良さそうデスネ」
「勿論、最初からすべて」
「これはあくまで司教殿のためデス。調査官殿。貴方のためではないと、まずはお断りしておきマショウ」
「それはどうも。算法修道会が異端かどうか、判断する良い機会ね」
司教の皮肉にもユーリヤは静かに頷くだけだった。司教に対しては普段のように誠意を盾にして寄付を要求することもなく、ユーリヤは滔々と語り始めた。
「算法修道会はクルジュスコールと対になる組織なのデス。我々はゲオルギウス・フラーテル司教殿の名の下に、ジェピュエル公国の独立と主権のため半世紀に渡って……他人の舌を借りれば『暗躍』してきマシタ。クルジュスコールが司教の冠を、算法修道会が墓所の鍵を請け負ったのデス」
「ゲオルギウス・フラーテル司教が?」
司教が思わずと言った調子で口を挟んだ。
「驚かれるのも無理はないデショウ。一言で言えば、クルジュスコールも算法修道会もフラーテル司教殿が創設したものなのデス。我々の目的は一つ。フラーテル司教殿の管理下で、ジェピュエル公国と秘密を守ることデス。そのためであれば、あらゆるすべてを行う。それが算法修道会なのデス」
「秘密というのはフラーテル司教本人のことかね? それともクルジュヴァール市の鉱山そのものかね?」
「おぉ、我々は罪深い……。秘密は秘密にしておくからこそ、意味があるのデスヨ。調査官殿」
先生はフラーテルについて何かを知っているようだったが、それについて僕には話していなかった。知るべきではないこともあるということだろう。だが一方で、そうした秘密こそが算法修道会とクルジュスコールの根幹を成す事実なのだと思えた。先生が静かにため息をついた。
「結局、怪現象の調査などと言って、我々は君たちに……クルジュスコールと算法修道会に踊らされていたというわけか。それがまさか、公国の独立のためとは。随分と大上段に構えたものだ」
「クルジュスコールの存在を帝国に納得させるためには必要だったのデスヨ。しかし、貴方がたも必要以上に知ってしまったようデスネ」
「不都合であれば我々を消すのかね?」
先生の目が怪しく光った。たとえ命を狙われようとも、ただでは死なないという意志が見て取れた。だが、そこには僕や卯月まで巻き込もうという大胆不敵さも含まれているようだった。
「そんな事をしたところでジェピュエル総督府の立場を弱めるだけデス。それに、我々の秘密をただ明かしても信じる者は皆無デショウ」
「確かに。その通りかも知れんな」
「イネッサは公国のために命を落としマシタガ、貴方がたにはまだ利用価値が残っているのデス。算法修道会はフラーテル司教殿の意志を継いで、常に慈悲深くありマス」
「公国独立のためにオークションを利用してガリアの王国からも資金援助を引き出しておいて、帝国と駆け引きしようなどと目論んでいる連中に、慈悲などかけられたくもないがね……」
「いえ、これから存分に慈悲をかけマスヨ、我々は。我々だけは」
そう話すユーリヤの手には黒い装丁の福音書が握られていた。




