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陰謀狩り 六 ~ 司教は議論がお好き

 チェンバロの優雅な演奏の中、時折、淑女の囁きのような笑いとお喋りが聞こえてくる。広間の奥では、アルデラ副伯ダミアーンが神経質に、参加者一人ひとりをこまめに一瞥していた。


 帝都の大学の晩餐会ほどではないにしろ、紳士淑女は皆一様に着飾って気取った態度に見えた。先生や伯爵と一緒で無ければ、恐らく一生縁のない世界だっただろう。


 辺境とは言え、大貴族の晩餐会ともなれば、自らの権威を示すために名士を集めるものだ。伯爵の居城には今、周辺の領邦や都市から地元の貴族や有力者――小領主とその家内騎士や町村長が集まっていた。ただし、その中にアルデラ伯爵を越える領地を持つ者はおらず、彼らはつまり平貴族だった。


 従って、今夜の晩餐では、領地の権利や裁判に関与する州長官などの行政官、軍政国境地帯に駐屯している帝国軍の連隊長、帝国からやってきた司教、調査先の監督者である教区長らが、先生と僕にとって重要な来賓であると言えた。


 少なくとも、彼らの機嫌を損ねるようなことにならねば良いが。僕の不安を余所に、先生は当世風のカツラを被り、杯を片手に貴族たちとの会話に興じていた。


 僕の方はと言えば、広間の隅に隠れるように立って、誰からも話しかけられないことを祈っていた。自分のような田舎学生風情は、やはり貴族の晩餐には場違いだ。


「退屈ですかな? それとも、ご気分が優れない?」


 僕が思わず顔を上げると、ヒルシュ氏が立っていた。


「いや、なんというか、こういう場には不慣れでして……」


「誰だって皆、楽しんでいるわけでもありますまい。まあ、今回は怖いもの見たさと言うところもあるのでしょう」


 そう言ってヒルシュ氏は黒いリネンの法衣を身にまとった妙齢の女性に目を向けた。その姿は、食前酒で舌も滑らかに喋る貴族たちから、明らかに浮いている。女性は誰とも会話を交わさず、伏し目がちに周囲を伺っている。

 白皙(はくせき)とした顔色は、まるで喪に服する未亡人のようだった。


「ヴァルド市の福音派教会の教区長、ティサ・エルジェーベト女史です」


「彼女が如何されたのですか?」


「まだご存知ではありませんでしたか」


 ヒルシュ氏が驚いたように目を見開いた。


「彼女が今回の騒ど……失礼、怪現象の中心人物なのですよ。ご本人には何も罪はないのでしょうが……。詳しい話は長くなるので、後ほど伯爵からも説明があるでしょう」


 その声を以前よりもさらに潜めて、ヒルシュ氏は僕に耳打ちした。


 その時、広間の中央で伯爵が手を打った。貴族たちの視線が伯爵へと注がれる。


「さて、皆様。こちらが、この植物図鑑に載っている植物を新大陸で調査なさった学者、ワーズワース殿です」


 伯爵が来客たちに先生を紹介する。


「我が領内で風紀を乱す怪現象について調査なされます」


 腹の膨らんだ軍服を押し込むように身にまとった壮年の男が、手渡された植物図鑑をぱらぱらとめくった。


「連隊長のオスカー・フォン・シュタウヘンベルク殿です」


 伯爵が先生を連隊長に引き合わせる。


「このあたりには何かありましたかな? 牧草以外に」


 口ひげを撫でながら、連隊長は精力の漲った顔に笑みを浮かべた。周囲の貴族も連隊長に合わせて、さざ波のようにせせら笑った。


 顔に似合わずあまり酒に強くないのか、それとも食前酒を随分と飲んでしまったのか、連隊長はだいぶ上気しているように見えた。しかしそれでも、先生の少女のような顔を見て、彼が動じる様子はなかった。


「植物だけが我々の調査対象とは限りません、連隊長殿。万物の不思議を解き明かす意味があります」


 先生は勿体ぶった調子で連隊長の皮肉をかわした。


「確かにその通り。では機会があれば、次にどんな不思議な者が将軍に就任するのか、お調べいただこうか」


 そう言って連隊長は一人で盛大に笑った。

 名前こそ出さなかったものの、彼が異教徒との戦争に敗れた将軍の人事を気に入っていないことは明らかだった。伯爵は連隊長の言葉に、引きつった笑顔のまま無言で頷いている。


 軍政国境地帯の帝国軍は、屯田兵として戦争で荒廃した村落で働きながら、警備任務に就いている。和平条約が有効な現状では、警備と言っても野盗や馬泥棒を捕まえる程度の役割しかない。


 そうなれば、彼らが行き場のない暴力性を村人に対して発揮したり、立て直すべき村を荒らすこともあり得る話だろう。時には気晴らしに異教徒と騎馬試合を行うなど、選帝侯との戦争中にも関わらず、軍政国境地帯の連隊は平和ボケした体たらくだと、帝都の新聞は彼らを貶めていた。


 そういった悪評が兵士をまとめる連隊長の耳に入らないわけではあるまい。だとすれば、連隊長の言動が愚痴めいているのも仕方のないことなのかも知れない。


「最近では誰も彼も、神から与り賜った恵みに目を向けません。アルデラの算法修道会では解剖学などにまで手を出して……」


 厚い聖布を垂らした白い法衣の若い女性が歩み出てきて、連隊長の手から植物図鑑を抜き取った。


「調査官殿は勿論、神の恵みを尊重されておられるのでしょう?」


 目を丸くしている連隊長を無視して、法衣の女性は先生に植物図鑑を押し付けるように手渡した。


「あの些か挑戦的な方が噂の司教殿ですよ」


 ヒルシュ氏が僕に耳打ちした。


「新大陸では宣教師が貴方のような学者に感化されて、自分の志を変えているとか。本当かしら?」


 ヴィルジニア・オットボーニは、ヴァルド市に就任したばかりの使徒派教会の司教だった。

 しっかりと編み上げた金髪に、力強い視線。誇らしげな態度は高位聖職者に相応しいが、年齢がそれに追いついていないように思える。見たところ、僕や伯爵と大して変わらない年齢だろう。


 父子ほど歳が離れているようにも見える連隊長の前にいきなり割り込んできた司教は、若く熱心で、しかし尊大にも思える使徒派教会の聖職者像を体現していた。


「無理にお答えにならなくても結構ですぞ」


 司教の後ろから、眼鏡をかけた白い法衣の男が顔を出した。法衣の意匠から、司教と同じ使徒派教会の司祭であることが分かる。


「司教は寛大ではあるが、議論好きでしてな。常日頃からご自分に見合う神学的議論のお相手を探していらっしゃる」


 男の表情は穏やかだったが、目は全く笑っていなかった。


「別に構わないでしょう、アウレリオ。折角、進歩的な学者と出会えたのだから……」


 アウレリオと呼ばれた司祭は、若い司教を制して、晩餐の時にしましょうなどと言いながら、彼女の肩に手をかけた。


「調査官殿、また後ほど。楽しみにしていますわ」


 お目付け役にたしなめられ、渋々と言った様子で司教は引き下がっていった。


 教皇を頂点とする使徒派教会は、帝国内では多数派ではあったものの、コルヴィナ王冠諸邦では少数派だった。信仰の自由はコルヴィナにおいて村落を含めて認められた権利だったが、それも貴族たちが外圧を排して領民をコントロールするための方便に過ぎなかった。


 教皇から押し付けられた教義に右往左往するよりも、ある程度、教義の解釈に自由が認められる福音派や、教皇からの離脱を目指す改革派を選ぶ貴族が増えるのも、当然の流れであると言えた。複数の宗派が入り交じる地域の教会堂は、各宗派が譲り合って使うように勅令が出されていたものの、民衆から必要とされない宗派の牧師は市町村から去らざるを得なかった。

 そうして一人、また一人と牧師がいなくなり、使徒派教会は廃れていった。


 最近になって、皇后となった女王の王権に(かしず)大貴族(マグナート)の一部は、ようやく重い腰を上げて使徒派教会に再改宗したものの、その影響力は限られていた。

 アルデラ伯のカーロイ家も、その領地の一つであるヴァルド市も、その中心は福音派だ。晩餐会に呼ばれた周辺の平貴族や有力者も、多くは福音派や改革派である。


 異教徒から鞍替えしたかつての衛星国であるジェピュエル総督府やコルヴィナの東部では未だ福音派や改革派が幅を利かせており、使徒派は体制の立て直しが急務だった。

 つまり、このオットボーニ司教はいわば敵地のド真ん中に送り込まれた形になっているのだ。


 そんなところでいきなり議論を始めれば、周囲からの心象が良いはずはなかった。アウレリオ司祭というお目付け役がいなければ、若い司教は瞬く間に敵に囲まれ、帝国に逃げ帰るハメに陥りそうだった。


 その時、伯母(はくぼ)イザベラが拍手を始めた。チェンバロの演奏が終わったようだった。それにつられて貴族たちも形だけの拍手をする。


「皆様、お食事の御用意が整うまで、暫しご歓談を……」


 副伯の言葉を合図に、召使いたちが貴族の手に杯を渡したり、逆に空になった杯を受け取り、慌ただしく動き始める。


「あら、カミル様、ヒルシュ先生。お飲み物は?」


 昨日出会った侍女のギゼラが盆を持って近づいてきた。緊張しているのか、首筋から頬が紅潮しているように見える。


「ありがとう。あれ? 君も一杯ひっかけたのかね?」


 ヒルシュ氏はワインをギゼラから受け取りながら冗談めかして言った。


「そんなことはいたしませんよ。ただの毒見で、皆様が召し上がる前に少しいただいただけですわ」


 ギゼラは照れ隠しするように、顔を覆うように盆を持った。僕は彼女の仕草に釣られて、その場で初めて笑った。


 その時、召使いの動きに合わせて、先生が貴族の輪から抜け出してきた。


「おや、ワーズワース殿もカミル君に御用のようだ。それでは、また後で」


 ヒルシュ氏は何かを察した様子で、ギゼラとともに僕から離れた。


「少し外の空気を吸おうか」


 先生は開口一番にこう言うと、銀杯を通りがかった召使いに押し付けた。


「どうですか? 晩餐会のご様子は?」


「退屈」


 先生は一言だけ答えると、バルコニーのほうへと歩き始めた。


「あんなに楽しそうに喋っていたじゃないですか」


 僕は吹き出しそうになりながらも聞いた。


「彼らを楽しませるためだ。食事が始まれば、君だって吐くほど喋らされることになるんだ。心の準備はできているのかね?」


 先生はバルコニーから夕陽を見ながら言った。陽に当って頬が紅潮し、その顔は酔っているように見えたが、退屈そうには見えなかった。


 恐らく、この人は自分に酔っているのだろう。そうでなければ、どんな相手にもあんなに自信満々な態度で喋ることはできまい。先生の口ぶりからは、帝都の大学教授が慎重な態度で接する科学の《限界》は、まるで感じられなかった。

 むしろ、どんなことも可能な、魔法のような妖しさすら漂うのだ。


 ふと、僕は人の気配を感じて振り返った。そこには白い法衣の司教が立っていた。アウレリオ司祭を振り切って、バルコニーに一人で出てきたようだった。


「あら、調査官殿と……そちらは?」


「ご挨拶が遅れました。僕は先生の助手のカミルです」


 僕は突然の来客に思わず直立して答えた。


 司教は絶好の話し相手を見つけたといった様子で、笑みを浮かべると、僕に手を差し出した。僕は少し逡巡して、彼女の手をとったものの、聖布に手を回し、そちらに接吻した。

 手や指輪に接吻しても良かったのだが、あくまでも慎重に振る舞うことを優先した。


「調査官殿とのお話には、アウレリオもご一緒させていただきましょう。今は助手さんをお借りしても?」


 司教は僕の態度を好意的に受け取ったようだった。早くも僕にも《ご歓談》のお鉢が回ってきてしまった。助け舟を乞うより先に、先生はどうぞお若いお二人でと言ってバルコニーの入り口に戻っていった。


「貴方も新大陸に?」


 司教の透き通るような青い瞳が、夕陽の光で輝いている。

 誰もが、新大陸と聞けば好奇心をくすぐられるものだ。それは保守的な司教であっても変わりがないようだった。


「いいえ……残念ながら、まだです」


「行くあてはあるの?」


「どうでしょう。そのうち機会が巡ってくれば、ですかね」


「カーロイ家の改宗を手伝ってくれれば、父上に頼んで、すぐにでも連れて行ってあげられるけど」


 司教の言葉に、僕は心臓が止まりそうになった。いきなり何を言い出すのだ、この人は。


「どういう意味でしょうか」


 僕は後ずさりした。まさか僕なんかと取引するつもりだろうか。


「冗談よ。学徒なのだから、弁が立って頭の回転も早いのかと思ったけど、案外そうでもなさそうね」


 司教は興が削がれたといったように目を逸らして笑みを浮かべた。


 この年齢で司教という階位を得ているのだから、彼女の家の権力たるや、僕の想像の及ぶものではないのだろう。もしも冗談でないとすれば、それはそれで魅力ある取引だったに違いない。


「ねえ、貴方はどうお考えなのかしら? 屍霊術について」


 唐突に司教は話題を切り換えた。


「どうと申されましても……」


「改革派教会では、死者を崇めることは偶像崇拝であると言って、これを禁じているわ」


 司教の真意は図りかねた。


 使徒派教会では、一応は屍霊術が認められていた。もしも死者の身体に魂が存在する場合、これまでの神学的解釈に問題が起こるという、消極的な理由で屍人形を祝福し、労役に使っている。人手不足という現実に妥協しているだけだという批判もあったが、現教皇は穏健な路線で、この議論を棚上げしたのだった。


 一方、福音派教会では、解剖学を始めとして、使徒派以上の屍霊術の応用が推進されている。福音派の一部の説教師曰く、今の我々の技術は不完全で、いずれ完全な復活の時が来るのだという。来るべき時に屍人形もまた選ばれた人々と等しく祝福されるのだと。死後も農奴を土地に縛り付けておきたい貴族の多くは、この解釈を歓迎していた。


 しかし、改革派教会は、名前に反して革新的な技術を真っ向から否定している。新たにすべきは古い教会の悪習と信徒の心であると。


 彼女の考えは本当に使徒派の教えに準ずるところにあるのだろうか。それとも、単に意見を聞きたいだけなのだろうか。


「私は、今の教皇陛下の方針は、現状に則していないのではないかと考えているわ」


「随分と大胆なお言葉に聞こえますが……」


「そうかしらね。まあ、アウレリオがいたら止めるでしょう。それで、貴方はどう?」


 まるで異端審問官の審問のようだ。最早、回答すること自体が危ういように思われた。


 僕は考える振りをして先生のほうを一瞥した。先生は城内の様子を首だけで伺って、それから手で帰ってこいという素振りをした。


「御食事の準備が整ったようです。戻りましょうか」


「あら、もう少しお時間があれば良かったのに……。では行きましょう。主の平和のうちに」


 司教が背を向けたところで、僕はようやく汗を拭き取った。彼女に付き添うアウレリオ司祭は、きっと毎度こんな調子で、心穏やかではないに違いない。

 僕は心底彼に同情した。

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