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吸血鬼狩り 十六 ~ 誰がために血は流れる

***



――我らが人を赦すが如く……我らの罪を赦したまえ……。


 祈祷の声に目覚めると、僕はベッドの上にいた。周囲を見回すと、部屋には先生と卯月、アーチボルド、そしてすぐ傍らに補佐司教がいる。


「我らの兄弟に血の祝福を……。おお、主よ。慈悲深い恵みに感謝いたします」


 僕と目を合わせた補佐司教が祈祷を止め、頭を上げて天井を仰ぎ見た。クルジュスコールに星空は無い。しかし、先生の背後にある柱時計の文字盤には夜空が描かれていた。気を失っている間に、すっかり深夜になってしまったようだ。


「そ、曹長はどうなりましたか? 子爵閣下は? レミュザ氏はどこに……」


「大丈夫だ、落ち着きたまえ。順番に説明しよう」


 堰を切ったように喋り出した僕は宥めるように先生が答えた。


「君はガス爆発に巻き込まれて、火傷こそ負わなかったが、岩にぶつかった衝撃と出血で今まで気を失っていた。このクルジュスコールで三日三晩の間も眠っていたのだ」


「三日も?」


「アーチボルド殿の、血の医療が無ければ助からなかったかも知れん。私と卯月は爆発に巻き込まれなかったが、ミュラー曹長は爆風で焼死した。彼の部屋からは毒物や薬品が出てきて、それが子爵閣下の襲われた時に用いられたものだと特定された」


 先生は可憐な少女の顔で、一つずつ事実を述べ始めた。


「我々も手を尽くしたのですが、曹長は助けることができませんでした。実に残念です」


 アーチボルドは心底、無念だという素振りでため息をついた。しかし、これまで数多くの危険な実験を行っているという彼らの、仮面の下に隠された真意は図りかねた。先生はアーチボルドに継いで説明を続けた。


「子爵閣下は亡くなられた。中尉から女伯を庇ったと聞いたよ。彼が亡くなってから、吸血鬼による事件は起きていない。彼こそがジェピュエルを騒がせた吸血鬼の黒幕だったと言って良いだろう。

 そして総督だが……彼も司教や補佐司教の助け無しには総督を続けることはできなくなった。デーヴァ伯が総督代理として、今は総督府の実権を握っている」


(かね)てより、これで良かったのです。万事順調です」


 先生の説明を受けて補佐司教が笑顔で述べた。


「すべては司教殿の予見通りに進みました。確かに諸々の問題はありましたが、ジェピュエルは着実に公国への道を歩んでいます。後は調査官殿が王立アカデミーに報告書を書き送り、女王陛下の承認をいただけばよろしいのです」


 補佐司教はそこまで言うと、僕に握手を求めた。友好的な態度の間も、彼女の灰色の眼に感情らしきものは見当たらなかった。僕は補佐司教の手を握り返さなかった。


「結局、すべては司教殿の手のひらの上だったということですか?」


「あっはっはっは……司教殿は何事もお見通しですから。我々の思い至る状況に関して、司教殿が手を打っていないということはありえません」


 補佐司教が笑いながら手を引っ込めた。今も司教はどこからか、この遣り取りを覗き見ているのだろうか。


「私はどんな調査報告書を書けば、今後、命を狙われずに済むものか苦慮しているのだが……」


 先生が自信なさげに肩を落とした。今回はジェピュエル総督府の公国独立に絡む陰謀だったのだ。きっと何を書いても吸血鬼より恐ろしい問題が立ちはだかるに違いなかった。


「何も悩むことはありません。貴方の思うように書けばよろしいのです。それが司教殿……それに総督や女王陛下の思し召しに叶うはずです」


「気楽に仰るものだ」


 補佐司教の明るい言葉に、先生は頭を抱えたまま椅子に座り込んだ。


「卯月が見たものについて、公表することは叶わないだろう。司教殿のことも。総督のことも……。すべての真実は洞窟の闇の中ということになる」


「よろしいでしょう。そうですとも。よろしいでしょう」


 大事なことを二回繰り返して、補佐司教は部屋を後にした。それに続いてアーチボルドも部屋から去っていった。


聖歌隊(クールシュ)のヨハンナとミルルカが控えております。何かあれば、彼女たちをお呼び止めください」


 僕はずっとアーチボルドは人攫いの人でなしだと思っていたが、彼の為す人徳か情熱か、攫われた子供やペスト医師たちは彼を慕っているらしかった。クルジュスコールにいるペスト医師の中で、聖歌隊(クールシュ)と呼ばれる者たちは、アーチボルドによって選抜された優秀な医師なのだと先生は説明した。


「一体、アーチボルドの何が人を惹くのでしょうか」


「さあ? しかし、女伯殿にとってレミュザ氏が良い話相手だったように、アーチボルドも見方によっては医療の道を拓く、新進気鋭の探検家のように映ることもある。信心深い聖職者のような姿勢が、他人を惹き寄せているのかも知れん」


「先生はどうなの?」


 卯月の眼が先生を見据えた。


「私は神も悪魔も信じていない。新大陸でも辺境でも、目に見える事実がすべてだ」


 先生もアーチボルドと同じく、新進気鋭の探検家という姿勢に偽りはなかった。

 僕がクルジュスコールでの治療を受けている間に、先生は報告書を書き上げた。報告書は吸血鬼に纏わるジェピュエルの伝奇を交えて、どうにか政治色の薄い客観的内容にまとめたようだった。


 僕たちが関わった陰謀のうち、外部に公表されたのは極僅かだった。その大半はクルジュヴァール女伯が、トルダ子爵によって監禁されていたという旨で留められていた。今では女伯がクルジュヴァールでの実権を回復し、市内は女伯と司教の支配下で平穏を取り戻していた。


 勿論、密偵であるイネッサの名前は報告書のどこにも登場しない。そもそもイネッサが本名かどうかも僕には分からなかった。しかし、彼女がいなければ僕たちの調査は成り立たなかった。先生は報告書の最後のページの片隅にイネッサに捧げる文言を書き加え、報告書を完成させた。


 その後、帝国からの伝令が訪れた。伝令はフィッシャー卿と先生に帝都への帰還の命令書を届けると、すぐに踵を返して帝国領内へと戻っていった。僕たちはすぐに出立の準備を整え、男爵とともに帰りの馬車を待った。

 出立の日、現れた馬車はアルデラ伯の家紋を掲げていた。かつて見た伯爵の武装郵便の四輪馬車だった。


「これで我々も、ジェピュエル総督府ともおさらばということだな」


 男爵が感慨深げに言った。


「思えば子爵閣下から岩塩坑の鉱脈発見と、鉱山株の買い取りを聞いた時から陰謀が始まったのだと思われる。貴公らには大変な迷惑をかけてしまった。本当にすまない」


「そんなことはありません。謝るのはこちらのほうでしょう」


 先生が三角帽(トリコーン)を取って男爵に頭を下げた。


「男爵を陰謀に巻き込んだのは我々のほうです。密偵のことも話していなかった。男爵は何も知らなかったのですから、こんな事は予想できなかったでしょう」


「いや、密偵の事は知っていた……」


 男爵は頭を横に振った。


「どういう事ですか?」


「私も、君たちと同じく、ある修道会から支援を受けていた。鉱山開発に関する資金援助や技術提供を」


 そう言って、男爵は懐から黒表紙の福音書を取り出した。


「算法修道会。彼らの事は君たちのほうが詳しいのだろう?」


 どこかで聞いたことのある名前の修道会だったが、どうしても思い出せなかった。しかし、ユーリヤがその修道会と関係していることは間違いないように思えた。


 郵便馬車は雪のちらつくクルジュヴァール市の郊外を西に向けて進んでいく。ヴァルド市に戻ったら、オットボーニ司教に挨拶に行くことになる。その時に、算法修道会についてユーリヤを問い詰める必要があるだろう。


 何れにしても、算法修道会こそが陰謀の最後のピースを握っている。これだけは確かに思えた。

※「算法修道会」の初出は第一章「陰謀狩り 六 ~ 司教は議論がお好き」になります。

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