吸血鬼狩り 十一 ~ 道化と傀儡
僕はまずクルジュスコールの地下を卯月と先生を探して歩き回った。本当に卯月と先生がクルジュスコールにいるという確証も、クルジュスコールのどこにいるという当てもなかったが、それでも何もしないよりもマシだろうと思ったからだ。昇降機を目指して、壁沿いに隠れながら長く冷たい石造りの廊下を進んでいく。どこかでペスト医師や学生と鉢合わせるのは厄介だ。
そもそも僕たちは何故、クルジュスコールに向かう途中で捕まり、そしてクルジュスコールで監禁されたのか。イネッサの言葉では、総督府司教のゲオルギウス・フラーテルがいるというクルジュスコールの洞窟修道院を目指せということだったが、クルジュスコール自体もそれほど安全ではないように思えた。
彼らはクルジュスコールの自治を守るためならば何でもする。そう言い換えることもできるだろう。そのためなら、村の子供を拉致することも、あるいは敵対者を殺すことまでしていてもおかしくはない。そんな危険な集団の本拠地に長く留まる理由はなかった。
僕は幸いにも誰とも出会すことなく、昇降機の前まで辿り着いた。これまで歩いて見てきた部屋に卯月と先生はいなかったので、別の階に移動したほうが良さそうだった。しかし、僕は昇降機の動力となる屍人形を動かすための鐘を持っていなかった。それに、昇降機が直って動くようになったとも限らなかった。どこかで屍霊術の鐘を探そうかと思った矢先、昇降機がにわかに揺れ始めた。
どうやら、クルジュスコールでの事件以後、昇降機も修復されたようだった。僕は急いで昇降機の中に飛び込んだ。上階から地下に降りてくる者がいるようだ。一つの機構で対になった昇降機は入れ替わりに動作する。僕が乗った昇降機は下から上へと移動し始めた。そして、地上階とは別の階層で昇降機の動きが止まった。どうやら、別の階に移動できたようである。
「ここは……?」
今までに見たことの無い中間階だった。分娩室があった階層よりも内装に金がかかっているようで、絵画や調度品まで置かれている。僕は誰かと出会わないように祈りながら、昇降機を降りて廊下を進み続けた。先程の地下階では時折、ペスト医師の『歌』が遠くから聞こえてくる以外に人の気配は無かった。しかし、この階層には明らかに人の気配がある。給湯のために換気口と炉が用意された部屋もあり、クルジュスコールの外から人を迎えるための客間が備えられているようだった。
僕はできる限り音を立てないように慎重に廊下を歩いた。高級そうな絨毯の敷かれた廊下であっても、足音の代わりに声や息遣いが漏れて聞こえる恐れがある。やがて、どこかの部屋から二人の男性の会話が聞こえてきた。僕は声の聞こえる部屋の前で止まった。扉は開きっぱなしで、話し声は廊下まで漏れているが、声の主たちはそのことを気にしていないようだった
「お前にとっては残念だったが、クルジュヴァール女伯のことは良くやってくれた。それにデーヴァ伯のことも。奴さえ失脚させれば総督府の軍隊は思いのまま。私の総督としての地位は安泰だ」
「そうだろうな。長年の失政で、貴公の総督としての権威は下がるところまで下がりきっている。それでも、政敵さえいなければどうとでもなる」
総督と子爵の二人がすぐそこにいる。彼らは僕の存在に気付かずに会話を続けた。
「イグナーツ。お前はこう言っていただろう。どんな民主的な議会も、所詮は少数が支配権を握っているだけに過ぎないと。議会で大きな二つの勢力が争っている時なら、過半数さえ取れば議会を支配できる。もし、過半数を取った集団が内部で分裂していれば、さらにその過半数を取れば支配できると。
僅か四分の一さえ制御できれば、議会を支配できる。『公国派』を牛耳るにはその程度の影響力さえ残っていれば良いと。政治の実相を語るお前の言葉を信じて正解だった」
「その通り。だからこそ『皇帝派』と『公国派』の対立によって、貴公は辛うじて総督に留まっているのだ」
「……いいか? 感謝していると言っているんだ。何故、そのような憎まれ口を利く?」
「それは私が憎まれ役を担ってきたからだ」
二人はお互いに裏で示し合わせてデーヴァ伯を陥れたということまで話している。一体、どういうことだろうか。それに、女伯のことを知っているということは、彼らが通じていたということだろうか。
「今まで私はどんな窮地でも、ジェピュエルの、いや公国の未来を考えてきた。そのために右目を失い、左腕を失い、こんな姿になっても歩んできた。それがどうだ? 良くやってくれただと? また一人、友人と家族を裏切ることになったことについて、貴公は理解していないようだ」
「そ、そんなことはない。イグナーツ……お前がいなければ、私は総督に留まっていない。それだけは確かだ」
「それだけか?」
子爵の義眼から、あるはずのない厳しい視線が総督に注がれる。総督は一瞬、狼狽えたように見えたが、なんとか威厳を保とうとしているようだった。
「……クルジュスコールも、裏では独立に向けた動きを取っていると聞いた。イグナーツよ、ジェピュエルについて考えているのはお前だけではない」
「彼らの敬虔さは演技に過ぎない。特に聖歌隊は危険な研究ばかり行っている。王立アカデミーの調査官を出し抜いたからと言って、連中を信用するのはあまりにも浅はかだ」
「分かった、分かった。お前は正しい。お前が『皇帝派』として振る舞ってくれなければ、女伯の裏切りにも気付けなかった。それに、王立アカデミーの調査官とやらも。今はここの地下に別々に閉じ込めてあると、補佐司教は言っていた。彼女や連中をどうしたいかはお前が決めればいい。私がお前の家族の問題に立ち入る必要はないからな」
「……」
総督の言葉に、子爵は沈黙を返した。どうやら女伯はまだ生きており、そして先生たちもクルジュスコールのどこかに幽閉されているようだ。
「公国の独立は近い。クルジュヴァールにいる『皇帝派』大貴族は、お前の情報のおかげでどんな小さな罪でも拘束できるようになった。デーヴァ伯だけではなく、どんな政敵でも叩き潰す準備が整っている」
「その後に何をする?」
「私は公爵になる。それ以外に何がある?」
総督の言葉から、僕の脳裏に人形という単語が浮かんできた。そう、総督はただの操り人形だ。彼が総督という立場にいることは確かだが、その権力をどのように使うか、意志決定を行っているのは他の者だ。彼は子爵やクルジュスコール、補佐司教に操られているだけに違いない。
総督の中身のない言動は裏を返せば、真の総督が存在することを示していた。それが子爵一人なのか、それとも司教や補佐司教をも含むのかは定かではない。それでも、子爵がとんだ食わせ物だということははっきりした。僕は二人がいる部屋からそっと離れ、昇降機のほうへと向かった。早くこの事実を卯月と先生にも話さねば。
子爵は『皇帝派』などではなかった。『皇帝派』の内通者とは子爵のことだったのだ。彼は総督の政敵を潰すため、子爵の言葉を借りれば「ジェピュエルのため」に『皇帝派』という道化役を買って出ていただけに過ぎない。彼を襲撃から救ったのが馬鹿馬鹿しく思えてきた。
少なくとも卯月と先生がクルジュスコールのどこかにいることは間違いない。早く救出する必要があった。僕は忍び足で部屋から離れ、他の部屋を探し始めた。もしかすると見張りがいるかも知れない。危険を冒さないようにと考えているうちに、僕の背中は緊張でじっとりと汗に濡れ始めた。とてもではないが平静を保ち続けることは困難だった。
ありがたいことに、卯月はすぐに見つけることができた。見張りもいない部屋の中で、彼女は手足を縛られ、猿ぐつわを噛まされて横になっていた。
「卯月!」
「!」
僕の呼びかけに卯月が目を見開いた。どうやら無事のようだ。僕はすぐに卯月の拘束を解いた。
「ありがとう、カミル」
「礼なんていいよ。それより、先生は?」
「分からない。クルジュスコールに向かう途中で襲われて、はぐれたみたい」
「多分、僕たち全員がクルジュスコールまで運ばれたんだと思う。先生もまだ別の部屋にいるはずだ」
卯月はすぐに自分を拘束していた縄を自分の服の中に仕舞い込んだ。証拠を消すと同時に、一応、何かに使えると考えたらしい。先に助かった僕よりも遥かに行動が計画的だった。その間にも僕は別の部屋で見た総督と子爵の会話を卯月に話した。
「カミル」
一瞬、僕の名前を呼ぶ卯月の目線が泳いだように見えた。
「つまり、その……さっきはごめんなさい。いきなり叩いたりして……」
「え?」
「貴方は貴方の考えを持っている。だから、今からでも遅くない、その事を今すぐにすべきだと思う」
「……」
意外な言葉に、僕のほうが混乱してしまった。確かにあの時、卯月そしてイネッサを前にして、僕は迷っていた。今も心配なのは先生だけではない。しかし、だからといってイネッサを追いかける覚悟があったかと問われると、僕にはその覚悟が足りていなかったのかも知れない。
「カミル?……」
「僕の方こそ、ごめん。……今度は迷わない。卯月は先生を探し出して、身の安全を第一に考えて隠れていてほしい」
「うん」
「その間に、僕はイネッサを探して、一緒にまたクルジュスコールに戻ってくる」
「え?」
卯月の表情が曇った。僕はまたしても何かを間違えたのかも知れない。しかし、考えていることをすべきだと言われた以上、それを貫き通すのが男ではないだろうか。
「あ、うん。そうだよね……」
「もしかしたら、もう会えないかも知れない。でも、無事だったら洞窟修道院で会おう」
「分かった」
卯月は若干、納得が行かないような素振りを見せたものの、僕の覚悟を前に彼女自身の信念を折ったようだった。僕は立ち上がると、学舎の外部へと通じる階段へと向かおうとした。
「ちょっと待って。これ、持っていって。袖の下でどうにかなる相手もいると思うから」
「ありがとう」
それは銀貨の入った巾着袋だった。卯月が行商の振りで稼いだものだ。銀貨を託された僕は、イネッサを助けるために階段を探し出すことにした。